第2話 棚倉の伊藤家
天文十年 春 棚倉
暦の上では春とはいえ、旧暦。
奥州棚倉はまだまだ寒い。僕にとってはとんでもなく寒い。
「従兄上はまだおさむいのですか?きせつはもう春ですよ?」
美ょぅじの従弟、竜丸は見るからに薄手の装いである。
さらさらながれる小川よりも竜丸の装いに春を感じるよ、僕は。
館の奥まった室内とはいえ、旧暦二月、僕にとっての三月福島南部高地の気候は極寒の冬としか思えません。
古着の切れ端を裏地に縫い付けた狼の毛皮は手放せられん。
昨年の冬に忠平の次男三男の双子、
前の世界では既に絶滅していたニホンオオカミだが、天文年間の阿武隈では元気に生息しているらしい。山の餌が減っていたり、群れが大きくなり過ぎると、はぐれ狼が里まで下りてきて家畜や畑を荒らすとのこと。自然動物なだけにワイルドだぜ。戦国時代。
ただの毛皮だけでもありがたかったんだが、それだけではどうにも肌寒いので、裏地を厚く作って欲しいとお願いしてみた。
二人とも「裏地???」ってな反応だったが、懇切丁寧に強くお願いしたところ、快く対応してくれた。
里の女衆が渡した端切れでうまいこと作ってくれたようです。
あとは綿でも裏地の中に入れることが出来れば最強だな……羽毛を入れてのなんちゃってダウンジャケットでも良いよなぁ。
よし!
今度は羽毛入りを提案してみよう。
「太郎丸や、ちょいと良いかのぉ」
快適に冬を過ごすべく、自室で竜丸と火にあたりながら作戦を練っていると、爺様がひょこっと顔を出して来た。
爺様も僕とお揃いの裏地付き毛皮を着こんでいる。
これを着るようになってから腰の調子が良いのだとか、なんだとか。
「はい、なんでしょう?爺様」
「ちとな、わしの部屋まで来てくれんかの?……すまんな、竜丸やお前の従兄上を借りるぞい。代わりと言っては何だが、元が裏山に山菜を取りに行くので手伝えとのことじゃ」
「しょうちしました。ご隠居様、従姉上のところにむかいます!」
元気いっぱいの竜丸は部屋でまったりするのには飽きていたのか、これ幸いとばかりに部屋から駆けていった。
「もう行ってしもうたか。忙しない孫じゃのぉ」
言いながらもデレデレな爺様である。
「まぁ、良い。竜丸が出て行ったのならここで良い、ちと儂の話相手をいたせ、太郎丸」
「承知致しました。ご隠居様」
ご隠居と嫡男、お仕事モードである。
「ふむ。相変わらず不思議な子よのぉ。四歳の童とも思えん」
苦笑する爺様。
いや、ごめんて。だって中身は結構なオッサンだからさ。
「とにかく、現状確認じゃ。太郎丸の献策が上手く嵌ったの。正月の席の最中に景貞の手勢を使っての急襲、馬場社の排除に成功したわい。雪が落ち着くまでには、奴らの所領と村々の接収も上手いこといって、今のところは問題無しじゃが、……おぬしの方でなんぞ気になることはあるかの?」
館で行われた新年の宴の最中、途中で抜け出した景貞叔父は手勢を引き連れ、雪の中馬場社を急襲。油断しきっていた僧兵三百を切り捨てた。
馬場社の別当はじめ、幹部連中は捕縛されて館に連れてこられた後、社と所領の放棄の旨の誓紙を書かされ、着の身着のままで逃げ出し、最後には八槻社へと泣きついたらしい。
反目しあう同道の者の縁を頼るほかなかったのか……可哀想にね(棒読み)。
「八槻社の方は商いの利に目がくらんでいる最中は、決して騒ぐことはないでしょう。つまるところ、最も大事なのは今月の市で売り出される澄酒の評判次第といったところかと……して、如何でしょう?大方様のご実家や太田や菅谷の商人たちの反応は」
「そちらも想像以上の反応のようじゃ。佐竹も
大方様とは爺様の妻、俺の婆様にあたる人だが、彼女は佐竹家現当主の義篤の年の離れた姉で故人である。
伊藤家はこの婚姻で、それまで敵対関係にあった佐竹氏と和睦を結んだ。
以前に爺様から聞いた伊藤家と佐竹氏の関係を思い出してみる。
