第12話 台風の日

天文十四年 秋 棚倉


 収穫を終え、大地の恵みに感謝する秋。

 天高く、馬肥ゆる秋……なんて表現された季節。

 前世でも、「春と秋は良い季節よね~、デートに最適よ(はぁと)」なんて呑気に話し合う日本人のなんと多かったことでしょう……しかし、太郎丸は知っています。


 ……今年は大型台風が奥州を直撃しています。


 ……風も雨も半端じゃありません。


 ……きっと夏に治水を頑張った領主がいない地域の河川は大氾濫するでしょう。


 ……今年の当家は例年以上の治水工事をしたので、他領に比べれば軽度の被害でしょうが、相当の被害のはずです。


 ……嫌なことは、台風が過ぎ去ってから考えよう。


 今日は一日中布団に包まっていても怒られない筈。

 だって、姉上も「ここまでひどい嵐じゃ何もできないじゃない!もう寝るわ!」と朝に母上の部屋へお見舞いに行った折、そう言っていた。

 どうやら、その段階で不貞寝を決め込んでしまわれた模様……。

 うん。やったね。今日は平和だ!


 ということで、今日はこれまでの、伊藤家を取り巻く環境の変化を考えてみよう。

 枕元には、水差しとおやつに小ぶりの握り飯と燻製肉の欠片。

 春から夏の間に人里へと下りてきた鹿などを捌いて燻製に……欠片はお手伝いのお駄賃にと村の者達が分けてくれたやつだ。


 さてさて、回想開始だ。


 南朝を支えた名将北畠顕家公亡き後、霊山城に拠った南朝諸将は奥羽中に散って行った。

 領地に帰る者、親戚を頼る者、山中に身を隠す者、様々だった。


 伊藤家は山中に身を隠すことを選択した家だった。

 うちのご先祖様は平家の滅亡を経験し、野に下り雌伏の時を待つのは経験済みだったから、こういったことに、特別の抵抗は感じなかったらしい。

 ただ問題は、山中に籠ることではなく、家名を守る、この点が非常に難しかったらしい。


 「敗北していた勢力に組みしていた者達」、こいつは勝ち馬に乗ったふりをした人間にとっては格好の獲物だ。

 大義名分が自分にあると信じる人間というのは、どんな非道なことをしても、自分は許されているのだと錯覚をする。


 実際、北朝方が統一的な統治体制を全国に敷けていたのならば、伊藤家は別の家名を名乗らなければ滅びていただろうと、爺様は悲しそうな顔で語っていた。


 だが、幸いなことに、足利幕府はその成立時から全国支配などは出来ていなかった。


 尊氏の頃から大規模反乱は日ノ本の各地で頻発するし、重臣、側近との抗争、粛清の嵐に終わりはなかった。

 義満の代に日本の統一が垣間見えたことがあったが、結局は実現しなかったしね。


 そして、これらのことは伊藤家にとっての幸いとなった。

 平野部の実権を求めなければ、南朝出身の北朝方領主が見て見ぬふりをしてくれていた。

 家の存続が暗黙の了解の下に許されていた。


 そうこうするうちに、時間としては百年ちょっとか?

