第76話 長尾騒動 ~前編~

永禄十一年 冬 xxxx xxxx


 「なんじゃのぉ。結局、あのお方はやることなすこと失敗続きで困りますのぉ」

 「ほんとうに……困りもので、お邪魔者の殿下でおじゃるかな?おーほほほ」

 「なにやら都と東国を行ったり来たりしておじゃりましたが、結局は武家の銭を無駄に使っただけ。推薦した将軍も都に入る前に死んでしまいましたのぉ」

 「いやじゃ、いやじゃ。そのような死病持ちを将軍として洛中だけでなく宮中にまで呼び入れようとしていたなどと……ああ!おぞましい!」

 「まったくでおじゃるな。ただ、喜ばしいのは、来月からでも殿下をお呼びするときは「前の」と付けることが出来ることでおじゃろうな!」

 「「おーほっほほおほほ!!」」

 「ふんっ!口さがない噂が外にまで聞こえておりますぞ!」

 「おーこわいこわい。殿下がお怒りでおじゃる」

 「東国では箸にも棒にも掛からぬ仕事しか出来なんだ殿下がお怒りじゃ!」

 「麻呂たちも殿下に睨まれ様なら、かような仕事しか出来ぬ呪いを受けてしまうかも知れませぬのぉ」

 「「なんと!こわいこわい!!」」

 「……ふんっ。佐竹など所詮はただの撒餌。本命は別のところでしっかりと根を張っておる!」

 「ほほほ。こわいこわい。東国に行き過ぎたせいか言葉遣いが汚らしい坂東武士のようで……」

 「さようでおじゃるな……しかし、殿下?別の根が張ってあるとは、いかにも楽し気なお言葉では?」

 「おお、そうでおじゃるな。よろしければ麻呂たちが拝聴できぬものですかの?」

 「何を!麻呂はまもなく「前の」と呼ばれる身。せめて、此度の策が成って戻ってくるまでは其方たちが「この世の春」を謳歌してるが良いでおじゃろう!」

 「おやま。殿下がへそを曲げてしまっているでおじゃるな」

 「ほほほ。へそ曲がり殿下でおじゃるか!それはまたおかしなことで」

 「「おーほほほほ!」」


1569年 永禄十二年 正月 古河


 「「……」」


 未だ正月の時期の古河。

 本来であれば東国の諸将がそれぞれの外交を兼ね、家来衆を引き連れて集まってくる季節であるのだが、今年は少々様相が異なる。


 理由は二つ……いや、一つか?


 古河の大広間。

 上座正面には当主たる姉上。両脇、左手側には俺が、右側には父上が座る。

 壁を背にする左側には、爺様を先頭に一門衆が並び、廊下側右手には忠宗を先頭に家老、重臣が並ぶ。


 そんな大広間、中央で頭を下げる人物が三名。


 長野業盛ながのなりもり、直江景綱、真田幸隆。


 「で、上杉憲政殿は越中に向かったと?」

 「……ハッ……昨秋に輝虎殿に挨拶をしに越後へ向かうと申し、わずかな供周りのみを連れ、北へ向かいまして……いまだ……」


 苦しそうに業盛殿は返答する。

 長年、壬生に落ち延びた山内上杉家を支えていた長野業正ながのなりまさ殿の嫡男で、山内上杉の実質的な筆頭家老として政務を取り仕切っている男だ。


 「長尾家では確認できているのですか?」

 「……はい。確かに憲政殿が昨秋に信濃から直江津に向かい、富山の湊に向かったとの連絡が某の下に来ております」


 景綱殿も苦しそうに返答する。


 「で、同じく届けられたこの書状の差出人の関東管領、上杉政虎うえすぎまさとらとはいったい誰です?」

 「……長尾家のお屋形様……輝虎様のことでございます……」


 幸隆殿は苦々しそうに返答する。


 「で?その上杉政虎が関東管領として古河に入り、晴氏殿の息子、朝景殿の弟の藤氏殿が鎌倉公方として鎌倉入りをするので、当家は関東から出ていけ、と?……なにやら、前関白様の名で書かれた書状もありますが?」

 「「……」」

 「輝虎殿は頭に蛆でも湧きましたか?」

 「あ!いや、そのようなことは!」


 景綱殿は反射的に姉上の言葉を否定するようなそぶりを見せたが、幸隆殿は……。


 「湧きましたな。完全に……きっと富山で近衛の姫が調合した香に精神を犯されたのでしょう。これが軍神とまで呼ばれた男の末路なのかと思うと、全く持って嘆かわしいことです」

 「……真田殿!」


 かなり過激な幸隆殿の言葉に驚く景綱殿。


 ふむ。完成台本のすり合わせはしていないのかな?


