第2話 夢追
次号のネタが薄いと編集会議で部長が苦言を呈したのは週始めのことであったらしい。そして週明けまでにインパクトのあるネタを各自ひとつノルマとして拾ってくることを至上命令として言い渡され、ほとほと窮した新聞部部員、
「蓮次郎、あんた何か持ってんでしょう。出しなさいよ」
いきなりそう
「……そんな、また強盗のような」
僕は帰り支度の手を止め、わざとらしくため息を
けれど結砂はさらに前のめりになった。
「ほら、いつものやつ。デジャビュ、夢ネタ」
「ネタじゃありません。僕はアレに心底困っているんです」
「そんなことどうでもいいの。あるの。ないの。どっち」
将来こういう上司の元では働きたくはないものだと僕はもう一度嘆息を漏らし、そしてためらいながらもうなずく。
するとその途端、結砂の表情が一気に晴れた。
**********
幼い頃から時々厄介な夢を見る。
それは色鮮やかで、時として匂いや音、感触さえリアルに感じられるコマ切れ映像の一群。そしてその断片をつなぎ合わせると暗示めいたなにかが浮かび上がる。
そういう夢だ。
けれどそれだけなら取り立てて悩む必要はない。
厄介なのは目覚めた後、その夢が何度も網膜の裏で再生を繰り返してしまうことだった。
たとえば歩行中、授業中、食事中、ありとあらゆる場面でそれは起こる。しかも見ている間は意識が飛び、さらに強烈な頭痛を伴うのでたいていの場合僕はその場に昏倒してしまう。子供の頃、それがいつ襲ってくるのか分からない不安と恐怖に僕は怯え、そしてしばしば学校を休んだ。
もちろん両親はそんな僕を心配して病院に連れて行った。
すると医者は癲癇発作ではないかと仮診断を付け、精密検査ができる総合病院を紹介した。次いでその大きな病院では MRI と脳波検査、そして詳しい血液検査を行ったが、幸か不幸かどの検査にも異常は検出されなかった。その大病院の医師は PC モニターに映された画像や検査結果と僕の顔に視線を何度も往復させた後、やがて軽く首をひねって「心因性障害かもしれませんね」と軽く笑った。
それで今度は評判の良いメンタルクリニックに連れて行かれることになった。そこの医師は僕にいくつかの簡単な質問を行い、それに対する僕の答えを丁寧に書き留め箇条書きにしてまとめた後、母親に(父は仕事で同席できなかった)告げた。
「おそらく不安障害の一種だと考えられます。ご家庭ではできるだけ心と体をリラックスさせることができるように努めてください」
診察は終了した。
かくして僕はなんとか不安障害という病名を手に入れ、そのせいで両親は事あるごとに「何か心配事はないか」としつこく質問攻めするようになり、さらに状況を悪くしてしまったのであった。
というわけで未だ原因は謎のまま、僕は時折前触れもなく襲われるこの奇妙な夢に悩まされ続けて久しい。
**********
「あ、鉄塔。今度こそ、アレだよね」
結砂の声に僕は緩やかにカーブしていく坂の先へと目線を上げる。
すると夕焼けを背景にそびえ立つ鉄塔のシルエットがあった。
「さあ、どうでしょう」
「違ってたら殴るから、二発」
結砂が僕の前に踊り出し、拙い手振りでシャドーボクシングを始める。
「あの、帰ってもらっていいですか……」
鳩尾にミドルブロウを一発喰らった。
今回の夢の映像はわりと鮮明だったけれど、それでもすんなりとその場所にたどり着けるとは限らない。放課後、僕たちは学校から見える送電線の流れを追って、すでに五本の鉄塔を巡っていた。
「でもさ、考えてみればもっと遠くにある鉄塔かも知れないよね」
「その可能性は否定しませんが、持ち主がウチの高校の制服着てましたから、おそらく近場かなと」
「それだけ?」
「それだけです」
淡々と答えると今度はなぜか背中を小突かれた。
昨夜の夢。
大きな穴が空いたフェンスとそれに囲まれた鉄塔。
