第30話 関宿の戦い ~後編~
天文二十二年 夏 関宿
「報告いたします!若殿!斥候よりの報告ですと伊勢綱高率いる七千は小金、金野井を通って南より進軍中。伊勢氏康は岩付城で相模勢の敗残兵を纏め直し総勢一万二千で鴻巣城での補給を行って後、こちらに近づいてきております!」
!!
忠嘉の驚きの報告に声が出ない。
「なに?氏康は岩付で敗残兵を吸収してから鴻巣城経由で関宿に向かっているだと?!」
「ハッ!間違いありません。複数の斥候からの報告です!」
……言葉も出ない。
「伊勢氏康……ここまでの戦下手だとは。伊勢家が関東を制圧できぬのは、ひとえに氏康の戦下手の所為ではないのか?」
「……え?」
しかもだ……。
「二方向から同時に押し寄せるように伊勢軍は近づいてきているので間違いないな?忠嘉?」
「その通りです」
「明日の昼前に二方向より攻めかかるとなれば……氏康はいつ利根川を渡る気なのだ?」
「はっ!まさか氏康は夜の渡河を……?」
「なのであろうよ。この兵の動かし方を見ればな……よし!最後にまたもや大きな失策をしてくれおったぞ、氏康は!流石に陣頭で渡河はせぬとは思うがな、しかし大将首を獲る好機ぞ!本陣に千だけ残し、全軍を以て渡河中の氏康軍を屠れ!すべての差配は姉上に任せると伝えてくれ!」
「ハハッ!それでは!」
あ!もう一個伝言伝え忘れ。
「忠嘉、ひとつ言い忘れた!」
「……何事でしょう?」
忠嘉も勝ち戦が見えて気が急いているのか。
ちょっとだけ、いらちな感じ。
「日が昇る前に氏康軍は壊滅しよう。その後、一休みを入れてから、姉上には綱高軍の左翼から一当たり頼むと伝えてくれ。本来は味方の氏康軍がいる方向からの攻撃だ。やつら相当に慌てるぞ!」
「……なるほど。確かにその手を忘れてはいけませんな。若殿」
そうそう、せっかくの必勝の手、ここに来ての片手落ちは頂けませんからね!
「「くくく。はっはははっ~!」」
二人そろって悪代官笑いをしちゃったよ!
天文二十二年 夏 関宿 伊藤元
馬には轡を噛ませ、限りなく音を出させないように気を使って行軍する。
季節は梅雨が過ぎたあたりの夏。
流れる川の水量は多い季節だ。
「こんな季節に夜の渡河とか頭大丈夫かしら?」
と、いけないいけない、声に出ちゃった。
せっかく皆が静かに行軍しているのだからね。
「……よーっし。明かりをたやすなー!」
「前の者が張った縄に掴まって渡るのだー!慌てるなよ!」
遠くで、大勢の声が聞こえてくる。
まさに、渡河の真っ最中のようだ。
ありがたいことに、敵はたいまつを煌々と照らしながら、水量の増えた河を渡っている。
まだ、全体の五分の一も渡ってはいないわね。
「いかがいたしますか?元様?」
この場にいる中では最年長になる業棟が訪ねてくる。
「そうね。敵軍の二分の一が川に入った段階で仕掛ける。騎馬を五百ずつ三組に分けて、私、忠清、棟道の順で左手前から右奥に抜けるような円運動の突撃で二順。それが終わったら業棟は全軍で仕掛けて頂戴。利根川に全力で追い込みましょう。敵の混乱が本体にまで伝播したようならこちらから渡河をするけれど……まぁ、相手も多少は警戒してるでしょう。残念だけど、追い払うだけで満足することになりそうね」
「承知致しました。仕掛ける時機は元様が?」
「それが一番いいでしょう。私の突撃を合図に作戦開始よ。それまでの間に部隊を編成して頂戴」
「「はっ!承知しました」」
当家は正に猛者揃いね。
三倍の兵に夜襲をかけるというのに、少しも気負ったところがないわね。
まぁ、多少は戦場を知っていれば、今の私たちが必勝の構えであることは自明の理というやつなんだけどね。
私は馬が緊張しないよう優しく撫でてやる。
この仔は黒景、七歳の雄でここ最近で一番のお気に入りの仔だ。
わたしの言うことはよく聞くし、私が偃月刀を振るう感じを一番理解してくれている。
ちょっとヤンチャが過ぎるところもあるけれど、こういう時には一番頼りになる相棒ね。
「元様。準備整いましてございます」
流石は業棟ね。柴田の次代は仕事が早いわ。
「それでは持ち場で待機していて頂戴。くれぐれも兵たちが先走らないように注意をしてね」
「我らが鍛えた伊藤の兵。そのような不心得者はおりませぬので、どうぞご安心を」
うん。本当に心強い猛者たちだわ!
