阿武隈の狼
平良中
第一部 第一章 棚倉の伊藤家
第1話 俺が死んだら天文年間
西暦 20xx 東京都 新宿区
あれはいつの事なのだろうか?
ハロウィンだったか、クリスマスだったか、正月だったか、バレンタインだったか……。
とにかく、本来なら寒い季節のはずなのに、その日だけは暑かった覚えがある。
例年ならコートを片手に出社するはずが、その日はネクタイも外して出社したはずだ。
(どうせ会社のトイレで結べばいいや!)とか考えて。
そして、記憶にある最後の光景はここから始まる。
会社の玄関が何故だか閉まったままで、同僚や上司や数少ない部下がビル内に入れずにちょっとした騒ぎになっている光景だ。
都内一等地に聳え立つ高層商業ビル。
持ち主はうちの会社と商社系不動産会社が作った持ち株会社のはずだ。
うちの会社はいわゆる業界最大手ゲームメーカーとして知られる会社。
今はバブル期の紳士よろしく多方面の仕事をこなす部署、子会社を抱えるご機嫌な経営方針を掲げる企業グループである。
(ま、俺もその新規事業創設!って流れから生まれた新部署に中途採用された身だったわけなんだが……)
話を戻そう。
その最後の光景だ。一枚の張り紙が玄関ドアに貼ってあった。
曰く、昨日付けで会社が倒産したこと、ビルも管財上の理由で云々……なるほど、中途入社した会社が半年後につぶれたということだけを俺は理解した。
晴れて、今日から俺は失業者に逆戻りだ……。
「部長!部長!これはいったいどういうことなんですか!!」
昨日まではにこやかに微笑みながら「ちょうどお茶を淹れに行くところなんですけど、よろしかったら部長のも淹れて来ましょうか?」なんて気を使ってくれてたはずの茜ちゃん、今朝は鬼の形相で俺の肩をがくんがくんと揺らしてくる。
首がもげるよ、茜ちゃん……。
「いや……僕も何が何だか……」
「チッ。つかえねぇ、おっさんだよ!」
……せめてそういうセリフは小声でお願いしたい。
四十路のちょいデブオヤジにとって、若い子が発する鋭利な言葉のナイフは致命傷になりかねないんやで……。
「と、とにかく僕は話が分かりそうな重役や管理・総務の人間を探して話を聞いてくるよ!」
「お願いしますよ。なにかがわかり次第、部署のLINEに書き込んでくさい!」
バイタリティ溢れる茜ちゃんは、それだけを俺に伝え、次タスクをこなしに行くのか、すたすたとビルから離れ、地下鉄の駅方面へと人ごみをかき分けていった。
兎にも角にも情報が必要だ。
俺は携帯を取り出し、話に通じてそうな役職者や総務畑の人間に片っ端からアプローチを取り始めた。
……もちろん、誰もつかまりゃしない……。
そりゃそうだよね。
しかし参った。
全くもって打つ手無しじゃないか……。
知らぬ間に時間は十一時を回っていた。
(ふう。近くでコーヒーでも飲みながら、ちょっと休むか。腰を下ろしたいよ……)
自分ひとりの力じゃどうにもならないことを、無意味に、ただただ作業をこなすだけ、……こういうのは非常にツライ。
(たぶんうちクラスの会社だ。今日中に記者会見というか説明会見を何かしらの形では行うだろうな……)
ここにいてもどうにもならないだろう。
俺は、そう結論付け、混乱の谷底から生還できていない何十人かの関係者が残っている玄関前から離れようとした。
「う、うわぁぁ!」
「な、なんんだぁぁ!!に、にげろぉぉ!」
絶叫と何かしらのエンジン音?が後ろの方から聞こえて来る。
ぐぅわぁんんっ!
……大型トラックだ。凄まじいデコトラが歩道に乗り上げ爆走している。
(おい、勘弁してくれ!)
ドン!
