章子と昇
13.少女と少年の出会い
「は、半野木くんっ」
真理が語りかける前に、章子が大声で呼んで少年を振り向かせた。
「あ、あの……。は、
先を歩こうとしていた少年が驚いて振り返ったので、背後から近付いた章子もしどろもどろに考えながら懸命に次の言葉を探して狼狽えてしまう。
「……誰、ですか?」
落ち着きのある口調で少年が言った。
敬語だ。
目の前の少年が、章子に対して敬語を使って聞き返してきた。その言葉使いに章子は心なしか裏切られた思いを受ける。あれだけ一緒に旅をしてきた仲のはずなのに、どうしてそんなにも他人行儀なのか。
不審そうに見つめ返してくる少年の様子を前にして、章子は途方もない喪失感を抱いてしまった。
「わ、わたしは……
章子が胸に手を当てて自分の名前を少年に伝える。
「咲川、章子さん?」
章子の名を聞いても訝しんだままの表情鵜を変えない少年が、先で立ち止まっていた女子生徒の二人に顔を向けた。
「ごめん。ぼくは今日、学校に行けなくなった」
「え?」
「え」
一緒に登校しようと思っていたのだろう。二人の女子生徒が大きなリュックを背負ったまま立ち止まって驚く。
「
そう言って、少年がまた章子たちに振り向く。
「……それで、えっと。きみたちがここにいるって事はそちらも学校を休んでるってことですよね。じゃあぼくも休んだほうがいい気がするんですけど。ならこれからどうするって話になると思うんですが、ぼくの家で話をします? それともどこか別の場所で?」
いやに物わかりのいい少年が、自分の家のほうを見て言う。
「あなたのお部屋に通していただけるのですか?」
不躾に真理が訊くと、少年もまた不審そうに視線を逸らして言う。
「他に場所がないならそうします。リビングだと母さんの邪魔になると思うんで、やっぱり、ぼくの部屋で話すことになると思いますけど」
あまり愉快そうではない顔で言われて、章子は思わず首を竦めた。
「ほ、本当は昨日か土曜日にしたかったんだけど」
「昨日か土曜日?」
章子のおどけながら言う言葉に、少年はさらに顔を顰める。
「昨日も土曜日もぼくは家には居なかったんで、それならやっぱり今日になるんでしょうね。だったら早く家に入りませんか? こんな所で突っ立ってると他のみんなにも見られちゃうから後で面倒なことになりそうなんで」
学校に登校しようとしていた昇が踵を返して自分の家に戻ろうとする。その様子を不安げに見つめていた二人の少女たちにもう一度だけ振り返ると、丁寧に頭を下げて謝った。
「本当にごめん。照山さんと
「昇君」
「半野木くん」
「無茶言ってるのはわかってる。でもゴメン。先生には上手く伝えてよ」
不安そうな少女たちの視線にもう一度、頭を下げて謝り、昇が自分の家に向かおうとすると、それを見た二人の女子たちも状況を察したのか、進もうとした道の先を見て自分たちの通学路を歩き出した。
「……なんか、ごめんなさい」
「謝るぐらいなら、なんで来たんですか」
章子が半野木昇の後ろについて歩くと、容赦ない問いが飛んできた。
「それは……会ってお話がしたかったから……」
「話?」
玄関の前まで来た昇が章子たちに振り返る。
「話って。何を話すんですか?」
苛烈な目だった。自分の家の玄関のドアに手を掛けたままで章子に軽蔑の眼差しを向けている。
「そ、それはあの転星のことを……っ」
「本当にそっくりですね」
昇の吐き捨てた言葉に、章子は言葉を失うと顔を強張らせた。
「本当にあの小説の虚構の子と同じ事を言うんですね。やっぱりそんな子と話す事なんて何も無いなッ」
乱暴に玄関の
「……入らないんですか?」
更に向けられる軽蔑の眼差しが章子を射抜いた。この少年にとって章子は既に邪魔者だった。話す価値さえ存在しないゴミクズのような人間に向ける視線。そんな昇の嫌悪してくる目が章子の自尊心を粉々に打ち砕いていた。
「……昇?」
廊下の奥からエプロンを着た女性が出てきて近づいてくる。
「昇、学校はどうしたのっ。……あら?」
近づいてきた女性が少年の背後にいる章子と真理に気付いて目を丸くした。
「の、昇。この子たちは……」
「ゴメン、母さん。ぼく、今日は学校を休みたいから先生にそう電話してほしいんだけど」
「できるわけないでしょっ。そんな事っ」
「ぼくはもう一週間もいない」
少年の言葉で、母親らしき女性の表情から生気が消える。
「母さん。ぼく、あと一週間もいないんだよ。今週の土曜日だ。その日にぼくはいなくなる。よかったでしょ? これでもうぼくはこの家からいなくなるんだ。清々するでしょ? 学校にも行ってるヒマがなくなったんだよ。だから、ごめん。お願い、学校に連絡しといて」
少年が自分の母親を押しのけて床に上がると、立ち尽くしている章子を見た。
「その子は昨日、兄キが言ってた子たちだ。話、本当だったでしょ? リビングかぼくの部屋でこの子たちと話そうと思ってるんだけど……リビングはやっぱり邪魔だよね?」
少年が最後の優しそうな目を作って、自分の母親を見ている。
「ちょっと……。ちょっと待ちなさいっ」
「母さん。もう待てないんだよ。そうやってアンタたち大人が何もしてこなかったから、このぼくがッ」
「昇ッ」
「リビングかぼくの部屋。どっちを使っていいの?」
大人の剣幕に負けない視線で、学ランの少年が自分の母親を問い詰めている。
「……リビングを使いなさい。私も後で話を聞きますから」
「母さんが聞いても話は分からないよ」
「それは聞いてから判断します」
息子と母親の闘いに、張本人の章子も巻き込まれる形となってしまった。
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