第9話 出兵
天文十二年 秋 棚倉 伊藤景虎
「何卒!白河結城家をお救いいただきたく!」
「御使者の御用向きしかと承りました。されど、ことは当家にとっても一大事。家中の者にも
「信濃守様に置かれては、某への気遣いかたじけのうございます。されど、
「承知した。使者殿には別室でお待ちを!」
「何卒……よしなに……」
気を飛ばしたか……相当に急いできたのか、囲みが厳しかったのか、それまでの野戦が激烈だったのか……そのすべてやもしれぬな。
儂は近侍の者に命じて、使者を別室へと運ばせる。
「さても兵一千、稲の刈り入れ寸前のこの時期にようも集めたものよ」
「まぁ、早刈りを行えば、那須の領地ならばそのぐらい集めることは可能じゃろ。しかし高資……那須の嫡男じゃろ、まだ十代と聞いておったが、意外と戦上手なのか、はたまた白河結城には満足な力量の将がおらんのか……」
父上のおっしゃる通り、今年の那須では稲の早刈りがおこなわれているとの報告は受けていた。
商人からも山の民からも聞いておったので、特段に隠れながらというわけではなかったようだ。
全く隠れて行っていなかったもので、さては米の売り抜けを狙っておるのかとばかりと思っておったが……。
念のための警戒はしておったが、まさかこの情勢下で戦を他家に仕掛けるとは。
今年の当家の正月の宴の出席者を見ればわかるように、ここ最近の阿武隈川流域の諸将に伊達家、佐竹家を加えた我らの関係は良い。
一戦当たるぐらいなら問題は無かろうが、嫡男自らの乱取りや、まして城攻めなど、よっぽどの大義名分がなければ話が通らんぞ?
悪くすれば四方から攻められて家を潰しかねまい。
「白河結城家も何とか兵をかき集めての四五百で、白河の関を固めたようではありますが、簡単に抜かれたようですな。あれだけの地の利を受けながら高々二倍、三倍の兵に敗れるとは……もはや、彼らに奥州の門の守護は任せておけませぬな」
「兄上はそうおっしゃられるが、白河結城家も不意を突かれたのでしょう。彼らの実力を考えればこの時期に兵を集めて組織的な抵抗を関で行えただけでも上出来かと思います」
「ふん。俺の言い分よりも、お主の方がだいぶひどいぞ。伊織」
景貞も伊織のどちらもひどい言い草だぞ。
まぁ、儂も同じ意見じゃがな。
「ともあれ、当家の対応を考えませんとな。信濃守様のご方針は如何なるもので」
忠平が議論の方向性をつけようと、儂に訪ねてきた。
うむ、方向性は決まっておる。
「そうじゃな。兵を出し、那須勢を白河の関の外まで追い返す。ここまでは、覆しようのない決定事項じゃ。ただ、その兵をいつ、どれだけ出すかを皆と話したい」
この基本方針は、早刈りの情報が入った段階で、最悪の状況を想定しての行動指針じゃ。
儂、父上、忠平の三名で話し合った。
が、最悪の状況想定が現実のものとなろうとはな……。
「承知仕った。そうなると皆さま、まずは「いつ」でござるが……」
このような軍議では、いつも最年長の忠平が軍議のまとめ役を行う。
「時期に関しては、大きく四つの選択肢がありましょう。ひとつ、今すぐ直ちに向かう。ふたつ、当家の刈入れを終わらせてから向かう。みっつ、諸将と連携を持ってから向かう。よっつ、伊達殿、佐竹殿の準備を待ってから向かう。このあたりでしょうか?」
行動方針の選択肢を提示する役目、大概は伊織の役じゃ、伊織がいない席では儂の役目だな。
「刈入れが終わってからで良いんじゃないか?満足に兵が集まらん段階で押しかけても無駄な犠牲が出るだけだ。万が一にでも戦に敗れでもしたら目もあてられん!かといって、諸将を待っていては城も落ちてしまうであろうし、那須勢が帰った後にでもなったら、隣接している当家の武門の評判にも傷がつこうというものさ」
「たしかに」
「それが無難か……」
ふむ。集まった皆の意見も景貞の申す意見に賛成か……父上、忠平の三名で話し合った時もその意見になったしな。
やはり、これで当家の方針は決定か……。
「う、ううん」
む、父上が何か言いたげな。
わざとらしい痰の絡みだが……ああ、そういえば三人の席で太郎丸の意見も聞いてみたいとか言っておったな。よし。
