第26話 売れる塩を売ろう

天文二十一年 夏 勿来


 「ほう。で、これがその陶芸姫様とやらが作った焼き物か……」


 吉法師が悠殿が勿来の窯で作った壺を撫でまわしている。


 今日は、港湾施設の工事進捗具合を視察するために海岸の方に来たのだが、そこで尾張から勿来に戻ってきていた吉法師を捕まえた。

 もう尾張の仕事は良いのか?と尋ねたら、「そろそろ暑くなりそうなので奥州に逃げてきた」とか言ってきたので、やかましいとばかりに近くの兵舎長屋へと連れ込んだ。


 お前は渡り鳥か!


 俺達がいるここ、鮫川沿いに建っている兵舎長屋は、伊織叔父が勿来城を建設する折に、自分を含めた土木奉行所の者が寝起きするために作られた宿舎をそのまま流用した形のものだ。

 一度建てたものをそのまま壊しても問題ない、と言えるほどの財政的余裕は伊藤家にはないのでありがたく再利用している。

 もちろん、城の方にも曲輪内や門前城下などに簡単な武家屋敷はあるが、勿来城は山城なのでそんなに多くの屋敷は建てられない……ゆえにほとんどの兵はこちらの長屋暮らしである。

 ちなみに、藤吉郎と犬千代の寝床兼、尾張屋勿来支社事務所もこの長屋にある。


 「で、どうだ?多少は売れそうか??」

 「この壺をか?無理だな」


 即答ですか。


 「無理か」

 「ああ。この程度なら、俺の故郷、尾張の常滑では修行中の童でも作れるわ……ふむ、だけどものは考えようだな……壺としては駄目かも知れんが、入れ物、容器としてなら、高級品としての体裁が作れるかもしれんな」


 ふむふむ。高級ラッピングみたいなものか。その考えはなかったな。

 確かに、前世世界の包装紙でも百貨店の奴とかは、その高級感で、賞味二割増の価値を感じたものだしな。


 「良し!その考えを頂こう。では、何を詰めるかだが……勿来だと……なんだ?石鹸と椿油ぐらいしか浮かばんぞ?」

 「石鹸はまだしも椿油をこの壺にいれたら、いったいいくらで売りさばかねばならんのだ!堺の大店か大領主ぐらいしか買えんぞ?……俺が思いついたのは塩だな」

 「「塩??」」


 一緒に付いてきた竜丸も驚きの声を上げている。


 「塩など……日ノ本は海に囲まれているのです。何処でも作れるのではありませんか?内陸だとて、会津などでは温泉から塩を大量に作っているとも聞きますし……」


 ふむり。


 竜丸の言も解る。

 ただ、塩は日本中で簡単に手に入るものである一方、手に入らない場所では絶対に手に入らないものでもあるのだ。

 人の生命維持に絶対的に必要な成分だからな、塩。

 「無い」ということが許されない物なのだ。


 「ただの塩なら、太郎丸や竜丸の言うように商売にはなるまい。内陸の国々に行くまでに掛かる、膨大な輸送代と関税で、どんなに高く売れたとしても、精々が小銭程度の儲けだろうな。だが、壺に入れられた藻塩なら売れるのではないか?勿来の藻塩は俺が食ってきた塩の中でも一二を争う絶品だぞ?」