伊藤家は平氏、佐竹氏は源氏。これだけだと単純な対立関係にあるようにも思えるが、ことはそう簡単なものでもないらしい。
佐竹氏は平安後期に北常陸を治めた
源氏の名門だよね。
ただ、そうは言っても、佐竹家が領地とした北常陸は奥州の勢力が強かった。そこで佐竹氏は時の権力者である平氏と手を組み、領地を抑えることに尽力した。
そこで、源氏の佐竹氏と平氏の仲を取り持ったのが伊勢平氏である伊藤氏だった。
この方針は成功し、佐竹氏は北常陸一帯を治める有力豪族となり、伊藤氏とも深い付き合いとなっていった。
ここで終わってれば、めでたしめでたし……だったのだろうが、日ノ本では壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡するという事態になる。奢れるもの久しからず、盛者必衰の理あり、だ。
頼朝が征夷大将軍となり打ち立てた鎌倉の世になって、それまで我が世の春を謳歌していた平氏方は大没落。
本家平氏は滅亡。
平家本流に仕えていた伊藤氏は庶流のみが遠隔地へと落ち延びることができ、殆どの流れが討たれてしまう。
我が伊藤家もその中の落ち延びた流れのひとつ、悪七兵衛景清の娘の流れで、命からがら阿武隈の山中に籠り、息を潜めて命脈を保っていたそうだ。
一方の佐竹氏は頼朝公の奥州征伐に参陣することで、家の存続はギリギリのところで許された。
許されはしたが、その領地は相当に削られてしまったようで、鎌倉時代は両家共に不遇の時代となる。
不遇の時代、そんな鎌倉時代にも終わりが訪れ、今度は南北朝時代が始まる。
伊藤氏は風林火山の旗印で有名な時代の麒麟児、
要するに、我が家は源平の因縁から、今度は南朝方に全速力でついたのだ。
佐竹氏の方は、憎き鎌倉幕府を倒した足利方、北朝方に早々と味方する。
伊藤家、顕家公ご存命中はこてんぱんなまでに近隣の北朝方を叩きのめしていたらしい。
百年来の鬱憤晴らしらしいよ、うちのご先祖様たち……。
だが、歴史は繰り返す。
顕家公が畿内の大激戦を転戦し、最後には和泉の地で討ち取られると、またまた伊藤家は山に落ち延びる羽目となった。
時が流れ、伊達や南部など、南朝の有力家が北朝方に続々と転向をすると、最後には阿武隈から出ていくことすらもままならなくなった。
そんな窮状に陥った伊藤家に手を伸ばしてくれたのが佐竹家だった。
四百年前の縁を大事にしてくれたのか、はたまた奥州への道を閉ざす寺社勢力を抑える為という政略的な思惑の故なのか……ともあれ、側室の娘とはいえ実子を爺様に嫁入りさせ、棚倉の山中に小さな館までをも築き、奥州最南端のこの地に伊藤家の拠点を与えてくれた。
この佐竹家の提案に、爺様達は大喜びで飛びつき、阿武隈の山中から棚倉へと移り住んだ。
可能な限りの親類縁者と、山で助けてくれた安中の者たちを呼び込んで……。
このおかげで互いの先代、
実際としては、この両家の間には隔絶した力関係があるのだが、伊藤家は佐竹氏に臣従しているわけではなく、家格的にも遜色ない両家として、領地の大小はあれど、仲良しなお隣さん付き合いが続いて三十数年らしい。
「なるほど。それでは南の方は安心ですな……できましたら久慈川を使った商いの道が太くなって欲しいところですが……」
「……どうにもな。修行から脱落しおった破戒山伏どもが、久慈川が常陸に入った辺りの
信長の比叡山焼き討ちの例を見るまでもなく、寺社勢力と武家の衝突半端ないなぁ、戦国時代。
「東館と言いますと久慈川が西の山中へと折れる手前ですか……そこを佐竹に抑えられるのは……あまり、うまくありませぬな」
新しい道というのは、どうやら久慈川沿いではなく、棚倉構造線上の断層に沿った谷道のようだ。
どうやらこの世界の
前の世界では、この金山の富をもって鉄砲の大量配備と部隊の練度上昇を可能にした佐竹氏は、常陸を中心に那須、白河を抑え下総の一部までを支配下に置き、全盛期の北条とも壮絶にやりあっている。
