第6話
全身がガクガクと小刻みに震え、動くことが出来ない。呼吸は短く荒くなり、自分自身でどうにもならないことが理解出来た。
おそらく、生まれて初めて体感する恐怖だった。なにしろ前世で死んだ時の記憶が無い。扉の外に死が迫っている。
「ヴィオラ様?」
御者が呼ぶが、返事ができない。
息をするのがやっとなぐらい、ヴィオラは恐怖で支配されていた。頭の中は真っ白で、自分がどうしたらいいのかさえ判断できなかった。
ただ、殺される。
それだけが支配していた。
どれほどの時間がたったかはわからなかったが、ヴィオラはようやく冷静さを取り戻した。荒く短かった呼吸が、いつもの深い呼吸へと変わった。肺にゆっくりと酸素が入り、頭がゆっくりとクリアに変わる。
(人前でいきなりはありえないよ)
どこだかはわからないが、宿屋の前。御者もいるし、おそらく宿屋の女将あたりが出迎えてくれているはず。そんなところで、いきなりヴィオラを切りつけるなんてしないだろう。一応騎士の格好をしているのだから。
何回か深呼吸をして、ヴィオラは立ち上がり、馬車の扉を開けた。
外には御者と宿屋の女将が立っていた。
トーマスはいない。
ヴィオラはそっと胸を撫で下ろした。
前回同様、ヴィオラのカバンは女将が部屋まで運んでくれた。案内された部屋は、前回同様に、広くて清潔だった。
女将がすぐにお風呂の支度をすると言うので、ヴィオラは仕方なくソファーに座って待つことにした。とりあえず、靴を脱ぐのが悩みどころだ。
まだ国境まで距離がある。
こんな宿屋でヴィオラを、切り付けるだろうか?
血が飛び散ったら弁償だし、何より死人が出たら宿屋の商売上がったりだろう。
ヴィオラはとりあえずくつろぐことにした。ブーツを脱いでスリッパに履き替える。これだけでなかなかの開放感を得られるのだ。
それにきっと、ヴィオラを殺すなら街道の人気のない辺りの、国境に近いところでやるはずだ。でないと、国外追放の意味が無い。国内でヴィオラを殺せば、父である侯爵が黙っていないはずだ。裏切ったのは王太子なのだから。
前回同様お風呂に入って、ゆったりと食事をした。
女将が付きっきりで給仕をしてくれるので、今回は早めにチップを渡した。
忘れずに、朝食は軽めでいいとお願いし、昼食用の軽食を頼んだ。あのバスケットに頼むと、快く受けてくれた。
(こーゆーのを地獄の沙汰も金次第って言うのかしら?)
前世で時々ふざけて口にしていた言葉を思い出した。たいてい、オタク友だちとふざけている時に口にしていたと思う。正しい意味は知らないけれど。
それに今、ヴィオラは内心自分の立ち位置に困惑していた。
平民に成り下がったはずなのに、罪人なのに、なんだか待遇がいい。確かに、平民でも金持ちはいる。貴族なのに生活に困窮している人もいる。そう考えたら、ヴィオラは金持ちの平民になるのだろうか?
「財産を没収されたわけではないから…」
ヴィオラ名義の口座があったはずだ。王太子に輿入れする際の支度金として、蓄えられたお金。並の相手に輿入れする訳では無いから、それ相当な額が用意されていたはずだ。
婚約破棄されたから、使い道が無くなったわけで、無くなったわけではない。
「結構お金あるかも」
ヴィオラは小さく微笑んだ。
殺されずに国外追放されたら、安全な住処を見つけて、実家に連絡をとって口座のお金を送ってもらおう。なんと言っても美少女だから、求婚されないはずがない。支度金があって、外国の貴族の娘。婚活には有利だ。
ヴィオラは小さく微笑んだ。
寝る前に戸締りはバッチリした。
鍵を掛けるだけではなく、馬車同様に紐でドアノブを固定した。これでトーマスに夜襲をかけられることは無いだろう。ドアが開けられなければ、音が出るからすぐに誰かに見つけてもらえる。
「うん、これでいいわ」
寝巻きに着替えると、ヴィオラはベッドに潜り込んだ。慣れていないけれど、寝心地は悪くない。
(布団の硬さが懐かしいわ)
上も下もふかふかの布団は、前世で見たアニメのオープニングを思わせて、不思議と幸せな気持ちになった。
トーマスは怖いけど、とにかく寝よう。体力は必要だ。
同じ頃、騎士の格好を脱ぎ捨てたトーマスは、頭を抱えていた。
「はぁ、自害したかと思って慌ててしまったんだ」
到着して、扉を叩いても反応がなかったため、その場に居合わせたみなが背筋を寒くしたのは事実だ。
侯爵令嬢、王太子の婚約者として生きてきたヴィオラが、自分のおかれた状態に悲観して自害。なんて事は簡単に想像できたからだ。
最悪な事態を想像して、ヴィオラから一番関係性が遠かったトーマスが様子を伺うことにしたのだ。
最悪な場合は、扉を壊す覚悟で。
が、以外にもヴィオラはカーテンを開けて外の様子を確認した。そう、寝ていたのだ。目が会った瞬間、ヴィオラの顔を見てすぐに分かってしまった。残念なことに、ヴィオラにヨダレの後があったから。
自分を認めた後のヴィオラの動きは早かった。カーテンを閉めるのに秒だったのだ。その後、ヴィオラからの応答が無くなった。
そうして、気がついた。
やらかした。
ヴィオラは、トーマスのことも嫌っていたのだ。
「まぁ、つかず離れずでまた行けばいいさ」
「女将に昼食のバスケットを渡したそうだ」
「明日の昼食もしっかり食べるつもりでいるんだ。死なないだろう」
仲間からの慰めの言葉は、ヴィオラの図太さを物語っていた。明日食事を心配するヴィオラ。繊細で儚いご令嬢……ではないようである。
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