第38話

「こんなことで大丈夫なのか?」


 メイドたちに丁寧に洗われたアルベルトが、濡れ鼠よろしくバスタブにつけられていた。この邸の主人のとして威厳まで洗い流されてしまったようだ。


「もちろん、大丈夫だ」


アルベルトは下からライオネスを睨みつけるように言ってきたけれど、全く様になってはいない。

 だから、どう見ても大丈夫には見えない。もはやメイドたち次第になっている。こんなことでこの先義理とはいえ兄妹として生活していけるのだろうか?


「あー、万が一にもがないことを祈るよ」

「もちろんでございます」


 アルベルトより、メイドの方が力強い返事をした。


「私共におまかせくださいませ」


 メイドたちが胸を張って宣言した。哀れなアルベルトは、髪を乾かし着替えが完了するまで、メイドたちにひたすら叱責を受け続けた。ライオネスは、客人らしくそれを黙って聞いていた。



 晩餐のさい、再びアルベルトは災難にみまわれた。馬車で宣言した通り?ヴィオラがメイドで現れたからだ。それはそれは可愛らし給仕をされて、アルベルトが可哀想なぐらいに動揺をしていた。


「ライオネス様、似合ってませんでしたか?」


 自分を全く見ようとしないアルベルトに、ヴィオラは怪訝な顔をして感想をライオネスに求めたのだ。

 違うのだ。

似合いすぎてアルベルトは頭が沸いてしまったのだ。それを気取られないようにとした結果、あからさまにヴィオラから視線を外すという情けない対応になっているだけなのだ。


「とても可愛いよ、ヴィオラ嬢。もちろん(色んな意味で)似合ってる」

「まぁ、ありがとうございます」


 満面の笑顔でヴィオラは礼を言うと、他のメイドに共に下がって行った。


「アルベルトっ」


 フォークを握りしめたまま微動打にしないアルベルトを、テーブルの下で軽く蹴った。ライオネスに蹴られても、アルベルトの反応はイマイチで、仕方なく執事がアルベルトの傍らに立つ。


「マナーがなっておりません」


 咳払いをし、執事が低い声でそう言うと、ようやくアルベルトが帰ってきたようだ。

きっと、脳内お花畑になって、その中をアルベルトは駆け回ってしまったのだ。妄想のヴィオラと共に。


「…あ、ああすまない」


 まだ若干目が泳いでいるようだが、馬車の中よりはましなようだ。


「本当に大丈夫なんだろうな?」

「もちろん。兄として恥ずかしくないように振る舞うさ」

「すでに恥ずかしいことしかないようだが?」

「私共がしっかりと見張りますので」


 メイドたちが会話に割って入ってくるが、本来なら宜しくないことなのに、今の状況だとそれがとてもいいことに思える。


「とてもよく出来たメイドがいていいね。明日の朝もヴィオラはアレなんだろう?」


 ライオネスはメイドに尋ねた。


「はい、明日の朝もされるそうです」

「だとさ、アルベルト」


 それを聞いてアルベルトは壊れたおもちゃのようにひたすら頭を上下させていた。

 執事が自分の額にそっと手を当てていたのは、ライオネスの視界にしかないことだった。



 朝の身支度を整えながら、アルベルトはメイドたちにしっかりと身構えを説き伏せられていた。

 昨夜既に見ているヴィオラのメイド姿だ。免疫があるのだから、しっかりと対応するよう言い含められる。


「大丈夫、一度見たから。今日は大丈夫だよ」


 それは自分自身に言い聞かせるようにも聞こえた。


「では、先にお伝えします」

「なんだ?」

「朝食のパンケーキですが、ヴィオラ様の手作りです」

「ぐっ」

「お茶もヴィオラ様がいれられます」

「あ、うん」

「『おはようございます。ご主人様』」

「え?」

「ヴィオラ様から挨拶されます」

「え?」

「スマートにご対応下さいませ」

「ど、努力する」

「完璧にこなしてくださいませ」

「ムリだ」

「やるのです」


 情け容赦なく、メイドがアルベルトの顔を挟み込んだ。メイド頭は、幼い頃からいるために、アルベルトは全くもって頭が上がらない存在だ。言うなれば、母親のような存在で、アルベルトを正しく叱り付けることが出来る人なのだ。


