第13話 天文の大乱はあったの??
天文十五年 正月 棚倉
母上の病状はだいぶ良くなってきた。
やはり、衛生的観点からの問題があったのだろうか。
石鹸の導入と同時に風呂場の清掃も徹底的に行った。
毛楊枝を大きくしたもの、つまり歯ブラシを大きくしてデッキブラシを作った。
そのデッキブラシと石鹸を使って浴室の清掃を二日おきに行うことを徹底させて貰った。
もちろん、僕も率先的に清掃に参加したが、一番の戦力は姉上だった。
本人曰く、デッキブラシを使った清掃は全身の鍛錬に最適らしい。
あまりに良い良いと言うものだから、ある日なんか卜伝が清掃に参加した……塚原卜伝がデッキブラシを持って実家の風呂掃除してるってどんだけなんだか……。
まぁ、いいさ。
本人たちがいいって言ってるんだから、外野の僕がどうこう言う筋合いじゃないよね。
そして、綺麗になった浴室に裏山から温泉を引いた。
棚倉の館は小高い丘が北東、南東、北西、南西と四つに分かれて固まっている場所の、一番北東にある一つの丘に建てられている。
温泉が湧いていたのは八溝にそのまま連なっている南西にある丘で、今まで温泉に浸かりたい時にはその丘まで移動してから入浴していた。
僕は、母上を綺麗な浴室で、館から移動することなく、心行くまで温泉に浸かってもらいたかった。
それに、かけ流しの温泉の方が衛生的にも良さそうだしね。
だが、問題は如何にして温泉を丘の上にある屋敷の湯殿まで引っ張って来るか……。
悩んだ僕は、一心に温泉の取水口を館から眺めた。
うむぅ。
唸り声を上げながら隣の丘を眺める僕に一つの方策が閃く!
温泉の湧く場所は館の浴室がある場所よりも標高が高い……ように見える?
即座に簡単な水平器を作って、なんちゃって測量。
よし、たぶん行ける!
行けると判断したら、次は高炉の改築等々で大幅に品質向上が成った耐火煉瓦と耐火モルタルで温泉水の水路作りに邁進。
温泉水道橋を作るわけにもいかないので、普通に高低差を利用した隧道的な水路で温泉取水口と湯殿を繋げた。
高ささえ館の方が低ければ問題なく成功するはず……分かり切ってはいたのだが、実際に館の湯殿へ温泉が流れ込んできた時には大いに感動しましとも、ええ。
それ以来、母上は日を置かず、温泉風呂に入ることとなった。
石鹸で体を清潔にし温泉で体を温める。
出血があるときは体を洗うだけにしてもらう、という慣習を続けること二月、三月。
みるみる顔色も良くなってきた。
なんとなく考えていたんだが、母上は出産時の傷口が、細菌などによるダメージで、化膿していたのではないだろうか?感染症の一種か……?
体の内の方で、重度の化膿などをしてしまったら、敗血病などで人間は簡単に死んでしまう。
ペニシリンなどの抗生物質等がないこの時代、体を清潔に保ち、滋養に富んだ食事をとり、快適な睡眠をとる。
このこと以外に治療方法はないだろう……というか、思い浮かばないよ。
だって僕は医者じゃなかったからね!
「母上もだいぶ身体が良くなってきたようね。これなら、また私に薙刀の手ほどきをしてくれるようになるのも近いんじゃないかしら?」
「ほほほ。何を言うのかしら、この子は。もう、さすがに元に教えることなどは出来ませんよ……だけど、そうですね。このまま身体の調子が良くなって、春、暖かくなって来たら、私も久しぶりに薙刀を握ろうかしらね……そういえば、今では青竜刀というのかしら?」
うん?母上と姉上の会話がいまひとつわからない。
「母上もご冗談を。病が完全に治ったわけでもないのですから……まして青竜刀などと……」
「太郎丸こそ何言ってるの?母上って、たぶん今のお身体でも、あんたより相当強いわよ?私は忠平達や景貞叔父上に習うまでは、母上に武術と馬術を習っていたのよ?」
「「ええ~?」」
俺も驚いたが、隣に座ってた竜丸も驚いたようだ。
お互いに目を合わしちゃう。
そうだよな、僕たちが物心ついたときから、母上にそんな印象はない。
いつも父上の隣で優しく、おっとりとしている姿しか思い出せないもん……。
「そ、そうだったのですか?伯母上様?てっきりそういった荒事が得意な女性というのは、……てっきり、従姉上だけしかこの地上にはおらぬものだと……あいたっ!」
竜丸よ、余計な言葉が最後に付いてたぞ……姉上は悪気のない言葉でも、自分が気に食わなければ手を出すという、ある意味公平なお方なのだ。
「竜丸。あなたも太郎丸みたいに余計なことを言わないの!自分の身が大事ならね」
恐怖政治イクナイ!