草むらに転がる大きなイルカのストラップが付いたスマートフォン。
そして鉄塔近くの家の前で泣きむせぶ女子高生。
ものぐさな僕が、たったそれだけの情報をもとに鉄塔巡りをしている理由はただひとつ。悪夢とそれに起因する激しい頭痛から逃れるためだ。
いまだ原因は不明。けれど回避する方法は見つけた。
それは夢の暗示を追うこと。
夢に現れた景色、人、物、音、匂い、それらを探してたどって、行き着いた先になんらかの解決が待っている。またそのように行動すれば、あの恐ろしいフラッシュバックや発作が起きないことが分かった。
小学六年生、十一歳の夏休みのことだった。
忌々しいことにその僥倖には少なからず結砂が関わっているのだが、それはまた別の話。
「あ、ここです」
六本目の鉄塔の前に立った僕はすぐに断言した。
「なんで分かるのよ」
喜ぶだろうと思ったのに結砂は怪訝な目つきで僕を見遣る。
「だってこのフェンスの穴。夢に出てきたのと形がそっくりですから」
答えた僕は身を屈めてその隙間を通り抜ける。
すると続いて穴を潜り抜けてきた結砂が背後で不平を口にした。
「もう、靴とか汚れちゃうじゃない。どうしてくれるのよ」
「嫌だったらフェンスの外で待っててもらっても全然構わないんですが」
「なによ、ここまで来て私を除け者にしようっていうの。蓮次郎のくせに生意気ね」
僕は理不尽が過ぎる彼女の受け答えに小さく肩を窄ませ、それから周辺に目を配ってみる。敷地は案外広く、こじんまりとしたコンビニほどはあるのではという印象。
また間近に望むと夕日に赤く染まり薄闇に突き上げる鉄塔がまるで亡国の朽ち果てた要塞のように見えて少しばかり空恐ろしくも感じた。けれどそれよりもその敷地のほぼ全体が膝丈ほどの雑草で覆われているのを見て、僕は一気に表情を曇らせた。
「まずいな。もうずいぶん暗いし、この草むらからスマホを見つけるのはちょっと無理かも」
絶望的な気分に苛まれ自然肩も落とした。するとその肩に結砂がポンと手を置き、そして芝居じみた声で呟く。
「そう弱気になるな、蓮次郎。きっと神のお導きがあるはずよ」
振り返ると結砂が取ってつけたような神妙な顔つきをしていた。
「いや、冗談かまされてる場合じゃないんですよ、マジで。見つけられなかったら僕は今夜ずっとあの悪夢と頭痛のヘビロテ確定なんですから」
さすがにムッとして口を尖らせると彼女は胸の前で両手を組み、そしておもむろにアヒル口を作って鉄塔の先に目を向ける。
「ああ、信じる者は救われん」
結砂が突然、大仰なセリフを大仰に両腕を開いて吐いた。
「いい加減にしてください。怒りますよ」
「ふむふむ、なるほど神はこう宣っておるな。蓮次郎よ、この神託の者に駅前でドーナツを捧げ奉れば必ずや其方の探し物は見つかるであろう、と」
「はあ?」
「そうか、そうか。それならば抹茶シェイクも供物に加えると。ふむふむ、良い心掛けじゃが嘘偽りはあるまいな」
「なんなんすか、いったい」
呆れてため息を吐くとその途端、結砂の瞳がキラリと輝いた。
そしていきなり指先を鉄塔の脚に向け素っ頓狂な声を上げる。
「おお、アレはなんじゃ。あんなところになにやら四角い物が落ちておるぞ」
「え、まさか」
目を見開き彼女の指先をたどっていくと、そこに草がまばらな場所があり、たしかになにかが西陽を反射して光っていた。
「いやいや、そんなわけ……」
呆れながらも半信半疑、僕は草をかき分け進み、その光へと右手を伸ばし拾い上げる。すると信じられないことにそれは紛れもなく僕が夢で見たイルカのストラップが付けられたスマートフォンだった。
「はい、じゃあ後でドーナツと抹茶シェイクよろしくね」
そう言ってどこぞのアイドルのように片目を瞑り、舌先をペロリと出した結砂に僕は顰めっ面で頭を下げた。
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