そもそも主人公ってどゆこと?

第13話

「ーーーーーだからと言って、みなさまもーー、でいらっしゃるのではなくて?」


 目の前にいる男爵令嬢アンジェリカから発せられた言葉がヴィオラにはまるで理解できなかった。

 いや、理解したくない。と言うべきなのか?

 言っていることがあまりにも荒唐無稽で、ヴィオラだけではなく、友人の令嬢たちも言葉を失い呆然としていた。


(この方、今、なんておっしゃいましたの?)


 耳から入った言葉を、必死で理解しようとするものの、ヴィオラが培ってきた王太子妃教育でも対応はできなかった。

 いや、おおよそこの場に居合わせた貴族の令嬢、それに令息たちは、この男爵令嬢の発言を受け入れることはできなかったのだ。

 婚約者のいる男性をあろう事か愛称で呼ぶなんて、しかもその婚約者に向かって。である。更に対象が一人でなく複数。

 ヴィオラは目眩がするほど動揺していた。


(なんて破廉恥な!いえ、醜聞?こんな大勢の前で取り返しがつきませんわ)


 頭の中ではそう思っても、ヴィオラの口は動かなかった。全身から血の気が引いたように体が冷たくなって、瞬きさえ出来ないぐらい硬直していた。侯爵令嬢で王太子の婚約者とは言えど、まだ親の庇護のもとで生活をしている身である。さすがにこんな不測の事態に流れるように対応できるほど人間が出来てはいなかった。


「あら?ーーーーかしらぁ?」


 続けてアンジェリカの口から紡がれた言葉を聞いて、ヴィオラの中でなにかが弾けた。

 そして、自分でも信じられない勢いで、手にしていた扇をアンジェリカのこめかみに振り下ろしたのだ。

 そのスピードと勢いは、普段のヴィオラを知る人からすれば予想外の動きだった。


「きゃぁぁぁ」


 アンジェリカが悲鳴をあげて床に倒れ込んだ。

 だがしかし、回りに集まっている令息令嬢たちは誰一人としてアンジェリカに手を差し伸べない。

 いや、差し伸べられなかった。

 この場に居合わせる誰もが知っている、ヴィオラは侯爵令嬢で、王太子の婚約者である。そして、倒れたアンジェリカは男爵令嬢。

 今しがた聞いたアンジェリカの発言で、誰もが手を差し伸べることを拒んでいた。いまここでアンジェリカに手を差し伸べるということは、先程のアンジェリカの発言を肯定することに等しいのだ。


「アンジェリカ!」


 回りを取り囲む人の垣根を押しのけて、一人の男性がアンジェリカに、駆け寄った。


「ああ、ダニー」


 上半身だけ起こした体制のアンジェリカの肩を抱くようにしたダニエルは、アンジェリカの傷を見て、ヴィオラを睨みつけた。


「何様のつもりだ!」


 その怒気に一瞬周りは気圧されたものの、ヴィオラは恐ろしいほど冷めた目線でダニエルを見つめた。

 ダニエルの婚約者であるエリーゼが、ヴィオラの背後でワナワナと震えているのが感じ取れる。


「あなたこそ、何様のおつもりかしら?」


 力いっぱいアンジェリカに叩き付けた扇は、ヴィオラの手の中でしっかりと折れていた。

 ヴィオラはその折れた扇を握りしめたまま居丈高に言い返す。


「アンジェを傷つけておきながら、よくもっ」


 激しい憎悪の瞳を向けられるが、ヴィオラはそんなことでは怯まなかった。


「あらあら、婚約者がいる身でありながら、他の女性を愛称で呼ぶなんて、ギーズロー侯爵家ではどのような教育をなされているのかしら?」


 口元を隠す扇が壊れてしまっているので、いまは扇を口元に当てるだけの仕草しか取れない。だが、それだけでもヴィオラの所作は美しかった。


「お前!誰に何をしたのか分かっているのかっ」


 怒気をはらんだその物言いに、ヴィオラの後ろにいるエリーゼが怯えるのが分かる。

 だからこそ、余計にヴィオラは冷静だった。今この場において、ヴィオラは誰より冷静でなくてはならないのだ。


「あなたこそ、誰をお前呼ばわりされますの?」


 冷ややかなヴィオラの物言いに、アンジェリカの肩がビクリと震えた。


「アンジェ、怖がらなくていい」


 慈しみを込めた言葉をかけられ、アンジェリカは満足そうに微笑んで、ダニエルの腕に隠れるような仕草をする。

 そんなアンジェリカを見て、ダニエルは余計に怒りを覚えたのか、ヴィオラを更に睨みつけた。


「アンジェに怪我をさせて、こんなに怯えさせるだなんて」


 再びの愛称呼びに、もはやヴィオラは呆れていた。


(最低ですわ)


