#3 頑固な姉との一本勝負
わたしも慌てて梯子を下りて、お姉ちゃんの隣へ向かう。
音を目で追うと、木と葉の間から、音の正体が現れた。
背中から伸びる翼。
風でなびく、銀色の長い髪。
細い指先と真っ白な肌。
見下ろされる鋭いその目つきに、首が縮んでしまう。
ゆっくりと地面に足を着け、翼が光となって消える。
わたしたち竜の精霊は、体の部位を限定的に、竜のそれに変身させる事ができる。
わたしもテュアお姉ちゃんも、翼……それだけでなく、腕や尻尾なども変身させる事ができる。
今は変身を解いているため、亜人とは分からない程、人間にそっくりな姿だ。
「ロワ、お姉ちゃん……っ」
「お姉様よ。そう呼びなさいと教えたはずでしょう?」
「そ、そうだったね。忘れてた」
「そうです、忘れていました……よ。
私が相手だから構わないが、これが年上の人やどこかのお偉い方だったらどうするつもりだ。
失礼のないように、日頃から敬語を使いなさいと毎日、言っていたでしょう。
タルトは敬語を使うのが苦手なのだから、これくらいの努力はしなさい」
「は、はい……」
わたしは自然と、テュアお姉ちゃんの腕をぎゅっと握っていた。
こうして向き合うと、いつも目を合わせられない……、勝手に、視線が泳いでしまう。
悪い事なんてなにもしていないのに。
そのせいでお姉ちゃんにいつも目をつけられるのだ。
ロワお姉ちゃんは、ちらりと、テュアお姉ちゃんを見た。
しかし、開きかけた口はすぐに閉じて、再びわたしを睨み付ける。
「ところで、タルト。一体どこへ行く気だ?」
「……テュアお姉ちゃんと、外に行こうと思っ――」
「ダメだ。戻ってきなさい」
握っている手にさらに力が加わる。
なんで、どうして……、
そういう気持ちはたくさんあった。
それ以上に、
「――なんでロワお姉ちゃんに止められなくちゃいけないのっ!」
「私が長女だからよ。
妹を守るのが、私の義務であるからだ。
外の世界には危険がたくさんあり、私たち亜人を意味もなく攻撃してくる人間がいると、そう教えてきたはずだぞ」
「それは、知ってる。それを分かった上で、わたしは外に行きたい!」
「どうして――」
「外の世界には危険と同じ数、楽しい事だってあるんだから!」
小説のように、事実を娯楽として加工したものを参考にしているわけではない。
テュアお姉ちゃんが実際に見て、感じた事をわたしは伝え聞いた。
幻に憧れて、掴めないものを無謀にも掴もうとしているわけでもない。
危険なのはじゅうぶん、分かっている。
それでもわたしは、外の世界をこの目で見てみたい。
そうしないと、わたしはずっと、この消化不良を抱える事になるのだから。
「久しぶりなのに、テュアとは仲が良さそうだな……」
「テュアお姉ちゃんは旅に出てからずっと、わたしに手紙を送ってくれていたんだよ」
「そうか……。その手紙、あとで見させてもらってもいいか?」
わたしは構わない。
でも、テュアお姉ちゃんの方が、どうか……。
「……え、ああ。……私も別に構わないぞ。見られて困る事は書いていないし」
テュアお姉ちゃんは忘れているけど、恥ずかしい失敗談も中には混ざっている。
それを読んで笑ったりするロワお姉ちゃんじゃないし、わたしは止めなかった。
「ロワお姉ちゃん、お願い。テュアお姉ちゃんと一緒に、外に行くことを許して!」
テュアお姉ちゃんと一緒なら、一人で行くよりも危険は少ないと思う。
わたし一人だったら心配になるのも分かるけど、
四年間も外で過ごしていたテュアお姉ちゃんが傍にいてくれるのなら、絶対に大丈夫だって言える。
「ね! テュアお姉ちゃんも、守ってくれるでしょ?」
「守られる気満々なのもちょっと……、まあ、外に連れて行くのは私だから、責任を持って面倒は見るけどな」
テュアお姉ちゃんもこう言ってくれている。
「だから、ロワお姉ちゃん!」
「ダメよ、タルト」
……ロワお姉ちゃんには、多分、なにを言っても、心を動かす事はできない。
どうして、なんで!
