第2話 ワイルダー夫妻の場合 R15
ワイルダー夫妻は、新興宗教『Worship』の熱心な信者である。
神輿である教祖・ジェームズ=ボトムは、すこぶる男前であった。軽い気持ちから、追っかけをしていた若かりし頃のワイルダー夫人──リーは、催眠術にでもかかったように、それまでの不信心を恥じるように入信し、クリスピン=ワイルダーは、教会に通う娘達に近づく手段として信者となった。
「来る終末。堕落したクリスチャンに乗るべく舟は無い。未婚の者達よ。純潔である事を誇ってはならない。それは、当然の事である。もし、この中に、ヴァージンで無い者があるならば、今すぐに、この場を去るが良い。穢れた肉体が、神聖な神の賜いし舟に乗り込める理由が無いのだ。浄き者達よ。ロトの妻の如き塩の柱となりたくなくば、彼等を見てはならぬ。彼等は、神が浄めし大地から蛆のように湧き出た、忌まわしきソドムとゴモラの子孫なり」
『Worship』では、徹底的に純潔である事を唱え、未婚の性交渉経験者を卑しめた。それなりの年齢の若い男女であれば、恋人との甘い時間を過ごす事に、何の不思議も無いだろうが、それを戒めると共に、そうした友人との付き合いさえも禁じた。
「既婚となる者達よ。セックスの快楽に溺れてはならない。それは、子供を宿す為の行為である。遊びの道具にしてはならないのだ。汝等が貞節を誓うべきは、配偶者にではない。神に対してだ」
行為を迫る恋人と別れ、彼等が淫らと断じる友人を無くした信者達は、行き場を無くし『Worship』に依存してゆく。彼等は、教会だけが唯一の安らげる場所となっていく。そこに居るのは、清らかな信者達であり、自分が進むべき道を提示する導師だからである。そうなった若者達に、神父は、特別ミサを開く。
「結婚は、セックスの免罪符ではない。夫婦であれば、いつしても良いのか? どこでしても良いのか? そうでは無い。そうであるならば、街中には、結合する男女が、そこかしこに居る筈だ。クリスチャンでも、それは解っているのだ。だから、夫婦となった男女は、夜、室内のベッドの上で行為をするのだ。だが、それは、本当だろうか? 神は、夜、ベッドの上で子供を作れ。と、仰ったのか? 諸君! 考えてみてほしい。聖母マリアは、キリストを処女受胎した。つまり、神は子を成せるという事だ。では、ヨセフの役割は何だ? ただ名ばかりの父となる事か?
神父達は、洗脳した者達が、信者以外の配偶者を持たぬよう、信者同士の婚姻を焚きつける。特別ミサを受けた者達は、彼等の思惑通り、自分の横にいる異性こそ、自らのマリアであり、ヨセフだと、錯覚した。クリスピンとリーも、そういう経緯で夫婦となる事を約束した。
結婚式を挙げた後も、彼らは、別々のベッドで眠った。
3ヶ月後、ようやく二人は、教会から、初夜の場所に行く事を許された。1週間分の衣類を詰めた旅行バッグを持ち、お布施を渡して、教会の用意した車に乗り込む。彼等が向かうのは、『Worship』の総本山であり、ジェームズ=ボトムのいる場所である。初期の頃は、そこここの教会で説法をしていた彼だったが、ある程度の信者を確保してからは、彼が外部に出る事は無かった。信者には、総本山の場所は伏せられていた。
一晩、車を走らせて到着した総本山の大聖堂は、周囲を山に囲まれた盆地の中にあった。宿泊施設の建物はコの字型をしており、中央棟は、1階が食堂となり、2階以上は神父達の住まいであった。信者に宛がわれる部屋は、両翼棟であるが、男女で分けられていた。
その日、宿泊していたのは10組の夫婦であった。食堂での食事は、全員で摂ったが、食前と食後の祈りの言葉以外、誰も何も喋らなかった。クリスピンとリーは、気まずさを感じていたが、それに倣うより術はなく、食後の祈りを終えると、それぞれの部屋に戻り、シャワーを浴びた。下着はつけずに、前開きの木綿のネグリジェだけを身に着け、大聖堂の扉口を潜ると、側廊には神父達が居並び、袖廊には9組の夫婦が、やはり左右に男女で別れて座っていた。
