第89話 勿来での会議

1571 元亀二年 正月 勿来


 話さなきゃいけないことはまだまだ続くのですよ。


 「新体制はこのような案配であるが、続いては西の様子。松平の動きだ」

 「ふむ。これは俺の方から報告をしようか」

 「そうだな。簡単な所は皆も理解を共有しておるだろうからな、吉法師が掴んだ情報を加えて話してくれると嬉しい」


 松平清康は兵を駿河は駿府城に集め、大軍勢をもって東進するという話は家中に広まっている。

 ただ、どうにもその動機と、最終的な目標がどの辺りかが一向に見えてこないので、当家としても伊織叔父が、小田原から国境の守りを太くすることで対処しているのが現状だ。


 「松平家は尾張、三河、遠江、駿河の兵を駿府城に集め東進を図っている。これは間違いがない。狙いは甲斐ではなく河東と伊豆。これも間違いがない。そして、大将は清康殿自身、これも間違いがない」


 ここまでは事前情報通りだな。


 「だが、最終的な攻略目標とその動機だが、これがバラバラなのだ。どうやら、清康殿が伝える相手、一人ひとりに違う内容を伝えているようだな」

 「ん?ソレデハ、統一された意思無くして軍を興すのですか?そんな軍は満足に維持デキナイのでは?」

 「ああ、俺もそれが気になってしょうがない。清康殿も六十を過ぎてはいるが、耄碌したという話は聞かんしな……考え付くのは次代の家督争いだが、これも昨年の広忠殿の暴走で、そのまま孫の竹千代、家康が継ぐことで話が纏まっておる。瀬名姫との間に息子も生まれ、今年で八つか九つのはずだな。ということで、お家騒動云々が原因とはならんだろう……」


 そうなると、どういうことなんだ?

 原因らしい、原因が無いのか?


 「で、俺も考えに考えて答えが出なかったのでな。弟の信行を伝って、権六、今では清康殿の娘を娶って名古屋城城主となっておる柴田勝家に話を聞いてみた」


 おお、勝家が松平一門になって名古屋城城主とはな!

 中々に面白い展開!


 「して?勝家様はどのようなことを信長様に?」

 「うむ。どうやらな、松平の領内では民の流出が止まらぬらしいのだ」

 「民の流出?どこへで?……いや、そもそも松平の領地で苛政が行われているということは……お主は何ぞ聞いておるか?犬千代?」

 「……俺も初耳だ。たまには利久兄から文なども送られてくるが、何処にも苛政だなどとは書かれていない。たぶん慶次も知らないと思う」

 「そう、松平では苛政が行われていない。だけれども民の流出が止まらない……」


 ふむ。民の流出か……。

 基本的にどの時代でも、流民、移民が絶えるということはないのだが、そのほとんどが経済的な理由。もちろん政治的な理由もあるし命の危険を感じての逃亡もあるが、松平領で民族浄化が行われているなど聞いたことが無いし、そもそも日本で民族浄化なぞ、古代の出雲討伐に熊襲討伐、蝦夷討伐といった時代にまで遡らなければ行われていないからな……。


 「民の行き先は四国連合、銭を持っている者は海路で関東を目指し、銭の無いものは陸路で信濃を目指しとるそうだな。……尾張の民は同盟国の美濃を通じて、恵那から伊那に向かっておるようだ。その昔に家康が整備した進軍路が今では民の流出路となっているとは、なんとも皮肉であるな」

 「しかしわからんな。苛政が行われていないのならば、松平領は暮らしやすいのではないか?いうても、彼らにとっては住み慣れた土地であろう?」

 「住み慣れた土地ではある。だが、それでも収穫物の六割から七割を持って行かれ、作物も米の栽培を強要される。高価な産物は買ってくれぬし、地味な物以外は贅沢品として作ることすら禁じられている」

 「一方、四国連合内では高いところで六割。街道は整備され、市は自由に立ち並び、領民は自分の才覚で好きなだけ商売が出来、作物も自由に育てることが出来る……ということでございますか」


