Case.70 プールに誘う場合
「入ってチケットを渡すだけ、入ってチケット渡すだけ……よし」
雪浦の寝室の前で火炎寺は息を整えていた。
あれから数日が経ち、雪浦家と共に暮らす日々にも慣れてきた。
母となった零奈との会話も弾むし、三葉と四郎と一緒にお風呂にも入った。兄が絡まなければ二美とも普通に過ごせる。
しかし、それでもやはり、雪浦一真とだけはぎこちないままだった。廊下ですれ違っても反応に困る。わざわざ挨拶するのも家族になったのなら違うだろうし、だからといって無視するわけにもいかない。
向こうは家族が楽になったことで感謝はしているだろうが、火炎寺に対して具体的に態度が変わってはいない。バイトも変わらず続けている。
現在、火炎寺は手にチケットを二枚持っている。
「ふっふっふっ〜、男はやっぱり水着だよ! だからプールに行って、ナイスバディで学年一位を落とすのだー!」
「お前の考えてる男が単純過ぎねぇか? その通りだよ!」
日向と七海がプールに誘ってみたらどうかということで、ネットで予約した入場券を握りしめている。このままでは物理的に使用不可になってしまう。
現在、雪浦妹たちはみんなでお風呂に、母の零奈が自室で就寝しているタイミングの内に渡したい。
「よしっ」
扉を三回ノックする。
返事はないが、いつものことなので勝手に入る。予想通り彼は勉強していた。
入室したことは当然気付かれているだろうが、邪魔にならないよう息を殺し、雪浦のベッドに座った。
(相変わらず殺風景な部屋だな……)
備え付きの家具を配置も変えずにそのまま使っている雪浦。壁や天井に飾り付けはなし。嗜好を感じられるようなものもなし。本棚には参考書やノートが教科別、背の順に並べられている。
「お、おう。雪浦。今日も勉強してんだな……! 夏休みだぞ、遊んだりしないのか?」
「……まぁ、そうだな。予定はバイトだけだ」
「そうか、空いてる日とかあんの?」
「次の土曜は空いている」
「お、おぉ! そっか!」
そして沈黙。
このままの勢いで誘えばいいものの、やはり二人きりでプールは恥ずかしい。
雪浦の筆記音だけが静寂を掻き消している。速度的に数学の計算問題でもしているのだろうか。
(ってえぇい! そんなこと考えても意味がねぇよな……‼︎)
「雪浦これ‼︎」
果し状を叩きつけるかのように、クシャクシャのチケットで雪浦の勉強を遮った。
「プールのチケット! ここに二枚あります!」
「ああ」
「えー、っとだ。この部屋に二人います」
「ああ」
「……チケットを二人で分け合うと一人当たり何枚になるでしょう」
「一枚」
「そう! 正解だ! さすがだな! じゃねぇ‼︎」
「一人で何やっているんだ?」
小学三年生レベルの算数の問題を出しに来たわけではない。
火炎寺はのぼせているかのように頭から煙が立ち昇りそうだ。
「……まだ、気分悪いのか?」
「え⁉︎」
雪浦は席から立ち上がると、火炎寺の額に手を当てる。
冷たい……冷房が効く最高の環境で勉強し続けていた雪浦の手は冷えていた。
「熱いな」
「いや、それはだって……わっ⁉︎」
迫る雪浦に我慢できない火炎寺は身体を反らし続けていると、バランスを崩してしまった。
雪浦が火炎寺を覆い被さるようにベッドへと倒れ込む。
「ぬ、ぬぉぉぉお⁉︎」
「やっぱり熱中症があとを引いてるんじゃないか? もう少し部屋で休んだ方がいい」
「お、おぉ、お前は何で何も反応しないんだよ! ふざけてんのか!」
「真剣だ」
至近距離で答える雪浦。
彼の母、火炎寺の義母となった雪浦零奈は昔から体が弱かった。それに幼い弟たちもいる。
熱中症をはじめ、怪我や病気などに雪浦は人一倍反応するのだろう。
