11.彼の住む町



 真理と約束していた月曜日の早朝。

 緊張で気の重くなっていた章子は真理の提案通り、自宅を出て数分ほど歩いた通りの角で彼女と落ち合った。


「……本当に行く気なの?」

「そう言ったでしょう。この場所だと市電の駅が一番近いみたいですね。そちらに行きましょう」


 詳しく会う約束まではしていなかったのに、タイミングよく現われた同じ制服姿の小奇麗な少女。

 いつもの通学路とは違う方向に真理が歩き出したので章子も慌てて後をついて歩いていく。財布は持ってきた。真理から特に何も言われなかったが、地球転星では半野木昇は名古屋の東側に住んでいるというような事が書かれてあった気がしたので、万一の為に用意してきたのだ。


「そのように用意のいい所は感心します」


 笑った彼女の後についていくと大通りからいつもの通学路とは違う道順を歩き、交差点の横断歩道から大通りの真ん中にある路面電車の駅に渡っていく。


「……やっぱりみんなに見つかると問題だと思うんだけど」


 章子が他のクラスメートに見つかることを心配すると、真理はどこ吹く風で市電のホームに上がっていく。


「気にする必要はありません。彼らが私たちの姿に気付くことはない」


 真理の取り澄ました視線が市電の駅の先から見える章子のいつも通学で横断している交差点を見る。真理の言う通り、確かに章子たち制服姿の女子が二人も大通りの中央にある駅にいるのに、誰も気づかずに横断歩道を渡っていく。


「わたしたちの姿に気付いてないの?」

「……というよりも違う姿に見えているんですよ。現在の私たちの外見は第三者からはそのように見せてあります。だから私たちがこのような格好だということは誰にも分からない」

「あなたの力?」

「そうですね。これぐらいならお手の物です」


 真理が他愛もなく言うとしばらくして市電がやってきた。この街、名古屋という街にも市電と呼ばれる路面電車がある。路面電車が存在する範囲は駅西と呼ばれる名古屋の中心部から西部一帯を占めている。その為、章子の地域では名古屋の東側に行くには必然的に市電に乗る必要があった。


「市電の終点で地下鉄に乗り換えます」


 駅に到着した市電に乗り込んで吊り革と共に揺られていると座席に座った真理からそう言い聞かされる


「何線?」

井草いぐさ本線ですね。井草本線の達代たつしろという駅で降ります」

「井草線の達代……」


 あまり聞いた事のない駅だ。名古屋の駅西と呼ばれる地域に住む人間は市電が存在するために名古屋の東側を巡る地下鉄をあまり活用する事がない。仮に利用したとしても名古屋中心部の周辺か港へ向かう時だろう。章子にはそれぐらいしか用途が思い浮かばなかった。


「名古屋はいいですね。西は市電があり東は地下鉄と交通の役割がハッキリしている」


 真理がゆっくりと進んでいく市電の景色を眺めているのを見て、章子も名古屋の中心部の高層ビル群が近づいてくる車窓に目を向けた。


「地下鉄はあまり乗ったことがないから……」


 駅西に住む人間ならば殆どがそうだろう。地下鉄は主に東側にしかない。市電に乗れば名古屋の中心部に行ける人間にとっては地下鉄という公共交通機関はあまり縁の無いモノだった。


「達代という駅で降りたことは?」


 真理が訊ねると章子は首を降る。

 達代という駅がある井草本線は市営地下鉄全線の中でも大動脈の一つだ。章子も中心部の名古屋駅を少しだけ越えようとする時には何度も利用したが、しかし達代はそれよりもさらに六つか七つほど東の奥にある駅だった。流石の章子でも名古屋の東側にある動物園にでも行かない限りそこまで利用する事はない。しかも井草線は動物園の駅がある路線とはまた別の路線である。章子にとって井草線の達代はほとんど未知の領域だった。


「達代というところに半野木くんは住んでるの?」


 章子の問いに真理は頷く。


「そうです。彼は産まれてからずっとそこに住んで暮らしています」


 井草線の達代……。今まで章子が生きていた時間を、半野木昇もそこで過ごしてきた事実。

 会えばよかったのに。今さらそんな事を考えている都合のいい自分がいる。なぜ今まで出会えなかったのか? そんな疑問を抱きながらも当然、その答えは自分で出ていた。


(気づかなかったんだ……。結局)


 章子は自分でそう納得しようとしている。最初から達代に半野木昇が住んでいると知っていれば自分はきっと会いに行っただろうか? もちろん知っていれば会いに行ったかもしれない。しかしそれをどうやって知ることができるだろう?父親?母親?それとも学校の友人の誰か?章子はこの人生を生きていてそんな幸運に巡り合ったことなど一度も無かった。


(……幸運?)


 幸運。という言葉が思い浮かんで章子は思わず笑ってしまった。幸運というなら今こそが幸運と呼ぶべきじゃないのか。運よく章子は選ばれたのだから。そして今こそ、その半野木昇に会いに行こうとしている。

 これ以上の幸運が他にあるとでも言うのだろうか?


 章子が考え事に夢中になっていると、市電は終点である駅西口の駅に到着した。

 ここから先は地下鉄に乗り換えることになっていた。





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