第33話 次から次に、戦は続くよどこまでも

天文二十三年 春 松里 伊藤景虎


 「伊勢氏康が戦下手という景藤の言葉は本当なのだな……伊織よ」

 「左様ですな。私もここまでだったとは正直……」


 正式に古河城主として儂が赴任したのは正月を過ぎてからであった。

 そこからわずか二カ月、伊勢氏康が大軍、兵一万五千を利根川の武蔵側にある岩付城に集結させた。

 昨年には、己の左腕を戦で失くすということまでやらかしているのに、再度自ら兵を率いている。


 「隻腕でも陣頭に立つその勇気は褒めてやらぬでもないのだが……ただ、真正直に小金城を包囲したと聞いて耳を疑ったぞ」

 「大軍で包囲すれば、決して堅城とは呼べぬ小金城、すぐに落とせるとでも思ったのでしょうか……しかし、敵地の真っただ中に、さしたる策もなく当主自らが兵を率いてやってくるとは、何を考えているのやら。自分から首を晒しに来ているようなものでしょうに」


 本当にな……現に今も北からは小田城を主力とする南常陸衆、西からは儂ら古河衆、南からは安房と上総を制圧した里見家に包囲され、今にも殲滅されようとしておる。


 せめて、この三家をそれぞれ違う方向に集めてから本命を狙えば、多少は戦になったであろうに……。

 里見と寝返りの約束でもしていたのか?それにしては、開戦からずっと、伊勢軍を一番激しく攻め立てられておるのは里見義堯さとみよしたか殿じゃからなぁ。

 どうしたものやら。


 「伊織はいかに思う?なぜこんな無謀な戦に出た?」

 「私の推測でよろしければ」

 「構わん。この場は儂ら兄弟二人じゃ、遠慮なく言ってくれ」

 「ハッ。では……私が思いますにこれは面子が理由かと……」


 はて?面子とな?

 儂は目線で話の先を促す。


 「先年、氏康は己の采配で総兵五万にも及ぶ規模で戦を、領民の野良仕事を中断させてまで行いました。結果、本佐倉の防衛戦以外は全敗。しかも、関宿の戦いでは、わずか十七の景藤に二度連続で全軍壊滅という手痛い敗北を喫し、西下総から伊勢家は完全なる撤退を強いられました。……そして、次は河越夜戦です。当時はまだ客将分であった伊勢綱成の指揮により、兵力差三倍以上の武田軍を破りはしたものの、氏康本人は深追いをして左腕を失くすという不覚傷。これでは当主としては形無し、伊勢家の武威失墜はひとえに当主の力量よ、と言われても仕方ないところでしょう」


 なるほど。

 言われてみれば、そのような評判の当主などいるだけ邪魔じゃな。


 「現に、里見の陣には伊勢からの降将が何名もおります。本人は納屋の火を消しているのでしょうが、実際はそのうちに母屋が焼け落ちてしまっているのでしょう。己の得意分野で失地を回復すれば良いものを何を焦っているのやら……」

 「焦りに焦った本人だけが、簡単な答えに辿り着かぬか……周りも教えていないとなると、伊勢家は内からが危ういな」

 「その通りです」


 せっかくの三国同盟も満足に機能しないかもしれぬな。


 「その点、我らが四国同盟は上手く機能しておるように見えるの」

 「その通りです。彼らと比べられては佐竹殿も長尾殿も伊達殿もお怒りになられるかもしれませぬが……」


 まぁ、それはあるまいて。


 「その程度で怒るのは、目の前で己の首が怪しくなっておる氏康殿ぐらいなものよ」

 「左様でしたな……こちらの方は片が付きそうですが上野の方はいかほどでしょうな?景竜もこれが初陣でしょう?」

 「那須軍については心配あるまい。せいぜい上野の全域を獲って来てしまって、領内の開発・治水でお主が悲鳴を上げるようなことにならぬよう祈っておけばよいのではないかな?」

 「……まさか、ははは……」


 自分で言っておいてなんだが……景貞が指揮する軍は域内最強ではないのか?

