第37話

「それにしても、接客が上手だったね」


 ライオネスは、手放してヴィオラの接客を褒めた。


(前世の記憶があるからなんて、とても言えないんだけど)


 本当は、前世のバイトの記憶。なんてことは絶対に言えないので、ヴィオラはなんと答えたらいいものか無難な返事を頭の中で考える。


「ここに来るまでの合間、平民の私でも出来そうなことをずっと考えてましたの」


 ニッコリ微笑んで答えれば、向かいに座ったアルベルトは一瞬で緩んだ顔を引き締める。

 いやいや、ヴィオラが平民になんてなったら、貴族の権力を使ってすぐに嫁にする。うん、する。絶対にする。邪魔す奴らは片っ端から不敬罪で牢にぶち込んでやる。それに、嫁にしたらウェイトレスなんて、不特定多数の男たちの視線に晒したりなんてしない。自分の義妹であるから、自分の店であるから許可しただけだ。


「ヴィオラ嬢は平民になると信じていたんだ」


 ことの成り行きを知っているライオネスは、面白そうに聞いてきた。


「ええ、そう聞いていたもので?」


 違う、本当は聞いちゃいなかった。記憶を取り戻してプチパニックを起こしていのだ。

目を通したはずの書状も、その内容がどこかに吹っ飛んでしまったのだ。


「それは、ヴィオラ・モンテラート侯爵令嬢のままだと醜聞がよろしくなかったからだよ」


 微かに口元に笑みを浮かべたライオネスはそう言うと、隣のアルベルトを軽く見やった。


「王太子の婚約者だったのに、このような形で婚約破棄をしてしまってはヴィオラの婚約者としての力不足と揶揄されかねないからね」


 アルベルトはちょっとだけ面白くなかった。

 自分はモンテラート侯爵から頼まれたのだけれど、ライオネスはあちらの国王から頼まれている。

 選ぶのはヴィオラだけれど、積極的に選択肢を与えて欲しい。そう頼まれている。

 だから、希望を叶えてウェイトレスの仕事を与えたのだけれど、失敗だったと後悔している。こんなに可愛いヴィオラを、不特定多数の男たちに見せなくてはいけないだなんて。


「お義兄様、私もうひとつやりたいことがあるのですけれど?」


 ヴィオラから可愛くおねだりされれば、兎にも角にもは快諾するのは当然だ。だから内容なんて二の次だ。


「なんだい?ヴィオラ」


 正面に座るヴィオラと、目線を合わせると、ヴィオラの口からとんでもないおねだりが出てきた。


「私、メイドさんもやってみたいんです」


 アルベルトは、脳内のキャパオーバーにより思考が停止した。




「変態だよな」


 馬車の中で物凄い妄想をしたであろうアルベルトを、ライオネスは引きずるように部屋へ戻した。辺境伯で領主でヴィオラのお義兄様でもあるアルベルトは、自爆したのだ。それはもう、見事なまでに。ただ、幸いなことにその顔が正しく引き締まった口元のままであったことと、手足を動かして歩いてはくれたことだった。

 キョトン顔のヴィオラには、部屋に戻って着替えるように伝え、渋い顔の執事に目配せで悟らせた。アルベルトがバカになっている。と。メイドたちはヴィオラのウェイトレス姿を絶賛し、サイズの調整を申し出ていた。暫くは離れていられるだろうし、ヴィオラに気取られる事もないだろう。


「…っ、ぅう」


 鼻血を盛大に出さないだけマシかもしれないが、それでも変態と、罵りたくなる。

 いや、もう、変態なんだろう。

 まだまだ少女と呼べる従姉妹のメイド姿を想像してこんなになっているのだから。


「自制心はないのか?」


 メイドの入れてくれたお茶を飲みながら、ライオネスはため息をついた。

 もちろん、ライオネスだって同士だ。ヴィオラが可愛い。だがしかし、それとこれとは別物だ。変な想像をしてあっちの世界に行きかけるなんて、全くもって紳士ではない。年上の余裕を見せつけなくてはならないというのに、アルベルトはあの元婚約者のアルフレッドと同じぐらい馬鹿なのだろうか?


「俺だって、我慢はしている」

「どんな我慢なんだよ?」


 アルベルトはそう主張するが、全く我慢ができていない。あんな狭い空間の馬車で、妄想を止められないなんてバカだ。我慢ができていない証拠だ。

 いたいけな少女の前で、お前の下半身は変態丸出しなんだぞ。と、ライオネスは言ってやりたかった。が、それは可愛そうだと思い直して眉間に思いっきり皺を寄せてから、アルベルトの股間を指さしてやったのだ。


「我慢ができているとは到底思えん」


 その一言で、アルベルトは顔面蒼白になり、執事は苦笑いをし、メイドたちはアルベルトを引きづるように浴室に運び込んだ。


「変態と言う以外になんと表現したらいいんだ?」


 浴室からメイドたちの叱責と、アルベルトの泣き声が聞こえてきたので、なんとも言えない表情のまま、お茶のおかわりを給仕してくれた執事にライオネスは問うた。


「鍛錬が足りないようで」


 執事はため息を着くように答えを吐き出した。執事は事実上アルベルトの教育係のようなものだ。まだ若いのに辺境伯になぞになってしまったアルベルトを、正しく指導する役目も担っている。


「これじゃあ、俺のライバルにならない」


 新しくいれてもらったお茶を飲みながら、ライオネスは言う。


「アルベルト様は、初恋をこじらせすぎなのです」


 それを聞いて、ライオネスは危うくお茶を吹き出しそうになった。


「……初恋?」

「左様でございます」

「あの年までかかったのか?」

「誠に残念なことに」

「貴族の子弟なら、十歳ぐらいまでに家庭教師とかメイドとかにっ」

「それが全くで」

「めんどくさいな」

「全くもって」

「否定してやれ」

「無理でございます」


 どうやらこの邸には、アルベルトの初恋拗らせの手助けをしてくれる味方はいないらしい。

 ライオネスは小さくため息を着くと、静かになった浴室に向かった。

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