 爺様が二十代の頃、佐竹十五代当主義舜がある提案をしてきた。

 「棚倉に館を作るのでそこに入ってもらえないか?」


 佐竹家十四代の義治よしはるの頃、佐竹家中は分家との内紛を抱えながら、外からも白河結城家、岩城家、伊達家などの連合軍によって圧迫されていた。

 連合軍の侵攻ルートは三つ、奥州街道、太平洋沿い、そして、久慈川とその谷間(棚倉構造線)だ。


 奥州街道は那須家と、太平洋沿いは岩城家と、それぞれの領地を接する家と個別に和睦をすることで敵方の侵入を防ぐことが出来た。

 だが、三つの内、二つは塞いだが一つがどうしても残ってしまった。


 問題となったのは棚倉-太田間だ。


 ここには大規模な移動に使える久慈川があり、大規模断層によって作られた谷もある。

 山道ではあるが、五千尺、一万尺のような大山があるわけでもないので、行軍は可能な地形だ。


 そこで、義舜は谷間の入り口、磐城側に緩衝地帯を作れないものかと思案をする。


 砦を築いて自家で抑えるのは上策ではない。

 兵力や人材の問題もあるし間延びした防衛線は、有効でないどころか不利になるだけ。

 上策なのは、自分たちに親身であり、なおかつ敵方も表立っては敵対しにくい勢力を置くこと。

 弱小勢力なら、後の取り回しも楽なので尚良しだ。


 そこで目を付けたのが、実権と実力は全く無いが、武家の名門で白河結城や伊達と同じく南朝方で戦っていた歴史がある伊藤家だった。


 義舜は自分の娘を爺様に嫁がせ、棚倉の小さな館に入れた。

 だが、佐竹家は、伊藤家を館には入れたが、それ以上の支援はほとんどしなかったようだ。

 もちろん佐竹側からの人などは絶対に入れなかった。

 形は整えたが、名実ともに自家に友好的だが関係は薄い勢力を置いただけ、ということだ。


 爺様が入った当時の棚倉は、陸奥国一宮である都都古和氣神社の社領といった性格が強かったようだ。

 彼らにとって、伊藤家は佐竹家による侵略の手先。

 実際に爺様が館に入った翌月には、僧兵を集めて攻めてきたらしい。

 坊主たちは「伊藤家など見たことも聞いたこともない連中、一押しで皆殺しにしてくれるわ!」と思って……たかどうかはわからないが、相当に舐めた態度を取ったらしい。


 しかし、所詮は修行に挫折した山伏の集まり。

 体力、筋力に優れた山の民、安中一族を兵とした爺様には敵わなかった。

 鎧袖一触とはまさにこの事だったという。


 「流浪し、野に下っていたとはいえ、武家は武家。寄せ集めの坊主どもにどうして負けることが出来ようか」なんて言ってたけど、本当は気が気じゃなかったんじゃないかな。

 だって、爺様だって戦なんぞ経験したことがない世代だろうしさ……。


 とにかく、一戦してコテンパンに打ちのめされた都都古和氣神社の者達は、それ以降、表立っては伊藤家と戦うようなことはしなかった。

 嫌がらせはしても喧嘩はしない。

 そんな距離感だったそうだ。


 喧嘩が無ければそれでよし。

 爺様は情勢が落ち着いたと判断して、館周辺の村々の取り込みを開始した。

 都都古和氣神社よりも低い年貢比率と土地の所有を村人たちに認め、その代わりに伊藤家による支配を受け入れろ、と。

 実際、佐竹家からは館は建ててもらったが、食料や資金の援助も、娘、つまり爺様の妻への食い扶持程度だったらしい。

 爺様や忠平たちは、自分たちが食っていくためのものを、周辺から集めなくてはいけない状況だった。


 そんなこんなで、年月をかけ、貧乏ながらもなんとか館近くの村々を吸収し、家と館を維持できる程度の力を爺様たちは付けることができた。


 そして、天文七年。

 僕が見事に転生からの~、誕生!


