第43話 天文の大乱の結末
弘治二年 夏 勿来
「鶴千代丸……鶴千代丸か……本当にお前なのだな……」
「父……上……それが……しも……お会いしと……うござい……」
「言うな!何も言うな!其方がこうして生きてさえくれたのなら、父として何も言うことは無い!只今は、黙って父の胸に抱かれているが良い!」
「は……い」
伊達鶴千代丸、これは幼名だ。
一番最近の彼の名前は、
阿南の兄で、先年の岩城重隆の乱行により殺されていたと思われていた男だ。
彼が生きていると聞いたのは先月、三坂城城主の忠文からの知らせであった。
火事に巻き込まれて喉を傷めているのか、声が満足に出せない男が貝泊の炭焼場にいる。
ただ、その男は自分を鶴千代丸と名乗り、どうにも仕草が武家の、それもそれなりに立派な家出身の男のようである、と。
始めは、忠文が部下の炭焼き管理の里の物から噂話程度に聞いたものだったようだ。
特に大したことも無いであろうと、しばらくの間、頭の中からこの話は離れていたそうだ。
それが、俺が小川に城を築くということで始めた周辺調査を手配し出した頃、不意に岩城家のことを連鎖的に思い出したようだ。
伊達家からの養子で重隆によって弑された男の幼名が、なんとか千代丸だったことを思い出し、慌てて俺に連絡を寄越したのだそうだ。
たしかに、せめて伊達家に連なる方々の遺体だけでもと思い、飯野平城を落とした時、城に残っていた遺体を詳細に確認をしたのだが、鶴千代丸らしき人物は見つからなかった。
乱に巻き込まれ、遺体も見つからぬとはなんと哀れな……と思っていたのだが、本人は伊達家から付いてきた家臣たちに、その言葉通り、命がけで逃がされ、阿武隈山中の炭焼き小屋へと逃げ込んでいたらしい。
喉をやられ満足に言葉が出ないので、里の者達も深くは事情を聞かず、この三年ほど、村の若衆の一人として面倒を見ていたそうだ。
ともあれ命があって良かった。
親子の感動の再会だ。
俺が邪魔をしてはなるまい。
俺はそっと部屋を出て、晴宗殿、久保姫殿、阿南、鶴千代丸の家族水入らずを楽しんでもらおうとした。
「死に別れたと思っていた家族と再会できたのだ、こんなにうれしいこともあるまい」
「はい。南も兄上様はもういなくなったものだとばかり……」
え?
「……阿南は良いのか?」
「はい。兄上様には子供時分、大層かわいがっていただきましたが、今は父上と母上と三人だけの方が心も休まりましょう。南は実の妹なれど、今は他家の人間ですもの」
言葉遣いが一時よりもだいぶ自然な感じに戻った阿南が言う。
「そうか。では、我々は一丸と中丸に会いに行くか。今は母上と清が世話をしてくれていようからな」
「はい。子供たちに会いに行きましょう!若殿」
俺たちは連れ立って勿来城奥の丸の廊下を歩く、勿来城の奥の丸は北西から南東にかけての楕円形状の土地に建っている。
この山の頂上付近を大きく削って造成したので、きれいな円形や正方形の土地は作りにくく、やむなくこの形と相成った。
その関係で、いま伊達親子が対面をしている南東側の部屋と、母上や子供たちがいる北西側の部屋では、直線距離で二町半ほど離れていたりする。
「若殿。勿来は良い街ですね」
廊下の途中で歩みを止めて阿南がしみじみと言う。
この廊下からは本丸、二の丸越しに勿来の町が良く見える。
ここからだと、少し北よりの東を眺める形となり、城下の武家屋敷、鮫川沿いの綿畑と兵舎長屋、川を渡って商人街、その奥に倉庫街と港が見える。
港の裏山を越えれば湯本となる。
吉法師が博多から村上の者達を連れてきたら、すぐにでも湯本で造船街を作らねばな。
そして湯本の奥の丘を越えれば飯野平、小川の館だ。五年後にはそこに吉法師の城が建つ。
飯野平はこの近辺では一番平野部が広い。
岩城の悪政により荒れてはいるが、人を入れ、きちんと手入れさえすれば田畑が広がり、この一帯の食料を支えてくれることであろう。
「そうだな。この街を豊かにして領内の皆の生活を豊かにせねばな」
「はい。南も若殿のお手伝いを精一杯いたします……ちゅっ」
久しぶりに夫婦の良い雰囲気というやつだな。
「あ~、おほん。娘の成長した姿を見るのは中々に感慨深いものだが……景藤殿、少々よろしいかな?」
……声のする方を振り替えれば晴宗殿。
そこは見なかったことにしておいて頂きたかった。
「もう!父上ったら!南は恥ずかしいです!そこは父親らしく見ないふりをしておいてください!」
……俺と同じことを阿南も感じていたらしい。
そうだよね。恥ずかしいよね。
「では、晴宗殿。よろしければ、こちらに……阿南、悪いけれど二人分の茶を用意してきてくれないか?」
「はい。わかりました」
声を掛けられたところがちょうど、書斎の前だったので、晴宗殿を中に誘い阿南に飲み物の用意をお願いする……うん、まだ頬が熱いな……。
俺は部屋に入り、晴宗殿に椅子を勧める。
この書斎は、前世世界的に言うと……重役室にある応接室っぽい雰囲気かな。
