第32話

 ドレスを仕立てるのは楽しかった。

 流行をふんだんに取り入れ、自分の好みを自由に伝え、誰かの目を気にせずに仕立てるのは初めてだった。それが純粋に楽しくて、勧められるままにドレスを発注してしまった。昼間用の帽子とか、そんなお誘いがあるかも分からないのに三つも頼んだし、カジュアルなお出かけ用のワンピースは色違いも併せて10着もお願いしてしまった。

 なにしろ、デザイナーが次から次へと流行りの柄だの色だの言って、出してくるのだ。そうして、ヴィオラの髪の色を美しく見せるならこのデザインがいいとか言われれば、アルベルトは頷いてヴィオラに当ててみせるように言ってくる。

 そうなればもう、あちら側の思うつぼと言ったところで、ヴィオラは鏡の前に立たされて、色々な布を体に当てられたのだった。

 流石に散財しすぎたと、反省したのは馬車に乗ってから。


「流石に多すぎました」


 自分の財産が全くわからなくて、足りるのかさえ不安になって、アルベルトを上目遣いで見てみると、なぜかアルベルトは嬉しそうに笑っていた。


「気にしなくていいんだよ、ヴィオラ」


 体の向きをヴィオラの方にして、軽く足を組んでいるアルベルトは、とても格好が良かった。

 とにかく、ヴィオラは男性への免疫がない。唯一接していたのは父と弟。そのせいか、こんなに大人の余裕を見せつけるように接されては、免疫力の無さに憤死しそうな程に顔が赤らむのを自覚してしまう。


「で、でも、あんなに大量にだなんて、はしたなかったのでは?」


 今まで抑えに押えてきた反動だといえばそれまでで、でもしかし、注文した量がえげつないことぐらいヴィオラにだって分かる。


(せいぜい二、三着ぐらいよね?あれじゃ爆買いだよね)


 初めてのお買い物が楽しすぎた、ということを言い訳にするにはヴィオラはやや小心者だったのかも知れない。今までは、王太子の婚約者として恥ずかしくない物を身に纏うよう心がけてきた。派手すぎず、それでいて地味すぎず、きちんと流行を取り入れた物を身に纏う。そう言うふうにしてきたから、そこに自分の意志はなく、なんの面白みもなかったのである。


「ヴィオラが楽しそうだったからいいんだよ」


 そう言って、アルベルトは笑って肯定してくれた。


(優しすぎる)


 ヴィオラは内心抗議しつつも、散財を咎められなかった事に安堵した。



 ランチを食べるために訪れたカフェは、かなり人気の店だったらしく、店内は混雑していた。

 けれど、店員はアルベルトを見るなり奥の個室のようなスペースに案内してくれた。


(もしかして、予約していた?)


 ヴィオラはバレないように目線だけで店内を見渡しつつ、ゆっくりとアルベルトにエスコートされていた。


(若い女の人が多いなぁ)


 多分、アルベルトはヴィオラの為にこの店のを選んだのだろうと、わかりやすいぐらいに分かってしまった。本当に店の客の、八割は女性で、男性はその連れでしか無かった。

 席に座る時、アルベルトが椅子を引いてくれた。エスコートの仕方が慣れていて、こんなことをしてもらったのも初めてのヴィオラは、ドキドキしていた。

 何しろ、婚約者だったアルフレッドと一緒に食事をしたのは学園の食堂だ。しかも王族専用の個室。給仕係がいて、その人が座らせてくれた。よくよく考えたら、その時点でアルフレッドは最低だったのだ。婚約者をエスコートも出来なかったのだから。

 その時点で見限れば良かったのだ。けれど、こーゆーことの知識がなかったから、ヴィオラはそれでいいのだと受け入れてしまった。だから、アルフレッドの体たらくは止まらなかった。


(まぁ、おかげで楽しく過ごせてます)


 美しく皿の上に盛り付けられたサラダは、ほんの少量だけれど、ハウス栽培なんてものが、無いこの世界では凄いご馳走だ。


「おいしいかい?」


 ニコニコしながら食事をするヴィオラを見て、アルベルトは終始ご満悦だ。


「はい、とっても。こーゆーの初めてなのでうれしいです」


 ちょっとだけ、上目遣いでそー答えればアルベルトはどうにもならないほど、心の中で叫んでいた。


(も、もらった、また、もらったぞ!ヴィオラの初めて)


 アルベルトの心の声は、いささか変態なようではあるが、この歳で拗らせた恋なので致し方がない。



「ダンス用の靴を見よう」


 馬車に乗らず、そのまま歩いて靴屋に向かう。さりげなくアルベルトはヴィオラに、腕を差し出してきた。エスコートをしてくれる。たったそれだけなのだけれど、免疫がないヴィオラは、ためらいながらその腕にそっと手を添えた。

 カフェとは違い、屋外ではなんだか気恥ずかしかった。陽の光の中で誰かにエスコートされるだなんて、まるでデートのよう。そう思っていたら、アルベルトが優しく微笑んで見つめてきた。


(やだ、心の声バレた?)