アプスには、ジェームズ=ボトムが立っていた。リーが追っかけをしていた頃より、年嵩を増し、更に男ぶりを上げていた。
「よくぞ参った。我が信者よ。今宵、其方達夫婦は、神の身許で初夜を迎える。しかし、その行為によって、堕落した民の如く、快楽に耽り、獣じみた咆哮を上げるものであってはならない。悪徳は目から忍び寄り、悪臭は口より出ず。さあ、マリアとヨセフの仮面を被り、神父の導きの元、女よ。キリストを身籠るのだ」
ジェームズが言い終わると、クリスピンとリーは、それぞれ、左右の袖廊に分けられ、仮面を渡された。残りの9組の男女は、自ら膝に置いた仮面を被り始めていたので、二人もそれに倣う。
身廊に面した側廊にいた神父達は、仮面をつけて座る男女の周り──中央交差部と袖廊の側廊を廻りながら、それぞれ別の聖書の節を朗読する、頭が割れそうになりながら、永遠とも思える時間を座っていると、リーは誰かに手を引かれ、中央交差部で処女を失った。
5日間を終えた二人は、自宅に戻り、大聖堂での事を口にする事なく、日常に帰った。
しかし、翌夜、リーが自分のベッドに入って目を瞑ると、横のベッドで眠っていた筈のクリスピンは、彼女のベッドに潜り込んだ。
「きゃぁ。ちょっ…クリス、貴方。何を…」
「リー。リー。君はすごい。最高だ。我慢なんて、できない」
初めは堕落する事を恐れて抵抗していたリーであったが、既に経験していた二人である。欲望に負けるのは容易い。リーは、クリスピンの愛撫にとろりと溶け、それからは、毎夜の如く愛し合ったが、毎夜貪る快楽に、リーは生理が止まっている事に気が付いた。
そうして生まれたのがノーマである。
「綺麗な
クリスピンは、ノーマを抱きながら、うっとりと口走った。
それに対し、ノーマは、
「信仰を貫いた? ねぇ。クリス…本当に、そうなのかしら? 私達は、大聖堂から帰るまでは、正しく信仰を貫いていたわ。でも、その後は、どうかしら? ねぇ。ノーマは、綺麗すぎると思わない? …怖いわ。ねぇ。クリス。私、怖くてたまらないの」
と、怯えた。
■
「悪い奴だな。ジェームズ。お前は、本当に悪魔の申し子だぜ」
「全くだ。誰がこんなうまいやり方を思いつくかってんだ。金を貰って素人…それも処女を抱けるなんて、くぅ~~っ。最高だぜ」
「いやいや。思いつく奴は、いるさ。だがな、ジェームズっていう餌が無けりゃあ、実行するのは不可能なだけさ」
総本山の宿泊施設の中央棟の四階。
そこは、神父達のラウンジだった。質素で味気ない両翼の部屋とは違い、贅を尽くした調度品が揃えられていた。ローテーブルの上には、高価なワインの空き瓶が7本。
20人の神父達は、ジェームズを囲むように、思い思いに飲みながら、ジェームズを称えた。
ジェームズは、賛辞を浴びながら、無言で飲んでいたが、
「さっ。取り合えず、これで一巡したよね。信者達は、全員、揃ってゴールインした。俺も、この世での名残を愉しんだ。君達が出資してくれたお陰だ。後の教団は、任せたよ」
と、言って立ち上がった。
それまで、あまりに上手く行き過ぎた計画の、取り合えずの終了を祝した宴は、一気に萎んだ。
「なぁ。…本当に、もう、助からないのか?」
ドアに向かって歩き出そうとするジェームズに、神父の一人が声をかける。
「そうだぜ。ほらっ。金ならいくらでもある。それに、あの間に子供が出来なかった夫婦から、再度、申し込まれたらどうする?」
「……あれは、初夜だからできる儀式だ。とでも言っておけばいいさ。それに、夫婦共々、あの5日間でどれだけヤったと思ってるんだ? 自宅に帰って、一ヶ月も禁欲できれば、大したもんだ。男の為に用意した、娼婦の疲労を考えろよ」
■
ノーマが美しく成長していくにつれ、リーの不安は肥大した。クラスの演芸会では、常にお姫様役に抜擢され、買い物にいくと、見知らぬ男が、振り返るのも一度や二度では無かった。
