珈琲は月の下で No.1 番外編

久浩香

第1話 マルグリットの場合

 私の名前は、マルグリット。

 自分で言うのもなんだけど、私の家事能力はパーフェクトだと思うわ。

 それというのも、私の従兄弟達といえば、男の子ばっかりで、お手伝いを言いつけられるのは、いつも私だったの。それが、嫌だったわけじゃないけど、ずるいとは思っていたわ。

 従兄弟達は、意地悪だったわ。

「お前ばっかり、小遣いをもらって、ずるいぞ。俺達にも寄越せよ」

 って、彼等は私が貰った御駄賃を取り上げようとしたの。

(お小遣いって何よ! これは、労働に対する正当な賃金よ! あんた達なんて、遊んでただけじゃない!)

 そう言い返したかったけど、その時には、それを言う勇気も、どう言えばいいかも解らなかったの。

 お財布をポケットに隠して、首をふるしか出来なかった私に代わって、彼等を追い払ってくれたのは、お祖父ちゃんだったわ。元軍人さんだったお祖父ちゃんは、

「お前達。これは、マルグリットが頑張って稼いだお金だ。それを『寄越せ』というのは追剥だ。儂は、追剥の孫など、持った覚えは無いぞ。金が欲しいなら、お前達も、それに見合う働きをせんか。ほれ、お前達の親父共が、あっちの畑でキャベツを収穫しとるから、それを手伝って来い。怠けるんじゃないぞ。働け」

 と、言って、追い払ってくれたの。

 従兄弟達には、目を吊り上げて怖い顔をしていたお祖父ちゃんは、彼等が畑に向かって駆けていくと、杖を支えにして、私の背の高さまでしゃがむ込むと、いつもの優しい顔をして、私の頭を撫でながら、

「よしよし。怖かったな。全く、あいつらにも困ったもんじゃ。だが、あれは、金が目的じゃないな。マルグリットが可愛いからちょっかいを出したいだけなんじゃろう。馬鹿なやつらじゃ。…のう。マルグリット。お祖父ちゃんとあっちでデートしてくれんか?」

 と、私をお茶に誘ってくれたの。

 蜂蜜入りのホットミルクを飲む私の横で、ロッキングチェアに揺られながら、紅茶を飲むお祖父ちゃんは、とっても格好良かった♡


 あの時、言いたい事も言えなかった私はどこへやら。高校を卒業する頃には、私は、すっかりお喋りになって、メイドとしての能力は完璧であるにも関わらず、このお喋りが災いして、一つのお屋敷で勤めあげる前に、暇を出されちゃってた。

 そんな私を雇ってくれたのが、マダムだったの。


 もう、ね。すっごいの。

 同じ『女』のカテゴリにいる事を謝罪したいくらい綺麗なの。

 70歳はゆうに超えてるそうなんだけど、亡くなったお祖父ちゃんと同じくらい姿勢が良くて、でも、全てが角ばったイメージのお祖父ちゃんと違って、女性らしい緩やかなカーブが、芳しく香る……胡蝶蘭? 白百合? ん~~。そんな花には縁が無いからよく解らないけど、兎に角、純白の高価な白い花。そんな感じ。『高価な』っていうのがポイントよ。デイジーやシロツメクサなんかとは全然違うの。兎に角手が届かない、まさに高嶺の花って感じなの。


「若い貴女には、退屈な仕事かもしれないけど、うちで働いてくれる? 私の話し相手になってくれると、嬉しいわ」


 優雅な微笑みを浮かべながら、そう言われてみなさいよ。頭がぼぅっとして、魂を持って行かれちゃうから。


食材や日用品の配達に来るトムなんか、初めてマダムを見た時に、持ってきたダンボールを落としちゃったわ。中の卵が割れて大変だった。

「あの女性ひとは、きっと、すっごい金持ちの愛人だったに違いない。だってほら、奥様だったら、こんな辺鄙な場所で、一人で住んでるわけがないじゃないか。パトロンが死んで、仕方なくこんな所に流れて来たんだ」


元々は、ヴィラだったというこのお屋敷には、月に一度、山の向こうの観光都市から、マダムを迎えに来る車が来る以外、来客は無い。だから、私のお喋りがとても楽しいのだと、マダムは言う。

「かしこまらないで。壁があるのは悲しいわ。貴方のままで、話して頂戴」

マダムは、多くは語らない。でも、私のお喋りを、嬉しそうに聞いてくれる。


マダムを迎えに来る車が到着するのは午後5時で、帰って来るのは翌日の午前5時。何をしに行ってるのかを尋ねると、

「『見世物小屋の芸人のなれの果てを見たい』なんて物好きが、どこの世界にもいるものよ。ほんと、くだらないわよね」

なんて冗談で、はぐらかされちゃったわ。

でも、この月に一度の外出のせいで、マダムは、宵っ張りな生活をしているの。行きたくないけど、行かなきゃいけないんですって。


ある日の新聞で、篤志家の死亡記事が出てたの。

サミュエル=キースというその男性は、お祖父ちゃん子だった私の、どストライクのロマンスグレーで、一度だけ、追っかけをした私は、驚いて、その時の事をペラペラと喋ってたの。そうしたら、マダムが

「食後の珈琲は、中庭で飲みたいわ。運んでくれるかしら? あ、ブラックでお願いね」

なんて、『珈琲は、苦くて嫌い。でも、円やかな珈琲の香りは好きなの。カフェオレにしてね』と、子供のような無邪気な笑みで仰ってたマダムにしては、珍しい事を言われたの。


真夜中の秋の中庭は寒い。

珈琲の準備をして急いで中庭に行くと、とっくに座って待っていると思っていたマダムはいなかった。寝室には、掃除以外で入る事を許されていなかったから、掌を吐く息で温めながら待ったわ。

それから、珈琲の準備をすると、体よく追い払われちゃった。

私は、ベッドに潜り込んだ後で、

(風邪、引いちゃわないかしら?)

なんて思いながら眠りについた。


サミュエル=キースという人は、婚約者と別れた後、生涯、独身だったという。


「ねぇ。ねぇ。もしかしたら、マダムがその婚約者だったんじゃないかしら」

トムにそう言ったら、

「そうかもしれないね。でも、まぁ、あのマダムなら、どんなロマンスがあっても、納得できるよ。きっとマダムにとっては、その篤志家より、よっぽど良い男に傾いたんじゃないかな。まあ、昔の話はいいじゃないか。そんな事より、未来の話をしようよ。次の休みはいつ?」


ダンボールの上に、デイジーの花束を置いたまま、トムはニコニコと私に尋ねる。

ふぅ。

仕方ないわね。

彼が、お祖父ちゃんやサミュエル様みたいに、かっこよくなってくれればいいんだけど、それを求めるのは我儘ってものかしら?



The End.

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