第29話 関宿の戦い ~前編~
天文二十二年 晩春 棚倉 伊藤景虎
困った。
困った、困った。
「困ったのぉ~」
声に出てしもうたわ。
儂の手には二通の書状がある。
差出人は佐竹義昭殿と義里殿。
「本当に困った」
義昭殿の書状にはこうある。
「伊勢によって不当に支配されている本佐倉城を開放する。伊藤家にも助太刀願いたい」
要約するとこういうことだ。
一方、義里殿の書状には本佐倉城攻めの経緯が記されておる。
その義里殿の書状によると、問題の種火は年末、年明け早々にくすぶり始めたようだな。
先年の凶作により武蔵、西下総は食料が慢性的に足りない状況にあった。
そのような情勢下、本佐倉城に詰めていた伊勢家嫡男の
更に悪いことに、村々で乱取りをした豪族どもは調子に乗り、霞ケ浦を航行中の佐竹家の旗を掲げる荷船までをも襲ったとのことじゃ。
この荷船は正月用の品々を我らが伊藤家の領地から、鬼怒川を下り、佐竹家の
調子に乗った豪族どもは乱取り最中に血を見たことで多少は気分が落ち着いたのか、流石に城にまで攻めかかるようなことはせず、素直に自分たちの村へと戻って行ったようだが……。
たまらぬのは襲われた小弓足利、扇谷上杉よ。
大身の伊勢家に睨まれながらも細々と暮らしていた中で、いきなりの乱暴狼藉。
ふざけるな、と周囲の伊勢方責任者である氏政に詰め寄った。
その抗議に対する氏政の返答は使者の生首だったそうな。
怒り心頭の両者は兵を集め伊勢方の豪族どもを成敗する。
やられたらやり返す、取られたものを取り返す。
という典型的な豪族同士の戦だな。残念ながら関東ではよくある形の戦だ。
ここで、氏政も知らぬ顔でもしとれば、喧嘩両成敗ということで終わったのかも知れぬのに、若い氏政は本佐倉城に詰めている伊勢の軍を出して両家の兵を追い払った。
こうなると話は大きくなる一方。
両家は森山城の佐竹家に援軍を頼む。
間の悪いことに……いや、常の状況ならばそう、おかしなことでもないのだが、森山城には先代千葉家当主の嫡男である
城代として北家義廉殿。
旧主の嫡男を城主に据え周辺豪族を従えるやり方はままあることで、悪い策とも思えぬ。
実際に、その効果もあって、短期間で霞ケ浦南岸地帯を抑えることに成功しておるのだからな。
ただ、その佐竹家の方策を見て、一方の伊勢家も黙ってはいない。
先代の弟にあたる
佐竹家と伊勢家の両家が千葉家の遺領を千葉家の後継者を名分に奪い合っていた状況だった。
そりゃ、土着豪族への締め付けは甘いものとなっておったろうさ、そこにこの騒動などが起きた……。
状況は悪化する一方で解決への道筋が全く見えない。
そんな状況に業を煮やした義昭殿は、佐竹家を上げて事態の収拾に乗り出すことを決めた……というわけだな。
困ったの。
対伊勢家で連合を組んでいる関係上、我らが兵を出すことに否はない。
だが、当初想定していた戦況とは全く関係ないところで始まってしまった。
いかにするべきか……。
……そうよな、一人で悩んでいても致し方なしか。
「誰ぞ!誰ぞある!至急黄色の狼煙を上げよ、良いか!黄色ぞ!」
黄色は即座に羅漢山に集まり評定を行う旨の狼煙、儂と父上のみが出せる狼煙ぞ。
天文二十二年 晩春 羅漢山 伊藤景元
「なるほどな……この内容では皆に召集を掛けるのは納得じゃな」
棚倉城から黄色の狼煙が上がった翌日、ここ羅漢山城には儂、景虎、景貞、伊織、景藤、忠平の六名が集まっておる。
ふむ、しかし、緊急時の評定開催を告げる方法で狼煙を使うのは非常に有効なやり方じゃな。
景藤の案じゃが、ここまで便利だとは思わなんだぞ。
「そうですね。まず当家は佐竹家とともに対伊勢家で連合を組んでおります。その連合相手からの援軍要請。これは断れますまい……議題はどこにどれだけの兵を向けるかということになろうかと思います」
相変わらず、伊織の情報整理は的確でありがたいのぉ。
「戦場は間違いなく旧千葉領、東下総になるだろう。そうなると、近い方から勿来軍、棚倉軍から出すのが定石となるのではないか?」
「左様ですな。佐竹領を丸々南北に横切る形となりましょうが、それしかないようにも思えますがいかがでしょう?他に妙案がありますかな?」
ふむ。忠平は何やら景藤の意見を聞きたそうにしておるが、今回ばかりは当家が主軸の戦ではない。
佐竹殿が設定した戦場に援軍を送るだけしかやることが無いじゃろうな。
「ふむ。せっかくの鬼怒川沿いでの戦場設定が使えぬのは残念じゃが、此度は援軍を東下総に送るしかないのかの……」
「……では父上、早速援軍の規模を……」
「少々、お待ちください。意見をよろしいでしょうか?」
なんと!今回のような状況でも違う考え方があるか!