背後から突き飛ばされ、たたらを踏んだ正面に土浦ナンバーのプレートが見える。
あ、これは駄目なやつだ。
……
…………
天文十年 正月 棚倉
「「新年明けまして、おめでとうございまする」」
「ああ、おめでとう。今年も厳しい年となろうが皆の力を頼りにしておるぞ」
南奥州最南端、俺の記憶で言うところの中通り岩城棚倉は旧暦正月。
うん、めっちゃ寒い。
明けましておめでとう、ということですので、年が明けた模様です。
今年は確か天文十年。
僕、今年で四歳ですね。数えで……。
うん。なんかよくわからないけど、僕、戦国時代で生きてますわ。
五年ぐらい前までは東京でサラリーマンやってたはずですが……なんでだろ?
トラックが突っ込んできて、(熱っ!息苦し!声でない!なんも見えない!)ってパニックになってたら産まれてましたよ。
なにやら、オンギャー、オンギャーと大声で泣いてました。
満足に眼も開けていられず、思考もだいぶゆっくりとしか出来なかったもので、先ずは「いのちだいじに」を肝に銘じ、何とか生き延びました、この年まで。
でもさ、赤ん坊って凄いのね。滅茶苦茶に眠いの。
あんまり頭も動かしてない筈なのにさ。
そんなこんなの、おかげさまで、大人の会話から推理を働かせて、状況把握を行い、所在地と時代の確認に丸一年を費やす。
時分の意思で動けるようになったので、軽い運動をしていたら、もう一年が直ぐに経過。
この時代の文字を覚えるのにもう一年が過ぎ、気付いたら数えの四歳を迎えた、この正月である。
伊藤太郎丸。棚倉館の主、伊藤信濃守景虎の嫡男、ピチピチの男の子である。「ょぅじ」である。
不思議なもので、どうやら五年前の自分のご先祖様筋に生まれ変わったようでね。
輪廻転生って過去にも行くんだ……知らなかったよ、僕……ってなもんである。
「太郎丸、あなたの育てた椎茸ですよ。お食べなさい」
「はい。いただきます、姉上!」
営業で鍛えられたにっこりスマイルは今生でも健在である。
流石にもう慣れた小さい体を使って椎茸を箸でつまむ。
うむ、うまし!
大ぶりの干し椎茸の煮しめ、控えめに言っても最高である。
「とってもおいしゅうございます!姉上!」
満面の笑みとともに感想を言う。
僕の十歳上の姉。名前は
五年前まで住んでいた世界でなら、ショートカットにしたら透明系美少女!とでも絶賛されて多方面からのスカウトで面倒なことになりそうなぐらいのお顔立ち……なれど、この時代の美的センスにはどうやら合わないらしく、未だ婚約者がいない模様。
だが、個人的見解としては、姉上に婚約者がいない理由は顔立ちが理由ではなく、その生き方というか、性格に何かがあるのではと……。
童女のように髪は肩口より決して伸ばさず、三度の飯より剣術稽古。
十二の初陣より戦に出ること数え切れず。
しかも片手に余るほどの首級を上げ、近隣諸国では「音に聞こえし棚倉の一の鬼姫よ」と恐れられているらしい。
姉は鬼姫……聞き様によっては、弟人生に暗雲が立ち込めようが……くっくっく。しかしながら、僕は五年前の世界でも姉がいた身の上だ。弟人生はそろそろ五十年を迎えるベテラン選手、姉弟仲を安易に危険に晒してしまう様な素人さんではない!決してね!
そんな鬼姫様とのたわいのない会話しつつ、自分の膳に箸をつけながらもあたりを見回す。
今日の宴、二十畳程度の広間に親族衆と譜代の者たちを中心に二十名ほどが集っている。
上座中央に今生の父である伊藤信濃守景虎、その左隣に先代館主の
右隣は今生の母、長尾為景の娘の
果たして、母上の年頃は歴史上の綾姫と同じぐらいだと思うけれど、その字が違う。
うむ。わからん!