 関東の内ならば敵は居らぬかもしれぬのだ……まぁ、なんだ……その時は頑張れよ伊織。

 儂は全力で応援しとるからな。


天文二十三年 夏 羅漢山 伊藤景元


 「人の第一印象というのは、最終的に思いのほか当たるものよなぁ、黒丸や」

 「んみゃ~~」


 忠平も忠教も上野攻めの援軍に向かったので、この広い羅漢山城には儂一人……。

 那須軍を主力とした兵を景貞が率い、長尾家の援軍として上野に出張っておる。


 故に、今の話し相手は猫の黒丸、ただ一匹じゃ。


 昨年、一連の戦闘の後、扇谷上杉の落とし前をつけるとして佐竹家が落とした小金城。

 その小金城を伊勢氏康が、なんの策もなしに攻め立てて来た。

 伊勢家の小金城攻略軍は佐竹家、伊藤家と、儂ら四国連合の了解の元に小弓足利を攻め落とした里見家の三家連合の包囲により全軍潰走の憂き目にあった。

 一万を超える軍が全軍潰走など……氏康は何度経験すれば、己に戦の才は無いと理解するのであろうな……。


 して、その小金城救援に向かった小田城を主力とする佐竹家の南常陸衆は、その足で本佐倉城まで攻めかかり、間もなく攻略するであろうとの報告じゃ。

 景虎と伊織は国府台に布陣し、利根川を渡河しようとする、本佐倉城防衛のために派遣された伊勢軍を良いように突き崩しておる。


 しっかし、利根川程の大河、対岸には陣地を築いた完全装備の軍が待ち構えておるというのに、なぜに渡河にこだわるのかのぉ。

 伊勢綱成、噂には程遠い阿呆なのか?

 うーむ。あの今川家の内乱、劣勢の玄広恵探げんこうえたんを十七年も保たせた手腕を考えると、そこまで甘くないとは思うのじゃがな。


 まぁ南の情勢も気になるが……阿呆、阿呆、阿呆の二階堂、じゃな、今は。


 今、正に手元に握りしめておる、この晴宗殿からの書状が儂の心を重くする……。


 ことの発端は会津の蘆名家のお家騒動のようじゃ。


 蘆名家先代の死により、形式上は家督を継いだはずの庶長子の氏方殿じゃが、実権は一切持たせてもらえず、塩生城で燻っておった。

 で、直接の理由はわからぬが、その燻り火に燃料と風が注ぎ込まれたようじゃな。

 周辺諸将に自分の不遇を嘆き、賊の盛氏を討つためと助力を要請しまくった。


 儂の手元にも届いたが、あまりにも馬鹿々々しい言い分だったので即座に書状を燃やしてやったわ。


 だが、馬鹿々々しい言い分には馬鹿が反応するようじゃ。

 なんと、二階堂の当主の輝行が同調しおった。


 更には、氏方が兵を興す前に安達太良神宮寺の寺社領を奪い取り、北と東の伊達領、田村領までにも兵を繰り出し、本宮一帯を二階堂領だと宣言した。


 周辺諸将が話し合いで決めた境を誰の了承もなく身勝手な力で壊しよったのじゃ。

 しかも輝行が言い放った言が酷いものじゃった。曰く、「安達太良神宮寺は安達太良と詠いながらも安達太良山を祀っていない。ゆえに存在するに能わず」だそうじゃ。

 お前はいつから奥羽の社家総代にでもなったのじゃ?

 そんな下らぬ問答は、社家同士の内輪の席で茶でも飲みながら争わせておけば良い!