 ヴィオラは、ゆっくりと瞬きをすると、


「だからなんだと言うのです?わたくしは侯爵家の娘で、王太子の婚約者ですのよ、分を弁えて?」


 ハッキリとそういった。


「まだ王子の婚約者気取りか」


 ダニエルは鼻で笑ってそうったが、


「何を妄想されているかは存じませんけれど、王太子の婚約者と言う肩書きは口約束で作られたものではございませんのよ?ご存知?」


 ヴィオラがそう言うと、アンジェリカは大きく目を見開いた。


「家格が上がれば、婚約という行為がどれほど大切なものかお分かりでしょうに」


 嘲りをのせてヴィオラは告げる。


「アンジェ…」


 騒ぎの中、ようやくアルフレッドがやって来た。そして、あろう事か呼んだのは婚約者ヴィオラの名前ではなく、そこに倒れるアンジェリカの愛称だ。

 回りを取り囲むものたちから、ざわめきが起きるが、当人は耳に入らないようだ。


「ヴィオラお前、なんてことをっ!」


 アルフレッドはむき出しの怒りをヴィオラに向けたが、今更ヴィオラはそんなことで怯えたりはしなかった。


「何度も申し上げてございますが、婚約者の前で他の女性を愛称で呼ぶなんて、はしたないですわよ?」


 ヴィオラはそう言って、まるで汚いものを見るような目付きをしてみせて、そっと目線を逸らした。


「血が出ているでは無いか!これは傷害罪だそ!」


 ヴィオラに窘められているのに、それも聞き入れず、アルフレッドはまくし立てる。


「例えそうだとしましても、あなたがたにはわたくしを拘束することは出来ませんのよ?」


 立ち上がり、ヴィオラに手をかけようとしていたダニエルは、その言葉に動きをとめた。


「何を勘違いなさっているかは存じませんが、ここは学園。あなた方はここに通う生徒に過ぎません」


 ヴィオラがそう言い切ると、周りに集まったものたちは一斉に頷いた。

 今ここでヴィオラに手を出せば、回りを囲むものたちに阻まれる事は容易に想像ができた。

 口ばかりで行動を起こさないアルフレッドに、アンジェリカは縋るような目で見つめてみるが、アルフレッドはヴィオラに対して何も出来ないでいた。


「アル、どうして?」


 アンジェリカが、そう耳元で囁いてもアルフレッドは何もしてくれない。


(どういうことよ?ここで断罪イベントで婚約破棄の流れでしょう)


 アンジェリカは内心イライラしていた。もちろん、ヴィオラに力一杯扇で叩かれた所も痛い。


(だいたい、なんだって扇なんか持ってるのよ)


 まったくの誤算だった。せいぜい平手打ちされるぐらいだろうとタカをくくって、断罪イベント発生への総仕上げと言わんばかりにまくし立てて見たものの、まさかの武器での殴打とは。オマケに、ひ弱そうな可憐な少女のヴィオラが、まさか全力で殴ってくるなんて思ってもいなかったのだ。確かに、このご令嬢のドレスは正直重たかった。絹という素材が実はとても重量があるということを知ると同時に、ゴテゴテとレースやなんやらの装飾が着けば着くほど重たくなって、オマケに足元はかかとの高い靴なのだ。そんな体勢なのに背筋を正して真っ直ぐに歩き、かつ髪は長く結い上げられている。生きているだけで地味に筋トレをしているようなものだった。だからなのだろう、深窓の令嬢であるヴィオラはなかなかに腕力があったのだ。

 アンジェリカは本気でこめかみが痛かった。血が流れているのがよく分かる。しかも、反動で倒れ込むとは思ってもいなかった。

 深窓の令嬢のフルスイングを甘く見ていたようだ。


「そんなに心配でしたら、医者にでも見せたら宜しいのではなくて?」


 ヴィオラはそう言うと、くるりとアンジェリカに背を向けた。


「みなさま、お騒がせして申し訳ございません。わたくし、責任を感じておりますのでしばらく謹慎致しますわ」


 美しい淑女の礼をして、ヴィオラはさっさと退場してしまった。

 それを見送ると、回りを取り囲んでいたものたちも、さっさと解散して行くのだった。

 後に残された三人は、呆然とするしか無かった。何しろ、国の王子であり、次期国王のアルフレッドがこんな状態なのに、誰も手を差し伸べず、しかも医者を呼びもしない。アンジェリカは本当に血を流しているにも関わらず、だ。


「あ、アル…」


 アンジェリカはものすごく不安にかられた。なにしろ、ここまでお膳立てしたというのに、イベントが起こらなかったのだ。


(どーゆーこと?まさか、フラグが立っていなかったとでも言うの?)


 アンジェリカは考えながら辺りを見渡した。自分たち以外もはや誰もいない。

 しかも、よく考えたら、トーマスとクリストファーがいない。


(あいつら、何サボってんのよ!)


 役者が揃わなかったからイベントが発生しなかった。とアンジェリカは思った。だがしかし、悪役令嬢であるヴィオラは、自ら謹慎すると言ったではないか。

 イベントは発生しなかったけれど、ルートとしては進んでいる。と解釈したアンジェリカは、アルフレッドに抱き抱えられ、保健室へと運び込まれるのであった。

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