……
………
…………
まだ、三分の一。もう少しね。
しかし、敵の総大将らしい旗印がどこにも見えないわね。
川の向こう側は平らな土地だから、本陣を置いてればすぐにわかるし、大将の旗印ぐらいは簡単に見つかりそうなものなのにね。
どっかのお城で寝てるのかしら。
……
………
よし。ここね。
わたしは右手を大きく上げ、騎乗を指示する。
……
騎乗終了、行くわよ!
まずは並足から順に速度を上げていく。
五百が一つの生き物のように動くことが騎馬隊では肝心よ!
どっどどどどどどど!
どどっどどどどどど!
真夜中にまるで山津波のような音が周囲に轟く!
「突撃!突き崩せ!!」
私は景能爺特製の偃月刀を大きく振りかぶって叫ぶ!
せーの!よっし!
本当に凄い威力なのよね、この偃月刀を使っての騎馬突撃。
ほんの数瞬で敵の塊を貫く。
敵兵は大混乱だ。
敵兵を貫いたら大きく円を描くようにして、出撃地点へと戻る。
続いて二回目の突撃ね。
忠清、棟道と続いた騎馬突撃を受けて敵は大混乱中だ。
川の向こう側の陣からは矢が放たれているが、もちろん川のこちら側には届いていない。
盛大に渡河中の味方を殺傷しているだけだ。
「突撃!」
二回目の突撃は、より深い左側面から手前側右側面に抜ける。
本当にやりたい放題ね。
パッと見た感じだと、伊藤家の騎馬兵に損兵はいないのじゃないかしら?
今度は前回よりも小さめの円を描いて出撃地点へと戻る。
おかげで棟道の突撃を見ることができたわ。
ふぅん。棟道も偃月刀を使っているのは知っていたけれど、大した腕前、いわゆる一流ってヤツね。
だけど、まだまだね、私程ではないわよ?!
「こっろせぇぇっ!!!」
「「わああああぁああ!!!」」
業棟の雷のような声が轟き響く。
轟雷とはこの事よね。思わず耳をふさいじゃったわよ。
「元様。いかがいたしますか?」
いつの間にか戻ってきていた忠清が私の傍に馬を寄せてきた。
「敵軍はあまりにもひどい混乱っぷりよね。もしかしてだけど、大将がいないのかしら?軍中に」
「……可能性は大かと」
「そうよね。いくら何でも敵があまりにも酷いわ」
「追撃なさいますか?騎馬で渡れそうな場所に目途は付いておりますが?」
……そうね。
追撃は簡単に出来そうだけど……。
「止めておくわ。大将首が獲れない追撃戦など意味がないでしょう。こちらは歩兵だけを渡して、敵軍を岸辺から追い払えばそれでいいわ。本番は日が出てからの次の戦になりそうだしね。なるべく休んでおきましょう。私たちも馬も」
「はい。承知致しました」
まぁ、当然の勝利ではあるけれど……私と太郎丸が想像していた以上の結果になっちゃったわね。
これからの北条家?伊勢家?は大丈夫かしら。
最悪滅亡しちゃうんじゃない?