前世世界で習った歴史と今生の歴史は違うのか、はたまた、歴史は同じでも名前の読みが同じだけの別人なのか。
どうにもこの種の疑問は尽きないのであるが、当人たちに質問しても、変にややこしいことになりそうなので、四歳に成りたての僕としては、未だにこの問題を当人たちにしていない。
続いて、館主一家を上座正面とするとコの字型に二列、下座上手側の一番上から、父の弟の
反対下手側の上から、父の異母弟の
ここにいる誰もが歴史や、戦国を題材にした物語に出てくるような人物ではなく、五年前の世界で聞いたとて、誰もその存在を知らないだろう。もちろんのこと、この僕もまったく知らなかった。
僕が知っていた伊藤のご先祖様は秀郷流伊勢平氏、伊藤信濃守景清を祖に持ち北畠顕家に従い陸奥の国に入った流れ。
戦国後期には福島県の棚倉あたりに館を構え、伊達に従った後に佐竹へと輿入れした姫に従って常陸入り、江戸期には染川に館を構え密貿易で藩の財政を支えていたと教わった。
おばあちゃんからね。
その話を思い返すと、今生の生まれがそのまんま、あの時の自分のご先祖様一族に重なるんだよなぁ。
う~ん。
そのあたりの戦国時代?の知識と、頭に残っている文系学部出身の知識を使って、今生では何とか畳の上で死ねるよう努力をしていきたい所存。
戦国時代の東北って結構ドロドロとしてた筈だもんね。
後世軍記物では、政宗以前は血縁で雁字搦めになっており、抜本的な、流血を伴うような支配構造の改革が行われず、時代に取り残される……なんて書かれたりもしていたが、実際には結構な血みどろの戦いと近親者同士の争いが繰り広げられていた場所だよね。
なんたって、平泉の奥州藤原がああも簡単に滅亡するんだぞ?
北畠顕家の陸奥入りにしたってそうだし、その後の北朝、南朝に分かれての戦も大概だ。
あとは足利の鎌倉殿の施政問題もある。
そんな中で立ち上げた「僕が死ぬときは畳の上で計画」……そして目の前にある椎茸。
うむり、こいつが知識利用の第一号案件なのである。
椎茸自体は昔から日本にあって、奈良時代の文献にも記述があり、宋代の文献で出てくる倭茸って代物が実は干し椎茸だったともいわれていた。
そんな椎茸も商売ベースの人工栽培が始まったのは、確か江戸期の九州だったはず。
栽培が成功すれば多少は銭になる!と思ったが吉日。
うろ覚えの原木栽培の方法を一年前、片言の赤ん坊しゃべりで「なんか思い付きを語ってみました!」ってノリで、山の獣肉を館に届けてくれた忠平に話してみたんだよ。
安中一族は阿武隈高地に点在する山の民、奥州安倍氏の末裔らしい。とにかく山に詳しい一族なので、もしかしたらうまくいくかなぁ、と思って……そうしたら、あれよあれよという間に大当たり。
気が付いたらそれなりの大規模栽培に成功。この正月向けにと昨年末には陸奥一宮である
この商売利権を嗅ぎつけたのが、当の市を開催している都都古和氣神社。
なんと、長年、社領やらなんやらで、当家と大いに揉めに揉めていた都都古和氣神社の方から頭を下げに来た!
うん。
今、目の前にいるね、噂の別当が。
「信濃守様、新年の訪れを心よりお慶び申し上げまする」
「わざわざこちらまでお越しいただいた上、丁寧なご挨拶まで誠に痛み入る。別当」
「なにを、なにを。大したことではございませぬ。これまでは些細な行き違いで互いに悲しい思いをしたこともございましたが、年末の市には伊藤家の皆さまがご参加していただき、これまでになく大いに盛り上がりました故、ええ、ええ、ぜひ今後とも……」
今にも両手をすり合わせかねないレベルで機嫌を取りに来る当代の都都古和氣神社別当である。
けど、こいつの親父って確か何年か前に討ち取られているはずなんだよな、姉上によって……。
「いや、こちらこそよろしくお頼み申す。今後とも八槻の立てる市には、我が家からも何かしらの物を出して商い行わせて頂きたい……ただ……」
「ただ?」
自分の不利になりそうな話題はやめてくれよ?と上目遣いの別当。
「ただ、困ったことに馬場社の者が……のぅ、景貞」
景貞叔父に話を振る景虎パパ。
「ええ、このような場でお話しするのも何なのですが……ざっくばらんに申しますと、「馬場社に一切の話を通さず、八槻の市で伊藤家が商いをするなどとは全くもって怪しからん」と僧兵を集め、関口の谷戸を焼いてくれようと気勢を上げておりまして……ほとほと困っております。このままでは一戦を交えるしかないのではと……」
神社で僧兵とは?とも思ったが、現在の都都古和氣神社は修験の者たちによって支配されており、近隣を領有、掌握しているのだという。
うわぁ……戦国時代の神社仏閣は超怖いよ!
