Ex.2 猫と触れ合う場合


「し、死ぬ……」


 真夏真っ盛りの真っ昼間に公園で遊んだ俺たち。

 汗が滴り落ちる、なんて良い表現ではない。もうローション塗りたくったのかと言うほど汗でヌルヌルだ。気持ち悪い、暑い……。


「いや〜楽しかったねー! 氷鬼‼︎」

「なんでお前はそんなに元気なんだよ」


 かくれんぼに始まり、缶蹴り、氷鬼と遊んだ。

 俺は本当にこいつのこと好きなんだよな? 何で氷鬼で遊んでいたんだ。頭が沸騰しているのかもしれない、冷凍庫にでも篭りたい。

 日向も汗は噴き出しているが、鬱陶しいほどまだまだ元気だ。まぁ、汗も滴るいい女といいますか、服が少し透け……えぇい! 考えるのをやめよう‼︎ 今の俺は暑さでどうにかしてる‼︎


「うぅ、冷房が効いた部屋に帰りたいです……」


 蝉の声で聞こえづらいが初月はそう呟いた。確かインドア派だもんな、ご苦労様。


「まー、そだねー。コンビニでアイス買い込もう‼︎」


 腹壊しても知らんぞ。


「さっ! かえろかえろー! あゆゆも行くよー!」

「……いや、三人は先に行っててくれ」

「あゆゆ?」


 日向と同じく体力が有り余っている火炎寺は、どこか一点を見つめていた。まさにこれから喧嘩が始まるのではないかと思わせるほどの気合いが入っていた。


「……猫ちゃんが、いる!」

「はい?」


 火炎寺が対峙していた相手。それはキジトラという柄模様の野良猫だった。


「わー! 猫ちゃんだー! かわいい〜!」


 そういえば火炎寺は無類の猫好きだっけな。学校近くの野良猫に会いに行っては引っ掻かれるという現場を目撃したことがある。


「猫ちゃーん! おいで〜」

「待て委員長」

「んー?」

「猫ちゃん、あ、いや猫は人間側から積極的に行っちゃダメだ。アタシら人間が猫の下僕であることを示し、触らせていただく気持ちでいなければならない」


 なんかいきなりペラペラと語り出した火炎寺。


「まずは心を落ち着かせる。猫は敏感だからな。音を立てず、ゆっくりとした所作で、猫と目線の高さを合わせるよう低姿勢になる。上から触ろうとすると警戒されるから、下から手を差し出すんだ。そして少し高い声で優しく声をかける──にゃーんちゃん、少しだけ触らせていだぁぁっ⁉︎」


 めっちゃ引っ掻かれてるけどぉ⁉︎


「くそ……この猫ちゃんもダメなのか……」

「本能的に火炎寺が怖いんじゃねぇか?」

「なっ……⁉︎ こんなにも猫ちゃんのために勉強したのにか⁉︎ くそっ、お前の爪引っ剥がすぞ‼︎」

「それが怖ぇよ‼︎」


「わー! この猫ちゃん甘えん坊さんだね〜!」


 ふと猫の方を見ると、火炎寺じゃ歯が立たなかった野良猫を手懐ける日向と初月がいた。頭をスリスリ擦りつけていて、二人はめちゃくちゃ好かれている。

 その様子を火炎寺が悲しそうに見ているのを見て、俺も悲しくなった。

 ちなみに俺が近寄っても何の反応もなし。いやマジで。好きでも嫌いでもない無関心ですか。泣ける。



「あ!」


 ひとしきり戯れていると、日向に抱かれていた猫は飛び降りて、駅の方へと歩いて行く。


「猫ちゃんを追いかけてみよう‼︎」

「はぁっ⁉︎ 何で⁉︎」

「だっておもしろそーじゃん‼︎」


 いつも通りの突拍子もない日向の行動に、俺たちは付いて行くしかない。猫好きの火炎寺も乗り気だ。

 どこに、どこまで行くか分からない野良猫を追いかけるなんて……と思っていたら、猫は運動公園駅の構内へと入って行く。

 そして、ホームへと降りて行き、下りの電車に乗り込んだのだ。


「この猫賢いね〜」


 無賃乗車だけどな。

 まぁ、ありがたいことに車両内はクーラーがガンガンに効いているので良かった。初月は頭から煙のような湯気が出ていたが、座席に座ることができてホッとしている。

 猫はジッと座って流れる窓の景色を見上げていた。


「元々違うとこに住んでるのかな?」

「そうかもな」


 日向の疑問に俺は適当に答えておく。


「はぁ……可愛いなぁ猫ちゃんは……」


 うっとりとした表情で猫を眺める火炎寺。

 学校では恐怖の権化として生徒から避けられているが、こうしてみるとただの猫好き女子だな。


「あゆゆって、すっごく猫が好きだよねー」

「えっ? 猫好きってよく分かったな」

「それで気付かれないと思ったのかよ」


 隠していたわけじゃないので、猫好きはすぐに肯定した火炎寺。

 彼女は猫を好きになった理由を話してくれた。


「アタシが小学六年生だった頃かな。昼寝してたらさ、開きっぱなしの窓から野良猫が忍び込んでいて知らぬ間に一緒に寝てたんだよ。そいつ白猫でデブだったから見た目がバレーボールみたいでさ。寝てる時にツンツンしてみても反応なかったりして、もう全部がほんとに可愛くてさ!」