 ともあれ、かような次第で当家に二階堂征伐の話が舞い降りた、というわけじゃ。

 阿呆の二階堂に引きずられて、氏方派と思しき蘆名軍が援兵と称して須賀川に入ってきているので、形式上は和睦・同盟中の伊達家は須賀川を直接攻めることを控えたいらしい……。


 しかし、こうなると可哀想なのは盛氏殿よ、阿呆な兄のせいでどのような譲歩を伊達家に迫られることになるのか……ふぅ、当家は優秀な一門衆に支えられて幸せじゃわいな。


 ともあれ、出兵の算段をせねばならぬ。

 四国連合の一員として、かの地でのこのような勝手の振る舞いは到底看過出来ん。


 だが、残念ながら須賀川に隣接するこの城には、儂しか人がおらぬのでここからは動かせぬ。


 代わりに羽黒山城の元に棚倉、羽黒山、袋田、三坂の兵を率いて二階堂成敗に向かわせた。

 様子がおかしければ、勿来の景藤にも後詰めをさせればよかろう。準備だけはさせておる。


 まったくもって忙しない。


 兵とは無関係で、土木奉行所の者が治水を、近年のような緊急時には田畑管理までをも行っておる当家は大丈夫じゃが、他家は大丈夫なのか?

 秋にまともな収穫ができるのか大いに不安じゃのぉ……。


 米の余剰はそこまでではないから、那須でこのところ大流行の「じゃがいも」と「かぼちゃ」あたりでも隣領の商人達に売りつけるかのぉ。


天文二十三年 秋 勿来


 「あの~若殿?なんで儂や犬千代が伊藤家の兵糧を管理せねばいけませんので?」


 藤吉郎の愚痴に、犬千代も無言で同意の頷きを繰り返している。


 「あ?お前たちの主の吉法師が、自分の留守中は二人を好きに使えって言ってたんだよ?好きに使って修行をさせておいてくれって言ってたんだ!だからお前たちを鍛えるために使っているんだ!」

 「……で、本音は?」

 「……俺が輸送計画で頭を悩ませてるのに、お前たちが楽しそうに商いの儲けを数えているのが羨ましかったから……です」


 すぐに本音を語ってしまう……俺の正直者!


 「まったく……若殿も若殿ですが、吉法師様も……なんで、儂らこの人たちに仕えとるんだろ?」

 「そういうな、藤吉郎。今晩はお前たちの好きな味噌漬け鹿肉と野菜がたっぷり入った汁を用意しているから!」

 「……若殿、次の書類を渡してくれ!」

 「犬千代!そう簡単に買収されるでないわ!はぁっ……」


 わざとらしく大きなため息をつきながらも、書類を次々に処理していくお前の手腕、天下人の片鱗が輝いているぞ!

 俺にだけは見える!その日輪の輝きが、だ!


 「で、どうだったんです?書類の様子を見ていると、下総でも上野でも須賀川でも大勝だったようですが、実際の戦と兵糧の様子は?」


 おお!凄いな、流石は藤吉郎。

 兵糧の流れを書類から推察し、戦況のシミュレートまで済ませてしまうとは!


 「ああ、藤吉郎の推察通り、すべてで大勝、損兵もほとんどなし。されど、一部、那須軍に兵糧が行き届かなかったようでな……やはり山道は輸送に時間がかかる」


 今回は前線に出ている伊織叔父上の代わりに、俺が後方補給の一角を担った。

 そのなかで、一回だけ梅雨の大雨で今市から桐生への山道が塞がった期間があったんだ。

 かの地の安中の者達と共同でことにあたり、すぐに道は復旧させたけれど、数日間、景貞叔父上には兵糧で迷惑を掛けてしまった。


 「確かに、あの山道を超えるとどうしても時間はかかりますな。今市城から二荒山、桐生を越えて上野の戦場ですか……反省を生かし、儂なら今後の為に最低でも拠点が一つ、奥羽山脈よりの上野に欲しいですな」


 おお。同意見。


 「ほほぅ。で、藤吉郎よ、お主なら……とその前に犬千代、お主ならどこに拠点を置く?」

 「……地図をお見せいただきたい」

 「よし、丁度時間的に区切りを入れても良かろう。茶でも飲もうぞ!……お~い、誰か!?誰かある!……お、阿南か?すまぬが茶を三杯、それと何か摘まめるものを……おお、蒸かしカボチャか、それは良い。持ってきてくれ」


 お茶と茶菓子の確保は出来た。

 いざ、秀吉、利家と机上戦略会議だ!