「なるほど、皆の意見はおおむねわかった……太郎丸よ、其方は何か思うところはないか?」
父上と忠平が小さく頷く。
儂も太郎丸なら、儂らでは思いつかぬ意見をだしてくるのではと期待はしておる。
「お聞きとあらば……私は急ぎ準備をし、二三日の内には出兵すべきと考えます」
「なに!」「いや……それは……」
ほう、思いがけない提案じゃな。
父上、忠平は目を細め、景貞は面白いとばかりに口の端を上げ、伊織は何やら考え込んだ。ただ、柴田の者達など太郎丸と接点の少ない者達はあきれ顔じゃな。
「ふむ。太郎丸。しかし、二三日では俺の関口砦、伊織の社山砦から常備の者達を集めても五百がいいところ、那須の若造などに後れを取るつもりはないが、相手は二倍の数。犠牲はそれなりに出るぞ?」
さよう。普通に考えれば景貞が正しい。
「確かに、常備の者だけならば。……ですので、ここは銭を使います」
「ほう、銭とな?」
「はい。村々に緊急の徴兵を掛けます。ただし、一人当たりに日当を出すのです。棚倉には鹿島大社の市があります。他領とは違い当家の村人たちには銭を自由に使える場所があるのです。しかも、鹿島大社の市には入市税がありませぬ」
「ほう……銭で雇うか。しかしそれでも集まるのは分家の三男、四男程度であろう。二百が出ればいいところではないか?」
「はい。なので、いつもと変わらぬ兵を出せる村には上乗せで払います」
「ふむ。しかし兵を出すと刈入れはどうするのですか?己の田畑の刈入れをしない村人なぞ、日ノ本中を探してもどこにもおりはせぬぞ」
「もちろんです。なので、他の村の刈入れを手伝う者にも銭を出します」
「農作業に銭を出す!?」「なんとも……いや……」「それは……」
ざわついておるな。
儂もざわついたわ。
父上も目を見開いておる。これはなんとも珍しいことよ。
ん?伊織だけは面白そうな顔をしておるの。
「太郎丸。其方の申す策ならば、確かに兵は集まろう。うまくいけば千から千五百の兵で出立できるだろう……しかし、それだけ銭をかけて行うのが他家への救援、当家に一切の見返り無しというのはどうなのだ?ちと、わりに合わんとも思えるが?」
「はい。那須勢を押し返すだけでは我らが損をするだけです。敵の大将でも捕らえて身代金でも請求できれば別でしょうが……ですので、我らが頂くのです!」
「何を?」
なにをじゃ?
「大田原城です」
天文十二年 晩秋 大田原 伊藤景貞
棚倉に白河結城家から援軍の使者が来てから、三日後に棚倉を進発した。
太郎丸の示した案を聞いて、皆は騒ぎに騒いだが、最終的にはその案に乗ることとした。
やはり、棚倉だけが所領では、やりたいことをやり切れずに終わってしまうのではないか?という思いが皆にあったのであろう。
特に柴田の者どものやる気の出し方が尋常ではなかった。
俺は特に出自を別することなど持ち合わせてはおらん。
関口には柴田の者が詰めていることもあり、そのあたりの意識はしていなかったのだが、どうにも彼らの中には外様の意識が強くあるらしかった。
義姉上とともに越後から棚倉に来て、そう、早二十年にもなろうかというのにだ……。
まぁ、そんなわけで皆の頑張りもあって、戦闘自体は楽に終わった。
銭が貰えるとわかった村々からは想像以上の兵が集まり、総数が千五百を超えたこともあったのだろうが、小峰城を包囲攻城していた那須勢を明け方に急襲したら、あっけないほど簡単にやつらは崩れた。
我らには、かすり傷を負った兵もいなかったのではなかろうか?
囲みを解いて逃げる兵の背を討ちながら追い立てると、やつらは本拠の烏山へと逃げていった。
大田原城の防衛は眼中にない兵だったのか?
大田原城を包囲してみると城兵は百にも満たないほどであった。
無駄な力攻めなどしたくなかったので、降伏交渉をすること二日後、南から宇都宮家の手勢五百が向かってきたが……我らの目の前でちんたらと陣立てをしておったので、丘の上から三百ほどの騎馬で逆落としをかけてやったわ。
あれこそがまさに、「蜘蛛の子を散らす」というやつか、ほうほうの体で逃げおったわ。
何がしたかったのだろうかな?
