第39話
ヴィオラは、メイド服を着たまま従僕たちの休憩室で一緒に朝食をとっていた。異世界転生の醍醐味である。チート能力がないのなら、この世界ならではのものを堪能しなくては勿体ない。
(賄いサイコー)
食べたいものを食べたいだけ、マナーにとらわれず食べられるのは実に良かった。
何しろ、アルベルトは年上の男性だ。会話が弾むとは思えない。とりあえず、義兄という立場でヴィオラの後見人になってくれて、爵位もある貴族。申し分ないのだが、
「攻略されちゃうのが私なんだよねぇ」
ため息混じりについ声に出してしまった。さすが乙女ゲームの世界だけあって、モブにも等しい使用人たちでさえ整った顔立ちをしているのだ。前作悪役令嬢、今作ヒロインのヴィオラが一番綺麗なのは当たり前。
そんなヴィオラを攻略してくる対象者たちがキラキライケメンなのも当たり前。
「お疲れですか?ヴィオラ様」
ため息をついたのが聞こえたのか、すかさずメイドが声をかけてきた。呟きは聞こえなかったようだ。
「久しぶりに早起きをしたからかしら?」
何となく誤魔化すように愛想笑いを浮かべてみる。まぁ、バレていることぐらいは分かる。ここのメイドは優秀だ。
自分の使った食器を下げて、自室に戻ることにした。今日のメイドごっこはもう終わり。明日はカフェのウェイトレスをする日だ。このあとは大人しくした方がいいだろう。
部屋に戻ると、専属のメイドたちが待ってましたとばかりにヴィオラを令嬢に戻してくれた。仕立てたドレスはまだ届かないので、今日のドレスは持ち込み分だ。派手になりすぎず、地味になりすぎないよう苦心して仕立てたドレスはどれも思い出が深い。
このドレスを着ていた時、アンジェリカがものすごくバカにしてきた。
『うわぁ、ヴィオラ様のドレスすっごい地味!おばあちゃんみたい』
地味と、言ってきたのだ。チュールを幾重にも重ねたこの色合いを地味といい、おばあちゃんのようとは……語彙力のなさが半端ないと今更ながらに思う。そうして、アンジェリカの行動を思い直してみると、アンジェリカも転生者なのではないかと思うのだ。
この世界で産まれ育ったのなら、この世界の常識が身についていて当然だろう。
しかしながら、思い返してみるとアンジェリカからはそのような感じが一切しなかった。下級貴族の娘が、上級貴族の娘に馴れ馴れしく話しかけるなんて、婚約者のいるものを愛称で呼ぶなんて、非常識なことを平然とやっていた。
そもそもなんの接点もなかった貴族の子息たちにどうやってあそこまで巧みに取り入れたのか?この歳で稀代の悪女の真似事ができるなんてそもそもおかしい。
(アンジェリカも転生者だった。私より早く記憶を持っていた)
落ち着いて考えると、それしか思いつかない。攻略対象者たちの攻略方法を熟知していて、フラグを片っ端から上げて回収しまくったのだろう。その結果逆ハーエンドのルートに乗ることが出来たのだろうけど、詰めが甘かった。ここはゲームではなく、一人一人意思のある人物が、自分の思いで行動している。ある意味現実世界なのだ。
ゲームでは悪役令嬢というポジションにいたヴィオラだが、それはあくまでもゲームのヒロインにとっての妨害キャラだっただけで、この世界では常識のある上級貴族の令嬢。誰もが認める完璧な王太子の婚約者だった。
だからヴィオラは自分の矜恃にかけて行動を起こした。
すなわち、アンジェリカ殴打事件だ。
確かに、流れ的には断罪イベント発生フラグだったかもしれないが、メンバーが揃っていなかった。役者の揃わない状態でイベントを発生させてもフラグ回収は出来なかったのだろう。
この世界に生きているヴィオラの意思が勝ったとも言える。
ゲームの強制力よりも、生きている人物の行動力が勝った瞬間だったのかもしれない。
(何となく覚えてはいるのよね。あの時の気持ち)
一緒にいた友人の令嬢たちの、絶望的な悲しみを感じ取ってしまい、それに同調するよりも負の感情の方が強く出た。
あの場で誰よりも地位のある女は私である。そう思ったからこそのあの殴打だった。溜まりに溜まった負の感情が爆発した瞬間だった。
(扇の使い方を色々習ってはいたけれど、まさかあそこで武器として使う方法を披露するとは思ってもいなかったけど)
メイドが入れてくれたお茶を飲みながら、ヴィオラは改めて思い返す。
王妃様について、王太子妃教育を受けていて一番難しかったのは扇の使い方だった。身分の高い者が、無闇矢鱈に身分の低いものに声がけするわけにはいかないため、扇でそれを示す。閉じたり開いたり、振ったり止めたり。
感情を表現してみたり。
いざと言う時には護身にも使う。
完璧に身につけていたからこそ、負の感を乗せて重たい一撃をアンジェリカにぶつけたのだ。
(私って、気が強いのかな?それとも、あの行動は貴族の令嬢としては普通?)