 なるほど、忠清が纏めた通りか。

 四国連合は誰が決めたわけでもないが、その統治方法は当家に似ている。

 信長の報告を聞いて気付いたが、確かに、長尾も佐竹も伊達も当家と似た政策を行わなければ民が自領から逃げ出してしまうのだろうからな。

 ふむ。意外と当家と松平家のような関係で、南部家から大量の流民が伊達家に流れているのかも知れないな。


 ……まぁ、うっすらとは、それを狙った政策作りを小さい時から目指してきてはいたが、……ここにきて、思いっきり実っちゃたのね。


 「特に連合内で最も栄えている伊藤家に隣接している駿河。こっちは俺の所為とも言えるが、産物のやり取りと関東の話が一番入って来る尾張。そのふたつが最も動きが顕著らしいな。三河・遠江の民は伊那で米作が強制されてないのが羨ましいらしい」

 「伊那の場合は耕作地が米に向いている場所が少ないので、別の作物も紹介しただけなんだけどね」

 「まぁ、そのような経緯は民には関係ないからな……実りが悪い場所でも米作りを強制され、どんな年であれ年貢は容赦なく持って行かれる。一方、伊那では自分たちが育てやすい作物を作ることが認められ、米以外の年貢は微々たるもので、腹が空くことも少ない……これでは、ある程度の地位に付いている民以外は、こぞって新天地を目指そうというものよ。俺も、勝家から話を聞いて大いに合点が行ったわ」


 なるほどね……そりゃ、流民が発生するよね。


 「しかしそうなると、彼らの最終的な狙いは四国連合の崩壊。とりわけ、当家の壊滅となるのでは?……ですが、そこまでの大戦を仕掛ける勝算は松平のどこにもないでしょう。無理にそのようなことを企図すれば、滅びるのは自分たちの方となるでしょうから」

 「忠清の言う通りだろう。どう考えても松平で四国連合、いや、当家一国に敵う国力を持ってはいない。最大限に動員できる兵力、それを維持できる国力。どちらも当家と比べ、桁違いに小さい。……ふむ、いっそのこと朝敵やらなんやらの札でも貼って見るのか?」

 「朝敵な……宮中の勢力を中心に纏まった勢力があれば、それはそれで面白そうな策ではあるが、今の状況では無理であろうな。現在、京を中心に勢力を持っておるのは三好家となるが、彼らは先年に阿波から追い出され、讃岐の支配地も微々たるものに狭まっておる。……そんな中で朝廷の威光を関東に対して恣意的に使ったとしたら、西国諸将から絶好の攻撃材料を与えてしまうことになろうな。「朝廷を私物化している。君側の奸を討つべし」とな。それに、太郎丸よ。朝敵などと持ちだした後は、朝廷自身も酷い目にあっておるのが歴史的に証明されておるからな。奴等にもまともな頭があるのならば、そのような方便は使うまい」


 確かに、宮中勢力は武家と距離を取ることによって、自分たちの安全を確保しているわけだからな。

 無茶なことに手を突っ込んで、自分たちの命を賭ける愚は犯さないだろう。


 「そうなると、ますますわからんな。……獅子丸、日ノ本にスペイン、ポルトガル以外の国がヨーロッパから来ている気配はあるか?」

 「いえ、どこにも。……アルベルトから聞いた範囲では、今年あたりにサラセンの軍勢と地中海で大戦が始まりそうだというくらいデス。そんな情勢でインドの奥にまで艦隊……とまで行かなくても軍船を派遣できるような国はヨーロッパにはソンザイシマセン」


 それも、そうか……というか、今年あたりはレパントの戦いか。

 ハプスブルクのフアン卿が大活躍する海戦か~。ふむ。


 「ほぅ。南蛮では……というよりも、南から来るとはいえ日ノ本より西北の地域を南蛮もありませんな。して、そのヨーロッパでの大戦とはどれぐらいの規模なのじゃ?獅子丸殿よ?参考までに儂に教えてくれぬか?」


 欧州事情に興味津々の太閤殿下ですか。


 「ソウデスネ。サラセンガどれ程の艦隊を組めるかはわかりませんが、神聖同盟が計画しているのは三百隻、十万人規模とアルベルトとスペインの姉上から聞いています。おそらく、サラセンも最低で同規模は編制してくるとは思いマス」

 「「海戦で二十万だと!!!」」


 おおぅ。皆がレパントの海戦の規模で驚いているな。

 わかる。わかるぞ、その気持ち!

