第14話

「お母様!」


 馬車から降り、玄関に入るなり泣き叫ぶ令嬢がいた。


「お母様、お母様!」


 走ってはいけない。と、常に言いつけられてきたはずであったが、今日はとてもではないけれど、その言いつけを守る訳には行かなかった。

 そんなことを気にすることが出来ないほど、彼女の心は乱れているのだ。


「どうしましたか?エリーゼ」


 姿勢よくソファーに腰掛け、優雅な仕草で娘を見やる貴婦人は、エリーゼの母親である。

 一瞬、厳しい言葉をかけようと口を開きかけたが、飛び込んできた娘のあまりの悲壮な顔に、言葉を失った。

 かつて娘はここまでの顔をしたことがあっただろうか?


「お母様っ」


 ただひたすらに母親を呼び、泣きじゃくる。邸に入るまで我慢をしていたのだろう、自分に縋るその細い指は真っ白だった。噛み締めていたであろうくちびるは少し切れている。


「一体、何事ですか?」


 伯爵令嬢として、世間に恥ずかしくないように育ててきた娘である。それなのに、帰宅するなり泣き叫ぶとは、淑女としての礼儀作法も何もなってはいない。


「ダニエル様が…」


 娘の口から出てきたのは婚約者の名前だった。

 つまり、婚約者と、何かがあったということか。娘の髪を優しく撫でながら、夫人はチラリと家令を見やる。

 既に何があったのかを知っている家令は、泣き続ける娘に、気遣いながらそっと夫人に耳打ちをした。

 それを聞いて、夫人の顔は青くなり赤くなった。

 そして、自分に縋り付き泣き続ける娘を見て、ワナワナと唇が震えるのだ。


「…な、なんて?」


 家令の言葉ははっきり聞いた。しかし、理解が追いつかない。追いつかないが、娘は泣いている。それが全てである。

 夫人は、自身を落ち着かせようとゆっくりと娘の髪を撫でた。今しがた生まれた自身の感情の名前など知らない。


「呼び戻して、今すぐよ!」


 家令にそう命じると、夫人はゆっくりと娘の顔を覗き込む。絶望に打ちひしがれたその瞳からはただただ、涙が溢れ続け止まる気配はない。


「なんて、なんてことでしょう」


 娘が受けた屈辱を思うと、夫人の中にまた、新たなる感情が芽生える。夫人はまた、その感情の名前を知らない。


 王城は混乱をしていた。いや、正確には混乱をしていたのは伝令を伝える武官たちで、夫人から帰宅を促す旨の伝達が突然大量にやってきたのだ。

 しかも、何故か王太子から王にお目通りの進言があった。

 これは何事か?と、上層部の議員でもあるものたちが、謁見の間にそのまま居座った。

 例え王太子であろうとも、玉座に座る王に単身で謁見は許されない。

 上位貴族が居座る中、王子は謁見の間に入室を許され、恭しく礼をした。が、その口からは聞くに絶えない言葉がつむぎ出される。

 そして、口を開いたのはダグラス伯爵であった。


「この騒ぎの原因は王子たちでございましたか」


 夫人から帰宅の要請があったので、その旨を伝えて王城を、今まさに出ようとしていたこの時に、王子がわざわさ答えを持ってきてくれた。



 そう言った王子の瞳に嘲りが浮かんでいるのを王は見逃さなかった。有るまじき態度である。


「王子よ、話は聞いた、もう下がれ」


 王がそう言うと、王子は目を見開いた。自分の話を聞いて、何もなさないつもりなのか?と憤りの感情が滲み出ている。


「追って、沙汰する」


 王子が謁見の間を後にするのと同時に、文官が横の扉から入ってきた。恭しく文箱を掲げている。皆が目配せをする中、溜息をつきながら宰相であるヴィクトリオ公爵が書簡を取り上げる。

 一度内容を黙読して、頭を抑える仕草をしてから、チラとモンテラート侯爵に目線を動かした。対するモンテラート侯爵も、やれやれと言う仕草をする。

 謁見の間にいる貴族たちは、先程の王子の話を聞いて、宰相の手にある書簡に何が書かれているのか察しが着いていた。


「では、読み上げますぞ」


 一つ咳払いをしてから、宰相は書簡を読み上げた。

 そして、王は素早く指示を出す。渦中の四人を別々に王城内で謹慎させ、件の令嬢は国教会に軟禁しろ。と。

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