 「……ことがここまでに至ったからには、もう腹を括りましょうぞ、景綱殿。幸いにしてこの場には伊藤家の中核を担う方々が勢揃いされておる。某は胸襟開き、すべてをお伝えして、お力添えを願うことこそが正しきことかと思いますぞ」

 「……であろうな。……そうだな、お任せした、幸隆殿」

 「では、某からご説明とお願い事を……」


 漸く長尾家の近年の不可思議な対応の理由が解るか……。

 まぁ、大体のところは予想できてはいるけれどもね。


 「ことの発端は、結局のところ京を中心とした勢力争いでございます。足利の没落に端を発し、細川や三好など足利に関わりある家々が役職・家格関係なくお互いの利益を求めて相争う武家。そういった武家から、賂を如何に多く貰うかで足の引っ張り合いを続ける公家。今回のこともそのことが引き起こしております」

 「……東国は京の賂事情など、興味のかけらもないというのに……そっとはしておいてくれんのか」


 爺様の嘆きは切実だよ。


 「ええ、伊藤家が関東で勢力を伸ばしてからの十年、二十年でだんだんと畿内は銭が集まらぬ地となってきております。それは畿内随一の大勢力となった三好家とて同じことのようです。堺の豪商共にとっても儲けることが出来る商いは、博多と勿来とに伝手がある者のみ。これでは武家や公家が干上がるのも道理というもので……そこに五摂家の争い、三条家の断絶と一向宗が絡み合い、昨年には足利十五代将軍となられた義昭公が三好家と二条家に担がれたことを受け、前関白殿下は東国を自身の権力基盤とすべくこれまでよりも過激な行動に出たということです」

 「前関白……私は太田城で会ったことがありましたが、……彼は関東を見て、何を学んだというのでしょうか」


 確かになぁ。

 関東の発展具合と、当家の統治具合を見れば、この書状に掛かれているような世迷言が頭に浮かぶこともない筈だけど……。


 「真田殿は、近年は上田から動きませぬが、某は富山の評定にも顔を出します。その時に何回か前関白殿下ともお会いしましたが、相当に焦っている様子で、自分が信じたいこと以外は全く耳目に入らぬようでした。関東の発展に関しても、「これほど栄えているなら夷狄を駆逐して自分たちが住むのも吝かでない」、などと申しておりました……」

 「「は~っ」」


 この場にいる者達すべてが、彼らの思考について行けず、ただただ呆れるしか出来なくなってしまった。はじめの頃の怒りの感情などはどこかに霧消してしまったよ。


 「では、どうするのですか?景綱殿、幸隆殿、業盛殿?」

 「当家は、当主一人、勝手に出奔いたしました。もはや、壬生に残る者で山内上杉に仕える者は誰一人としておりませぬ。つきましては、小山の者達と同じく、今後は伊藤家の一家臣として東国の発展に力を注ぐことにご協力させていただきたいと存じまする」


 まぁ、壬生城の人たちはそうだろうね。

 せっかく、壬生でひっそりと暮らしてきたのに……、勝手にいなくなった馬鹿な当主に義理立てをすることもないのだろう。


 「わかりました。壬生の者達には当家の下で働いてもらいましょう。忠宗!」

 「はっ!」

 「壬生の者達の割り振り、委細任せましたよ」

 「承知しました、お任せください」


 で?と、目線を長尾家の二人に送る姉上。


 「はっ、我らは少々、信濃守様と後見様にご相談したき儀が……」

 「わかりました。お二人は別室に……父上、景藤、付いて来て下さい。業盛殿、詳しいところは忠宗と詰めてください。決して、悪いようにはしませんから」

 「「「はっ!」」」


 なんだろうね。個別面談って。

 どうせ面倒な事なんでしょう?

 あ~、やだやだ……と、背筋が寒くなる気配を感じたので、真面目に仕事しましょう。

 はい。真面目にね。


永禄十二年 正月 古河 伊藤景虎


 内密に、ということは何かしらの謀であろうな。

 ここ最近の儂らの真田殿と直江殿との付き合いの深さから考えると、それほど悪いことではなさそうじゃが、越後・越中へと兵を出すことになるのは避けたいところではあるが……まぁ、難しかろうな。


 本心はどうであれ、政虎殿の書状は我らとの手切れと受け取れる代物であるのだからな。


 「こちらにどうぞ……席はどちらでもご自由に」


 儂らはお二人を明風机が置いてある応接室に案内した。

 回転板の上には、最近明から移り住んできた茶職人が造りだす発酵茶が入った急須と茶菓子が置いてある。


 「では、失礼して……」


 直江殿と真田殿が座ったのを確認して、景藤が茶を湯飲みに入れ、皆に配る。

 もちろん、二人に見えるようゆっくりと、真っ先に口に付けるのは景藤だ。


 「ずっ……で、どうしましょう。長尾と伊藤で戦をするのですか?」


 さも面倒な仕事を押し付けられたかのように、景藤が気だるげに二人に問う。

 ……家族の儂らには解るが、あれは芝居でもなんでもなく、ただ本当に面倒だと思っておるだけじゃな。


 「その件でのご相談です。長尾と一緒に上杉と戦って欲しいと考えております」


 真田殿は景藤の流儀がわかっておるのじゃろうな。

 前振りも何もなしに、いきなり本題に切り込んできた。

 しかし、独立はもう既定路線であるのか。しかも、真田でも直江でもなく、長尾と来たか……。


 「長尾家はどなたが、どこまでの領地をお持ちの予定で?」

 「はい。当主には上田長尾家の当主、長尾政景ながおまさかげ殿が、政景殿は守護代長尾家の分家筋ではありますが、輝虎の姉で、先代様の妻である文様の妹である、綾様を娶っておられる方です」