 信長公に絶品の勿来の藻塩。


 思わず、竜丸と顔を合わせる。


 勿来は日本の中では比較的乾いた気候なので、俺は乾燥を使った製塩方法が使えると思い、亀岡斎叔父上にうろ覚えの枝条架塩田を作ってもらった。

 ポンプの原理がようわからんので滑車で汲み上げる方式で実験してもらったのだが、まぁ、これが何とか成功した。


 まずは海から汲み上げた海水を砂丘に築かれた十尺ほどの高さの筒塔に入れる。

 筒塔に入れられた海水は傾斜の緩い水路を伝って一番溜池に流れ込む。

 まずはこの段階で一回目の水分の蒸発を促す。


 今度は一番溜池に併設された枝条、茅葺屋根のとかに使うようなあの形、を数段重ねした高さ二十尺ほどの枝条架に流しかける。

 この段階で二回目の水分蒸発。


 枝条架から流れてきた「かん水」は隣接の第二溜池に貯まり、この「かん水」を煮詰めて塩完成。

 という流れである。


 夏場は雨が多いので、「かん水」作りは秋から春先に掛けてでやる。

 なもので、今の季節は、屋根付き溜池で貯めていた春までに出来上がった「かん水」を使ってる。


 という製塩方法なので、決して「藻塩」ではない。

 ただ、「藻塩」と呼んだ方が通りが良かったので、そう呼んでいるだけだ。


 因みにだが、もちろんのこと、塩水が土中にしみ込んでしまってはもったいないので、水路及び溜池は全面が石灰壁でコーティング済みという施設だ。


 ……建築資材の不足はこういうところからも発生していたのか?

 けど、塩は大切なんだよ!皆の衆!


 「なら、壺に入れて「壺塩」とでも呼んで売ってもらうか!……いや、待てよ?どうせなら「壺焼塩」でもっと高く売れないか?」

 「なに!「壺焼塩」だと!なんとも高く売れそうな響きの名前ではないか、太郎丸。俺に任せろ!堺の商人や京の金持ち商家から銭を、やつらの蔵から丸ごと分捕って来てやるぞ!」


 やめて、君の口から「商人の銭を分捕る」とか言われると前世世界の知識が暴走しちゃうから!


 「で、その「壺焼塩」とやらはいつ持って行けるのだ?早いところ俺に商いをさせろ!」

 「わかった。わかった。そう、あわてるな……まずは悠殿の工房に行って、ちょうどいい塩梅の壺を作ってもらう。次に製塩工房で出来上がった塩を壺に詰める。仕上げに羽黒山の実験工房の機械を使って、壺を焼く……冬までには完成させるさ」

 「遅いわ!一日でも早く作ってくれぃ!」


 ……せっかちが過ぎるぞ、吉法師。

 壺焼には石炭蒸し焼き実験用の炉を使ってみたいのだから、羽黒山の実験工房の設備と景能を筆頭とする村正一門の力が必要なの!


 「しかし、つくづく売れそうにない壺だな……よし、今度尾張からこっちに来るときには常滑の職人を引っ張って来るからな、期待しておれよ!太郎丸!」


 吉法師さんや……村正一門に引き続いて、常滑から陶工を丸ごと引き抜いては来るなよ?

 いいか!フリじゃないぞ!


天文二十一年 秋 羽黒山 伊藤元


 「「(義)姉上さま~!!」」


 どしんっ。


 わたしの可愛い二人の妹が抱き着いてくる。


 義妹の阿南十二歳、妹の清は十歳だ。


 少し見ないうちに、だいぶ童女らしいふっくら感が出てきたわね。

 二人とも数年前までは線が細く、いや細すぎで心配してたのよ。

 なんとも勿来の土地が合ったのでしょうね。


 特に、妹の清は線が細かっただけでなく、棚倉時分は身体が非常に弱かった。


 棚倉の館でも羽黒山の城でも……特に冬などは咳が止まらず、呼吸も非常に苦しいようだった。

 滋養が付くものを、ということで、太郎丸が母上がご病気だった折に行った療法を散々に試した。

 そのおかげか、多少は症状が和らいだものの生来の病弱さは取り除けなかった。


 環境が合わないのかもしれぬ、と母上は清を連れて勿来に移った。

 それが功を奏したのか、それからはみるみると元気になっていったのよね。


 そうね、今思うと病弱な清を育てる母上は本当に大変そうだったわ。

 私もできる限りの手助けをしたつもりだけれども、やはり自分の腹を痛めた子に対する思いは違うわよね。

 傍から見てても、母上の方が先に?と思うくらいの消耗っぷりだったわ。

 あまりこの頃を思い返したくはないのだけれど、この頃の母上に対する父上の言行が理由で、今のように、父上と母上の仲を微妙にしてしまったのかもしれないわね。


 こればっかりはどちらかを責める気にはなれないわ……いや、嘘ね。

 父上は母上と清を気遣うことをどこかで煩わしく感じていたように見える。

 これでは、父上を擁護できないわね。


 うん。私は完全に母上派ね。いま決めたわ!