秋田移封前である関ケ原の戦い前夜では、上杉討伐で北上中の家康の軍を足止めし、真田と共同で家康の首を取る計画が成功寸前まで行ったとまで言われてるしな。
どんだけの埋蔵量よ、袋田。
「ともあれまずは都都古和氣神社の支配している土地、人を抑えることと、甲神社に巣食う不逞の者どもを片づけるところからですな。久慈川の流通が滞りなく伊藤家の手で押さえられるのであれば、東館をはじめ阿武隈の南端を佐竹が気にすることは無かろうと考えます。彼らにとっては米が取れにくい山地よりは、より豊かな南、西へと目を向けるが上策でありましょうから」
「うむ。太郎丸の申す通りで問題なかろう」
爺様は大変満足顔、結構なことではないか。
天文十年 春 棚倉 伊藤景虎
「ふぅ。今日も茶がうまいのぉ。文」
「そうですね~。これも太郎丸とご隠居様のおかげ。我が息子ながら太郎丸の突飛な考えをご隠居様のお力で見事に形にされました。栽培椎茸も澄酒も」
「本当にな~、儂ではあそこまで上手く安中の者たちを使えないのだが……さすがは父上。おかげで太田の市から茶を買ってくるぐらいの贅沢ができるようになったわ」
本当に茶を心置きなく飲めるのはありがたい。執務で疲れた体をスーッとらくにしてくれる。
ほんの数か月前までは水と白湯しか満足に飲めんかったからな。
「実にありがたい息子を産んでくれた。文よ。越後守護代の長尾殿の息女たるお主には相当につらい生活をさせてしまっていると情けなく思っていたものだ……」
「何をおっしゃいますか、殿。何度も申している通り、私は所詮、父と側女との間にできた子。母方の実家である越後の山中で育ったお転婆娘ですよ。父は私を大変可愛がってはくださりましたが、春日山城で生活しているわけでもない私は滅多にお会い出来ませんでしたからね……」
そう、文は越後守護代長尾為景の娘ながら、母方の実家、新発田の山中にて暮らしておった。
新発田の柴田。
越後守護上杉家や守護代長尾家に仕えている新発田家と混同すること無きよう、柴田家と名乗っている彼らは、先祖を遡ってみれば、我が家と同じく伊勢平氏を源とする一族だ。
ありがたいことにその柴田の者たちは、文の当家への輿入れに一族総出に近い形でついてきてくれた。
父の代で何とか棚倉に根拠地は得たものの、人も少なく、満足に土地を耕すことも、周囲の村々を抑えることもできなかった当家にとって、何物にも代えがたい「人」という財産をもたらしてくれた。
そのおかげで、少しずつではあるが、棚倉館周辺の開拓と、谷間に点在していた村々を抑えることが可能となった。
棚倉館から見て、東北には関口砦、東南には社山砦と二つの砦を築き、其処へ僅かばかりの兵を置くこともできるようになった。
現状で一万石、今後も村々の抑えと、都都古和氣神社の抑え込みが順調に進めば、付近一帯を取りまとめ、なんとか三万石程度までにもなろう。
山中の地の利に加え、館と二つの砦、そこに千ほどの兵を貯えられるような収穫高が計算出来るようになれば、そう易々とは阿武隈川流域の豪族どもに不埒な真似をされることはない。
南の佐竹殿、越後の長尾殿との関係が良好なれば、棚倉の久慈川流域全土を抑えることにも問題はあるまい。
続いて、ゆるりと館の北、阿武隈川の南側を抑えれば良いのだ。
ついては、太郎丸の次の産物づくりには儂も手を貸さねばな。
産物を作り出し、その扱いを梃子に座を取りまとめる。
次の産物は確か……我が家とも縁が深い鹿島神宮の力を借りるのだったな。
ふむ。
これは、早々にも文を書かねばならんな。
「さて、其方が淹れてくれたうまい茶も飲み終わったことだ。ここからもう少し執務をこなさねばならん。また、あとでな、文よ」
「はい、殿」
日本一の嫁を貰った儂こそが、日本一の果報者よな。
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