第8話 輝きの先

天文十二年 雨水 太田 伊藤景貞


 「では、景貞殿、太郎丸殿。滞在中はこちらにてお寛ぎ下され。何かありましたら、某を呼んでいただければ対応させていただきますので……それでは、失礼いたしまする」

 「ご丁寧に、痛み入ります」


 俺たちが、義里殿に案内されたのは太田城の……二の丸になるのか?

 その二の丸の主、義里殿の屋敷だ。

 二の丸は本丸東側の佐都川さとがわに近いところに位置している。


 太田城は東を佐都川、西を源氏川に挟まれた高台に築かれている。

 南北は緩やかな傾斜なので、あまり防衛を重視した形で築かれたものではないのだろうか。

 嘘か真か、新羅三郎義光が築城したとか伝えられるぐらいだからな。

 今のような戦乱の世に向けた城ではないのであろうさ。


 「姉上、もうしゃべっても大丈夫ですよ」

 「ぷはー。まいったわよ。叔父上と太郎丸が、声を出したら姫だとばれて面倒なことになるから黙っていろ……なんて言うもんだから……せっかくの旅の楽しみが半減よ!」


 くくく。

 元もしょうがない奴だな。

 太田城を見たいがばかりに俺の小姓に化けてまで付いてくるとは。


 「いや、そもそも姉上が今回の一行に加わること自体がおかしなことなのでは?」


 ぽかっ。


 「うっさいわね。せっかくの外に出る機会よ。逃したくない!」


 まったく、元のやつは弟を叩かずにしゃべれんのか……。


 今回の太田城滞在は、俺の嫁取り……ってことになっている。

 俺自身は年も明けて二十六、祝言を上げた妻、というやつはいないが一人息子の竜丸はいるし、正直、世話をしてくれる女には困っていない。


 それに、元の後、子宝に恵まれなかった兄上と文殿を差し置いて、弟たる俺が誰かしらと祝言を上げるなど考えもしなかった。

 我ら伊藤家、せっかく領地持ちの武家に戻れたのだ、俺の家族が伊藤家を乱す原因になるなど考えたくもないわ!


 全く……それが、一体全体どうして佐竹家の娘を嫁に貰うなんてことになったのやら……これも伊達の馬鹿息子はるむねの所為か!


 事の発端は、正月の席で伊達の馬鹿息子はるむねが義里殿の神経を逆なでしたからだ。 


 「おお~、これはありがたい!太郎丸殿自ら針を入れた越後上布で作られた羽毛布団、わが娘阿南に送ってくださるか!これで十年後に阿南が棚倉に嫁いで来れば、伊達と伊藤は一門ということですな!しかも、両家の絆を示す贈り物が、長尾殿から送られた上布ですか!もしも佐竹殿と何かしらあったら、この儂自ら助太刀に参りますぞ?」


 思い出しただけであの馬鹿頭を叩きたくなるな。

 あの馬鹿息子はるむねの酒癖の悪さを知っている我々や義里殿でさえ、思わず立ち上がりかけたからな。

 初めて、あの酒乱ぶりを目の当たりにした諸将どもはさぞ肝を冷やしたことだろう。

 伊達と佐竹の戦など奥州中を揺るがす大事件だぞ!


