第34話 上野平定
天文二十三年 晩秋 羅漢山 伊藤景元
この羅漢山で評定を行うのもこれが最後かのぉ。
なにやら感慨深いわい。
今日も伊藤家の評定参加は儂、景虎、景貞、伊織、景藤、景竜に忠平じゃ。
今後は各地域で各々に評定を行いながら、年に一二回どこかで集まる形式となろう。
現段階での当家の支配領域を考えると、中間とも思える黒磯あたりで次回以降は行うが良いのかのぉ。
……本当に交通の便だけで考えるのならば宇都宮あたりが良いのじゃが……。
だが、己の利便だけで無益な殺生をするような家にはなりとうはないからな。
仁義に悖る行いはひいては己をも殺すでな。
「で、兄上。相変わらず元は評定への出席は拒んだのか?」
「……そうだ。あいつは年が変われば、棚倉・白河を治める立場になるというに、一向にその自覚が出て来ないな……」
「左様ですか。戦の強さ、領内の統治とこれまでにも万全といえる結果を出してきているというに……」
景虎と景貞は苦い表情で愚痴を言いあっておる。
まぁ、確かに儂も折を見て、評定には暇つぶしのつもりでもいいから顔を出せと言ってきたもんじゃ。
その度に「仕事がない日は稽古に打ち込むのがわたしの生き甲斐なのです!」ときっぱり、はっきりと言われてしまっては……。
儂も孫には甘いという自覚がある。
あそこまであやつが嫌だというのなら、無理強いは出来んのじゃ。
「信濃守様も兄上も、そうぼやかなくても良いのではないでしょうか。本人は全て、評定の結果を受け入れると申しておるし、「景藤の意見はその全てが私の意見だと扱ってほしい」とまで言うておるのです。ならば、あやつと景藤で白河の関以北は任せても良いのではないか。と私は考えます」
ある種、伊織は達観しておるの。
元が白河以北の阿武隈川流域を治める……。
北は本宮、南は袋田、西は那須岳、東は三坂。広大な領域じゃな。
城も羽黒山城を本拠に棚倉城、羅漢山城、須賀川城、袋田城、三坂城と六つの城じゃ、指揮する兵も一万を超えるのぉ。
元来のおなごを馬鹿にするような頭のおかしな輩は文句の一つも付けようが……そのような阿呆は戦場で元の偃月刀を受けてからにしてもらいたいものじゃな。
とはいえ、儂も何も端から元に領主への道を勧めたわけではない。
ただ、長い間、景虎の一粒種であったので、それなりに儂なりの教えは施したがの。
それが、今回は儂が積極的に元を領主へと推した。
そして、その推薦を拒否するものは当家には誰もおらんかった。
何故かと言えば……要するに、上野全域が伊藤家に降伏したので、人手が猛烈に足りん状況になってもうたのじゃ。特に一門衆のな。
そもそも、伊藤家がこの夏に上野へと出兵したのは、長尾家への援兵がその目的じゃ。
三国同盟の結果、関東に勢力を伸ばすことが出来なくなった武田は信濃へと、その野心の矛先を向けた。
先代信虎殿の時に武田家は佐久郡・小県を抑え、晴信殿の代で安曇郡に松本城を掌握した。
して、ここに至って、晴信殿は小県の先、長野平の平定をもくろみ信濃川流域の盆地、そのすべてを手にしようと動いたわけじゃな。
そうはさせじと村上家を中心に長野平の諸将は結束していたようじゃが、年々その結束は破れ、歯抜けの如く多くの諸将は武田へと靡いていった。
その流れに危機感を抱き、信濃川上中流域を完全に抑えられるのはまずいと判断した長尾殿は、大規模援兵を村上家に行い長野平での決戦に挑もうとした。
決戦の一環、上野の武田軍を決戦に合流させないための作戦として、長尾家は伊藤家による上野は箕輪城攻撃を依頼してきた。
