第5話 年貢比率と紙の道

天文十一年 初秋 社山 伊藤伊織


 秋は実りの季節だ。

 棚倉、特に当家が治める南側は久慈川に沿った山間の谷だ。

 奥州の南端であるため、北の国々に比べれば遥かに暖かく、雪も羽州などとは比べられぬほどに少ない。

 他領のことではあるが、更に勿来や飯野平の沿岸部まで下ると、雪が降ることの方が珍しいとまで言うのだが……。


 ただ、こんな奥州の中でも天候に恵まれている棚倉だが、たまの夏場に寒い風が海から吹いてくることがある。

 忠平などは「やませ」などと呼んでいる厄介な風だ。

 この風が強く吹いた年は米の出来が良くない。幸いなことに、俺が社山に入ってのここ十年ほどでは、この風の被害で米が全く収穫できない!などといった出来事は起きていない。


 しかし、けったいなことに、ここ十年で当家の記録では凶作など起きていないというのに、近年新たに抑えることとなった村々、元の都都古和氣神社の所領の村々では毎年のように、やませによる凶作が起きていたという……。


 「まったくもってわからないな……」

 「「??なにがだ?(ですか?)ズズッ」」


 景貞兄上と太郎丸が茶を飲みながら訪ねてきた。

 やはり、叔父と甥。このような仕草までよく似ている。

 が……俺と太郎丸ではここまで似ない。

 俺と同年の景貞兄上と太郎丸の父である信濃守様は正妻腹、俺は別腹だ。

 母が違えば仕草も異なろうものさ。


 ……おっといかんいかん。

 俺は伊藤家の内政を纏め上げろと父上から直々に命じられ、元服前より社山に入り、田畑や市の管理、村々の抑えを熟してきた身の上。

 父上や兄上から深いご信頼を頂いているのだ。

 武士としてこれ以上の誉はあるまい。


 「いや、ご覧の通り、私は一人・・でこの書類と格闘しておるのですがな……」


 この程度の嫌味は言っても構うまい。

 景貞兄上も太郎丸もばつの悪そうな顔をしているな。


 「何、私も今更二人に手伝えとは申しません。ただ……一つ助言を頂けませんかな?」

 「「助言??」」

 「ええ、この書類を読んでいて気付いたのですが……なにやら元の都都古和氣神社領では毎年のように凶作、凶作と……同じ棚倉、丘ひとつ、川一本隔てただけの違いでこうまで違うものかと……当家が抑えている村々からはこのような話は聞きませなんだもので」

 「あ~、それは……」

 「くくく。伊織、其方真面目が取り柄だが、どうにも……人の小狡さというか、暗い面にひどく鈍感なところがあるのは相変わらずか。太郎丸、おぬしの叔父上に説明してさしあげろ」


 む。

 まったく、父上もそうだが景貞兄上も俺のことを真面目馬鹿だと、人のことを……。


 まぁよい。

 太郎丸もなにやら気付いているようだし、ここは察しの悪い俺にご教授頂こう。


 「社領であった村々だけが凶作だったのですよね?」

 「うむ、そうだ」

 「では、都都古和氣神社は年貢をどれだけの比率でとっておりましたか?」


 年貢比率が関係あるのか?


 「社が七、村長が三だな。都都古和氣神社よりこちらへ取り集めた記録にそう書いてある」

 「では、比して当家はいかがでしょうか?」

 「伊藤家では、ご隠居様が棚倉に移られてからより、ずっと当家に五、田畑の持ち主が五の半々だな」

 「それが答えです。叔父上。付け加えて問うならば、その社領の村々へも叔父上は顔をお出しになられておりましたか?」


 ??……答えが出たのか?


 「それはそうだ。村々を回り、一つでも多くの村を抑えること。それこそが、ご隠居様と信濃守様から受けた私の務めだからな」

 「その時に年貢比率の話は?」

 「もちろんしたとも」


 重要な話だ。

 この地においては新参者の当家だ。

 よそより高い年貢比率ではこちら方に付いてはくれまい。


 「つまりこういうことです。社領の村々は伊藤家についた村よりも、元の年貢比率が二割も高い。しかも、年貢を納める先も村長を経由しなければならない。これは想像ですが……まず間違いないことでしょう。それらの村々の村長たちは一定比率で己の懐を温めていたはずです。そう考えると、村人が自分たちの為に使える収穫物は全体の二割に満たないでしょう。村人たちの家々でも本家分家などもあるでしょうから、果たしてどれだけの人間が食っていけていたことやら……そのような状態です。彼らも自分たちの命を守るためには、やれ凶作だなんだと理由をつけて自分たちの取り分を守ろうとするはずですからね。また、何と言っても、丘一つ越えた別の村では自分たちと同じ身分のはずの村人たちが、二倍、三倍の収穫物で生活している。村長や神社に凶作だと嘘をついてもバチは当たらない。文句を言われたら、その時にちょっとだけ戻せば良い。こう考えたとしてもおかしくはないでしょう」