天文二十二年 夏 関宿
まもなく日が昇る。
朝飯も食ったし、鎧もつけ直して槍の準備もバッチリ。
さて、たぶんこれが最後かな?全体の作戦期間はそれほど長いものではなかったけれど、疲れたよね。
だって、二倍以上の敵と二回もぶつかったわけだしさ。
早く勿来に戻って、ぬくぬくと阿南と昼寝でもしていたい……。
あー、いかんいかん。
百里を行くものは九十九里を以て、ってやつだよね。
油断大敵、火器厳禁。
だんだんと、日が昇ってきた。
朝日を受けて綱高軍の陣が見えて来る。
互いの距離は十五町ほど……こりゃまた相当近場に陣を作ったな。
敵将は、二方向から殺到すれば一戦で終わると考えたんだろうな。
俺たちを逃がさず、古河からの援軍を届かせない考えだったのだろう……。
しかし、その場所だと姉上からの急襲を側面じゃなくて背面から食らうぞ?
「若殿。そろそろ始まるかと」
忠嘉が我が軍の準備完了を告げる。
「よし!勝てる準備は全て整った!最後の一日。この柵を守り抜けば俺たちの勝利だ!」
「「おおおおお!!」」
良かった。兵たちも反応してくれた。
だけど、姉上ほど決まらないのが残念なんだよなぁ。
「総員準備!盾構え!」
忠嘉が張りのある声で指示を出す。
この陣は南から関宿城に向かって緩やかに登りになっている傾斜地の途中にある。
城から撃って出てこられると形の上は挟み撃ちとなってしまうが、その時は逆に、空いた城門に殺到して、さっさと城を落としてしまえばいい。
戦える城兵が五十もいないことはわかっている。
門さえ開いてしまえば、それでおしまいだ。
綱高軍は七千を薄く延ばしたりせず、しっかりとした厚みを持たせたままゆっくりと進んでくる。
実に重厚な運用だ。
惜しむらくは兵の質と兵種そのものだな。
あそこまで装備がバラバラで疲れきった様子の兵では、一旦不利な状況に陥ったら、相手がどんなに寡兵であってもあっさりと崩れそうじゃないか?
……
…………
沈黙の中、お互いに頃合いを量って対陣していたのだが、……綱高軍が崩れる瞬間は突然に訪れた。
これには俺も意表を突かれたのだが、古河城の攻略に付いていたはずの忠宗が五百ほどの騎馬隊で丘を越えて来て、敵右翼に当たったのだ。
二度ほどの当たりに怯んだ綱高軍ではあったが、隊列を組みかえ右翼を正面に槍衾に構えた。
槍衾を見て取った忠宗は距離を取り直して、もう一度高台に場所を取る。
軽い膠着状態が生まれたかと思ったのもつかの間。
今度は綱高軍の背後からだ。
俺の策の本命である姉上が、騎馬兵三隊による連動突撃を繰り出す。
しかもただ当たるだけでなく、背後から敵陣に突入し、敵右翼、槍衾の真後ろから突き抜けていく。
こうなっては槍衾も意味をなさず、ただただ騎馬に突き崩されるだけの哀れな存在だ。
そして、動きを揃えられない槍隊を見て、忠宗がもう一度右翼にぶち当たった。
今度は強めだ。
と、同時に今度は敵左翼から聞こえてくる業棟の雷のような声。
「こっろせぇぇ!!!」
「「うわああああぁああ!!!」」
綱高軍は実際の業棟の兵が届く前に恐慌状態に陥った。
「若殿!」
「忠嘉!俺たちも出るぞ!突撃だ!」
「はっ!全軍突撃じゃっ~~~!!」
配下の一千の先頭で突撃していく忠嘉。
君も相当に熱い男なのね……。
一刻後、綱高自身はなんとか逃げきれたようだが、綱高軍七千は完全に消滅した。
また、一連の戦闘を城内から見ていた関宿の守兵は開城を条件に助命を願った。
名のある侍大将がいたわけでもないので、装備を取り上げ全員を解放した。
運が良ければ故郷まで帰れよう。
天文二十二年 秋 古河 伊藤景貞
今回は俺が残務整理だ。
竜の旗印の初陣ってことで張り切って出張ってきたんだが……。
一連の参加作戦は、援軍に次ぐ援軍で、戦闘も一切なし。
黒磯を進発してから森山、古河、関宿、金野井、そして古河と戦無しで移動してきただけだ。
那須を進発した当初の目的は、小弓足利家と扇谷上杉家の裏切りにあい、全軍潰走に至った佐竹軍の代わりに森山城の防衛を行う役目だった。
佐竹家からの報告では霞ケ浦沿いに西から三千と、外房側に回り込んだ南からの五千の二軍に挟まれている。とのことだったが……。
だが、残兵を纏めて森山城前に布陣した義昭殿と対陣していた伊勢軍は、俺達が到着したとみるや、すぐに退却していった。
伊勢家の想定以上に素早く対応した義昭殿が見事だったのかな?
