第40話

 カフェの手伝いはランチタイムだけ。

 酔っ払いの相手を令嬢であるヴィオラにさせるわけにはいかないからだ。

 ウェイトレス姿のヴィオラは可愛らしかった。毎朝制服に着替えると、メイドたちがここぞとばかりにヴィオラの長い髪を綺麗に編み込んでいく。清潔感が大切だと言って、制服の色に合わせたリボンを共に編み込んだり、頭の上に可愛らしくリボンと共にアップにしたり、それはもう毎日ヴィオラは可愛いウェイトレスに、変身するのだ。

 そして、なぜか毎日アルベルトもカフェにやってくる。

 カフェの片隅で仕事をするのだ。

 書類を持たされる執事が大変なはずなのに、誰も文句は言わない。

 仕事をするアルベルトに、時折ヴィオラが飲み物を出しに行く。それを見ている他の客たちは、迂闊にヴィオラに声をかけてはいけないと悟るのだ。

 それなのに、イベントが発生した。と言えば聞こえはいいが、結局はアルベルトがこんなところにいるから、出入りの商人が仕事の話をしに来てしまったのだ。


「いらっしゃいませ」


 ヴィオラが声をかけると、その人物は動きをとめた。背中にはキラキラとした海の光を背負って、一瞬アイドルのような登場だった。記憶の中ゲームキャラが被った。


「なんて美しいんだ!」


 その人物はヴィオラをひと目見るなり膝を付き、メニュー表を持つヴィオラの手を取った。


「あ、あの…お席にご案内してから…」


 メニュー表を取られるのだと思ったヴィオラは、その人物をいつも通りに席に案内しようとしたけれど、まるで学芸会の一幕であるかのように振る舞われた。


「美しく人、どうかお名前を聞かせてください。私の名前はイヴァンと申します」


 そう言って、ヴィオラの指先に唇をそっと落としてきたのだ。


「へっ?」


 突然のことにヴィオラは思わず間抜けな声が出てしまった。膝まづいてキスをするなんて、騎士が令嬢にするものだ思っていたからだ。


「やめろイヴァン!」


 ヴィオラが戸惑っていると、アルベルトが仕事を放り出して駆けつけてきた。そうして、ヴィオラの手を取るイヴァンの手を払い除ける。


「寄るな触るな近寄るなっ!」


 そうして、ヴィオラとイヴァンの間に割り込むように立ったのだ。当然、邪魔をされたイヴァンは面白くないものだから、軽く睨め着けるようにアルベルトを見た。


「なるほど、こちらの美しい人が噂の妹君というわけか…」


 焦げ茶色の髪に緩く巻かれたターバン、鳶色の瞳によく日に焼けた肌。そうして、立ち上がるとアルベルトよりほんの少し背が高かった。出入りの商人と言うにはあまりにもカッコよすぎるし、何より領主であり辺境伯でもあるアルベルトに対しての態度がおかしい。


「触るな」


 アルベルトはもう一度イヴァンに言った。けれど、イヴァンは鼻で笑うのだ。


「まぁ、今日は諦めておきますよ。美し人、私は仕事の用事でここに来たのです。しばらくこのポンコツをお借りしますね」


 そう言って、アルベルトの方を強引に抱いて店を出ていってしまった。その後を書類を手にした執事がついて行くのだが、ヴィオラの前で一度立ち止まった。

 状況が分からないヴィオラは、執事から何を言われるのかドキドキしながら待ってみた。


「わたくし共が、戻るまで裏でお待ちください」


「…はい?分かりました」


 なんだかよく分からないまま、ヴィオラは休憩が与えられてしまった。

 裏に回って、ヴィオラは休憩用の椅子に座って考えた。あのイヴァンは攻略対象者だ。登場の仕方はなんだか少し違ったけれど、見た目と名前は一致している。それに、きちんとカフェでウェイトレスをしている時にやってきた。アルベルトと取引のある商人だった。それなのに随分と気さくに話をしていた。と言うか、ライオネスばりに親しげに接していた。


「確か、なんか隠し事があったはずなのよねぇ」


 確か、元王太子の婚約者で侯爵令嬢であったヴィオラであったから、攻略対象者たちはアンジェリカに比べてとにかく派手だったはずだ。何しろ、今は養女となって辺境伯の義理の妹なのだから。それに釣り合うキャラが用意されていたはずだ。

 アルベルトは義理の兄で辺境伯、ライオネスは次期公爵、王宮のパーティーでこの国の第二王子、出入りの商人と船乗りは、仮の姿だったはずだ。好感度が上がると、正体をあかしてくれるイベントが発生したと記憶している。


「うーん、記憶にないってことは、前世で未プレイってことだよね」


 アルベルトたちが帰ってくるまで、ヴィオラはひたすら記憶を探って首をひねるのであった。


 結局、アルベルトはイヴァンとの商談が白熱してしまったようで、戻ってきた時にはランチタイムは終了していた。

 アルベルトは納得していなかったけれど、イヴァンを混じえて三人仲良く遅めの昼食をとることとなった。アルベルトは食べながらも不福を申し立て続けたのであった。


 邸に戻ると、メイドたちが慌てていた。

 客人がきているようだけれど、ヴィオラは何も知らされていなかったので、のんびりと廊下を歩いていた。昼食はカフェでとってきたので、制服を脱いで令嬢に戻るだけだ。


「ヴィオラ様」


 前からいつものメイドたちが早足でやってきた。


「どうしたの?」


 やってきたメイドたちは、目をキラキラと輝かせている。これは何か楽しいイベントが起きたらしいと推測した。


「注文したドレスが届きましたのよ」


 のんびり歩いているヴィオラを、急かすように取り囲む。


「そうなの?」


 既にヴィオラの部屋に仕立て屋が待機しているとのことで、のんびり歩くヴィオラを慌てて呼びに来たらしい。


「アルベルト様もご覧になりますわよ」


 メイドたちは、楽しそうだ。

 が、ヴィオラは内心ドキドキしていた。だって現状ポンコツお義兄様のアルベルトが、ヴィオラの生着替えで耐えられるのか。と言う問題がある。

 まぁ、生着替えとは言っても、隣の部屋で着替えるから、目の前でする訳ではないのだけれど。

 部屋に入ると仕立て屋たちがヴィオラを待ち構えていた。


「お待たせしてしまって」


 ヴィオラがすまなそうにすると、仕立て屋たちは恐縮していた。自分たちは待たされるのも仕事なのだと言い出して、ヴィオラは貴族社会の常識にやっぱり馴染めないと思うのだった。


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