儂らとしては、正直、気乗りは全くしなかったのじゃが、これは四国連合として、三国連合に対する戦での援軍依頼じゃ。
端から否という答えは無いの。
で、誰が向かう?という話になった途端、いの一番で景貞が向かうと言い出した。
確かに山を挟んで上野と那須は接しておる。特に今市に城を築き、奥羽山脈の最南端を抑えた儂らにとって、上野は西の玄関ともいえる位置じゃからな。
最も適した選択じゃろうと出兵してもらったのじゃが……先の大戦で蚊帳の外に置かれた形となっておった景貞は、心の中に弾けさせたい何かがあったのじゃろうな。
箕輪城の外に堂々とした陣を敷いた箕輪城主、
……兵を上野側に集めるだけで良いのだから、別に戦わんでも良かったのだが……。
ともあれ、馬場殿率いる武田軍上野衆八千と伊藤家那須軍一万は、二三の小川を挟んで対陣した。
この対陣、始まってすぐに、景貞は相手に大きな違和感を感じたようじゃ。
武田はその騎馬隊の武名が諸国に鳴り響いているのだが、此度の敵陣には騎馬の気配がほとんどない、と。
兵だけでなく、馬や武具などの補給物資も信濃の本隊に送っている、と判断した景貞は騎馬隊を複数に分け、両翼、後方からと、立て続けに武田軍を攻め立てた。
実際、馬場殿には指揮する騎馬が少なく、景貞の騎馬戦術に対応するすべがなかったらしい。
時間とともにただただ削られていく味方を見て、ついに馬場殿は降伏を決断した。
「自分が腹を切るので、上野にいる武田の者が全て甲斐に戻れるようお願いする」と。
籠城もせずに降伏を選ぶということは、兵糧の蓄えもなかったのだろう、とは景貞の弁じゃ。
馬場殿としては、兵糧の蓄えが無い中での籠城に兵を付き合わせることはできなかったのじゃろうな。
将来の武田家を思うと、自分の命一つで全兵を救う方法が最良の方法と思い浮かんだのじゃろう。
実に立派な男じゃ。悲しいがな。
景貞個人としてはそこまでの馬場殿の心意気に感ずるものがあったようなのだが、流石に、それでは兵を引き付ける役割を果たせず、みすみす信濃へ増援が送られてしまうのではないかと……景貞は返答を保留したらしい。
ただ、保留しながらも、「かような事の次第のため何千かの兵が上野から信濃に向かってしまうかも知れぬ」と長尾殿に書状を送ったそうな。
越後、信濃、上野と奈良の昔に別国として勝手に分割されてはおるが、景貞の下におる柴田の者達にとっては慣れ親しんだ山。
付近の山出身の一族の者に使いを頼み、ごく短期間で長尾殿と連絡が取れたそうじゃ。
して、その返事は簡素なもの。
曰く、「心配御無用。武士の誇りを穢させることなく、景貞殿の存念通りにされよ」と記してあったそうな。
この返事をもって、景貞は馬場殿の降伏を受け入れた。
馬場殿は最後に一言、「景貞殿のご配慮痛み入る」とだけ言い残して、見事、腹を切ったそうじゃ。
馬場殿の切腹をもって、上野の武田軍は全軍撤退、全て甲斐、信濃へと撤兵した。
まぁ当然のこととして、今までそこにいた全軍が撤兵をしたからには、そこは空白地帯となるわな。
せっかく武田を追い払ったのに、伊勢にでも取られたらたまらん、と景貞は当然の如く空となった城に兵を入れる。
するとじゃ。
なんと不思議。
伊藤家が沼田を除く上野全域を抑える形となってしまった……というわけじゃな。
「元の参加云々はもうよいではありませぬか。兄上方、拙者はそれよりもせめて各地域の責任者とその所在をはっきり決めてしまおうと言っておるのです。土木奉行所が領内の整備をしようにも責任者の了承が無ければ、大きな方針が立ち申しませぬ……それとも、そのあたりのことも全て
