豊穣の祈り
石海
豊穣の祈り
秋は一年の中で最もいい季節だと思う。過ごしやすい日が続くし、食べ物がおいしい。その上収穫祭のおかげで大人たちも機嫌がいいから滅多なことでは怒らない。一番大変な作物の収穫も終わったし、後は収穫祭を待つだけ。しかも今年はそれだけじゃない。一年間の努力が認められたのだ!
収穫祭では毎年成人したうちの一人だけがある権利を得られる。この村を出て都会で暮らす権利だ。当然村を出るには相応の条件があるので、毎年必ず村を出る人がいる訳ではない。実際僕も二年前には自分が村を出るなんて思ってもみなかった。しかし一年前、隣の家に住んでいた女の子が村を出て行ってしまった。ひそかに抱いていた恋心を打ち明ける間もなく、その日の晩、収穫祭が終わる頃にはその娘は村からいなくなっていた。
その日からこの村を出て必ずこの想いを伝えると決めた。その為だけに頑張ってきた。村を出る為の条件は厳しく、普通に暮らしているだけではまず達成できない。農作業をしながら都会の常識やルールを学び、都会の学校における最低限の教養を身に着け、丈夫で健康な身体を維持する等。他にも十数個の条件を全て満たす必要があった。それら全てをこの一年で達成したのだ。その甲斐あって一週間前、村の五人の長老からようやく村を出る許可が下りた。最初のうちは反対していた母親も長老の許可証をみせると嬉し泣きしながら祝ってくれた。
昨日から出発の準備をしていると様々な人が訪ねてくる。小さい頃よく世話になったおじさん、生まれた頃からの大親友や一緒に遊んでやった年下の子供たち。別れを寂しがる人や土産話を期待する人。絶え間なく人がやってきて話をしていく。たった二日の間に村中の人と三回は顔を合わせた。
収穫祭が近づくにつれ寂しさが増していった。ふとした拍子に涙がでそうになるのを堪える日が続いた。度々長老に辞退を申し出そうになったが、なんとか今日まで耐えきった。あとは皆が祭りで騒いでいる間に村から出ていくだけだ。今なら一年前何も言わずに村を去ったあの娘の気持ちがわかる。今友達と話してしまえばきっと村を出る勇気がなくなってしまうだろう。長老達への別れの挨拶を手短に済ませた僕は村の灯りを背に受け、静かに村の門をくぐりぬけた。
道なりに行けば三時間程で近くの町に着くそうだ。僕が着くのは十時頃になるだろうが、果たしてそんな時間に宿が取れるのだろうか。餞別としてもらった懐中時計を見て足を速める。知らない町の道端で野宿なんてごめんだ、なるべく早く着いて少しでもいい宿が取れるように頑張らないと。
そうしてしばらく歩き続けた。時計は九時半を指し、村の灯りはとっくに見えなくなってしまったが、町の灯りはまだ見えてこない。それどころか未だ森を抜けることすら出来ていない。つい一時間前までは満天の星空だったのに、いまや月明かり一つない。道を間違えたかと思ったが、そもそも間違う道がない。天候が怪しくなってきたので更に足を速める。安物の小さなランタンだけで森の中をほとんど走るようにしていれば、何かに躓いて転ぶのは当然のことだ。
躓いた所へランタンを向けると、そこには太いロープのような物が横たわっていた。町に近づいているのだろう。雨が降り出す前に町に着かなければ。そう思って立ち上がり前を見ると目の前に大木が生えていた。全く気付かなかったが、この辺りの木はどれも異様に太いし、枝の生え方は不自然で幹の至る所に大きな洞がある。少なくとも村の近くにこんな木は生えていない。不思議に思い、木の幹に触れようとした瞬間。脇腹への強い衝撃と浮遊感がして、勢いよく地面に叩きつけられた。立ち上がり、衝撃がした方を見ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
丸太ほどもあるロープのような無数の触手を生やし、山羊のような蹄のついた太く筋張った4本の足を動かし、その巨大な木はゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。急いで逃げようと後ろを向くとそこにも同じ怪物が立っている。よく見れば先程まで木だと思っていたものは、全てその悍ましい怪物だった。
せめてもの抵抗としてランタンを投げたのが良くなかったのだろうか。周囲の怪物が一斉にその触手を伸ばし、僕を捕えようとしてくる。蹴り、叩いて抵抗を試みるが、そもそもの数が違う。瞬く間に脛を掴まれて引きずり倒される。ほんの一瞬見えた空にはもっと恐ろしいものが浮かんでいたが、それをよく見る間もなく僕の身体に触手が殺到する。無数の触手が僕の首を、腕を、手を、脚を、胴を、子供が玩具を取り合うみたいに滅茶苦茶な方向に引っ張る。僕の腕より一回りも二回りも太い触手が乱暴に、乱雑に僕を取り合う。僕の身体はすぐに耐えきれなくなった。ものの2秒の間に身体中、至る所から何かが砕ける音が鳴り響き、それでも尚引っ張りつづけられた僕の身体は…。
***
暗い森の中で無数の触手が蠢いている。恐らく人だったであろう肉片を嬉々として掲げている。その先には彼等よりも大きく、この世の何よりも醜い彼等の母親がいた。
巨大な黒い雲のような身体から、蹄のある捻じれた足。黄色い乱杭歯が並ぶ巨大な口。太くて黒いミミズのような触手。黒く濁った粘液を垂れ流す。吐き気を催すような物体がその触手を伸ばし、彼等の掲げる「供物」を受け取る。「供物」を全て受け取った母親は夜の闇に溶けるようにして気が付いた頃には消え去っていた。
***
収穫祭で盛り上がる村の端、小さな一軒家から女のすすり泣く声が聞こえる。周りにいる年寄り達は絶えず、謝罪と感謝の言葉を女に向かって投げかけ続ける。それでも女は泣き止まず、ひたすら我が子に謝り続けていた。村の存続と来年の豊穣の為に犠牲となった我が子に向かって。「真実を知りながら何もしなかった自分を許して欲しい」と。二度と会えない我が子に向かって、謝り続けていた。
豊穣の祈り 石海 @NARU0040
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