「クリス…この娘は、駄目よ。舟には乗れないわ。ねぇ。まだ、10歳よ。それなのに、一体、どれだけの異性が、ノーマをいやらしい目で見ていると思う。転校させる? いえ、駄目よ。この町からは出ていけないわ。教会はもう、この町にしか無いもの。総本山には、私達、一般信者は入らせて貰えない。…嗚呼、どうすればいいの」
ノーマの美貌に不安を覚えるリーの為、二人は、再び、形ばかりの夫婦となった。そして、リーの不安を聞く毎にクリスピンも、総本山から帰宅して、すぐにリーを抱いてしまった事を後悔した。
1週間後。
「ノーマ。今日から、
クリスピンは、伊達眼鏡をかけさせながら、ノーマが罪悪感を覚えるような物言いで、兎に角、ノーマが誰にも顔を見せないように指図した。ノーマの持っていた可愛らしい服は、全て処分し、代わりに、古めかしく、肌を露出させない服を用意した。
ノーマが15歳になった頃には、『Worship』の教会に向かうのは、ワイルダー家を含めた7件に減っていた。どの家の子供も、母親の面影はあるものの、父親の顔立ちや体格などの遺伝が一切無かった。又、そういう子供達を子に持つ両親であっても、第二子が生まれる前に、教団からは離れて行った。リーは、その7件の内の4件の家の男の子の誰かとノーマを結婚させようとしていたが、ノーマが19歳になる直前に、転機が訪れた。
「ノーマ! ニュースよ」
ボランティアから帰宅したノーマを、リーは玄関まで出迎えた。、そして、「ニュース!ニュース!」と繰り返しながら引っ張り、ダイニングの椅子に座らせると、目を輝かせながら、ノーマの両手を包むように握り、
「聞いて。ノーマ。貴女はもう、教師になんてならなくて済むの。嗚呼、今思えば、どうして教師にさせよう。なんて思ったのか。子供達なら、貴女の顔を見ても平気だと思った自分が、甘かったわ。そうよ。貴女は、子供の頃から、その顔で、誰彼構わず、誑かしてきただもの。でも、もう大丈夫。誰かにその顔を晒し、無暗に人を堕落させなくて済むのよ。ああ、素晴らしいわ。ノーマ。神様は、貴方が舟に乗るチャンスをちゃんとご用意して下さっていたの」
意味は解らず首を傾げるノーマに、リーは、漸くノーマの両手を包む手を離し、大きく腕を広げると、彼女を抱きしめた。
「貴女をお嫁に貰って下さる方が見つかったのよ。それも最高の相手が」
それを聞いたノーマが蒼褪めるのにも気づかず、リーは、目尻から涙を零して喜んでいた。
ノーマをお嫁に貰う事になったのは、『Worship』の元神父だった。教団を維持していく事ができなくなったせいで、彼も還俗する事になったのだそうだが、彼は、当然の事ながら童貞であり、昔の伝手を辿れば、どうにか初夜の儀式を行う事ができるのだという。そして、彼には、僅かばかりの資産があり、自給自足のような生活の為、この町からは離れる事になってしまうが、少なくとも、リーが恐れた、異性を誘惑して堕落させる悪魔にならぬように監視する事はできる。という事だった。
本当のところは、神父は、童貞であるどころか、かつて数多の信者を抱き、リーの味さえ知っていたのだが、ノーマの顔を見て、彼女が、今は亡きジェームズの娘である事を直感した。若い頃と違い、彼の性欲も衰えていたが、そこはそれ、ジェームズの娘である。彼は、かつての仲間達と連絡を取り、ノーマを、かつて総本山があった場所で飼おう。という事になったのだ。
彼にとっての誤算は、ノーマが行方不明になった事だった。
リーは、元神父に何度も謝り、クリスピンも、一応、失踪届けを警察に提出したが、元神父が、血眼になって探すわけにはいかず、リーは、
「どうせ今頃、あの娘は、純潔を失い、舟に乗る資格を失っているんです。ああ、やはり、あの娘は、悪魔に魅入られていたんだわ。恐ろしい。私は、悪魔の申し子を産み落としてしまったのよ。あの娘と私達は無関係。ねぇ。そうしましょう。」
と、クリスピンに訴え、彼女が二十歳になる三ヶ月も前に、失踪届けを取り下げてしまった。
The End.
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