 世界史選択の学生が皆味わってきた驚きだもんね。しかも、そのほとんどがガレー船で漕ぎ手が奴隷ばかりというのも凄いんだけどな。


 「ヨーロッパ世界というのはな……」


 地球儀を手元に手繰り寄せ、指さしながら俺も説明に加わる。


 「このローマを中心とした切支丹勢力とコンスタンティノープルを征服したサラセン勢力に分けられるのだ。そして、両者の間でこの内海、地中海の覇権を賭けた戦いが行われようとしているのだな」


 実際には、神聖同盟が大勝するも戦後の戦略構想に欠け、地中海の派遣はオスマン帝国に握られたままの情勢が続くこととなるのだが……この世界ではどうなるんだろうな。


 「ふむ。しかし、地球儀で両勢力の大きさを見れば、圧倒的にサラセン側の方が広大な領土を持っているのではないか?大戦になればなるほど、地力の違いは顕著になるぞ?」

 「サラセンも一つの勢力ではありません。それぞれの地域ごとに王家が乱立してイマス。……それは神聖同盟側も同じですので、勝敗は現場の指揮官に委ねられるかと……」

 「……現場の指揮官が重要なのは日ノ本と一緒か」

 「ふむぅ。そうなると、戦自体の勝敗よりも事前調略、事後調略に加え、大局に立った戦略が重要ですな。獅子丸殿、そのあたりは?」


 今日も戦の理解がキレッキレの秀吉さんである。


 「アルベルトの兄のアルバロや、私の姉上などはコンスタンティノープルの攻略までを視野に入れ、完全に地中海の覇権を握るまでは継戦すべきだと訴えているのですが……どうやら、国王陛下や官僚共はそこまでの費えを確保することに拒否を示しているようです。……それでは、戦いの為の戦いにしかならず、ムダな命を散らすだけだと理解されぬようで……」


 なんとも悲し気な表情のイケメン様である。


 「俺も、獅子丸の言う通り、無駄な戦いにならぬことを期待するが、難しいだろうな。……少々、スペイン王を擁護してやると、スペインの懐事情と人材事情的に地中海全域の覇権を握っても、その維持に掛かる費えが用意できないのであろう。……まぁ、俺がスペイン王なら、拡大一方で費用ばかりが膨らむ植民地政策を見直し、少数の要所だけを抑える形に変更してから、現地政府を作って丸投げするがな。そうして自国を先鋭化してから、サラセン勢力の内部抗争を煽り、地中海とヨーロッパの覇権を握る。……ヨーロッパ大陸で覇権を握らない限りは、切支丹勢力の分裂は秒読みだからな。分断、内紛に植民地の独立など、これまでの努力の全てが水の泡になりかねない状況に見えるからな」

 「維持できぬ拡大政策ですか……話は戻りますが、もしかしたら松平が二の足を踏んでいるのは正にそれということでは?」

 「おう。忠清殿の考え通りであろうな。松平も家中の分裂は防げたが、領民の分裂、逃亡は防げていない。ただ、その逃亡を防ぐために四国連合に一定の勝利を収めたいが、領地を奪ってもそれを維持する方策が見えない……そんな所であろうな」

 「そうなると、早めに佐竹、長尾、里見のお家騒動が収まったのは有難いってことですな。もし、今もごたごたしておったら、それこそ松平家にとっては好機となってしまったというわけですな」

 「そうだろうな。……だからこそ、とりあえずは国境、蒲原城に松平を釘付けにするが上策と考えていてだな……」


 俺はちょいと思いついていた方針を皆に説明することにした。


元亀二年 正月 勿来 伊藤阿南


 日も落ち切ったので、旦那様達は書斎から本丸の広間へとお戻りになりました。

 椿たちは子供部屋で、瑠璃たちは赤子部屋でぐっすりと寝ています。


 そして、今日は正月の祝いも最終日。ですので、これからの夕餉は城に勤めるすべての者達が交代でここの広間に来て膳を頂きます。

 どうしても、任を外せない当直の方たちには、勝手所から暖かい差し入れが届く手筈となっているのです。折角のめでたい日ですからね。皆にも美味しいものを食べてもらいたいものです。美味しいものは絶対の正義ですから!