そう叫びたかったけど、許してくれない理由を問いただしても意味はない。
ロワお姉ちゃんの中で、これは覆らないものになっているのだと思う。
「もういい」
だから、わたしも諦めた。
ロワお姉ちゃんを説得するのを、やめる。
これはわたしの人生で、わたしの体だ。
外に行きたいと思って動かすのは、いつだってわたしなのだから。
ロワお姉ちゃんがなんと言おうと、進んでしまえばいい。
「行こう、テュアお姉ちゃん」
「あ、おい……タルト!」
テュアお姉ちゃんの手を引き、道を塞ぐロワお姉ちゃんの隣を通って、森を進もうとする。
すれ違う瞬間、わたしの片腕が、ロワお姉ちゃんに掴まれた。
「私は許可をしていないぞ」
「許可されないと外に出られないなんてルールもないよ!」
ロワお姉ちゃんの手を乱暴に振り払う。
やり過ぎたかな、といつもは思うのに、今だけは、まったく思わなかった。
「そうか、お前はまた、反発をすると言うのだな」
……っ。
一瞬で、背中が冷えた。
つー、と、冷や汗が背中を垂れる感覚。
足は地面に縫い付けられ、両腕で自分の体を抱く。
そのため、テュアお姉ちゃんを掴んでいた手も自然と離れた。
「外へ行きたいのなら、私から逃げてみせろ、タルト。お前のわがままだ、テュアを使うのは、なしだ」
「逃げるって……言われても」
「五秒待つ。
走って隠れるも、翼を使って一気に逃げ切るのも良し――私を、撒いてみせろ」
「……逃げ切れたら――」
「好きにすればいい。私はこれ以上、お前には関与しない」
ロワお姉ちゃんが口に出してそう言った。
ロワお姉ちゃんは妹たちに厳しいけど、それ以上に、自分にも厳しい。
一度、言った事を覆したり、訂正したり、なかった事にはしない。
だから、お姉ちゃんがそう言ったのなら、絶対にそうなる。
――私が、逃げ切れば。
光と共に変身し、出現した翼を広げる。
頬を膨らませ、力を溜める。
ふんっ、と息を吐いたと同時に、翼をはばたかせ、爆発的な勢いで木々の間を低空飛行で飛ぶ。
二人のお姉ちゃんの姿はあっという間に見えなくなった。
先を見ても、まだ、外まではかなり遠い。
駆け抜けるような感覚で飛行をする。
陸地も空中も、慣れた森の中なら目を瞑ってでも通り抜けられる。
……もう五秒が経ったはずだ。
ロワお姉ちゃんが追いかけて来る気配はない。
わたしが速過ぎて、ロワお姉ちゃんの速度でも追いつけないくらいの差がついてしまったのかもしれない。
「やったっ……、わたしも外に出られるんだ……っ」
「あと五年待て、タルト」
と、声と同時に背中から抱きしめられ、体の自由が利かなくなる。
空中を飛んでいたはずなのに、今はもう勢いが殺され、地面に降ろされていた。
「??」
なにが起きたのかよく分からなかった。
場面がいきなり飛んだような空白がある。
ただそれは、手際が良過ぎてわたしがそう感じるだけだった。
ロワお姉ちゃんはわたしを抱きしめ、自分の足を使い、地面につけてブレーキにし、勢いを失くしたのだ。
腰が抜けて座り込むわたしを見下ろすロワお姉ちゃんは、腕組みをしていた。
似合い過ぎる仁王立ちだった。
「な、なんで……ッ、全速力で、飛んだのに……!」
「なら、タルトの全力が私の軽い運動以下だった、という事になる」
言い返す言葉がなかった。
ロワお姉ちゃんだったらそれくらい、簡単にできてしまう。
「私から逃げ切れないようでは、外に行っても無駄死にするだけだ。
さっきも言っただろう……あと五年だ。五年もあれば、お前は私やテュアのように強くなれる。
私がそうなるように、ちゃんと教育をする。それまで、待ってくれるか……?」
あと、五年。
その時、わたしは丁度、二十歳になる。
だからロワお姉ちゃんもその年齢をリミットにしたのかもしれない。
ロワお姉ちゃんが言うのなら、
わたしはきっと二十歳には旅に出られるような力がついているのだろう……そこは疑っていなかった。
でも、それでは……、
「あと五年なんて、待てるわけないよ!」
わたしは再び翼を広げ、はばたかせようとしたら、その翼を掴まれた。
そしてぐいっと後ろに引っ張られる。
ロワお姉ちゃんの腕にがっちりと抱かれ、身動きが取れない。
「タルト、負けを認めなさい。これ以上はみっともない」
「そんなものは知らない! たとえ泥臭くても、目的のために絶対に諦めないんだからっ!」
じたばたと手足を使ってもがくけど、一向に振り解ける気配がない。
ロワお姉ちゃんの細い腕にどこにそんな力が……、
そう思ったら、お姉ちゃんの腕には鱗が見えており、竜の腕に変身していた。
腕力は竜のそれと似たようなものになる。
わたしも対抗しようとしたけど、たとえ変身しても、ロワお姉ちゃんの方が強い。
だから、口から炎の玉を吐き出そうと息を吸ったら、口を塞がれた。
「んー! むーッ!」
「馬鹿タルトっ。お前が炎を吐いたら、ここ一帯が吹き飛ぶのを忘れたのか!」
わたしは暴れるのに必死で、ロワお姉ちゃんの言葉など聞いていなかった。
「タルト、言う事を聞くまで、お前を地下の牢獄に閉じ込める。そこで自分の言動を反省しなさい」
わたしは突然現れたメイド姿の女の人に連れ去られ、鉄格子の中に入れられた。
「――言う事を聞かないから、力づくで言う事を聞かせる、か……」
メイドに連れ去られるタルトを見送りながら、テュアが呟いた。
動いた視線が次に止まったのは、ロワの背中だった。
「なんにも変わってない。あの時からの成長が見られないぞ、ロワ……っ」
失望した。
期待もしていなかったが。
心の中で呟き、ゆっくりと、森の中に溶け込む。
テュアの姿は、数秒後、ロワの目でさえも捕らえられなかった。
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