第31話
次の日、アルベルトから王都に新しいドレスを仕立てに行く提案をされた。
「素敵ですわね」
せっかく令嬢とし存在するのなら、ドレスを仕立てるのは専売特許として経済を回さなくてはなるまい。
素直に喜んでいると、行くのは今日だと言われて驚いた。
(そんな突発的でいいの?)
こちらの屋敷の事情が分からないので、文句をいうわけにもいかず、ヴィオラは朝食を終えると急いで身支度を整えに行った。
メイドたちは嬉しそうにヴィオラの身支度を整える。おそらく、この屋敷には長い間女主人はいなかったのだろう。今ヴィオラの世話をしてくれているメイドが、生き生きとしすぎているのが分かりすぎて面白い。
王都に行くと言うことで、こちらの国で作られたドレスを着ることになった。
(採寸してないのに私のサイズって)
驚いたことに、実家から持ってきたドレスのように、ヴィオラにピッタリの仕立てだった。これは相当なお針子がいるようだ。
たぶん、ヴィオラの父である侯爵が、金に糸目を付けずに発注したのだろう。いったいどの段階で発注したのやら?考えるのも恐ろしいという事だ。
「ふ、船?」
馬車で気軽に行くのだと思っていたら、 街まで降りたら港に馬車が止まった。目の前には船が停泊している。
「ヴィオラは、船は初めて?」
名前で呼んでる。と突っ込みたいの気持ちはあるものの、自分がお義兄様と呼ぶのだから、当然相手は名前で呼ぶのは分かりきったこと。義理の妹という設定。養女に入った。
「はい、見るのも」
内陸の王都から出たのも今回が初めてだ。
内心のワクワクを、気取られないように振る舞うけれど、やはり頬が上気してしまったり思わず早足になってしまったりして隠しきれてはいない。
そんなヴィオラを見て、アルベルトは思わず顔がニヤけるのを抑えるのに必死だった。初めて見た時、凛として隙のない王太子の婚約者然と振舞っていて、よく出来た機械人形のようだった。身内にだけ見せる柔らかい笑顔を、自分にも向けさせたかったが、すでに叶わない。どれほど落胆して帰ってきたことか。
けれど、あのバカ王子がやらかしてくれたおかげで、手に入れる最大のチャンスがやってきたのだ。
彼女の、ヴィオラの初めてを全て自分のモノに出来るチャンスだ。
初めてのお義兄様を手に入れた。これは、もう誰も手に入れられない権利だ。わざわざ父親であるモンテラート侯爵が指名してくれたのだ。
あとはゆっくりと二人の時間をかけて、色々な初めてを自分のモノにしていくだけ。願わくば、『初恋』を捧げて欲しい。
幸いにも自分は辺境伯の称号を持っていて、あの美しい街も軍事も好きにできる。ヴィオラが望むなら、あの街ぐらいプレゼントしてもいい。
船に乗るのが初めてと言うのだから、彼女のために船を作るのもいい。美しい彼女に似合う豪華な船を贈るのも素敵だ。海沿いのこの国では、ステータスとして船を保有する。もちろん、船という閉鎖空間であるから、貴族の令嬢は一定の歳頃になると一隻は所有するのが習わしだ。ドレスもそうだが、ヴィオラには船も用意しなくてはならない。
アルベルトの楽しい妄想は、初めての船旅に浮かれるヴィオラの横でひっそりと行われていた。
「お義兄様、海が輝いてますわ」
すこしはしゃいだような声でそう言われ、アルベルトは楽しい妄想から現実に帰った。
(ああ、こんな顔もしてくれる)
ヴィオラの無邪気な反応に、アルベルトは自然と笑顔になった。ヴィオラのこの笑顔が自分だけのものだと確信しているから。
「天気がいいからね。夕日に染る海も綺麗だよ」
アルベルトがそう言うと、ヴィオラはまた目を輝かせた。彼女の初めてを自分だけのものに出来る幸せを、アルベルトはこっそりと噛み締めていた。
王都に着いて、再び馬車に乗ると、ヴィオラは窓からとにかく街並みを食い入るように見つめていた。
「何か、気になる?」
アルベルトが尋ねると、ヴィオラは満面の笑みで答える。
「何もかも」
それを聞き、その笑顔を正面から受け止めて、アルベルトは叫び出しそうな自分を必死で戒めた。