「なんと!馬場社の阿呆共はそのような下らないことで信濃守様を煩わせておるのですか!かまいませぬぞ!そのような神職の道にも悖る様な者どもは我らが同道の仲間とは決して思えませぬな!」
目の前にいる八槻社の別当、彼は自己の利益には愚直なまでに正直な人なんだね……けど、これで!
天文十年 正月 磐城国 棚倉 伊藤景元
これで都都古和氣神社の言質を取ったわ!
事前の打ち合わせ通り、言質を取ったことを景貞と視線で確認する。
こくり。
ひとつ、小さく頷いた景貞は、隣に座る竜丸の膳、水の入った杯を倒す。
かしゃん!
「ちちうえ~!」
恨めしそうに父親である景貞を見上げる竜丸。
おお、すまんの。竜丸。
後でこの爺が風呂場で体を洗ってやるわい。
「おおっと。これは申し訳ござらん。竜丸も未だ三つにてござれば、どうかご容赦頂きたい。どうにも眠気が襲ってきたようですな」
「お気になさらずに景貞殿。その年でここまでのお振る舞い、ご立派なものではありませぬか」
「それはかたじけない、別当殿……申し訳ございませぬが、某これにて息子を連れて下がりたく……」
「構わぬぞ。景貞。関口の皆にもよろしく伝えてくれ」
頷く景虎。
ここまでは計画通りに事が進んでいるが、表情には出ておらぬな。
さすがは景虎よ。儂ではニヤケがでてしまうかもしれぬな。
「それでは、皆様、これにてお先に失礼いたしまする……あとは頼むぞ業篤」
景貞は竜丸を抱え上げ、業棟とともに下がっていった。
あやつめ。儂に孫の世話をさせぬつもりか?まったく。
「これはお見苦しいところをお見せしてしまいましたな別当殿。お詫びと申しては何ですが、我が家で作った珍しきものをおひとつお見せ出来れば……おい。誰ぞ済まぬがあれを持ってきてくれ!」
場が途切れ、別当までもが帰るなどと言われては溜らぬので、ここは足止めの一手を打つ。
「ご隠居様、珍しきものとは、はて一体??」
別当がいぶかし気に首をひねる。
「いやいや、なに。……おお、持ってきたか!ささ、早く別当殿に新しき杯とともにお注ぎせぃ!」
「ん??これは水?透き通って美味そうではありますが……むむ!なんと!酒精の香が!ご隠居様、これは!」
「ささ、別当殿、まずはグイッと一献」
景虎もにこやかな笑みを浮かべて杯を勧める。
「なんと!この澄んだ色なれどしっかりとした酒の味……いや、常のものよりもさわやかな心地がいたしますな!」
「それは澄酒と申してな、京の方では何やら少量のみ出回っとるらしい代物だが……父景元が京に出向いた折にたまたま見つけましてな、我らの里の方でも何とか作れぬものかと試行錯誤し、この度ようやく出来上がったものにて……」
「なるほど!これが話に聞く澄酒でございますか。何とも素晴らしき風合でございますな!」
うむ。
またまた掛かったかの。
「いやいや、それほどのことでもござらん。まあ、ここまでのものに仕上げるのには、多少苦労はしたがの。ともあれ、そこまで気に入っていただけるとは重畳……ささ、もっと別当殿にお注ぎせよ。……して、別当殿、この澄酒。果たして、八槻の市でも売れますかの?」
「……!」
新たな商いの気配に目を光らす別当。
欲が深い人間は、その欲で自分の足を取られるということに気付かぬものよのぉ。
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