本佐倉城から森山城までの短い距離の間に、一度潰走に陥った兵を纏め上げた手腕にはお見事と言わざるを得ん。
当主の本陣が城の外に出来たとたんに、兵が集まってきたというからな
これは義昭殿の政が領民にとって良かったということなのであろう。
これが苛政を敷いてきた領地であろうものなら、敗残兵など落ち武者狩りのいい標的だ。
敗残兵側も命惜しさに、装備など捨て、とっとと自分の村へと逃げ帰るであろうしな。
軍の纏め直しなどが出来ようはずもない。
ただ、まぁ、凶作と戦の連鎖で近隣の村人共も落ち武者狩りをやる力さえ失っていた可能性も否定は出来ないが……。
ともあれ、我が軍の目標であった、森山城に殺到する伊勢軍を追い払う、という仕事は成った。
であらばと、俺は森山城で一泊飯付きで休んだ後、古河侵攻軍の退却手伝いの為にと小田、下妻と通って古河に来た。
古河での兄上は、打ち合わせの席で「攻略軍の退却までの期間、南に睨みを利かせる目的で関宿城に入ってくれ」と俺に要請してきた。
古河の北、下野の諸将は古河公方含め城で震えているだけだったからな。
後詰めで向かってきている矢板の顕貞殿に任せれば、何の問題もなかろうという結論に至った。
まぁ、景藤と元に散々に撃ち破られた伊勢家だ、当分はこちら側に兵を向ける余裕はないのであろうから、こいつは楽な仕事だな、なんぞと思っていたら、急に周辺がきな臭くなった。
裏切られた恨みかなんかか?
その気持ちはわからないでもないが……。
小田城をはじめとする南常陸の佐竹勢が、扇谷上杉家の小金城に攻めかかった。
それを見た伊勢家が、形ばかりではあるが、援兵を小金城に送る気配を見せたので、俺達も城の外に兵を出し、伊勢軍の利根川渡河を阻止する構えを取った。
本当に構えだけだったんだが、それだけで伊勢軍は脱兎のごとく自分達の巣へと逃げ帰っていった。
……よっぽど、元に食らった夜襲が響いたんだろうな。
物凄い勢いで逃げていったぞ。
ま、夜の渡河を敵軍の目の前でやったんだ。
大将首を取られなかっただけでも御の字、ただの自業自得だったんだが……まぁ、恐怖が魂に刻まれたのだろうさ。
しっかしなぁ。
相模、武蔵、下総と今年はこれだけの戦が行われたんだ、伊勢家の領地ではこの秋の収穫は悲惨なものになるだろうさ。
噂では流民が凄い勢いで発生しているそうだしな。
こりゃ、伊勢家の混乱は終わらないな。
何故ならば、伊勢家の周辺は決して硬い同盟で結ばれた家々に囲まれているわけではない。
特に、そのような伊勢家の窮状を、だ、特に関東進出を虎視眈々と狙っている武田家が指を咥えて黙っているはずもなし。
早速、上野と甲斐から兵が繰り出されそうとの話だ。
伊勢家もここが正念場か……去年、一昨年では想像もつかなかったが、今では滅亡か存続かの瀬戸際だ。
いったいどうなることやらだな。
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