 「よし、これが関八州と南奥羽の地図だ。一応、大きな村というか豪族がいるような辺りには名前が入っている。これを見ながら意見を聞かせてくれ。まずは犬千代からだな」


 こくり。

 一つ頷き、地図と真剣ににらめっこする。やがて……。

 まずは一点を指さした。


 「やはり山すそのここ、山上を抑えたい。さすれば一本で那須と上野が繋がる。一本の道なら広げるのも、管理するのも簡単、安上がりだと思う。必要な兵も少なくて済む」

 「ふむふむ。道理だな。奇を衒わず、最も堅実で効率の良い案だな?で、藤吉郎は?」


 やっぱり楽しくなってきた。

 秀吉と利家相手に戦略談義など、このシチュエーションにあこがれない歴史ファンはいないもんね!


 「山上は犬千代に言われてしまいましたからな~。違うところで、儂は提案しましょうかな」


 そういって、藤吉郎が指さしたのはなんと三点。


 「儂が伊藤家に仕えて配下として献策するのならば、この三点にそれなりな城を建てることですかな。厩橋うまやばし金山かなやま、そして深谷ふかやですな」

 「ずるいぞ、藤吉郎!三つもなんて!」


 膨れる犬千代。


 「何を言うか?お前ももう長いこと勿来におるのじゃ、いい加減に伊藤家の財力のほどは理解できていよう。近年の戦でかなりの額を使ってはおるが、未だに商いは順調、しかも儲けた銭は領内の発展と領民への日当で使っておるのだ。これだけ動き回っとる銭なら心配しなくて良い。それに若殿は一つとは言わなんだぞ?」


 ね?

 と、ばかりに上目遣いを放り込んでくる藤吉郎。


 男がそんなことしても可愛くないぞ!


 「出題の意図まで読まれるとは何とも悔しいが、そういうことだ。他家とは違い、当家ならばこの案を実行することが可能だ。更に付け加えるなら、さっき犬千代は一本の道だと複数の利点が挙げられると言った。その着眼点が素晴らしい。そして、その着眼点をこの三点で考えてみぃ……と、ありがとう阿南。お前も一緒に……って、元から四つ持ってきてるのね。うん。ここにお座り」


 俺の隣をぽんぽんと叩く。


 「で、どうだ。三つの城の利点……藤吉郎は……わかっていそうだな。では犬千代、今一度地図を見ながら考えてみよ」


 う~ん。う~ん。と唸り出す犬千代。


 しかし、唸りながらもカボチャを摘まむ手は止まらない……俺の分もあるんだぞ、そのカボチャ。


 俺は助言を与えてやれ、とばかりに藤吉郎を見やる。


 「犬千代よ、お主ならいつかは正解に辿り着くと思うが……助言としては「道」だ」


 その通り。道、街道、軍用道、水道等々。

 この三つの地点を抑えるとそのすべてで信濃と武蔵を遮断できる。


 「道?なるほど、信濃と越後からの関東への出入り口が全て伊藤家で封鎖される……武田の援兵は山を幾つも超えて八王子城を通るしか伊勢へ援軍が出せない。また、その逆も然り。伊勢も信濃方面に兵を送れない」

 「そうじゃ、犬千代。ついでに言えば、兵だけではないぞ。伊藤家が本気を出せば商いの道も止まる。信濃から関東への商いは無くなるじゃろう。八王子から先の道は、軍なら通れようが普通の商人には危険な道じゃ。相模、駿河を通って信濃まで商いに行っても儲けが出ん。この道を通ってまで利を出すことはそう簡単には出来ん。さすれば、三国連合、殆どの商人の活動が無くなって、人と物、銭がみるみる減って行くことになるぞ」

 「おお、凄いぞ藤吉郎。これが若殿と同じ考えか!……阿南様、カボチャのお代わりは……」


 本当に凄いのは、二十一世紀の経済学修士と似たような思考回路を持つ、藤吉郎の異常なまでの経済感覚なんだけどね!


 ただ、個人的には、それに匹敵して、俺達二人をほめながらもさりげなくカボチャのお代わりを要求するお前の図太さに脱帽だぞ?犬千代。

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