「ご、ごめん……」
火炎寺は無駄に心配させてしまったこと、好きな人にそんな思いを抱かせたらダメだと反省し、謝罪する。
「その、体調はほんと大丈夫だから、めちゃくちゃ元気だし……。顔が赤いのはそうじゃなくて、す、好きな人とこんな密着してるから恥ずかしいんだよ……‼︎ ただでさえ一緒に暮らしてるんだぞ! 女心を察せ!」
「そうか、すまない」
雪浦も謝罪し、ベッドから立ち上がり離れた。
「やっぱ分かってねぇな……」
「何がだ」
「アタシはお前のこと好きなんだぞ! もっとこう、くっついててもよかっただろ!」
「矛盾してるぞ」
もし、恋愛という科目が世にあるならば、雪浦は赤点間違いない。
「とにかく! 一緒にプールに行こう! よし! 言ってやったぞ!」
「分かった」
「えぇ⁉︎ いいのか⁉︎」
「だからどっちなんだ」
「いや、嬉しい! うん、嬉しい!」
ウキウキと飛び跳ね起き、ワクワクしながら部屋を後にしようと扉の前まで行き、振り返って宣言する。
「じゃあ次の土曜な! 開園時間に現地で!」
「ここから一緒に行けばいいじゃないか」
「別にいいだろ! こう、待ち合わせというかさ、そういうのしたことないだろ!」
今まで火炎寺は雪浦の勉強を邪魔しに行く、登下校に付いて行く、あるいは偶然居合わせるなど、約束して会うことはしたことがない。
「なるほど、意味もない行為だと考えていたが、その非効率さを楽しむというわけか」
「ま、まぁ……って、もしかしてなんだ⁉︎ 誰かと待ち合わせしたことあるのか⁉︎ さ、さては五十嵐とか⁉︎」
「どうしてそう話が逸れた。二美が同じようなことをしたがるんだ」
雪浦の言葉に妙に納得した。
しかしついでなので、ずっと気になっている火炎寺が知らない二人の関係性について聞き出そうとする。
恋人や友達でなくても、自分よりも先に出会っている五十嵐が羨ましくて仕方なかった。
「そりゃ、その、嫉妬ってやつだよ。……五十嵐、とはさ、中学の時って仲良かったのか……?」
「……仲が良い、かは分からないな。ごく稀に言葉を交わす程度だった。学校以外で会ったことはない」
「そ、そっか……」
少し安堵、と同時に逆に何でもないのならば雪浦にしては打ち解け過ぎな気がするなと気掛かりではあった。
だが、これ以上聞いて嫌われても嫌なので、火炎寺は部屋を出ようとする。
「お兄ちゃーん。お風呂上がったよ。今度は私と一緒に──って、なんでいるの⁉︎」
「げぇっ⁉︎」
「げぇっ⁉︎ って! お兄ちゃんと密室に二人きりで何してたんですか⁉︎」
「い、いやー……風呂入ってくるわ‼︎」
「あ、ちょっと! 待ちなさい!」
火炎寺が二美に追いかけられて逃げ出るのを見届けた雪浦。
彼はクシャクシャのチケットを手に取ると机の引き出しを開けた。中には同じ絵柄の紙が二枚、綺麗な状態で保管されていた。
◇ ◇ ◇
「……なるほど。それで君は、雪浦一真に想いを伝えたいというわけだね。五十嵐芳穂さん」
PUREの本部である理科実験室に相談しに来た五十嵐芳穂。
ここは薬品の関係上、一定の温度に保つために冷房が付けられた隠れた避難所である。
しかし、彼女だけ効いてないのか、火照った顔の彼女の体温は上昇し続けている。
「そうなの。PUREに依頼することで私のこの想いが伝わるのであれば、解決してほしい、なの」
「ふっ、任せたまえ! ボクたちの手にかかれば容易いこと──仄果、例のものを」
「どうぞ」
心木が土神に青色をベースとした紙を渡す。
「ここに、チケットが二枚ある。舞台はここ、水と熱の楽園〝ミズパトス〟だ」
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