 そうそう、そんな今年の正月の宴には馬鹿息子はるむねと義里殿の他、白河結城家、二階堂家、田村家、二本松家等々、そうそうたる顔ぶれだったな。


 出席者と人数を知った伊織の奴が顔を真っ青にして兄上と相談しておったな。

 普段は人のおらぬ馬場社を急ぎ整えて、何とか事なきを得たが……うむ。三年前の正月に馬場社の社に火をかけなくて良かったわ。

 坊主どもが眠りこけていたために火をつけるほどでもなかったのでやめたわけだが、もしもまともな将が相手にいたら、火でも付けねばあそこまで簡単にはいかなかったからな。


 なんにせよ、馬鹿息子はるむねのせいで急遽、未亡人となっていた義篤殿の娘を俺が貰う運びとなった。

 その姫、珠姫だったか。鹿島氏の誰かしらに嫁いでいたらしいが、結婚後すぐに夫は病死してしまったらしい。

 子はいなかったため、実家に戻りひっそりと暮らしていたようだ。


 嫁取、そのこと自体に文句はない。

 兄上にも嫡男の太郎丸が生まれたし、その子は赤子の頃より信じられないような才を見せておる。


 一昨年は戯れに甲神社を攻める算段を聞いてみたら、我らが思いつかないような策を語り出した。

 川関への水攻めに、仕込み馬防柵。

 しかもその材料は棚倉で予め作っておき、川に流して運ぶだけとは……いやはや、恐れ入ったわ。


 ……一昨年、正月の馬場社攻め。

 兄上からは太郎丸との雑談中に思い付いたとか言うておったが、あの策は丸ごと太郎丸の頭からひねり出されたに違いあるまい。

 話半分に聞いておったが、実は元の話を半分にしたものを、俺は伝えられていたのかもしれんな。


 「二人ともそのぐらいにしておけ、流石にそこまでの大声を出されては、義里殿のご家来も元のことを見て見ぬふりをしてくれなくなるぞ!」

 「「え?ばれてるの……?」」


 ……抜けているなぁ。

 姿かたちは知らなくとも、元が持ってきておる村正の偃月刀とその使い手のことは近隣諸国では割と有名な事なのだぞ?


天文十二年 春 棚倉 伊藤景虎


 「う~ん。雪も解けて、日の光も暖かく、館に吹く風も優しい……なんとも善き季節じゃな」

 「本当に……」


 政務合間の休憩中、こうして文の入れてくれる茶は本当に格別のもの。


 「して、文よ。ややこが出来たというのか……ほんとうにめでたいことよな」

 「はい。殿。この感じは間違いなく、ややこが私の体のなかで息づいておりますよ」

 「そうか、なんともうれしいことよ。でかしたぞ、文」

 「はい、殿。お茶のお代わりはお持ちしましょうか?」


 頼む、と言うと文はゆっくりと立ち上がり茶を入れに奥の方へといった。


 子ができたとはありがたい。

 本当に心の底から嬉しい。

 愛する文との間に子ができるとは……まさにこの喜びが尽きることはない。

 だが、儂は三十六、文は三十四……決して若くはない。

 いや、武家の出産としては遅い方であろうな。

 ありがたいことに、儂も文も若い時分は山中を駆けずり回っていたおかげか、この年で体におかしなところは一つもないのだ。

 相当に頑健な部類になるのだろうが……子を産むということは命がけじゃ……どれだけ用心してもし過ぎるということはあるまい。


 念のためにも越後から医師や薬を届けてもらうようお願いしておくか……。


天文十二年 夏 棚倉 伊藤景元


 「おめでとうございます!兄上」

 「ははは。五十を過ぎてから再会した弟に孫ができた祝いをされるとはな、なかなかに感慨深いぞ!次郎丸よ!」

 「はっはっは!珍しきものには福があると申しますしな。拙僧と再会できたことも兄上にとっての吉事でありましょう……あぁ、そうそう、拙僧も家を出た後、しばらくしてから出家をしましてな。今は号を鶴岡斎つるがおかさいと称しております」


 次郎丸は儂の同年生まれの弟。

 昔から聞かん坊で、元服も待たずに父と殴り合いの大げんかをした挙句、山を飛び出しおった。

 どこで何をしてるのかと思えば……。


 「まったく、どこで何をしてるかと思えば……いったい如何して鶴岡斎と号し、貝泊熊野権現なんぞにおった?せめて阿武隈に戻ったのならば挨拶の一つぐらいせぬか!」

 「いやいや、かたじけない仕儀です。兄上」


 次郎丸、改め鶴岡斎は丸めた頭をぴしゃりと自分で打った。

 おお、いい音がするのぉ。

 だが元辺りがそれを見たら、お主の頭を叩きたくてうずうずしてしまうのではないか?


