兵器

 一度その存在を認識すれば、意識せずとも目に入るようになるものだ。短期間の間に、リンは何度か仕事に関係せずとも風と遭遇するようになった。

 あの後もナンバーズに関わる任務は風に回っているらしく、同じように共同戦線を張ることがあった。心配した昔馴染みが「もう一人は連れて行くこと」と言うので仲間を一人だけ同行させたが、その者は連絡係で終わった。

 そして、風とともにナンバーズを追った三件目を済ませた後。仲間の居る基地に戻ったリンは、パソコンの前に座り、後ろに昔馴染みの幼女のような女性を立たせては操作していた。画面は五つだ。


「〔三番と五番止めて〕」


 彼女──张依林チャン・イーリンは、その双眼でかなり広範囲のものを一度に見て全てを認識することが出来る。五画面ならば彼女の能力を考えれば少ない方だ。


「〔三番画面左下の物陰にターゲット発見〕」

「〔分かった、追尾する〕」

「〔五番画面は右の座席の下に不審物あり〕」

「〔これはクローバーの13に報告だな〕」


 こういう連携作業にも随分と慣れてきた。リンがアーカイブで名乗っている名は『wáwaワーワー』だが、アーカイブが立ち上がる前からの軽く二百年以上は継続して活動していることとイーリンの眼があることから、「wáwaは不死」だか「十人以上居る」だか、好き放題噂されるようになった。どちらも事実とは異なるが完全に嘘とは言えないので放置している。

 追尾開始と不審物の報告を完了するEnterキーを押した途端、リンのスマホが振動した。手に取ってみると、風からのメッセージ。


『リン、いそーろう先出てたの?』

『いつから?』

『どこにいるの?』

『大丈夫?』


 怒涛のメッセージ。次々と送られてくる心配の言葉に、思わずリンは一度スマホをテーブルに置いた。

 ゆっくりと一息ついて、それからまたスマホ画面を見る。


「〔……──はぁ!?〕」

「〔ん? どったの小玲シャオリン?〕」

「〔ちゃん付けするな〕」


 何故そんなことを知っているのだ。いや、確かにアーカイブでも「そろそろ潮時かな」「今の居候先を出ようかと思ってる」なんて書き込みをした覚えはある。だがその後「出た」とは書き込んだ覚えも無いし、現状ではとりあえずアーカイブでもwáwaの正体までは知られていない……つまり、本当にリンが居候先を出たことは誰も知らない筈なのだ。

 そもそもアーカイブから辿ったとするなら、リンがwáwaだと知っている者が居るという前提が出来てしまう。そうならないように情報操作もしていたし、イーリンの眼で掲示板などのチェックもしている。抜かりは無い筈だ。

 ナンバーズの弱点を把握していたことといい今回のことといい、一体風の後ろにはが居るというのだ。


「〔例の少年?〕」

「〔……ああ〕」


 どうしたものか。慌てた様子で心配そうに表情を歪めた風の姿が容易に想像出来る。これを放っておけるほど無感情ではないし、何度も会って全く情が移らなかったなんてことも無い。

 無視も出来ないし、かと言って正体を気付かれているかも知れない、その上正直言って得体も知れないような相手に何でもかんでもペラペラとは喋れない。


「〔……リン、まさか〕」

「〔誤魔化しが効かない相手。それだけだ。どう納得させようか考えているだけだ〕」


 年の功、とひと口で言ってしまえば簡単な話だが、イーリンは鋭い。女の直感は舐められないものだと、彼女を見ればこそ思うことも少なくない。

 だけどこればかりは、安易に認めるわけにはいかなかった。抑制コントロールしきれない感情などいらない。それらを捨てて、だが決して心無い兵器にはならず……


「〔陳玲チェ・リン、そっちが終わったなら早く来い。時間無い奴も居るんだからな!〕」

「〔煩い宋浩然ソン・ハオラン。そんなに大声を出さずとも聞こえている〕」


 とりあえず返信を後にしよう、今はこちらの方が優先だ。






 * * *






「は?」


 ただ、確認したかっただけだった。本当にリンが今、居候先を出ているのか、住むには向かない環境で寝泊まりをしているのか。

 仲間の言葉を疑ってなどいない。もっと詳しく、彼女が今置かれている状況が知りたかっただけ。


「知らない?」

『wáwaだろ? 居候先から出ようかって書き込みは見たけど、出たとは聞いてないぞ?』

「えっ、だって……え?」

『そもそもwáwaって性別から年齢から何もかも不詳だし、そんな正体不明な奴の所在なんて分かるわけないだろ』

「はあー?」


 電話越しの意味不明な言葉の数々に、風は思わず顔をしかめた。正体不明だなんて、そんな筈が無い、と。だって仲間は当然のようにのことを知っている。その動向を把握しきっているのに。