形ばかりの援軍ではあろうが、あれでは被害を出すばかりで割に合わんだろう……。
結局、この戦に掛かった時間は十日……。
「私が援軍の使者として棚倉についてから、大田原を落とすまでに十日でございますか。景貞殿のお手並み、お見事でございました。この
「何、俺は所詮一軍の指揮官よ。すべての策は兄上や父上がたてておる」
この顕景という男、白河結城の使者として棚倉に来たが、別に代々の家臣でもないらしい。
家は北畠。伊勢の国主である北畠に通ずるものらしいが、今の当主の流れとはだいぶ離れているらしい。
これまではある程度の捨扶持を伊勢で貰っていたようだが、合戦の折に荘を焼かれ、当主からの援助もなく、立て直しが出来ぬので伊勢より陸奥へと落ち延びたらしい。
奥州は顕家公のご威光強き土地柄、顕の通字を持つ顕景殿の一家は仮初としてではあるが、白河結城家に保護されていたとのことだ。
「先般来お願いしておりますが、今後は何卒、伊藤家の、景貞殿の下で働くことをお許し下され」
……面倒なのはこの事だ。
どうやら、今回の戦で俺を高く評価してくれたようなのだが、……それ以来、仕えたい、仕えたいとうるさいことこの上ない。
そういうことは、兄上と父上に相談してくれ……。
「その件は棚倉でな。当面、俺は大田原の仕置きで忙しい」
劣勢の戦は逃げるに限るさ。
天文十二年 晩秋 棚倉 伊藤景元
さても面倒なことになったものよ。
「う~む。まいりましたな」
「まさかかような事態に……」
「馬鹿につける薬は日ノ本には存在しておらんのかのぉ」
儂、景虎、忠平。
三者三様に頭を抱えている。
ことの発端は、那須勢の動きに恐れをなした二階堂の小心者が稙宗殿に助けを求めたことじゃ。
小峰城の救援に兵を出すのではなく、己の身を守りたいがためだけに伊達家を頼りおった。
しかも、ここ数年、南奥州の外交を担っておった晴宗殿にではなく、利府城に詰めておる植宗殿にじゃ……。
伊達家当主稙宗殿と嫡男晴宗殿は対立しておる。
二階堂としては、あえて稙宗殿を頼ることで晴宗殿を通した伊達家の影響力を阿武隈川上流域から排除したかったのじゃろうが……あまりにも浅慮じゃな。
現実として、二階堂に頼られた稙宗殿はきつく晴宗殿を説教されたようじゃ。
面子を潰された形となった晴宗殿は、ご自身の右腕、
が、伊達軍が二階堂の居城、須賀川城に到着する前、二本松を過ぎたあたりであろうな、その時には既に伊藤家により那須勢は追い払われている上に、大田原城も制圧し終わっておったというわけじゃな。
嫡男を家臣たちの面前で説教してまで兵を出させたのに何の意味もなかった、伊達家当主稙宗。
三千もの兵を出してなんの成果も得られない、伊達家嫡男晴宗。
自家よりも小さい身代の伊藤家がすべてを解決した間、城で震えるだけだった二階堂当主の
三者三様で面子丸つぶれじゃな。
当然、そんな中でのしわ寄せは一番の弱小勢力である二階堂に向かうこととなる。
戦費の負担、伊達の商人への融通、最悪領地の割譲も求められたかもしれん。
そこで、二階堂はそのすべての責を白河結城へと押し付けた。
奥州の函谷関たる白河の関を守るに結城家は能わない。ここは早々に排除すべきだと。
ある意味ではその通りだとは思うが、おのれの責任逃れのために全ての責を、救援を求めてきた側の白河結城に押し付けるとはなんとも破廉恥な所業じゃな。
「ふう。しかして、ご隠居様。いかがいたしますか?晴宗殿と良直殿の文では……」
手元に二通の手紙がある。
一通は晴宗殿から、もう一通は良直殿からじゃ。
どちらの手紙も儂らに対する謝罪から始まっておる。
次いで、かような仕儀となってしまっては白河結城は取り潰さねば、収まりがつかぬと。
合わせて、伊藤家に悪いようには絶対にしないので、黙って見逃しておいてくれと。
この点まで、二通の書状で相違がない。
だが、その後。
「手出しはご勘弁願いたいが、伊藤家も武家の名門、一たび助太刀すると決めた以上、白河結城家を見捨てることが出来ぬと申されるなら、不肖鬼庭良直、全力でお相手仕る」以上、鬼庭殿の書状。
「お願いだから手出し無用としてはくれまいか。阿南の顔に免じてどうにか頼む。もし白河結城をただで見捨てることが出来ぬならば、対陣するだけで許してくれないか。両者がぶつからなければ、何とか矛を納めさせるから」以上、晴宗殿の書状。
「当歳の赤子の顔を立てて勘弁してくれとは意味が解らぬが……父上、いかがするべきでしょうか。当家も大田原を抑えきれておらず、また先だっての戦の後処理も終わってはおらぬので、棚倉から五百、大田原からも五百が限界ですぞ」
「左様ですな。二方向からの五百と五百。無様な戦とはならぬでしょうが、相手は鬼庭良直殿。負け戦でしょうな」
「ふむ……困ったときには折衷案。以前に太郎丸が言うておったな」
これしかあるまい。
「確かに言っておりましたが、この場合はどのような仕儀で?」
「戦うか、戦わぬかの間ならば、戦う振り、しかあるまい」
「では晴宗殿の案に従うので?」
いや、それでは晴宗殿の伊達家内での立場が微妙となろうし、当家の晴宗殿への恩も大きくなりすぎであろうや。
「いや、兵は集める。されど集まらん。先に小峰城が落ちる。この辺りが良いのではないか?」
「たしかに……そのあたりが落としどころですかな。ご隠居様」
「儂もそれで良いとは思いますが……兵を集めたことは敵対の証拠、などとは言われませぬかな?」
可能性がないとはいえぬが……。
「そのぐらいは晴宗殿を頼っても問題なかろう。刃を交えるのでなければどうとでもなろう」
我らは既に大田原を獲ったのじゃ、多少の勝負はあって当たり前じゃろうて。
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