「私も新発田の山中で育ったお転婆娘。娘時分には馬に刀に弓。そういったものに通じていなければ生きてはいけない状況だったのですよ。そのおかげもあって、こうして娘をたくましく育てることは出来ましたが……ちょっとたくましく育てすぎてしまったかしら?」
「母上!」
「ほほほ。元に怒られてしまったわ……ささ、そろそろ新年の宴が始まるころでしょう。三人ともいってらっしゃいな」
「「は~い!」」「母上!」
僕と竜丸は仲良く声をそろえてお暇することにした。
姉上は少々不満顔だったけどね。
天文十五年 正月 棚倉 伊藤景虎
「「新年明けまして、おめでとうございまする」」
棚倉の正月、奥州最南端なだけに、他の奥州の地よりもだいぶ温かい。
特に棚倉の館は、山々に風を遮ってもらう地形になっているので、吹きおろし風が吹雪くなどといった、おかしな天候にならなければ非常に過ごしやすい。
今年も正月を車座で祝う。
ここ数年の慣例行事だな。
他家の方々がおられるのに、当家での集まりとはいえ上下を作るようでは互いに気分が悪かろう。
「この度は我れらが伊達を代表しまして、某、鬼庭左月斎の参加をお許しいただき、誠にありがたく存じます。ついては……」
「あ、ソコな娘、スマヌが澄酒の代わりをくれぬか?うますぎるので、既に一本空けてしもうたわ!」
……
鬼庭殿が人を殺せそうな視線で自分の随行者を睨んでおるな。
二部屋続きの棚倉館の大広間。上座側には儂らが車座となり、下座側では何列かに配された席があり、参加されている諸将のおつきの者達が座っておる。
参加される方々には事前に、何名で来られるか?、どなたが来られるのか?といった知らせを貰うことにしておる……あれは五年前の正月だったか?前触れもなく、当時の伊達家嫡男の
あの時は、伊織とともに大慌てで支度に奔走したものだ……ある意味、地獄であったな。
それ以来、事前に参加する者の名前を頂くことにしたのだが……。
「あ~、ああ、鬼庭殿?」
「……はっ」
「まことに聞きにくい……いや、聞きたくはないのだが、あそこにおられるお手前の随伴は……」
「……某の従兄の
酒のせいではあるまい。
顔を真っ赤にして下を向いておる鬼庭殿。
先般の戦の責を取り出家して左月斎と名乗っておる鬼庭殿に免じて、諸々を察することにし、深くは追求せぬしかあるまいな。
……儂はおのれの腹心。
二人の弟たちに、かような屈辱が与えられるようなことはするまい。
うむ、天に誓うとしよう。
「……さようか……晴宗殿ではなく、宗晴殿か……」
「おお!これはスマヌ。余分な手をかけ申したな、娘。誠かたじけない」
腹心の恥辱なぞ何処吹く風で、全力で膳と澄酒を楽しんでおるな、
いくら正月も数日を過ぎておるとはいえ、そもそも、己の居城で配下の者達からの挨拶を受ける必要が其方にはあろうに!
「今年も互いにめでたい年にしたいものよな。伊藤殿」
佐竹義里殿は、鬼庭殿と儂のやり取りをまるっと見てないふりをしておる。
さすがは佐竹家一門衆筆頭の重みよ。
最近では、改修した太田城の南側に居を構え、「南殿」と家中では呼ばれておるようだ。
「左様ですな。義里殿。当家を含むこの地域は数年来戦が続き申した。今年こそは穏やかな年となって欲しいものですな」
「まこと、その通りですな」
義里殿の言に深く頷く諸将。
今年の上座の車座には、儂、鬼庭殿、義里殿、田村殿、二階堂殿、二本松殿がおる。
個人的には、この数年の混乱を直接引き起こした二階堂殿の頭は張り飛ばしてやりたいところではあるが……まぁ、今日は目出度い席だからな、勘弁しておいてやろう。
「それでは改めて。今年が良き年となること、ここに揃った皆々様方の健康を祈りましょうぞ」
「うむ」「そうですな」
杯を目線近くまで上げ、一息に酒を飲み干す。
毎年、毎正月、こうして祈ってはおるが……平穏な年になることの方が少ないのが問題だ……。
天文十五年 啓蟄 白河小峰城 伊藤景元
「ははは。そうか、そうか。伊達殿はわざわざ澄酒を飲みに棚倉にやってきおったのか!」
「ええ。父上。伊達家の方々は、苦虫を噛んだかのような表情を終始収めることが叶いませんでしたぞ。はっはっは!」
今日は小峰城に、景虎、景貞、伊織、忠平、太郎丸に集まってもらい、諸々のことを話し合う日じゃ。
形式上、伊藤家の本拠は棚倉のままじゃが、白河、大田原と所領が増えた今、集まるならば三か所の中間に位置する小峰城こそが最も都合が良い。
いっそのこと、本拠を小峰に移すかとも検討したが、結局は本拠は棚倉のままということとなった。
棚倉の館は佐竹家によって贈られたものじゃからな、対外的にも棚倉が本拠地のままの方が収まりが良い。
「ははは。しからば、伊達家は阿武隈川上流に関して、これ以上の野心は持っておらぬとのことじゃな?」
「左様のようで。宴が終わった夜半。某、義里殿、晴宗殿の三名で話し合いを持ったところ。これより数年は、伊達は南ではなく、北の引き締めに精を出すとおっしゃられてました。無事に晴宗殿が家督を継いだとはいえ、そのことに不満を持つ者、これを機会に伊達の影響から脱しようとするものなど、なかなかに混乱しておるようですな。救いは先ごろの戦にて、それら不満を持つ者の兵が軒並み居なくなったとのことで……」
……ふむ。
もしかしたら、儂らは晴宗殿に一杯食わされてしまったのかの?
