第78話 長尾騒動 ~後編~
1569年 永禄十二年 晩夏 春日山
「何卒、某一人で済ませて頂きたい。兵共は某に付き従っただけのこと、何卒寛大なご判断を頂きたい」
春日山を包囲して一週間、上杉方守将の柿崎殿は城から単身、白装束に身を包み外に出てきた。
富山方面から援軍が出る気配は全くなく、孤立したこと、見捨てられたことを悟った柿崎殿は降伏を決断したのだろう。
今回の上杉家侵攻のための陣立てはこうだ。
上野一万五千を景竜が、下野一万五千を景貞叔父が、下総からは一万を姉上が直接率い、勿来水軍武凛久二十隻と兵員を合わせた一万を俺が率いる。
ちなみに旗印に関しては多少の変更がなされている。
当主が赤地の風林火山を使うのは変わっていないのだが、黒地の風林火山を爺様から景貞叔父が譲り受けた。そして、景竜が竜の字。俺は変わらずの狼の字だ。
鹿の字も忠平から忠宗が譲り受けているが、今回は古河で父上と一緒に留守番なので、鹿の旗は今回の上杉討伐には出てきていない。
勿来水軍の提督たる信長は三國通宝を旗印に使いたいと言ってきたので、心良く使用を許可している。やはり、信長様には銭の旗印が良く似合う……のか?まぁ、良い。
面白いところでは、副提督の獅子丸は十字架と獅子を掛け合わせた意匠で、どことなく欧州の雰囲気漂う旗印となっている……娘のワンパク沙良ちゃんが出て来る時には双頭の鷲とかが旗印になるのかな?などとワクテカしてるのは内緒。そのあたりは非常にセンシティブなお話しなのですよね。
さて実際の春日山城攻めだが、まず初めに、姫川沿いの糸魚川の村に姉上率いる伊藤家三万と真田殿の信濃衆から五千の合計三万五千が布陣した。そこで富山方面からの援軍を封じる一方で、伊達軍、佐竹軍、伊藤軍で城を包囲、海上に関しても里見水軍、勿来水軍が封鎖した。
里見水軍は勿論のこと、南蛮船を装備していないので、いわゆる日本古来の戦船的な立ち位置の重装備関船で参戦だ。
勿来の湊で合流した彼らは、武凛久船団と艦列を組み勿来-塩釜-函館(隠し港)-酒田という航路を無事に進軍してきた。
関船で見事に武凛久についてくるあたり、獅子丸が言っていたように、見事な操船技術を持っている里見水軍である。
今回の里見水軍指揮は、義堯殿直々である。義弘殿は留守居役……ということなのだが、小弓城に入ったままで、久留里城は正木時茂殿、館山城は土岐為頼殿が入っている。
その里見水軍だが、基本的な役割は海上の補給路、酒田から先の確保と輸送作業になる。
一方の勿来水軍は、酒田までの補給全般と前線への大砲輸送が主な仕事となる。
攻略目標である上杉方の拠点、春日山、富山、七尾、金沢は確かに、海を臨んではいるが面してはいない。船からの射撃が届くものでもないので、陸からの進撃に合わせた海上からの上陸作戦支援とその後の攻城兵器輸送が主な任務だ。
信長などは多少は不満そうではあったが、大局が読めず、南部に媚びを売りたがっている郷士の海賊もどきや、上杉方についた領主からの要請で出て来る海賊もどきを蹴散らすことで、うっぷん晴らしは我慢することにしたそうだ。
当家だけで五万の動員、長尾、伊達、佐竹、里見も入れれば十万をも超える大戦の補給を海上輸送を肝として行う。その前例のなさからくる興奮の方が上回ったようで、一言二言、「つまらんなぁ~」とぼやく以外では、割と興奮気味に任務に取り掛かっている。
ただ、いつか、「あれであろ?スペイン以外の船がちょっかいを掛けてきた場合は沈めても構わんのだろ?」と言って来たのにはな……まだ、ロシア艦隊はこの近辺にはいないだろうけど、やめてよそういうのは?