 ずっ、ずっ。


 う~む。

 唸らずにはいられない。

 棚倉の村人が抱えている問題をこうも端的に説明するか、……やはり太郎丸の鋭さは余人には変えられぬ。

 このまま無事に育てば、音に聞こえる名領主となろう……しかし、うまそうに茶を飲むな。


 「そういうことだ、伊織。だから今年からは毎年凶作などというおかしな事態にはならんと思うぞ。もし、作柄が云々言うような村長がしゃしゃり出てきたら「其方が村長か。おぬしのことはいろいろと都都古和氣神社の別当殿から聞いておるぞ!?」とでも脅せば金輪際、阿保なことは言い出すまいよ」


 ずっ、ずっ。


 景貞兄上も美味しそうに茶を飲むな……。


 「はぁ、私にもようやく理解できました……しかし、不甲斐ない限りです。兄上も太郎丸も一瞬で理解できたことなのに、私と来たら……」


 己にそれほどの才があるとは端から思ってもいなかったが、こうも才というものの輝きの差を見せられるとどうにも……。


 「何を言うておる?」


 心底、不思議そうな顔で二人は顔を見合わせている。


 「こういったことは心がねじ曲がった俺と太郎丸だからこそ、瞬時に理解できるのだ!」

 「ねじ曲がったとは酷い申され様です!景貞叔父上!」

 「まぁ、もう少し黙っておれ。俺はこれから良いことを言うのだからな!」


 ……自分で「良いこと」などと言ってしまうのが兄上らしい。


 「俺たちは心がねじ曲がっておるから、相手が何かを隠そうとしていること、真実を話そうとしないことの理由がわかる……ただ、俺たちが相手のことがわかるということは、往々にして、その相手も、また、俺たちに自分の嘘がばれていることがわかるものなのだ。仕方が無いこととはいえ、こうなってしまっては簡単にはお互いのことを信用することは出来ん。何しろ自分が秘密を抱えていることが筒抜けなのだ、しかも今回のような状況では身分差や絶対的な武力の差がある」


 ずっ、ずずっ。


 一息入れる兄上。

 茶のおかわりをお持ちした方が良いのだろうか。


 「ところがお主にはこのような裏がない。自分たちの生活を良くするために鞍替えせよ、と言うとるだけだ。言葉の表では利によって説得しているように思えようが、本当のところ、お主は人の情を以て説得しとるのだ。胸を張れ!伊織!このような大仕事、当家ではお主を置いてこなせるものはおらぬ、余人に替えは効かぬことぞ!」


 なんと……。


 俺は、この同年生まれの兄にここまで信頼されていたのか……。

 鼻の奥がツンとした。

 いかんな。武士たるもの、軽々しく涙を見せるなど……。


天文十一年 初秋 社山


 お、おおぅ。

 ここまでのドヤ顔は前世でもお目にかかったことが無いぞ。

 やるなぁ、景貞叔父上!


 「今思ったのですが、伊織叔父上」


 もうちょっとドヤらせろ、とでも思ったのか、景貞叔父が左の片眉だけを軽く上げて僕を見た。

 いや、もう充分でしょ、伊織叔父さんなんか涙ぐんでるじゃないの。


 「何かな?」


 すんっ。


 軽く鼻をすする伊織叔父上。


 「いえ、これほどの書類を前に言うのも何なのですが、村々の収量の予測や村人の数の把握などは出来ているのかと……」

 「そうだな。言っても棚倉の谷、当家に従う村々はそれほど多くない。大まかな所なら問題なく把握している……ただ、細かいところではな」


 さらりと凄いことを言い切ったな、伊織叔父上。

 小なりとはいえ、棚倉でも一万人をかけるぐらいには人が住んでいるぞ。

 それをざっくりとはいえ既に把握してるのかよ!