 正義と言えば……。南はこの獅子丸のお抱え料理人が作りだす汁物、「そぱでまりすこ」とか「びすけ」とかいう物が、このところ一番のお気に入りです。あの濃厚な味わいがたまりません。

 特に、あの汁の上にふりかける「ぺれひーる」ですか、あの香野菜の風味が一層、食欲を刺激します。


 今日は最後の夕膳。スペインのロサさんだけでなく、昔からの城の料理人、陳さんたち、それぞれが腕を振るいに振るった名作が立ち並びます!素晴らしいです!!


 ……大きくなったら、子供たちもみんなで、この絶品の料理たちを頂きましょうね。


 「でもさ、ほんと。南ちゃんはこの汁物好きだよね?本当にほっぺたが落ちちゃいそうな顔をしているよ?ね、母上?」

 「そうねぇ。阿南殿は本当に美味しそうに料理を頂くこと……これだけ、おいしそうに食べてくれるのだから、勝手所のみんなが腕によりをかけるのもわかりますね」

 「本当にありがたいことばかりなのです。義母上様。思えば南が勿来に来たばかりの頃は体が弱く、食も細かったです。……それが、義母上様にも大事に育てて頂き、今では多くの子供達に囲まれ、これほど美味しい料理を心の底から「おいしい」と思って食べれるのですから……。初めて旦那様に嫁げと父上から言われたのは物心がつく前なのですが、……今では、心の底から父上に感謝しています」


 何でしょう、勿来に来る前の南は、物心つく前から米沢を出されることが決まっていたわけでした。

 そのおかげでしょうか、童時分には親しい者は国にいませんでしたし、母上も他家に嫁ぐ嫁の心得と言って厳しく南に接していました。

 今になれば、それこそが父上と母上の愛情であったということもわかりますし、産まれた時から体が弱かった私を違う環境、米沢よりも暖かい環境に置きたかったのだということも理解できます。


 なんでしょう。

 ここにきて、色々と新しい気付き、親の愛を感じますね。これも南が親となったからでしょうか。


 「あ!南ちゃん。大蒜パンが焼けたみたい。マリアさんを沙良ちゃんが手伝って持ってきてるよ!」


 む!!大蒜パン!!!


 南の大好物です!

 ロサさんの焼きたて大蒜パンをびすけに浸たして食べるのは絶品なのです!


 「はい!ロサに言われて、焼き立てパンを一番に南ちゃんに持ってきたよ!やけどしないように気を付けて食べてね!」

 「うわ~!ありがとう。沙良ちゃん」


 ぎゅ。


 パンの入った籠を置いた沙良ちゃんを抱きしめます。

 お母さんのマリアさんと同じ、はちみつ色の髪に顔をうずめます。

 子供特有の甘い匂いが、これまた食欲をそそります。


 「もう。駄目でしょう、沙良。奥様を南ちゃん呼ばわりなんて……」

 「マリアさん。気にしないでください。沙良ちゃんは私の大事な友達なのです。友達から南と呼んでもらって、南は嬉しいのですよ?」

 「「ね~!!」」


 思わず声が重なる南と沙良ちゃん。


 「あはは、南ちゃんと沙良ちゃんは本当に仲良しさんだね。沙良ちゃん、沙良ちゃんもこっちに座って一緒に食べようよ。マリアさんの分は獅子丸さんの隣に膳が整えられているからね」

 「清様、お気遣いありがとうございます。けれど、今はレオンからは離れていた方が良いでしょう。殿方たちは昼の会議では話きれなかったようで、どうにも殺伐とした話を続けているようですから……」


 むぅ。旦那様達はわかっていないのです。

 美味しい料理を食べる時に殺伐とした話など、料理に対する冒とくというものなのです!

 美味しい料理は楽しい話題と共に食べるのが最高なのです!


 「じゃ、ここで皆で食べよう!……僕たちの膳をこうして一ヶ所に寄せてと……」

 「これ、清!お行儀が良くありませんよ」

 「いいの、いいの、母上。作業現場に行ったら、こうして皆で一つの鍋を囲んで食べるのなんて当たり前なんだから!幸せは皆で分かち合うの!」

 「……良いのでしょうか。私もこのような形では、食事をしたことが……」


 そういえば旦那様が言っていましたね。マリアさんはヨーロッパで一番大きな王家の姫様で、獅子丸と結婚するまでは内裏を一歩も出たことがなかったような姫様だったとか……。


 「大丈夫です!美味しいものは皆で食べるためにあるのです!」


 そう。

 美味しい料理はおいしく食べるためにあるのです!

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