(この歳でこれはまずい)
出会って直ぐに失恋して、言葉を交わすことなく別れたせいなのは、自分でも分かっている。分かってはいても、自分は十分大人だ。若干こじらせかけていることも理解している。
だからこそ、キチンとしないといけない。大人として、信頼のおけるお義兄様としなくてはいけない。
「まずはドレスを仕立てよう。そうしたらカフェにでも行って食事をしようか?最近人気の店があるんだよ」
そう伝えると、ヴィオラがまた、嬉しそうに笑う。人目が気になって外食なんてしたことがなかった。と自嘲気味に言われれば、こんなことでさえ彼女の初めてを得られた喜びで溢れてくる。
こちらの流行のドレスを仕立てよう。どれほど彼女を美しくできるだろうか?そんなことを考えているうちに、馬車は静かに店の前に停まった。
慣れている風を装って、アルベルトはヴィオラの手を取りゆっくりと馬車から降ろした。
今王都で一番人気のあるデザイナーがいる店である。既製品も売ってはいるが、ヴィオラにはキチンとオーダーメイドで。
実はヴィオラがこちらに来る前に、今日の予約を取っていたことは秘密だ。モンテラート侯爵の注文したドレスが届けられた時、大まかな日程から、今日という日を予約していたのだ。
今日彼女が着ているのは、彼女の姿を見ないで仕立てたドレスであり、彼女の趣味は一切反映されていない。モンテラート侯爵が父親として可愛い娘のために注文しただけのドレスである。もちろん、似合ってはいるけれど、それだけでは不満なのだ。
もちろん、まだ彼女との関係は義理の兄妹と言うだけであって、不満はない。不満はないのだが、義理であることを主張しないと不安が残る。
ほぼ時間通りに店に入ると、この店の主人でもあるデザイナーが両手を広げて出迎えてくれた。
「ようこそ、セルネル様」
嬉しそうに椅子を勧めてくる。アルベルトは、さりげなくヴィオラをエスコートして、本当にさりげなく隣に座った。
「本日のドレスも良くお似合いですが、やはりお父上様が見立てただけに大人しく見えてしまいますわね」
デザイナーはそう言うと、布地をテーブルにいくつも広げた。
「今人気の色はこちらです」
出されたのはいまヴィオラが着てるドレスよりも明るいトーンの布だった。たしかに、春を迎えてこれから社交のシーズンが盛りとなるのなら、明るい色がいいだろう。
「夜会用のドレスも仕立てたい」
アルベルトがそう言うと、隣にいたヴィオラは驚いた顔をした。
「お義兄様、よろしいのですか?」
たしかに、ヴィオラは婚約破棄をされた身であるから、社交会で出会いを求めることも必要だろう。ダンスは外交の手段として恥ずかしくない程度に踊れる。
「せっかく自由になれたのだから、楽しまなくては損だよ、ヴィオラ」
優しい笑みを向ければ、ヴィオラが嬉しそうに笑う。それを隣で見るだけでアルベルトは心の中でガッツポーズをしてしまうのだ。
もちろん、美しいヴィオラを色んな奴らに見せつけたいのは当然だ。養女として外国からのやってきたことも、噂話が大好きな貴族の中にはもう知れ渡っている。彼らはヴィオラを早く見たがっている。辺境伯の美しい従姉妹を。
「お話に伺っていたよりも、本当に美しくていらっしゃいますわ」
デザイナーは、モンテラート侯爵から聞かされた話を親の欲目と思っていたが、聞かされた内容よりもずば抜けて美しかった。
噂で聞いてはいたが、たしかにその所作の一つ一つが洗練されて美しいのだ。この美しい仕草を遮らないようなドレスを仕立てなくてはならない。そう感じてしまった以上、いまヴィオラか着ているドレスのなんと貧祖なことか。自分で作っておいてなんとも情けなかった。
「ヴィオラ様の美しさを存分に引き出せるよう、誠心誠意努めさせていただきますわ」
そうして、鼻息荒くデザイナーはヴィオラの、採寸に取り掛かるのだった。
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