儂は微妙に心が浮いてしもうたわ。
「……なんだ、景藤。言うてみよ」
「はい。それでは、お言葉に甘えまして……此度の援軍、東下総に向けるのではなく西下総は古河を攻めるが上策と考えます」
「「なんと!」」
東でなく西とな!
「南常陸から東下総、鹿島から森山、香取、本佐倉と、この一帯は霞ケ浦南側にあたり、天下の大湿地地帯です。大軍を動かすには全くもって向かぬ地形。更に当家の精鋭たる騎馬隊の使いどころもありません。結果、万を超す軍勢同士のにらみ合い、最悪は単なる消耗戦となり周辺諸国の農作業が今年も難しいこととなり、関東の混乱は深まることとなりましょう」
「ふむ。続けよ」
景藤の申すことは道理じゃ。
茶を一口飲んで話を続けさせる。
「大軍を生かせぬ地形ならば、我らが向かったとて意味はありますまい。逆に兵糧の消費を早めるだけの邪魔者となってしまいます。そこで、伊勢の兵、特に河越や古河の兵を本佐倉に向かわせないために、逆方向に新たな戦場を作り出すのです。さすれば、東下総に迎える伊勢の軍は本佐倉に詰めている兵と江戸の兵のみとなりましょう。どう合わせても一万は下回り兵糧の補給もままならない状況となりましょう。さすれば佐竹家も勝ては出来ぬまでも、負けることは少なくなりましょう」
「む!味方が勝てぬと申すか!」
……景虎よ。
今気にするのがそこか……。
「残念ながら。そもそもがあのような湿地帯で行う戦など、防衛側が有利に決まっております。攻撃側が有利な戦場は古河や
「……その言い方。俺には古河と関宿を我らで獲るというておるように聞こえるぞ?景藤」
景貞のみならず、そう聞こえるの。
「はい。せっかく伊勢家が自ら失策を演じたのです。ありがたくその失策を利用させていただきましょう」
「失策ですか……ほほほ。若殿は今回の事態を我らの危機や困難ではなく、伊勢家の失策ととらえますか」
忠平は面白そうにしておるの。
……儂もだんだんと面白くなってきたわい。
「はい。大失策です。今回の伊勢家嫡男氏政の傲慢さが古河と関宿を失うことに繋がります。これでは、今後、両上杉家と古河公方に対して圧力をかけることが出来なくなりましょう」
ぱんっ!
ん?今膝を打ったのは伊織か?
「なるほど!古河と関宿を失くせば、彼らはせっかく名乗った「北条」の使いどころも無くなり、関東への攻略が無に帰すと!それは面白い!」
確かに、斯様な事態となれば、あやつ等は何を持ってしての「執権」かわからなくなるな。
「しかし、古河を攻めている間に下野の諸将が動いたらどうする。やつらが古河の後詰めに動くと面倒だぞ?」
「「その時は兄(叔父)上が那須軍を持って彼らの城を奪えば良い(のです)!」」
こういう作戦を考える時の景藤と伊織の息はピッタリじゃのう……。
天文二十二年 夏 関宿
何事も想定外の出来事というのは付き物のようだ。
今回の戦、当初は予定の通りに進んでいた。
今回の伊藤家の陣立てはこうだ。
勿来軍三千大将伊藤景藤、羽黒山軍三千大将伊藤元、袋田軍大将安中忠孝千五百、三坂軍大将安中忠宗千五百、そして棚倉軍二千を総大将伊藤景虎が率い、補給は羽黒衆を伊藤伊織と小栗重義が使う。
伊藤軍一万一千は全軍を持って常陸は石岡城まで南下、そこから行方、鹿島、森山、香取方面には向かわず、土浦まで南下したのち下妻へ向かった。
一切の抵抗もなく鬼怒川を渡った伊藤軍は渡河後に軍を二手に分け、棚倉軍、袋田軍、三坂軍が古河攻略を、勿来軍、羽黒山軍が関宿攻略および西と南から集まってくる伊勢軍を迎え撃つ布陣を敷いた。
伊勢氏康は本佐倉の湿地帯で大防衛戦を行う心づもりのようだった。
本佐倉、江戸の兵だけでなく河越、古河の兵と武蔵、下総の全豪族に召集を掛け、総勢三万の大軍を用意した。
そして、氏康がいざ戦場についてみれば、対陣するは佐竹、小弓足利、扇谷上杉の連合軍二万五千のみであり、伊藤軍一万一千は別動隊の如く古河と関宿を襲っている。
ここで、何もせず対陣を続けるは愚将、引き返すは凡将。
されど、流石、氏康は只者では無かった。なんと相模の全兵力を持ってして関宿に向かわせた。
小田原、玉縄、三崎の兵を主力に一万五千。
姉上と俺の軍の合計の二倍半の軍勢だよ……。
どうしようかな~。
帰ろうかな~。
兵を引きつけた義理は果たしたよな~。
こわいな~、こわいな~。
と本気で考えていた頃、何を血迷ったのか、味方の情報がまったく届いていなかったのか、本来は籠城していれば良いだけの古河と関宿の守兵が城から撃って出てきた。
もちろん、守兵に比べれば数十倍の我々包囲軍に敵うはずもなく、敵軍は壊滅して方々に散って行った。
……何を考えているんだろ?