 立ち上がるより早く言葉をしゃべり出した赤子は、椎茸の自家栽培と酒を透明にする方法を片言で周りの者に話し出す……本当に、よく爺様たちは信じてくれたな。

 母上も自分の子供が不気味じゃなかったのかね?今度聞いてみようか……。

 僕の考えたものは、棚倉の産物として評判となり、伊藤家が商業利権に手を伸ばして資金を大いに蓄えることを可能にした。


 蓄えられた富は都都古和氣神社の欲望を刺激し、数十年ぶりに武力衝突する事態となったが、兵を十分に備えられる武家に社寺が敵うわけもない。

 彼らは我々に逆撃を食らい、自分達が棚倉から追い出される羽目となる。

 これによって、伊藤家は名実ともに棚倉を抑えることができたのだ。


 情勢の落ち着いた棚倉は、それまでの人口の流出地から一転して流入地へと変わっていった。

 関東、奥羽ともに混乱が続いていることもあって、一度、人の流入が始まれば銭の流入も同時に始まる。

 そして、棚倉は徐々にだが、確実に栄えていった。


 そうこうするうちに、天文十二年。

 那須家が白河結城家の領内に侵攻を開始する。


 那須の者達からの話だと、ことの始まりは那須家の継承者問題にあったようだ。


 嫡男の高資は二十五歳、腕っぷしはあるが思慮に欠けると評判の男。

 一方の家督相続のライバルである異母弟で次男の資胤すけたねは十八で、腕っぷしは兄に劣るもののおっとりとした性格で、周りと軋轢を重ねるようなタイプではないとのこと。


 この家督争いの最中、那須家家中第一の実力者である大田原資清は一計を案じる。


 嫡男高資を暴発させる事で那須家の家督争いを激化させ、調停者として自分の存在を強化しようと考えたのだ。

 大田原資清の計画では、高資が那須家当主で父の政資まさすけに諮らず、独断で兵を上げたという既成事実を作る事だけが目的だったようだが、高資が想像以上に戦上手だったのか、はたまた白河結城家が思った以上に戦下手だったのか、まさかまさかのうちに那須家が白河結城家の居城、小峰城を取り囲むという事態にまで、ことは大きくなってしまった。