 当時のことを思い返す彼女は、思い出の中の猫に対してニヤケ顔をしていた。


「それからちょいちょい遊びに来るから、親に内緒で飼ってたんだけど、ある日バレてめちゃくちゃ怒られたんだよな。ほら、アタシの父親は医者だろ? その猫は長毛種だったから毛が家の中に入り込んでダメだったんだよな」

「えぇ⁉︎ 火炎寺の家って病院なのか⁉︎」

「え、七海くん知らなかったの?」


 そう言う日向と初月はどうやら知っていたようだ。俺だけ知らないのかよ。この三人だけで遊びに行ってたりすることがあるから、その時に聞いたりでもしたんだろうなぁ。

 何で俺を誘わないんだよとツッコミたくはなるが、女子会に突っ込んでいこうとするほど、俺は無神経じゃない。

 火炎寺の家自体は普通の一軒家だが、父親が大きい病院の院長のため、少しでも毛を持ち込まないようその辺り厳しいらしい。


「まぁ、それでその猫は保健所に連れてかれてさ。結局あいつはどうなったか分かんないけど、きっとあれがキッカケでアタシは猫が好きになったんだろうなー。──あいつ、元気にしてるかな」


 少ししんみりした空気になってしまった。

 と、気付いたら終点まで来てしまったようだ。

 終点の聖神中央せいしんちゅうおう駅──俺の最寄駅じゃねぇか。


「あ、猫ちゃんも降りたよ!」


 何駅かあったはずだが、野良猫がここで降りたということは縄張りがこの辺なのかもしれない。日向よりは賢い猫みたいだ。

 それからまた暑い中、野良猫のあとを辿っていくと、着いた場所は──


「氷水の家じゃね?」


 そう、俺の家からほど近い場所にある氷水家。日向と初月も来たことがあるのですぐに気付いたようだ。初月はちょっとトラウマに感じているが……。

 野良猫が見上げる先は氷水沙希の部屋、その窓から白い物体がこっちを見返している。


「あ、マサムネですね……」


 初月の言ったとおり、数年前から氷水家で飼い出した猫のマサムネだ。もう結構な年齢らしく、ズシンとした太った体のためほとんど動くことはない。今はただこちらを見下ろしている。


「わー、もしかしてこの猫ちゃんたちカップルだったりするのかな〜!」


 ロミオとジュリエット的なことか。にしては、ジュリエット役のマサムネが不機嫌過ぎやしねぇか?


「あいつ……もしかして……」

「え、何しに来たの?」


 火炎寺が何かを呟いた時、氷水が玄関から出て来た。多分、日向の声がうるさくて出てきたんだろう。


「あぁ氷水か。いや、猫がさ──」

「生徒会長!」

「な、なに火炎寺さん……⁉︎」

「あの、あの猫ちゃんに会わせてくれないか⁉︎」


   **


 俺たちは氷水家のリビングに入れてもらい、マサムネを連れて来てもらった。

 ちなみに沙希母は今はいないらしい。助かった……。


「……うん。やっぱりこの子、あの時の猫だ」


 火炎寺はマサムネを見て、そう確信した。


「マサムネって元々保護猫なのか?」

「ええ、そうよ。里親を募集してたから引き取ったの。マサムネは当時一番の古株だったからもう少しで殺処分されるところだったわ」

「なぁ、触ってみてもいいか?」

「もちろん、どうぞ」


 火炎寺が恐る恐る下から手を差し出すと、マサムネは動じず、ただ撫でられるのを受け入れた。

 すると、少し気持ち良いと感じたのか。今度はマサムネの方から正座している火炎寺の上に乗る。


「は、初めて猫ちゃんから来てくれた……!」

「よかったね! あゆゆ!」

「あぁ……良かったよ、ほんと……お前が元気に生きててくれて。──ありがとな、生徒会長。心の友よ!」

「えぇ、事情はよく分からないけど、どういたしまして」


 何も分かってないため、戸惑いながら氷水は返事した。彼女には後から俺が伝えておくか。


「あの野良猫があゆみちゃんを導いてくれたんですかね」

「そうだな。あの猫ちゃんにも感謝しないとな」


 その後、初月のローサイドテールをオモチャだと勘違いしてマサムネが飛びかかったり、それを見た火炎寺が自身のポニーテールで釣ったりだとかで、マサムネとたくさん触れ合った。


   **


「いやー! 満喫したぜ!」


 肌がツルツルに生まれ変わったほど大満足の火炎寺。他二人も楽しそうだった。


「いきなり来て何だと思ったけど、まぁ楽しんでくれたなら良かったわ。じゃあ帰り道気をつけてね」

「うん! バイバーイ‼︎」


 日向たちは駅に向かって歩いて行った。今日はこれにて解散だ。

 さて、俺の家はすぐそこだし、このまま──


「ねぇ、七海」

「……え、なに」

「今夜さ、七海に電話かけるから」


 振り返ると、そこには頬を赤くした氷水が不適な笑みを浮かべていた。

 ま、またか……。

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