ともあれ、今年の内に越中までは押さえておきたい。
大軍を展開するためにも拠点が必要だからね。大砲を使って城を落としたとて、そこまでの廃墟には……ならないよね?たぶん。
まぁ、いいさ。その時になってから考えよう。うん。
まずは、越中への進軍ルートの確認だな。
永禄十二年 秋 高岡 伊藤景竜
「この
合力も何も、あなたたちは再三の上杉方からの出兵要請を無視してきただけではないですか。
確かに、能登の位置から上杉方に反抗をするのが難しかったのは理解できますが、些か虫が良すぎるように感じますね。
まぁ、信濃守様と後見様は差配の面倒さから、今回も適当な物資の供出だけさせて、後は長尾家に丸投げするのでしょうが……、丸投げされた長尾家を代表して、直江殿か真田殿に愚痴を言われるのは私の役目なのでしょうね……。
今から気が重く感じます。
「畠山殿の思いはわかりました。こちらとしては、ある程度の秋の収穫物を都合してくれれば、特に言うことはありません。何より能登の西岸側は金沢よりだいぶ侵食されているとの話ですね。義続殿はどうぞ、そちらに注力なさってください」
「ははっ。信濃守様よりの有難い申し出……必ずや新発田の者どもに鉄槌を食らわせてやりますぞ!」
「期待しておりますよ」
……信濃守様は特に期待していないだろうが、畠山が能登西岸で金沢衆を引き付けてくれるというのは有難い話です。
勝てぬまでも引き付けてくれるだけで、越中での我々連合軍の優勢が大きくなります。
西からの圧力が無くなれば、倶利伽羅峠より東の勢力は軒並み我らに付くでしょう。
上杉も長尾も結局は同じ根で、越中の民にとっては変わらぬ侵略者のはずなのですが、どうやら新発田を初めとする「切り取り次第」を夢見て越後からやってきた上杉方の越後衆は、相当に現地の民に恨まれているようですね。
彼らは、自分たちに上杉方の圧力が無くなったと感じた瞬間に当方へと全力で靡いてきました。
ちょうど秋で収穫物に余裕もあるのでしょうが、我先にと食料と寝場所を提供してくれています。
信長などは、「これでは更に活躍のしどころが無いではないか!」などと本気で悔しがっていました……。
補給部隊が楽できるのは良いことです。補給が楽だということは、全体的な戦が優勢だということですからね。
「しかし、上杉方は動きが鈍い……というか、まったく動いて来ないな。多少、刃を交えたのなど、上陸前後の数回ではないか。軍神とまで評された輝虎殿の差配とも俺は思えん……これは、関白殿からの情報が正しいということか?」
そう、北条での長尾政景殿の長尾家継承宣言に立ち会った関白殿は、去り際に輝虎殿のことについて、到底捨て置けぬ情報を置いて行った。
曰く、輝虎殿は病状厚く、もって年内、年明けは難しいのではないかと……。
原因は不明だが、近衛の姫を娶ってからの輝虎殿は不摂生の塊だったらしい。
酒と香に明け暮れ、満足な食事もとらずに子作りに励む……嘘か真か、多くの家臣たちと一緒にそのような乱行に興じていたらしい。
……軍神も地に落ちましたか?
「どうであれ、富山城には未だ万を超える軍が、輝虎殿と供に籠城しているのです。我らは四方の包囲を確実なものとし、後背の憂いを絶ってから富山城攻めに掛かりましょう」
「……そうだな。冬の越中での包囲となろうからな。今は補給も順調ではあるが、これからは寒さも厳しくなり雪も降ってくるだろう。……今のうちに出来る備えは万全にせねばな」
「はい。その備えですが、今のところは順調に進んでおります。海路での輸送は問題なし、特に里見水軍の酒田以西の活躍が目覚ましいですね。大型の関船であるのですが、彼らの操船技術により、見事に船をどこの拠点に対しても、適切な場所へ着岸して見せます。喫水の深い武凛久では荷卸しに手間がかかってどうしようもないのですが、彼らの動きは素晴らしいの一言に尽きますね」
後見様の言う通り、里見水軍の補給は越中侵攻に欠かせないものとなっている。
おかげで、当初の予想の数倍、勿来武凛久の使いどころが無くなっている……ただ、武凛久が無ければ、日本海側のこちらまで里見水軍を連れてくることも、当家の物資を酒田まで運ぶことも出来ないのは事実なのですが……。
「ふむ。では、やはり勿来水軍の半分は戻させてもらって構わぬか?室蘭の畑も出来てきておるとは言え、室蘭-勿来の道を細くしてしまっているのも事実。こちら側に余裕があるのならば戻しておきたいと思う。あとの指揮は獅子丸に任せれば万事うまくことは回ろう」
「そうだな。そうしてもらえるか?吉法師。特に、何の心配もないではあろうが、太平洋側をいつまでも薄くしておくのはやはり心配だ」
「承知した。では、早速支度にとりかかるか……では、皆さま。年明けに関東へ凱旋されることをお待ちしておりますぞ!」
……やはり、信長は今回の状況に飽きていたのでしょうね。足取り軽やかに港に向かっていきました。
「では、もう一度、越中での状況を確認いたしましょう。高岡城と倶利伽羅峠は当家が抑えております。福光城は真田殿が信濃衆と西飛騨衆で確保。神通川上流部は佐竹殿が東飛騨衆と共に確保。魚津城は伊達殿と長尾殿が確保している、と……」