 気恥しさからヴィオラは思わず目をそらす、しかし、それさえもアルベルトは嬉しかった。


(ああ、ヴィオラが照れている。可愛い)


 心の声を漏らさぬように、アルベルトは端正な顔を崩さない努力を惜しまなかった。

 あの、バカな元婚約者とは違うところをしっかりとヴィオラに見せなければ!と言うよく分からない使命感にかられるのであった。

 もちろん、アルベルトはアルフレッドより年上で、社交界での所作も慣れている。だからこそ、大人で余裕のあるエスコートをしなくてはならないのだ。

 しかし、そんなことを理解できないヴィオラは、とにかく初めてすぎてフワフワした状態のまま靴屋にエスコートされるのであった。



 靴を仕立てるのはかなり気恥しさが伴った。

 何しろ足を、脚を触られるのだがら。常に隠しておくべき足を、採寸のためとはいえ触られるのはどんなに頑張っても恥ずかしさでつい俯きがちになってしまう。

 一応、採寸するのは女性ではあるけれど、その現場は異性であるアルベルトには見せられないので、衝立の向こうで待ってもらっている。

 数ある革から、特に柔らかくて質の良いものを選んでいるようだった。職人らしい男性とのやり取りが途切れがちに聞こえてくるのを、ヴィオラは何となく聞いていた。


(なんか、高くなりそうな予感)


 ドレスに続いて、またもや高価なお買い物になりそうで、ヴィオラが内心ヒヤヒヤしていると、それを察した店員がそっと耳打ちしてきて。


「こーゆー場合は遠慮してはダメですよ」

「で、でも…」

「お金が無いと思われるのは一番傷つきます」


 断言されて、ヴィオラは何となく理解した。

 根本はレディースファーストで、女性は男性に頼るのが礼儀のうちなのだ。元婚約者がまったく頼りにならなかったため、すっかり忘れていた。


「お義兄様にお任せした方が良さそうね」


 採寸を終えて、ヴィオラはそっと呟いた。それを聞いて、店員はとにかく頷いてくれた。


「ダンス用に二足は必要だよね?」


 嬉しそうにアルベルトは手にした靴をヴィオラに見せてきた。どうやら今年の流行りのデザインらしい。少し大人っぽい雰囲気のする靴は、以前のヴィオラならはしたないと言って避けていただろう。

 けれど、今は履いてもいいのだ。いや、むしろ履くべきなのだ。


「そういったデザインのものは初めてです」


 そう言って、アルベルトの手にしている靴を手に取って見ると、細身のベルトがあしらわれて、少し足首の肌が見えそうなデザインは、ヴィオラにとっては大胆な感じした。


「私でも履けるでしょうか?」


 上目遣いで聞いてみれば、先程までアルベルトにあれこれ説明をしていた店主が満面の笑みで言ってきた。


「お嬢様のように美しい方に是非とも履いていただきたいものです」


 それを言われて満足そうに微笑んだのは、ヴィオラでなくアルベルトの方であった。忖度なしに褒められて、ヴィオラはただただ恥ずかしくなるのであった。



「疲れたかな?」


 帰りの船で、アルベルトからそう言われ、ヴィオラは軽く首を振った。

 確かに疲れはしたけれど、このちの良い疲れである。充実した疲れ、とでも言えばいいのか。

 どこに用意されていたのか、なぜかグラスに飲み物が用意されていた。

 プライベートの船に乗って、買い物をして、軽めのワインを飲みながらのサンセットとか、


(プロポーズのながれだわ)


 出来すぎの展開に、ヴィオラは若干引いていた。何しろ前世の記憶があるものだから、どーしても乙女ゲームを連想してしまう。


「お義兄様、本当に夕日が綺麗ですね」


 朝言われていたことを思い出し、思ったまま口にした。


「ヴィオラだけの夕日だよ」


 耳元でそう囁かれれば、これは完全に乙女ゲームのセリフだわ、としか思えないのだから不思議だ。

 鳥肌が立つよりも、爽やかな白ワインを飲んでいるはずなのに、いきなり口の中が甘ったるくて胸焼けがしそうだった。



 そんなこんなで屋敷に、戻ってみると、なぜだかライオネスが客間でくつろいで、ヴィオラたちの帰りをっていた。


(な、なぜ?)


 ヴィオラがそれを口にする前に、アルベルトが抗議した。


「招待もしてないのに、なんでいるのかな?」


 そんなアルベルトを他所に、ライオネスはしっかりと食前酒を空けてくつろいだ姿をみせるのだった。

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