 「阿南も清も元気そうで何よりだわ!……母上も本当に元気そうで良かった。私もちょくちょく顔を出してはいるけれど、こうして皆がそろってみると……勿来は本当に良いところなのね!」

 「ふふふ。勿来は本当に良いところよ。城が建って五年、今では見違えるほどの発展ぶりで、港傍の商人町もちょっとした賑わいよ?あとは、そうね……子供時分に育った越後を思い出すのかしらね。山中とは言え海も近かったのですから、なにやら身体が覚えているのでしょう。勿来の風を心地よく感じますよ」


 母上は本当にうれしそう。


 「あとは多恵をはじめとする娘たちへの武家教育もありますからね。彼女らとともに、阿南や清も含め、厳しく育てているつもりです!老け込んだり、病で伏せている時間は無いのですよ!」


 後ろに控えている女中達と視線を合わせながらうなずく母上。


 女中といっても、伊藤家の筆頭家老たる忠平の妻、次席家老の業篤の妻、那須方面を取り仕切る景貞叔父の妻で竜丸の母……日ノ本に敵無し!と自負しているわたしでも絶対に敵にしたくはないと思っている面子よね。


 母上とその女中達、これに剣の師匠たる塚原高幹様を加えた人たちには一生敵わないと思うわ。


 「それは何よりよ。で、今回はどのくらい羽黒山にいるのかしら?」


 わたしも、今では母上たちが棚倉に寄らず、まっすぐに勿来へと戻ることに何の疑問も抱いていないわね。


 「景藤が羅漢山から戻ってくるまでだから……五日ほどかしらね?」


 そう、五日ね。


 ではその五日間はみっちり、阿南と清の剣術を師匠と二人で見てあげなきゃね!

 忙しくなるわ!


天文二十一年 秋 羅漢山 伊藤景元


 「北条、伊勢の挙兵はなさそうということじゃな?」


 大事な事なので、儂は何回目かの確認を忠平にしておる。

 今回の確認は評定の場でな。


 「はい。ご隠居様。間違いありませぬ。ちょうど我らが烏山を陥とし、今市のなわばりを始めたあたりでしょうか、北条綱高ほうじょうつなたか清水康英しみずやすひで多目元忠ためもとただらで纏めていた軍を伊勢は解き申した」

 「なるほどな。では儂ら伊藤家の構えを見て奴らは引いたのか?……いや、その程度の者達が、両上杉家を追いやり、古河公方様を追いやるとは到底思えぬな……」


 景虎の言うことは、儂も確かに引っかかっていた点じゃ。


 烏山に今市、確かに伊藤家の防衛構築は奴らには厄介に映ろうが、実際には今市に拠点は未だ建っておらず、烏山も抑えたばかりじゃ……。

 儂らを楽に上回る兵数を集められるやつらならば、それほど危険視はするまいのぉ。


 「それについては一つ思い当たることが……」

 「む!景藤か、申してみよ」


 ……最近の景虎の息子に対するあたりが気になるの……儂の気にし過ぎじゃと良いが。


 「はい。出入りの商人からの情報ですが……」

 「商人の情報だと?!」

 「これ、景虎!まずは景藤の話を聞いてからじゃ!」


 息子をたしなめる……やっかいじゃの。


 「はい。どうやら今年は西下総、武蔵、そして北上川流域にて、かなりの凶作とのこと。原因は日照り以外に、夏場にかけて兵を領地中から集めたことが原因ではないかと言われております」

 「……有り得るか。しかし、向こうも大身。相模も伊豆も収穫に問題なければ、兵の維持には問題なさそうに思えるが、よそから銭を出して集めれば、一年やそこいらの兵の招集に問題はないと俺は考えるが……そこはどう見るのだ?景藤」