「兄上の仰り様から推測すると……俺たちが晴宗殿の露払いをしたようにも見えますな」
「景貞兄上の言があたりかと……やはり、どう振り返っても良直殿……今は左月斎殿ですか、左月斎殿が兵糧を持たせずに兵を城から追い出したことは理解が出来ませぬ。そこには何かしらの意図があったとしか……」
「然もありなん。あの時の兵二千、形ばかりとはいえ率いていたのは中野宗時殿、今では晴宗殿の片腕じゃ。何かしらの晴宗殿の了承が無かったとしたら、あんな形の敗戦の将が出世するとはおかしなことよ」
酒乱の馬鹿殿と言えど、伊達家の直系だけに侮れんか。
「……で、北の方と言うたが、やはり最上と大崎かの?景虎よ?」
「はい。最上を戦で破り配下に置いたのは稙宗殿。大崎と縁組をして取り込んだのも稙宗殿。どちらも感情の向う先の違いはあれど、稙宗殿だからこそ伊達家に従っていたことは事実。伊達の代替わりを機会に、今一度己の足で立ち上がろうと画策している模様です」
「どちらも南朝、北朝に分かれて死闘を繰り広げてきた歴史を忘れることなどは不可能なのかのぉ……」
実に難儀なことだ。
風林火山の旗の下で共に戦った記憶は遥か彼方……じゃな。
「伊達家の動きは承知した。続いて佐竹家は如何様じゃ?」
「義里殿は他言無用と仰られましたが、いよいよ義篤殿の病状が抜き差しならぬ段階とのこと。嫡男義昭殿の正妻には岩城殿の娘を迎え、景貞に義篤殿の娘を嫁がせ、北側は何とか落ち着いたとみているご様子。常陸の抑えには、一門衆の筆頭に義里殿、
「義篤殿の力で何とか纏まりを見せた常陸じゃが……これは一荒れが来そうに見えるな……」
一人の船頭から、三人の船頭……船頭多くして、などとはならんことを祈ろうか。
「鹿島大社に出入りしている商人たちの話では、南の鹿島、湊の利権は抑えきれてないようですからな。領外に追い払った小田辺りが戻ってきようものなら常陸の南は佐竹から離れましょう。小耳に挟んだところですと
もう、そのような噂までたっておるか……そうなれば……。
「そうなれば、佐竹家は太田を中心に、今の半分以下の領土にまで落ち込みそうじゃな。そうなると周辺、岩城家と那須家辺りがまたぞろ騒ぎそうじゃな」
「父上、那須家と言えば、黒羽からの報告で、一つ」
ううむ。
景貞が嫌そうな顔をしておるの。
「なんじゃ?」
「大田原は我らがうまく治めてるのが見ているのか、奪還の兵を出す気配は見えません。されど、どうやら
「大宮か……義里殿が治めてのこの数年、久慈川における常陸の玄関町として大いに栄えているというからの……荒らしに来るか」
「谷の出口で柵でも作り防備に努めれば大丈夫でしょうが、今の話を聞いた後ではそこまでの対応を佐竹家が迅速に行えるかどうかは……」
「はなはだ疑問ですな」
忠平の言に皆の気持ちが代弁されておるわ。
「ならば、当家で袋田に砦を作るより他ありますまい」
ここまで静かにしとった太郎丸が、相変わらず中々に過激なことを言い出しよったわ。
「佐竹殿が谷の出口に柵を築いたとて、その場所では高さを既に那須に取られてしまっております。よほどの兵力差が無ければこれを抑えきるのは難しいでしょう……防げたとしても、損害ばかりが増えましょうし……」
異論はない、皆が頷く。
「ならば、那須勢と佐竹勢の立場を入れ替える場所で、防衛をするより他ありますまい。那須勢を谷間の低き処、佐竹勢を谷間の高き所に配置するのです……その場所こそが袋田。かの地を抑えることが最も重要かと……付け加えるならば、大宮が大いに栄えたおかげで、東館の佐竹家の館は現在空き家状態。久慈川の物流を守るため、と言えば佐竹殿も当家に文句を言う筋合いではございますまい」
「確かに。佐竹家は西の関所は久慈川沿いの大宮に、東の関所は左都川沿いの大町なる場所に置いていますな」
「しからば、関所の北に我らが砦を築いても構いますまい。もちろん、佐竹家の了承を得てのこととはなりましょうが」
ふむ。
八溝山地を抑える意味でも袋田への砦建設は重要な一歩じゃな。
「よし、那須の様子。義篤殿の健康に鑑みつつ、袋田に砦を築くことを当家の南方の方針とする」
「「はっ!」」
一同に反対意見は無いようじゃな。
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