 知らないと言われるのは、これで二人目だ。仲間と同じアーカイブに属している情報屋だというのに、何故「分かるわけない」などということになるのか。

 何も、風は知らなかった。その仲間が情報屋としてどんな立ち位置に居るのか、それがどういうことなのか。知る必要も無かったし、興味も無かったから。







 * * *






 今日の夕飯は何にしようか。別に食べなくても良いのだが。ああ、そうだ、次の居候先も見繕わなければ。

 考えながら、ぼんやりと街を歩く。ナンバーズが近くに居ればプログラムが反応するし、他の軽犯罪などにはあまり巻き込まれたことも無い、体調不良で倒れる人にはよく遭遇するがそれにはすぐに気付くしある程度なら対処も出来る。気を張る必要性は少ないので多少ぼうっとしていても特に問題はないのだ。


──どんっ


 ……訂正。気を付けるべきものは一つあったが、これはいくら気を張っても気付けないのだからどうしようもない。何せ気配が無いのだから。

 思わず立ち止まったリンは衝撃のあった背中の方をそろりと振り返ると、そこに想像通りの人物が居ることに苦笑した。


「……フウ、朝振りアルな」

「リン、今いるとこ、生活できるかんきょーじゃないって……どうしてんの?」

「あー……まあ、基本的に仕事しかしてねーアルからな。仮眠用の簡易ベッドはあるし、問題はねーアルよ?」


 ぴったりとくっついていると小柄なリンが見上げる位置にある風の頭は今、手を伸ばして丁度良い所にある。そこを軽く撫でてやると、リンの手の中で黒髪がサラサラと流れた。何度か会って分かったことは、彼はあくまで子供だということだった。無邪気で眩しい、太陽のような子供。

 ……あんな闇の中に平然と居るのが不思議なくらいに。

 心配そうに表情を歪める様は、まさに想像した通りの姿だ。段々と可哀想になってきた。そう言えば昼間のメッセージにも返信をしていない。これは申し訳ない。


「ところでいそーろう先は見付かったのか?」

「いや、まだアルが」

「じゃあうちに来たらいいじゃん!」

「は?」


 言語読み取り機能のバグかな? それとも翻訳機能の方か。目の前のこの少年は、今一体何と言った?


「いや待て。何? 何処に?」

「うん? うちに」

「誰が?」

「リンが」

「馬鹿か!?」


 思わず盛大に突っ込む。道行く人が振り返ったが、それに構っている余裕など無かった。

 何を考えているんだ。もしかしてリンが何者なのか、分かっていないのか。いや、恐らく相当ヤバいレベルの情報屋がバックに付いている筈だ、知らないとは思えない。

 ……まさか本当に知らない? そう言えばナンバーズの弱点でさえ、何故そこが弱点になりうるのか分かっていないようだった。知らされていない? これだけ関わっていて?


「っ……来い!」


 きょとんと相変わらず愛らしく小首を傾げる風の腕を取り、リンは路地裏に引っ張りこむ。

 知らないのなら教えてやらなくては。人と共に生きることは出来ない自分のことを。人間であることを諦め放棄したその理由を。

 分かっている、この少年を前にすると冷静さを欠いている自分が居ることは。分かっているのだ、それが何故なのかも。だけどまだ、を認めるわけにはいかない。

 そうだ、そんな人間らしい心などとうに捨てた。自分にあるのは、大切な約束を必ず果たすという信念。それまで仲間は絶対に護るという覚悟。

 他の感情など要らない。邪魔になるだけなのだから。

 ふぅ……と落ち着いて息をつく。そうだ、これ以上冷静さを欠いてはいけない。情に流されてはいけない。まして彼は、「裏側の人間」なのだから。


「何でそんなこと簡単に言えるアルか」

「簡単かなぁ? オレただリンが好きなだけだよ?」

「お前は……っ──……ワタシがか、お前は分かってるアルか?」

「何かって……何がだ?」


 言われてまたきょとんと小首を傾げる愛らしさは本当に相変わらずだ。だがこの真面目な話をしている時にまでそれに絆されるほどリンは流されやすくはない。仕事ともまた別の、誤魔化しなどしてはいけない大切な話だ。