 「また、今現在での所領は信濃と飛騨、頚城くびき郡を除く越後となります。また、その地に所領を持つ越後の領主に加え、伊藤家の口添えで当家に降りました諏訪家、高遠家、木曽家、三木家が配下となります」

 「……それだけの家と領地だとすると、上杉家よりも相当に大きな家となりますな。普通に戦っても、上杉家を屈服させることは困難ではないのでは?」


 とは言うてみたが、実際のところは人が多く住む地域は上杉家の領地か、兵力は互角でも、もしものことが起きかねん状況か。


 「はい。某たちでも何とか戦えはしましょうが、春日山城に富山城、能登畠山の七尾城に、加賀の尾山御坊などを落とすことは困難を極めましょう。また、当家は四国連合の一員でありながら、皆様と轡を並べての戦いの数が少なすぎまする。ここは、二度と京の公家どもが馬鹿な考えを起こさぬよう、四国、いや里見も入れて五国の結束を内外に見せるべきかと考えます」

 「里見もですか……面白い。幸隆殿は海からかの地を攻めますか!」

 「さすがは後見様。儂の戦略をいち早くお見抜きだ」


 海からか……確か、小田原城を破壊した大砲は全て船に積める、と景藤は申しておったな。


 「海路を封鎖し、拠点となる大城を大砲で破壊する……上杉方は補給と兵の集結が出来ずに大軍を編成できない。さすれば、後は長尾の者がゆるりと平らげれば良いということですか」

 「左様でございます。これが儂らが考えた、最も流血が少なく、また確実に勝利が見込める手立てでございます」

 「……私が気になるのは他からの援軍だが、上杉に合力する勢力はあるのかな?」


 そうよの。考え方としては非常に良くできた作戦ではある、と儂も考えるが、周りの国々が干渉してこないとも限らん……まぁ、周辺にそのような勢力があるとは思えぬので、念のための確認ではあるがな。


 「周辺には上杉に合力するような勢力は御座いますまい。むしろ、我々に頭を垂れている勢力の離反と裏切りこそが最も警戒すべきことかと……戦場が近場なら厄介な思考に陥る者達も多い信濃と越後ですが、今回に関しては彼らの離反は考えにくいでしょう。単純に上杉方が力を伸ばしては、彼らにうまみは全くありませぬからな。問題は、戦が進んでからの越中、能登、加賀、そして飛騨あたりでしょうか」

 「それこそ、三好あたりが手を出してくることは?」

 「難しいでしょうな。三好は近衛とは距離を置いておりますし、何より陸伝えで兵を送るには敵対勢力を突っ切らねばいけませぬ。六角、浅井、朝倉、斎藤……彼ら自身もどさくさ紛れの乱取りは嗾けかねませぬが、兵を北に向けたら、それこそ三好に食われかねませぬからな。よっぽどの長期戦にでもならぬ限りは、通常の外交交渉さえ行っておれば問題ないかと……」


 やはり、彼らもそのあたりの分析は何度もしておるわな……。


 では、問題は核心部分だな。これは娘と息子に確認させる話題ではなく、儂から言い出さねばならんであろうな。


 「お話は良く分かったが……結局のところ、お二人の話をどうやって信じればよいのじゃ?加賀までを攻めとる。それだけの兵を連合で整えるにあたっては、お二人の話だけでは信ぴょう性というか……、確実なものが無いと二の足を踏み兼ねぬのが正直な所じゃ」

 「先代様のお話しはごもっともです。景綱殿」

 「ああ……信濃守様、これより国境におります某の妻子と、幸隆の妻子、どうか古河に置いてはくれませぬか?また、話がまとまり次第、政景様の妻の綾様もご子息と共に古河に参ることになっております」

 「!!人質などそのような……」

 「いや、ありがたくお引き受けいたそう。お住まいも城下にきちんとしたものを造らせていただきます。どうぞご心配なく」

 「……忝いことです、先代様」


 正直な所、四国連合と呼んではおるが、その四家の中では当家が抜きん出た国力を持つに至っておるのじゃ。


 今までは、同列の国々の連合ではあったので、このような事態にはなっておらなんだが、今後は古河なり、鎌倉なりに諸将の妻子が住まうことになることも視野に入れねばならんかったのだ。

 今回の長尾騒動はそのことの丁度良い契機となるのであろうな。

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