本棚と広めの事務机に椅子。
その手前には若干背の低い大き目のテーブルを中心にソファがコの字型で配置してある。
「ふむ。先ほども思ったが、この「そふぁ」なるものは非常に座り心地が良いな。今度は儂の城にも置いてみるかな?」
「でしたら、ご城下の商船が勿来に来た時に載せますよ。家具職人には優先的に伊達殿の商人にお売りするよう伝えておきますから」
「おお、それは忝い。近いうちに南から戻る船で荷に空きがあるものに積ませようぞ」
さすがにソファは気軽には贈れない。
伊達の殿様相手だとしてもね。
だって、このソファ、椿の木、棚倉鉄のスプリング、勿来の布に綿がふんだんに使われているのだ。
先だって勿来に商売に来た堺の商人にも、適正価格で来年の予約分という形で売ったばかりだ。
「景藤殿。まずは改めて言わせてほしい。鶴千代丸を無事に保護していただき。本当にありがとう」
深々と頭を下げる晴宗殿。
「いやいや、頭をお上げ下さい。私は何もしておりません。配下の者が偶然にも思い当たり、探し当てたというだけのこと。これは鶴千代丸殿が、伊達家家臣の方々の命掛けの奉公に応えたからというものです。素晴らしきは見事命をつないだ鶴千代丸様御一同でございましょう」
「そう言ってくれるのは嬉しいが、正直な所、伊藤家の、しかも景藤殿が治めているこの阿武隈一帯だからこそ、喉をやられ声も満足に出せない鶴千代丸が無事に三年も生きてこれたのだ……よその領地なら、一年とたたずにそこいらの村人に狩られ、今頃は物言わぬ骸となっていよう……」
言われてみればそうかもしれない。
この時代の民は逞しい。
勿来に来て早々に起きた村人の件にしても、寅清が処理に困っている最中に近隣の村から人が出てきてちゃちゃっと片づけちゃったんだもんなぁ……。
あれから、多少はこの付近の村人たちも暮らし向きが良くなったのだろうさ、そう信じたい。
「で、話は変わるのだが。此度は一つ景藤殿に相談したき儀があってな……軍を動かして欲しい話だったので、まずは信濃守殿へ書状を送ったのだが、白河以北のことについては万事、景藤殿に任せておると言っておられてな……」
正確には元姉上の裁量なんだけど、姉上は全裁量を俺に委任している。
結果、俺が白河以北を統括することになっている。
これは、伊藤家が大きくなったので、各地域の諸々の対処を、伊藤家の面々が一堂に集まり、評定してから意思決定を下しては、遅きに失し問題が大きくなってしまうであろうことを恐れたからだ。
具体的には、四国連合の家との諍いでなければ、各地域独自で対処をする、という体制になった。
定期的に黒磯での評定は行われているので、何かが起きればその時に方針の確認をすれば良い形になっているんだよね。
各地域の責任者は白河以北が姉上……のはずが俺、那須が景貞叔父上、上野が爺様、下総・武蔵が父上だな。
現に、今も父上は下総・武蔵の軍を引き連れて、懲りずに安房攻めを計画した伊勢軍の後背を扼しに鶴見川あたりに出張っているはずだ。
「確かに。白河以北は私の権限の内となっております」
「そうか。では景藤殿にお頼みしよう……身内の恥をさらすようで恥ずかしいのだが、景藤殿は我が婿。身内ということで、包み隠さずお話しいたす。二月ほど前だが、儂らは伊達家から南部家に鞍替えをした葛西家を寺池城に討ち、北上川下流域の支配を盤石にした。……したのだが、この対応に反発する奴らが米沢で蟄居していた父上を担ぎ出してな、数千の兵とともに三春城に入ってしまったのだ。現田村家当主の
北が何やら騒がしい、と三坂城から報告があったのはこういうことだったのか。
しかし、稙宗殿も隆顕殿も七十近く、義顕殿に至っては九十近いと聞く……奥州人は長命だね。
しかも長命なだけではなく、迷惑な方向でも元気なんだわ。
「ついては、堅城と名高い三春城攻略のために力を貸してはくれぬか?合力していただいたあかつきには、杉田川を伊藤家と当家の新たな境とし、南の差配はお任せいたす……本宮の安達太良宮寺も兵員を三春城に入れておる。寺社領はこちらの方で先に取り上げておくので、あとの処理は伊藤家にお任せいたす。後は息子鶴千代丸を助けていただいた御恩として標葉郡も伊藤家にお譲り致す」
「いや……それではなんとも過分なのでは……」
簡単に見積もっても二城分の領地が増えちゃうよ……。
「気にしないで欲しい。というよりも三春、本宮の件に関しては、どうやら熱海の金山が関係していそうなのでな。正直な所、これ以上の混乱は当家としても御免なので、伊藤家で杉田川以南は完全に差配する形にしてもらいたいのだ……それと、標葉郡に関してだがあの辺りはどうにも岩城の手垢が付いているようでな、小高城の支配が馴染まんのだ。鶴千代丸のこともある。是非とも景藤殿に受け取っていただきたい」
「……そのような理由なのでしたら。非力の身ですが、力を振るわせていただきます」
「そうか!それは有難い!」
いや、晴宗ちゃんは嬉しいかもしれんよ?