 チャッ、と腰からナイフを取り出し、手首に当てる。


「──リン?」

「ワタシは、お前とワタシで何度か始末してきたあの共と存在アルよ」

「リン、何して……」

「チップを壊さなければ殺されても死なない。戦争用に造られた生物兵器」

「やめ……」

「ワタシはを全て破壊するまでは、壊れるわけにはいかねーアル。だけど、その一点をられない限りは何をされても死ねないループの中に居るのも確か」

「リン!!」


 ナイフを持つ手に力を込めると、簡単に皮膚は裂け、肉を超えて骨まで断たれ、リンの左手首は血を吹き出しながら身体から離れては地面に転がった。

 それを見た風は真っ青な顔をして、カタカタと身を震わせ始める。


(私はこの子の中で、それなりに大事にされていたらしい)


 他人が死のうが傷付こうがどうだって良いような、興味の欠片すら無いような素振りをしていた風が、随分と痛ましい表情をしている。これはきっと格別の扱いだろう。

 そっと視線を逸らし、ナイフを帯に仕舞い直して落とした手を拾い上げる。ぐちゃぐちゃと小気味の悪い音を立てながら切断面が繋がっていく。完全に元通りにくっついた頃には、ひどく泣きそうな顔をしていた。


「これくらいでそんな顔してるようじゃ、傍には置けねーアルよ。いつ何があって何回死ぬことになるかも分からんアル」


 冷たく言い放って、短い旗袍チィパオの裾で手首に着いた血を拭う。赤い生地は、黒い帯は、多少の返り血程度なら目立たないようにという意味だ。最早床に散った血しか先程の痕跡は残っていない。

 リンは『先代の最高傑作』と呼ばれる兵器。二代目の質が先代に追い付かない限りは、ナンバーズであらゆる能力値が最も高いのはリンということになる。つまり、ナンバーズとの戦いでリンが死ぬことなど余程のことが無ければ有り得ない。むしろリンから見れば他のナンバーズなどただの雑魚だ。

 だがこれまでのことを考えれば、風はそこまでのことは知らないだろう。


「……それに私は、──」


 トドメの言葉を続けようとして、思いもよらない動きをされたことにリンは声を紡げなくなった。

 温かい。抱き締められている。


「……ふ……う?」

「うち、おいで……オレが守るから……」


 肩に温かい雫が落ちたのが分かった。泣いているのか。何て、静かに。

 駄目だ。このままじゃ駄目だ。守らないで。こんな化物のために、命を投げ出すようなことを、言わないで。


「風、やだ……駄目だ……私なんか、守らないで……」


 子供のように、声が震える。


爱你アイニー、風。先にいってしまわないで」


 思い出す。あの雪の日を。雨の日を。紅葉の降る夜を。脳裏に焼き付いた景色が、何度でも戻って来る。

 きっと風はとは違う。違うから、リンのことだってのだろう。それだけの力を持っている。

 だけどそれは裏を返せば、それだけの力がな場所に居るということだ。それだけ危険と隣り合わせだということだ。

 組織で人体改造され、兵器とされた自分達がとても小さく見える程に。それほど世界は暗く深いのだろう。組織内では最強だと、最高傑作と呼ばれるリンさえ軽く捻ることが出来るほどの力が、きっと世界には有るのだ。

 それを体現しているのが風なのではないだろうか。

 だからこそ。最早隠すことも誤魔化すことも出来ずに零れた感情とともに、大人には程遠いその背中をぎゅっと抱き返す。それでも涙は出ないのに。

 逝かないで。


「大丈夫だから。リン」

「っ……風」

「一緒に生きよう」

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