 「左様……父上と殴り合いをしたその日にですな、拙僧は鎌倉を目指して道をひた走り申した」

 「む?鎌倉をか?」

 「はは。父は常に己に流れる血に誇りを持っておいでだった。「我らは伊勢平氏、清盛公の下で侍大将を」と……今になってみれば、その誇りだけを頼りに、山中での厳しく、先の見えぬ戦いをしておいでだったのだとわかり申す……しかし、当時の小童には理解できませなんだ。ただただ、平氏は敗者、源氏は勝者。ならば勝者である源氏の都をこの目で見てやろうと……」


 あの次郎丸が……あ、いや、もうよい。

 儂の中ではこの先もずっと次郎丸じゃ。

 あの次郎丸が大人になったの。


 「着の身着のままで抜け出しましたからの、実際に鎌倉に付いたのは一年後、その一年間にはずいぶんなことをしでかしました……生きていくことの現実を見た思いでしたな……して、荒れ果てた鎌倉で、拙僧は八幡神宮寺の旗揚弁天の僧侶に拾われましてな、そこで学問の基礎を習った後に曹洞宗は建長寺で古今東西ありとあらゆる学問を教え込まれましたわ!」

 「なるほどの。それゆえの鶴岡斎か」

 「ええ。号してからは十年ほど諸国を放浪し見分を広め、鎌倉に戻ってからは子をもうけ、十二三年前ですかな、縁あって貝泊に居付くこととなりました。そこで、粗末な小屋に弁天様を祀り、懐かしき山を眺めておりました」


 そうか……子をなしたのか……っと、なんじゃと!?


 「子がおるのか?!」

 「ハイ。お恥ずかしながら息子が二人。今は鎌倉にて修行しておるはずです」

 「なんともまぁ……」


 なんともまぁ……。


 「まぁ、拙僧もなかなかに波乱万丈な人生ですが、兄上もそれ以上に波乱万丈でございましょうや。たまさか、兄上が一城の主になられているとは思いませんでしたぞ」

 「ふん。何をいう。偶然に山を降りる機会を得ただけのこと。所詮は頂き物の館の主にすぎぬわ」

 「……兄上の息子の伊織でしたか、真面目馬鹿で礼儀正しい男に話は聞きましたぞ。拙僧の知識が役立つのなら、いかようにもお使い下され」


 次郎丸は姿勢を正し、儂に一礼した。


 「熊野権現大社と名乗って、そちの庵を使っとる山伏どもはどうじゃ?」

 「あやつらは、駄目ですな。腐っているのではなく、腐りきっておりますわ。拙僧も僧籍にある身、同じ仏の教えを求めた者達が飢えて朽ちすのも惨めと思い、多少の手助けはしましたが……あれらをこちらに戻すのはやめた方が良いでしょう。腐った果実は隣の果実をも腐らせます。顔見知りの隣人程度に付き合っておき、何かの時に使い潰してしまえばよろしかろうと考えます」

 「ふむ。相分かった。ではその方には当家の秘中の秘。金山の開発のすべてを任せる。十年単位の役目となろうが、万事よろしく頼むぞ!次郎丸!」

 「ハッ!ご隠居様と信濃守様の御為、身命を賭しまして!」


 お互いに顔がにやけてしもうとるわ……。


 「「は、はははは!」」


 兄弟そろって笑いこけるとは、ほんに何十年ぶりかのぉ。


天文十二年 晩夏 棚倉 八溝山地


 もうすぐ弟か妹が生まれる!

 楽しみだね。前世では姉しかいなかったから、年下の弟妹というのは心が躍るな!

 は~、スキップスキップ、ランランラン!