なにやら、儂が物思いにふけっとる間に、静かに伊織が怒っておるな……。
天文二十三年 晩秋 羅漢山
「そのようなことはあるまい!ただ、信濃守も景貞も、元に評定に参加して欲しいと思っておっただけじゃ。当然これから、責任者を決めることを話し合おうと思っておったはずじゃ、のぉ?」
「ああ、もちろんじゃ」「おおぉ。当たり前ではないか!」
相変わらず伊織叔父上の冷徹視線攻撃は強烈だ。
爺様も父上と景貞叔父上のフォローに回っている……見え見えのフォローだけどね。
「で、ではじゃ。ある程度、統治の形は皆も頭の中で固まっていよう。元を白河、棚倉の責任者とするならば、儂の体が空く、すなわち儂が箕輪城に入り上野をみる形で良いかの?」
「ええ、父上に上野をみてもらえるのならば、それが最適です!」
「ですな!俺の配下の者達にも父上と入れ替わりで那須に戻るよう伝えようぞ!」
三人とも焦ってる。焦ってる。
俺は高みの見物だな。
ずずっ。
ああ、今日もお茶が美味い。
どうせ、これからいろいろと怒られるのだ。
今ぐらいはゆっくりとしておきたい……。
「では箕輪城以外には誰を置きますかな?箕輪城に父上となると、
「そうじゃな、忠平は羅漢山城にいて安中の者を統括してもらわねばならん……箕輪城での儂の補佐は業篤に頼むとするか、柴田の者も越後に近い上野ならば、諸々、手の者との連絡も容易となろうしな。で、国峰城、平井城はそのような意味もあって柴田の者で抑えたい。景貞よ、関口砦の頃より柴田はお主の配下としておるが、誰ぞ城を任せるにふさわしい者はおらぬか?」
確かに、俺の生まれる前から、景貞叔父上の下には柴田の、伊織叔父上の下には安中のという割り当てが自然とできていた。
物心つく前からそうだったので、俺は特に違和感を感じなかったのだが、爺様が色々と考えた上での配置だったんだろうな。
「そうですな……業棟は忠宗とともに古河で兄上と政務に当たらねばならぬでしょう。となると、
「構いません。顕景なら適任でしょう。わたしの苦労も軽減されるというものです」
「ふむ、ではその者達で上野を抑えるとしよう」
なるほど、安中家、柴田家の次代は両名とも古河で父上の補佐にあたるということね。
そして、景貞叔父上の揶揄いを軽くスルーする伊織叔父上。さすがです。
「承知しました。儂からも業篤殿にその旨を伝えておきましょうぞ。して、若殿には何やら思案なさっておられるものがありそうなご様子。良ければこの忠平に考えをお聞かせ願えますかな?」
おおぅ。
まだ、心の準備が出来てないんだけど、怒られ案件その一を伝える時が来たのか……。
「では、機会を頂いたということで……こほん」
かる~く、伊織叔父からの視線に冷気を感じるのは気のせいだろう。
まだ、何も言っていないのだが。
「上野に関してですが、国峰と平井では西に寄り過ぎております。武田の支配体制下なら結構でしょうが、阿武隈から発した我が家には東に薄すぎます。そこで、平井を廃し、厩橋に城を築き、厩橋から全上野を治めるのが上策と思います」
おおぅ。伊織叔父から絶対零度の何かを感じる……。
「なるほど、確かに厩橋ならば上野と那須を結び付けるに最適な場所となるな……で、資材と銭は?十分なのか?」
「そちらの方は問題なく。この度新たに販売した「壺焼塩」なるものが予想以上に高値で売れ、全岩城旧領の開発をしてもまだまだ蓄えは大きく残っています……ただ……」
「「ただ?」」
皆様の警戒度が上がる。
言いにくいが、言ってまえ!
どうせ、絶対零度攻撃を受けるのだ!遅いか早いかの違いのみよ!