「四方を抑え込まれた上杉方としては、何とか畠山を調略して、西と北に富山の兵で当家を高岡から追い出すぐらいしか策がなさそうだな……それも金沢衆と能登衆の争いを見る限りは期待薄か。後は、城を包囲してきた時に無理に出陣し、野戦で奇跡の勝ちを収めることぐらい……」
「ともあれ、ここにきて我らが無理をすることは無いでしょう。当初の予定通り、準備ができ次第、四方の軍と連絡を取り合ってゆっくりと富山城を囲みましょう。その後は大砲で城に砲撃を仕掛け、降伏を促しましょう」
ええ。後見様が言うように、この局面で我らの優勢が揺らぐことはありません。
ただ、北条での検討では可能性薄し、と考えられましたが、やはり周辺諸将の動きだけは気にしないといけませんね。
当家と伊達家は余力がありますが、南信濃の者達や飛騨の者達は、かなりの力を上杉攻めに使っています。当家と松平は盟を結んでいますが、地方の郷士や小領主にかの岩城重隆のような御仁がいらっしゃらないとも限りません。
かように緊迫した状況で、一部の暴発から大規模な戦闘に発展するのは……あまり考えたくない図式ですからね。
永禄十二年 冬 小田原 伊藤伊織
「初めてお目に掛かります。私、遠江が
「べつに私は殿様ではなく、ただ、相模・伊豆を見ている一門の者に過ぎませんよ……それで、用件、困ったこととは?」
事前に小太郎から事情は聴いていますが、裏を取る意味も兼ねて、ここは本人の口から話を聞きましょうかね。
「はい。伊織様は井伊谷をご存知ないかと思いますが、遠江は浜松の北、浜名湖に注ぐ川添いの小さな谷あいの村々の総称です。井伊谷は天竜川沿いでもなく、
ふむ。
虎殿はそう言いますが、先年の松平と今川が戦を始めた契機が、その井伊と西ヶ崎の諍いからだったと記憶していますがね。
松平の鉄砲生産に興味と利の匂いを嗅ぎつけ、それまでの今川臣従から松平臣従に切り替えたと、信長経由で話を聞いていますし、その旨は小太郎に裏も取ってもらっています。
……まぁ、話を聞きましょう。
「そんな平和な井伊谷でしたが、戦国の倣いと申しましょうか。井伊家でも勢力伸長が著しい松平様へ付くことを望む者達と、今川家に付く者達で割れてしまいました。結果、父直盛は松平に付くことを決断し、今では岡崎城主の広忠様の配下として過ごしております」
確か広忠殿は、清康殿が古河に見えられた時には来ていませんでしたね。清康殿と一緒に見えられたのは、孫の家康殿でしたね。
「して、その広忠様なのですか。どうやら、戦支度を配下の者達に命じているとのことで……」
「松平がですか……?」
これは少々意地悪な質問でしたかね?
「……いえ、広忠様個人が……です。広忠様は焦っておられるようでして……」
「家督を相続する者が自分を超えて家康殿になってしまうのでは?……ということですか」
「はい……私は物心がついてより駿府の伯母上の下に預けられておりました。伯母上は今川家一門の関口家に嫁いでおりまして……」
「家康殿の妻となった姫はその関口の出でしたね?」
なにやら、口ごもっているようなので、多少は手助けをしてあげましょうか。
このままでは時間ばかりが過ぎ去ってしまいそうですしね。
「はい!……で、その秀から聞いた話なのですが!……と、すみません。私は彼女とは名で呼び合う仲なので……」
「構いませんよ。続けて」
「はい。秀曰く、内々に清康様から家康様に家督を譲り渡す話があったと……ただ、広忠様は納得しておらず、清康様と激しく言い合いをしたあとで「家督に見合った戦功を立ててくる!」と見栄を切ったと……」
小太郎からの報告と合致しますね。
「で、広忠殿は配下の岡崎合力の諸将に信濃攻めの号令ですか……」
「!!……はい、その通りです……やはり、伊藤家にはその動きは漏れて……」
「いない方がおかしいでしょう。松平家とは盟を結ぶ前に飯田城近辺で戦った間でも有ります。また、商人たちは両家の領内を行き来して商いをしています。ある程度、まとまった数での戦の準備はたちどころに、もちろん双方ともに、瞬時にわかることでしょうね」
当家も松平家も数万の兵を楽に動員できる領地を持つ身です。
それだけの兵を動かすとなれば、兵站はそれなりの規模となり、自然、商人たちは商いの機会だとばかりに動き出すものです。
「して、虎殿はそのような情勢下で何をお望みでここに参ったのかな?」
「……広忠様の命運は尽きております。されど、何卒、何卒巻き込まれただけの井伊はお助けいただきたく!」
「……虎殿、それは言う相手が違う。広忠殿の進退を決めるのは松平家です。伊藤家ではございませんよ……それに、いろいろと考えても伊藤家から遠く離れた井伊谷に、何をもって影響力を行使出来ましょうか?申し訳ないが、虎殿が縋る相手は秀姫であり、家康殿でしょう。私ではありません」
なんでしょう。私に会いに来たということは少しは面白い話が聞けるかと思ったのですが……。
「伊織様のおっしゃることはよくわかります。私の言いたいことは井伊谷を救ってほしいとの望みではありません。井伊家を救って欲しいとの願いです。どうか、私と息子の身柄を伊藤家で預っては頂けぬでしょうか?」
おや?少々、面白そうな話になりましたね。
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