自分より身分の低い者に分からせるための行動は、当たり前と言えば当たり前の事なので、いまさらながらヴィオラに罪悪感はまるでなかった。
今現在、前世の記憶を取り戻していても、これっぽっちも罪悪感なんて湧いてこない。
(そー考えると、こっちの世界もゲームの強制力より現場の力の方が勝つのな?)
やりたいからやらせてもらったウェイトレスとメイドだが、アバターの衣装としては課金アイテムだった気がする。着用するとお義兄様であるアルベルトの好感度があがるのだ。
ゲーム内では、アルベルトにだけのウェイトレスをしていたところに、別の攻略対象者である商人または船乗りがランチを食べに来てヴィオラに声をかけてくると言うのハプニングタイプのイベントだった気がした。
だから、ヴィオラがカフェで働くのはゲームの流れとは違うのだ。
期間は王宮での夜会に参加するまでなので、1ヶ月あるかないか程度だが、ゲームとは違う行動をするわけだ。
(自覚はないけどゲームと違う行動をとったのは私なんだし)
この世界は現実。そう自分に言い聞かせるしかない。ただ、幸いにもここがゲームの世界ではないと教えてくれる人物がいる。
「ねぇ、ひとつ聞きたいのだけど?」
ヴィオラはメイドに声をかけた。
「なんでございましょう?ヴィオラ様」
壁際に待機していたメイドが側に来た。
「アルベルトお義兄様は、どうしてあーなっちゃったのかしら?」
ゲームではヤンデレ化していったアルベルトなのだが、どう考えてもそうなりそうもない。前世の記憶があるヴィオラから見ると、取り繕うことが出来ていない時のアルベルトがいささかポンコツすぎて笑いそうなのだ。
「ヴィオラ様?あーなった、とは?」
「私も分かっててよ?さすがに前かがみなられたら…ちょっと、ねぇ?」
小首を傾げてメイドに笑顔を向けると、さすがのメイドも笑顔が引きつっていた。
「やはり、気付かれていらっしゃいましたか?」
メイドが深いため息をついた。
「養女と言うのはお父様の配慮なのでしょう?私に時間を与えて下さったのよね?」
「………左様でございます」
メイドの眉間に若干皺が寄ったのが分かる。
「私だって恋がしてみたいわ」
「…………」
「王宮での夜会で素敵な人との出会いを期待してはいるのよ?」
「…………」
「お義兄様は素晴らしいエスコートをして下さるわよね?」
「それはもちろん」
「ファーストダンスはお義兄様なのですから」
「はいっ」
メイドの期待が高まるのを感じた。どうやらこの邸のメイドたちは、アルベルトを応援しているようだ。
「素敵なお義兄様が傍にいたら、他の方に目移りなどしないでしょうね」
ヴィオラはにっこりと微笑んでお茶のおかわりを所望した。
ヴィオラにバレていることは、邸の使用人たちに周知された。もちろん、アルベルトには教えられてはいない。
ただ、ヴィオラが『素敵なお義兄様』に期待している旨だけは伝えられた。
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