 自分でコントロールできる規模の事態を超えてしまった状況に、大田原資清は相当に焦っていたらしい。

 小峰城を囲む陣中でも周りの者達に、手当たり次第、当たり散らしていたようだ。


 そんな陣に、伊藤家の小峰城救援軍が襲い掛かる。

 城を包囲しながらもその後の構想を持たない上層部、秋の収穫を迎えているというのに満足な野良仕事もさせてもらえずに徴兵された農民……一戦しただけで那須軍は崩壊した。


 崩壊した軍の中にあって、大田原資清は別の一計をひらめく。

 混乱した軍をそのまま那須家本城の烏山からすやま城にまで連れて行き、軍中の混乱を城中に広めてしまえ!と。


 元は家中の混乱を広げるために暴発させた軍なのだ。

 損害は当初の想定よりも多かろうと、結果が変わらなければなんとでもなる。

 とでも考えたようで、大田原資清は自分の城でもある大田原城に戻るのではなく、本城の烏山城に向けて退却した。


 烏山城中、那須家中は大田原資清の狙い通りに大混乱をした。

 彼はそれを無事に収め、家中での発言力を増やし、後継問題すらも一任されるまでになった。

 多少イレギュラーな事態が起こったかもしれないが、彼自身の想いとしては「してやったり」だったのだろう。


 だが、ここで大きな大きな、そして計算外のことが起きてしまった。

 それは伊藤家の那須への侵攻。

 那須軍を追い払うだけで満足しなかったのか、伊藤家が白河の関を越え南下。

 己の城である大田原城が伊藤家に奪われてしまったのだ。


 再度、大田原資清は混乱してしまう。

 自分で自分を追い込むことになってしまった彼が起こした行動とは、城の奪還ではなく、自分の政敵を徹底的に粛清することであった。


 本来であれば、自分と一緒に大田原城奪還のために力を合わせてくれるであろう領主たちを悉く粛清して回った。

 このことによって、那須家には大田原城を奪還する実力が無くなってしまったという悲しい現実が突き付けられることになる。


天文十四年 秋 大田原 伊藤景貞


 「景貞様!黒羽衆より被害の報告が届いております!」

 「わかった。その机においておけ!」

 「景貞様!箒川流域の被害報告はどちらに……?」

 「黒羽からの報告の脇においておけ!……ああ!一緒にするなよ、離して置いておけ!!」


 人間の力は自然の力には敵わない。

 わかってはいたが、もうちょっと手加減してくれや、風神様よ……。


 各地から被害の様子を知らせる報告が止まない。被害把握が出来なければ対策ができないが、それにしても報告の数が凄まじく、俺の処理能力を超えておる……。

 こういうことは伊織の仕事だろ……と思わず愚痴の一つも零したくなる。


 今回の大嵐でつくづく思い知ったのは、棚倉は地形的に恵まれていた、という事実だ。

 その一方で、棚倉に比べ那須は大嵐に弱い。

 風は遮るものなく領内を襲うし、水量の増えた川は流れを容易く変えてしまい、それまでの治水をあざ笑うかのような被害を与える。


 このあたり一帯は水はけが良い土壌で、水害は少ないと思っていたのだが、そんなことはまったく無かった。

 大雨が降ったと思ったら、すぐに川が暴れ出した。

 そこに時間的な余裕はない。


 その点、久慈川には余裕というか何かしらの余白があった。

 雨が降れば水量は増えるし流れも速くなるが、予測できない暴れ方はしなかった。


 那須は違う、全くもって違う。

 河川は東西南北に動き出し、それまで河川が無かった場所に急に河川がうまれる。

 本当にたまったものじゃない!


 大嵐からこのかた、まともに眠れない日々が続く俺だが、土地の者が声を揃えて言うには、これだけの大嵐の割に、今までよりも格段に水の被害が少なかったというのだ。

 去年の戦の合間に行った治水工事がうまく行ったのだという。

 その工事の根幹は、太郎丸の考えた「石灰壁」なる代物だ。


 そして、その石灰壁を使った治水方法を太郎丸と相談した伊織が伝えてきてくれていた。


 川幅や那須家によって作られた堤の場所に関係なく、川から離れた場所にある小高い土の盛り上がり、あやつらは「自然堤」などと呼んでおったが、その自然堤を岩や土が入れられた麻布袋で囲むのだ。

 そして、幅も高さも増えたその堤を今度は石灰壁で覆う。

 太郎丸に言わせると、石灰壁は漆喰のようなものだが、もっと簡単に、誰にでも使えるものらしい……。


 岩を砕いて焼いた白い粉に川砂、砂利を入れ、水でこねる。

 そうやって出来上がったものを麻袋にかけていくのだ。

 こうして出来上がった石灰壁は、一旦乾くと、硬く頑丈で、雨が降ったとて溶け出すこともなかった。


 こんなに便利なものならば、堤そのものにかけてしまったらどうなのか、と言ったのだが、それではいざという時、川に近すぎてあまり役には立たないなどと言っておった。

 その時は、そんなものか?とも思っておったが、台風の被害を聞いた今では、あやつらの慧眼にはただただ恐れ入るばかりよ。


 ふぅ。

 俺もある程度は領地経営ができると自負しておったが、まだまだ伊織にも太郎丸にも届かぬものがあると気付いたな。


 「おや、景貞様いかがいたしました?報告書を読む手が止まっておるご様子。しばし、休憩といたしますかな?」


 新たに伊藤家に仕えることとなった北畠顕景きたばたけあきかげだ。

 白河結城家に客人として滞在していたが、一連の戦の中、気が付けば俺の下で働くようになった。


 「では、皆もいったん休憩といたしましょう。兄上、皆の茶でも取ってまいります。手伝ってちょうだい、蕪木あき

 「はい。姉上!」


 顕景だが、白河に滞在していたのは、あやつ一人だけではなかった。

 父、北畠顕貞きたばたけあきさだ、長男の顕景、次男で伊勢で出家していた日光斎にっこうさい、長女の祥子しょうこに次女の蕪木。

 総勢五名、揃って当家に仕えた。父上と兄上が召し抱えると申した。


 彼らは伊勢の国主に連なる一門だけに、読み書き、算術に明るく、内政ができる部下が少ない俺にとっては、非常にありがたい存在だ……関口の頃より付いて来ている柴田の者達は、どうにも戦働き以外は苦手としているものたちだらけだ。

 唯一の例外は業篤の孫の棟道むねみちぐらいか、年は十七の若造ながら政への感覚が鋭い。

 このような事態には貴重な戦力だ。

 ……数年後には、俺が内政を丸ごと投げられるような男になっていて欲しいものだな。


 とりあえずは茶を貰おう。


 現状把握のための確認書類だけでこの量だ。

 急がば回れ、ゆっくりとだが着実に目の前の物をこなすことが、内政では重要だと伊織は言っておったな。


 うむ。

 弟の忠告は有難くいただいておこう。

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