 「太郎丸よ、なんじゃその動きは?何ぞ異国の邪神に捧げる踊りか?拙僧とて初めて見るぞ」


 おや、スキップをご存知ない。

 これは心の高まりが表現された歩様。

 四十年ぶりに実家に戻ってきた鶴岡斎大叔父上はご存じないと!って、そらそうか。


 ここは棚倉にある八溝山地、その山中にある製紙小屋の一室。

 表向き、世を忍ぶ仮の姿は製紙小屋総纏め役の伊藤鶴岡斎の執務室兼寝所。

 本当の姿は伊藤家鉱山奉行所である……ただし、現状一個も鉱山なんか持ってないけどね!うち!


 「それはさておき」

 「さておくのか……」

 「大叔父上、如何ですか?当家で鉱山開発できますかな?」


 率直な疑問をぶつける。

 この数か月、大叔父とは領内をひたすら一緒に見て回った。

 棚倉館、二つの砦、神社、市、農村、久慈川の荷揚げ場、景能爺の工房に製鉄用の高炉等々。

 領内のほとんどを一緒に見て回った。

 俺のうろ覚え知識で作ったものもすべて見せた。

 そのすべてを「ほほぅ、なるほど。実物は初めて見たわい」とか言って驚いていた。


 ……この「実物は」っていうのがミソ。

 大叔父上曰く、俺のうろ覚えで作ったりしたものはそのすべてが書籍となって、既に日本に伝わってきているらしい。

 ただ、日本はある時代以降の海外技術は徹底して排除する傾向にあるらしい。

 この話題をするときの大叔父上の枕詞は「腐れ公家ども」だ。


 大叔父上が言うには、この数年で伊藤家が行ったことを京に近い地域で行っていたら間違いなく、彼らによって潰されていたとのことだ。

 南端とは言え、陸奥の国で良かった、と安堵のため息をしながら語ってくれた。


 う~ん、そこまでの外国嫌いとかさ、南蛮船とかが来たらどうなるんだろうね。

 歴史的には鉄砲伝来がそろそろだろうし。


 「鉱山開発自体は問題あるまい。金銀を石から取り出す技術はあるし、より分ける技術もある。あとは携わる技師たちが慣れてくれば十分に機能するじゃろう。問題は鉱山を守る力と実際の銭に変える力じゃな。この二点が決定的に弱い」

 「……大叔父上ははっきりとおっしゃる……」

 「ふむ。拙僧らの間で気遣いは無用じゃろうて。……さて、鉱山が動き出したら確実にばれるだろうな。さすれば、周辺の諸将どもは結託してでも、金銀という馳走に群がるぞ?武家だけでなく寺社や腐れ公家どもまで……今の当家でこれを守り切るのは不可能というものじゃろうて」

 「……その通りです」


 悲しいけれど現実は厳しい。


 「私は北は白石から表郷、東は古舘、南に袋田とあれば可能かと考えておりましたが……」

 「不足じゃな」


 間髪入れずですか……。


 「太田、大宮、水戸まで……と言いたいところじゃが、佐竹家との関係もあるからな、常陸は旨くなかろうて、なれば必然、西と北じゃな」

 「西と北……」

 「左様。西は那須と宇都宮、北は本宮までが最低線じゃろう。さすれば、今の荒れた彼の地の状態でも四十万石弱。きちんと手が入れば七十万石も夢では無かろう。そこに、拙僧とお主の知恵を合わせれば百万石とまでとも相成ろう。さすれば、天下人が現れぬ限りは大丈夫じゃろうて」

 「なるほど……」


 伊藤家が鉱山運営開始!となるには、まだまだ力不足のようだね……。


 「しかし、それよりも手っ取り早い方法もあるぞい?」

 「手っ取り早い方法ですか??」


 ん?なるほど、わからん!


 「ははは。太郎丸も才豊かと言えど、未だ子供か……見分が足りぬな。簡単なことじゃ、海じゃよ、海じゃ」

 「……海!」

 「忘れておったじゃろ。日ノ本において海の恵みを手に入れることが出来ねば先は無いぞ?」


 その通りだった。

 海だ。

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