 「なんだ?なんぞ問題でもあるのか?」


 そのあたりの細かいことは、全て弟に丸投げしているのか、丸っきり他人事のように言う景貞叔父上。

 あんたは大物だよ……姉上に通ずる系の……。


 「文字を書き写す人手も足りぬのですが、これは砦に詰めている兵の中からや、安中の者達が手伝ってくれますので、どうにかなると思います。が……」

 「「思います。が?」」


 関係ないけど合点がいった。

 最近、忠統と忠孝が「忙しいので!」って言って遊んでくれないのはこれが理由だったのか。

 ごめんね、二人とも。

 そうとは知らずに、二人には彼女でもできてしまって、もう男友達と遊ぶのに飽きちゃったのかと思ってたよ。

 ちゃんとお仕事してたんだね。


 「じつは、肝心の文字を書き写す紙が足りませぬ」

 「「ああ~!(?)」」


 紙自体は高いものでもないし、最近のうちの財力なら問題なく大量買いができるけど……嵩張るもんなぁ、紙って。

 単価も高いものでは無し。

 商人たちも大量に運んでくるもんじゃないよな……。


 「なるほど……では、無いのならば我々の手で作りますか!」

 「ほう。無ければ当家で作れば良いということか。でもその前に買えぬのか?」

 「商人が棚倉に持ってくる量には限度があるのです。兄上」

 「そうです。その一方と言いますか、もともと紙は材料となる糊と木材に水があれば、数人の技師がいるだけで比較的簡単に作れます。幸い、棚倉は山々に囲まれ久慈川を始め河川も豊富で湧き水も多い。まぁ、湧き水と言っても暖かい温泉も多いのですが……」


 紙……しかもだ。

 現状の棚倉や周辺の土地にならば売れる!


 「しかも、近隣諸将の領地へも売れるということか!」


 いやいや、方向性が出たときの伊織叔父上の理解の早さは素晴らしい。


 「む?売れるのか?売れないから商人どもは大量に持って来ぬのではないのか?」

 「いや、場所が違うのです。兄上」

 「場所??うむ、ますますわからん。説明してくれ」


 清々しい程の阿保面だぞ景貞叔父上。

 さっきまでのドヤ顔はどこに行ったんだ?


 「ここ、棚倉の鹿島大社の市に来る商人は主に太田、菅谷、水戸など常陸の商人です。彼らは太田-東館の山道を登るか、久慈川を遡ってくるしかありません。つまり、紙のような、嵩張り、安い品物は持って来たくはない、それが彼らの本音なのです」

 「ふむふむ。棚倉に紙を持ってくる商人が少ないのはわかった」


 理解するとともに阿保面のレベルが下がっていく景貞叔父。

 こんなところも姉上にそっくりだな。

 血の繋がりというのは恐ろしい……。


 「まず、第一に商いの相手です。棚倉で紙を作れば常陸の商人達は、棚倉で紙を売るのではなく、買うようになります。いくら重くなろうと、久慈川を使えば瞬時に八幡大宮や太田まで大量に、そして迅速に持っていくことができます」


 余談だが、甲神社があった一帯は佐竹家によって整理され、今では八幡大宮と呼ばれ、義里殿の配下が差配する地域となっているようだ。

 正月に晴宗殿と訪れた際に、あの土地の可能性に気付き、早々に手を打ったらしい。


 余談の余談だが、鎌倉の鶴岡八幡宮は里見家に焼かれたものを北条氏綱が再建した翌年、つまりは去年の暮に甲斐武田家によってまたまた焼かれた。

 源氏の名門が次々と鎌倉を焼いても大丈夫なのか?

 現在、氏康によって再建が行われているが、「流石にもう勘弁してくれ」と常陸に多くの鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐうの者達が逃げてきたらしい……閑話休題。


 「北側は……ふむ、白河結城の騒動以来あまり良い噂は聞かぬな。人も散っておるし、商人も通り過ぎるだけの商いのようだしな。通り過ぎの商いなれば紙は向かぬということか」

 「左様です、兄上。しかも我々は丘ひとつ越えさえすれば社川やしろがわが使えます。社川は阿武隈川に繋がり須賀川、本宮、二本松を通り伊達殿の領地までつながります。伊達家も米沢から利府方面に抜ける為には峠を越えねばならず、商いの道はせいぜいが杉目すぎのめからとなりましょう」

 「しかも叔父上方。まずは誰も警戒の目を向けることのない紙、この産物にてひとたび商いの道を作れれば、その後は他の産物も売れるようになります」

 「なるほど!安いもので道を作った後に高いもので儲けを出すか!うむ。俺でも理解したぞ」


 ぱんっと一つ、己の膝を叩く景貞叔父上。


 「よし、善は急げという!さっそく関口に戻って、柴田の者どもや兵たちに、誰ぞ紙づくりに詳しい者がおらぬか聞いてみるか!」


 言うや否や、すぐに立ち上がり、大股で去ってゆく。

 無作法にも思えることも男前がやるとなんとも格好良いことで……こんなところまで姉上に似ているな……。


 「まったくもって、兄上は騒がしいお人よ……」


 口で言う程には嫌がってないぞ、伊織叔父上。


 「では私も安中の者達に聞いてくるとするか」

 「あ、ちょっとお待ちください」


 あなたも自分の兄を笑えないほどせっかちよ?

 僕の方には、もう少しお伝えしておきたいことがあるのです。


 「此度の紙作り、些かばかり他の狙いもあるのです」

 「ほかの……」


 他の狙いと聞くや、伊織叔父上はさっと廊下を見渡し人の有無を確認すると障子を大きく開け放った。

 うん。

 内緒ごとは密室よりも開けた場所の方がいいもんね、昼の内は。

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