 「景貞叔父上、実は北条、伊勢は米が買えぬ状況にあるのです」


 ほっほぅ。これは新年での会話がうまく効いたか。


 「なるほど。景藤殿は越後、常陸からの商人が伊勢には売りを掛けておらぬと……新年での連合がうまくいった形ですね。しかし彼らには西に今川という後援者がいるはずでしょう。そちらからは融通がなかったのでしょうか?」

 「どうにも三河、尾張を抑える松平と甲斐、上野、北信濃を抑える武田との仲が思わしくないようで、前線の城に兵糧をためており、相模へ米を送れるほどの状況にないそうです」


 伊織の疑問にも納得の返事がある。

 景藤と親交が深い尾張屋はしっかりとした情報を持っておるようじゃの。


 「で、それと北上川流域はどう関わるのじゃ?伊達殿は、もとより伊勢とのつながりがあるわけでもあるまい?」

 「伊達殿ではなく、大崎、葛西の両家の息がかかった商人が関東へ、細いながらも商いの道を独自に持っているようです。しかしながら、こちらも今年は数度に渡る斯波・稗貫の軍に胆沢が攻撃され、大崎と葛西の両家は兵の供えが解けなかった模様で、その結果、武蔵等と同じく凶作と相成っている模様」

 「なるほどな。商いの道はあっても、米を持っておらぬのでは売れぬ。伊勢は領内の収穫は少ない、後援者の今川は送ってくれない、商人を通しても買う米が無い……ゆえに兵を解き、農村に戻さなくてはならぬ様となった……か」


 そういうことなれば。


 「そういうことでしたら。伊勢は来年の収穫までは大規模に兵を集められませぬな。古河公方様には不運かもしれませぬが、周辺諸将にとっては有難い仕儀。我らも大いに領地の発展に集中して努められるというものですな」


 忠平の言う通りじゃな。

 ずずうっ。茶を一杯じゃ。うまい。


 「ふむ。では次の話じゃ。領内の政に関して話をしようぞ。信濃守、伊織、何ぞ話したいこと、確認したいことはあるか?」

 「では父上、私から……今は景藤の下に仕えておる竜丸ですが、そろそろ元服をさせて独り立ちさせては如何でしょうか?忠平、忠教の下で鍛えられた忠樹、清平が今市に入りますが、その二名だけでなく城主に一門の竜丸を当てるのが良いかと考えておりますが、如何でしょう?」


 ふむ。一応筋は通っておるな。竜丸も年が明ければ十五、元服してもおかしな年齢ではない。

 そして、元服した一門衆ならば砦や城の主となっても何ら違和感はない……のじゃが、先の那須での守将に回したのも……。


 「兄上!竜丸をそこまで気にかけてくださることは、誠にありがたい!ですが、竜丸は物心ついたときから、ずっと景藤とともにおりました。今では景藤の一の腹心として勿来で頑張ってる様子。しかも、勿来からは春に寅清、棟平、棟寅と三人の侍大将を移したばかり。それでは伊藤家唯一の海を守る勿来が手薄になりはすまいか?」


 ちと、よろしくない流れじゃの。

 やはり、景虎は息子の景藤に嫉妬しておるのじゃろ……父が息子の才に嫉妬。

 この日ノ本では別段珍しい話ではないが、自分の家族で見せられると微妙に傷つくのぉ。

 棚倉の屋敷一つという小さな身代では身内で争うなど愚にも付かぬと思っておったが、ここまで大きくなると内に問題を抱えるようになるのか……。


 「景貞、それは違う。勿来は南は佐竹家、北は伊達家に抑えられた岩崎郡の城だ。東西南北のどこを探しても敵はおらぬ。だが、那須には他家が割拠し、古河には伊勢家という大身が拠点を構えておるのじゃ。平和な土地から優秀な将を前線に送るのは当然であろう?」

 「……信濃守様の言うことも景貞兄上の言うことにも理があると思います。そこで、実際の景藤に聞いてみたら如何ですかな?景藤はいかに思われるのですか?」


 そうだな。当人の意見を聞かぬことには判断のしようがないか……。

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