けど、三春城って天下の堅城なんでしょ?
……損害が出ないように戦うにはどうしたらいいのやら……。
弘治二年 秋 三春城 伊藤元
鍛え直し!と思っていた棚倉軍……いえ、勿来も含めるから、もう阿武隈軍ね。
阿武隈軍に早速実践の機会が訪れた。
敵は伊達稙宗が籠る三春城。
守兵は凡そ八千……八千?かなりの数じゃない、いったい景藤はどうするのかしら。
「しかし、周辺の兵合わせて八千だと?父上は何を考えてそのような兵を……しかも全兵を守備に回して籠城だと?先の見えぬ戦いにそれほどの兵を使うなど何を考えておる!兵糧もそこまではあるまい」
「左様。稙宗様も兵は連れては来たが、そこまでの兵糧は用意していない筈、本宮の田畑の様子を見る限りはそこまでの早刈りをした様子もありませんしな。ここは定石どおりに包囲をして、敵兵が干上がるのを待つが上策かと」
伊達の晴宗殿と鬼庭殿ね。
まぁ、言いたいことはわかるわよ。
けど、三春城の兵糧状態がどれだけあるのかわからない上に、兵糧攻めが成功したとしても、最後は死兵となった八千が山から下りてくるのよ、たまったもんじゃないわね。
それに、一度の野戦も仕掛けずに八千もの軍が籠城することが不思議だわ。
何かしらの後詰めの策は用意しているはずよね。
まともな指揮官なら。
あら、私の気持ちは景藤が代弁してくれてるわね。さすが私の弟ね。姉の心をわかっているなんて殊勝な心意気じゃない。
けど、景藤の言葉を聞いている伊達の諸将もそのくらいは解っていたようね。
「さもありなん」「その可能性が高おござるな」なんて、偉そうに言ってるわね。
問題はその後よ、どう攻略するかよ。
いい加減しびれてきたわね。
「で、景藤は策が有るのでしょう。聞かせなさいな?」
うん。とっととね。
「ははは。姉上にそう言われましたら、一つ提案してみたい策が有ります」
「拝聴しよう」
「火です。彼らも寄って立つ城が燃えれば降伏せざるを得ないと考えます」
「……いや、それはわかるが……相手は城だぞ?燃えるようなものなのか?」
そうよね、普通に考えれば鬼庭殿の疑問がもっともだわ。
「はい。それなりに防火はしているようですが、城全体を漆喰で塗っているわけでも無し。山全体の木を切り落としてるわけでもありません。油を掛ければ燃えるでしょう」
「「油だと?そんな油が大量にどこに有るのだ?」」
「二三日あれば当家の領内から、三春城を焼くに十分な量が調達出来ましょう」
ん?そんな大量の油なんか使ったら、当分は揚げ物が揚げられなくなるじゃない!
……まぁ、兵が無駄に死ぬよりはましだから我慢するけれど。
「油があったとしてもいかにして城に掛ける?ここからは、軽く見積もっても三百尺は上にある城ぞ。投げて届く距離ではあるまい!」
「はい。人の手で投げては届かないですが、投石器を使えば十分に届きましょう。いきなり本丸は流石に難しそうなので、手前の曲輪から順番に投げ込めば問題はないでしょう」
「??そのような巨大な投石器を景藤殿は用意出来るのか?!」
「はい。勿来には対南蛮船を考えて港に常備しております。持ち運びと組み立てができる物でしたら、こちらに持ってきておりますので……後の足りない木材・石材は、そこらの山から拝借しましょう」
投石器、確かにあったわね。馬鹿でっかいやつが勿来の湊に……。
景能爺が勿来に来るたびに、嬉々として景藤と一緒に作ってたやつね。
取り外しと持ち運びが出来て、二町、三町と飛ばせるとか言ってはしゃいでいたわね。そういえば。
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