「うぅ、だってヴィオラから『ご主人様』なんて呼ばれたら」

「妄想はやめてください」

「っう」


 アルベルトの脳内再生は、全てメイド頭に見透かされている。情けないことだが、幼少期からの成長を、全て見守られていたのだからいまさら隠し事も出来たものではない。

 アルベルトは、メイドたちからの刺さるような目線の中、朝食に挑むのだった。

 既にライオネスは席に着いていて、お茶を飲んでいた。

 そのお茶を入れているのは、


「おはようございます。ご主人様」


 花のような笑顔を向けて挨拶をされると、アルベルトはあれほどメイドたちに言われていたのに、脳内再生が半端なく繰り広げられた。

 けれども、口は勝手に動くものだ。


「おはよう、ヴィオラ」


 メイドたちに見つめられ、アルベルトはぎこちなく席に着く。


「どうぞ」


 ヴィオラが丁寧な手つきでアルベルトの前にお茶を出した。アルベルトはとにかく無心でそのお茶を口にはこんだ。


「美味しい」

「良かった」


 隣でヴィオラが満面の笑みを浮かべていた。母である侯爵夫人が手放しで褒めたたえたヴィオラの腕前だ。前世の知識というより、王太子妃教育の賜物であった。


(可愛い)


 今朝のアルベルトは昨日と違って落ち着いていた。もちろん、事前にメイドたちから入れ知恵があったからと言うのは大きいが、これ以上ライオネスに軽んじられたくない。と言う思いがあるからだ。

 お茶を飲んでいるうちに、ワゴンが運ばれてきて、メイドたちが言った通りパンケーキが目の前に出された。ワンプレートに野菜と焼かれたベーコンがのり蜂蜜が添えられていた。


(前世の記憶のメニューなんだけど、大丈夫かな?)


 この世界の食材は使っているけれど、ポピュラーなのはクレープに卵や野菜がのせられているタイプだと思われる。昨日のカフェでは、こんなメニューはなかったから。

 ヴィオラはドキドキしながらアルベルトの様子をうかがった。パンケーキは甘みがほとんどないので、食事としてかなりボリュームがあるとはおもうのだが?


「美味しいね。初めて食べたけどこういう食べ方もあるんだね」


 おそらく、朝食がワンプレートと言うのが珍しいのだろう。貴族の食事がこんなにこじんまりとしているのはなかなかお目にかからないだろうから。


「見た目が可愛くて、食べるのがもったいなかったけど、美味しかったよ」


 ライオネスは、そう言って丁寧に口の周りをナプキンで拭いていた。

 ヴィオラはすかさずお茶を出して、食器を下げた。ワゴンを押しながらほかのメイドと共に厨房へと行ってしまった。

 ヴィオラの姿が見えなくなったタイミングで、ライオネスは再び口を開いた。


「これから帰るけど、王宮の夜会には俺も参加するよ。ライバルが多いほど面白いだろう?」

「ライバル?」

「忘れたわけじゃないよね?こちらの国の王子もヴィオラに会いたがっている」

「せっかく自由になれたのに、わざわざ不自由を選ぶかな?」

「選ぶのはヴィオラ嬢だよ」

「そうだね、侯爵からよく言われているよ」


 アルベルトは面白くない事を思い出して、多少不貞腐れた。そうすると、メイドがアルベルトを睨みつける。メイドの顔を見て、アルベルトは背筋を伸ばした。


「本当に、ここのメイドたちは優秀だね」


 ライオネスはメイドに向かって軽く微笑んだ。

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