……まぁ、普通に考えれば食い物が無くなり、やけになって打って出たとかが考えられるんだけど、真実はもっと、もっと馬鹿々々しかった。
降り兵が言うには、守将の
たまらんね。
おかげで、現在城に残っているのは必死の覚悟の古強者だけらしい。
……やだよ、そんな死兵だけが守っている城を攻めるなんて……。
ということで、関宿攻めの我々は方針を変えました。
守兵が見ている目の前で、敵の増援を撃ち破って心を砕いて開城させる作戦です。
普通なら二倍半の敵にこんな作戦など無謀以外の何物でもないんだけど、今回は別。
なんと言っても、今回の敵軍には将がいない。
元から戦える将がいない伊勢家だけれど、今回はめぼしい将が全て本佐倉に向かってしまっている。
相模からの援軍を率いているのは氏康の娘の春、十八歳。参謀として
相模軍の一万五千は正直、敵じゃなかったよ。本当に烏合の衆だったからね。
陣も整えられずに戦場でウロウロしてたので、三方から半包囲の形でやりたい放題に倒してやった。
半刻もかからずに全軍潰走にしてやった……主に姉上の騎馬突撃で!
……なんだろう。姉上の武名が轟き捲っているおかげで、他家でも姫武将ブームが起きているのかな?
けど、うちの姫武者様は塚原卜伝から皆伝の免状を頂いてるのよ。
さらに戦場に出て敵の首をとること数え切れず。ってお人なんだけれど……こんな人と比べちゃダメでしょ。
ぼごっ!
「いった!何するのさ姉上!」
「今、なんか変なこと考えてたでしょ。私にはわかるのよ!」
戦場でも色あせない姉上の嗅覚。
「で、その文は何?父上から?」
そう、この文が俺に軽い現実逃避を引き起こさせた凶です。
「簡単に要点だけをかいつまんで話すよ?」
「当たり前でしょ。早く言いなさい!」
ここは羽黒山軍、勿来軍の将が勢揃いの軍議の場。
皆が静かにやり取りを見守っている……姉弟の喜劇をね。
「小弓足利家、扇谷上杉家の両家が裏切り、佐竹軍を急襲。佐竹軍は全軍潰走、伊勢軍は佐竹方の森山城に向け一軍をもって進撃中。当家に援軍要請が来たので景貞叔父上が黒磯、烏山の兵を率いて救援に向かった。更に古河攻略の後詰めとして矢板城から二千を北畠顕貞殿が率いて出撃」
「なんと」「「裏切りですと!!」」「さすがは足利!裏切りなど朝飯前ということですかな」
「あ~、済まないが続きがある。古河と河越の軍を主力とした氏康率いる一万五千がこちらに向かっているので、撃ち破れだとさ」
「「……」」
皆声が無いね。まぁ、そうなるか。
ちなみに、父上からの手紙には最後に一言添えてある。「発案者はお前なんだから責任とれ!」
はい。その通りなんですが、そこまで言われると反抗期になってしまいそうです。
「ふ~ん。それで、どうやれば勝てるの?太郎丸のことだから既に勝利までの道筋は見つけてるんでしょ?」
おおぅ。姉上の信頼が重い……。
「一応はね。ただ、正直に言うと、今回の戦は既に伊勢家の敗北なんだ。あとはどの程度、敗北の度合いを小さくできるかというだけ」
「「??」」
みなさん頭に大きな、大きなはてなマーク。
「まぁ、それは後日、追々説明するということで。今はこの有利な戦いに勝つだけだ」
「ん?有利なの?私たち」
「そう、断然有利。だって、僕たちはこの戦場で勝つ必要はないんだから、古河が落ちるまで敵を引き付けるだけで良い。しかも相手は湿地帯での戦闘を終えたばかりで、まともな馬の揃えがない。こちらの騎馬追撃が怖いので余力があるうちに引かないと、最悪大将の首が獲られる。氏康殿もこんな負け戦で死にたくはないだろうからね」
「「はははは」」
なにはともあれ、皆の緊張はほどけたよね。
「では、作戦だ。相模勢が残していってくれた資材を活用して柵を建て守りを固めよう。姉上と棟道は両翼でいつでも騎馬突撃が取れるよう高台に待機。合図とともに備えが弱そうな部分に逆落としを掛けてあげて。潰す必要はないから表面だけでね。基本方針はこれだけ、至って単純な戦いでしょ?」
「ふふ。そうね。では皆!今回も勝つわよ!狼と丸に片喰の旗印には負けが無いと奴らに思い知らせてやりましょう!」
「「はっ!!」」
うん。総大将の檄は姉上の方が上手いよね。
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