「築城の陣頭指揮を執るものが……」
「私しかいないでしょうね……はぁっ」
深いため息の伊織叔父。いや、ほんとごめんて。
「確かに、古河方面の作業計画は策定済みで、あとは時間の問題だけと言えるでしょう……だが、厩橋は、最初から景藤が「城」と言っているのです。それなりの規模を考えているのでしょう。また、あの辺りに高台は無く、当家にとっては初めての平城建築となりますからな。私が指揮を執るより他はありますまい……」
「そうじゃろうな……伊織を置いて余人にこの築城指揮ができる者は当家におるまい。では、合い済まぬが伊織よ。よろしく頼む」
「はっ。全霊を持ちまして」
爺様の決済で、伊織叔父上の単身赴任が決定した。
この連絡が祥子と蕪木の下に届いたら、また、母上と姉上経由で俺のところに苦情が来るんだろうなぁ。
あの二人の説教の文ってかなり精神を削りに来るんだよなぁ。
「確かに、厩橋の立地の良さは解るのだが、今少し詳しく、その利点を説明してくれぬか?景藤」
了解。景貞叔父上からのリクエストにお答えする。
「はい。厩橋は上野全体を見た時にその中央に位置する、というのが一番の利点となりますが、それ以上に利根川に面し、広い平野に面していることが最大の魅力なのです」
「……景藤がそこまで魅力を感じているということは、田畑ではないのですね?」
「ええ。伊織叔父上。確かに、田を作るに便利な土地ではあります。ですが、ここに一大物流拠点を構えることにより、今までは一国だけ離れていた勢力だった長尾家が一つの道で伊藤家、佐竹家と繋がるのです。人も物も銭も今まで以上の流れが越後に繋がり、四国連合の力は更に高まりしょう……個人的な希望を付け加えるならば、忍や岩付といった城が無くなる、もしくは味方に落とされ、伊勢を利根川以南ではなく荒川以南までに押し込めれば更なる流れが生じましょうぞ!」
本当の夢は、そこから江戸城や三崎城を排除し、里見とも仲良くできれば、俺の最大目標、東京湾世界貿易都市計画がようやくスタートできるってもんよ!
「ほう、荒川と利根川にはさまれた一帯か……あそこらへん一帯は度重なる戦と徴兵、徴発の影響で民の離散が止まらぬな。……大河川に挟まれた地帯ゆえ、日々の治水が欠かせぬのだが、このところの伊勢家にはその力が無いからな。おかげで古河と関宿に人が押し寄せてきておる……そのおかげで、兵と土木奉行の人不足は解消できてありがたい状況ではあるがな」
「人別帖作りがもっと楽に出来れば文句はありませんがね!」
さても伊織叔父上の口調がきつい!
けど、人別帖での戸籍管理も俺が物心つく前から伊藤家では行われていたけど、これって全国的にはかなり少数派の統治方法だよね。
江戸時代の言葉で「人別帖外」とか「札付きの悪」なんて言葉生まれるぐらいなんだし、完全な戸籍とかは明治以降と思っていたけれど……。
そういえば、この疑問は昔に爺様と忠平に聞いてみたっけ。
答えで返ってきたのは、既に奥州藤原の時には帖に記す形で人の管理はしていたってことと、伊藤家の所領があまりに少なすぎて村人の一人ひとりの名前を帖に記すのが容易に出来たのでやっていた、とのことだった。
弱小すぎる勢力故の暇つぶしから完全戸籍制度が生まれるとはね……。
そのおかげで伊藤家独自の徴税方法が可能となったわけだから、良しとしなくちゃね。
「では厩橋の城主その他は城が建ってから考えるということで良いな?では、上野方面はこのようにするとして、次は須賀川方面じゃが、こちらは元の治める地域にする以外で如何いたす?そこのところを詰めていきたい」
爺様が次の議題へと話を進める。
待ってました!俺が怒られる?案件その二!
けど、これって俺が直接どうこうしたわけじゃないんだよね……。
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