第267話託された願い

「飯塚ちゃん…」


 店の外では飯塚の叫び声が筒抜けだった。どういう会話をしているのかは分からない。けれど確かに聞こえた飯塚の叫び声。


『僕はあの人の今を見てきた!あの人をいい人と思って何が悪い!』


「ふん。クズみたいなお前のことを『いい人』か。お前もいい相棒に恵まれたのお」


「はい。そうですね…。やれやれ、だぜだぜ、どっとこむっと。ふああああ」


 狭山のおじきの言葉に返事をする田所。目に溢れるものは見られたくない。涙をごまかすように大あくびをしてみせる田所。そして目を擦る。



 振り上げた飯塚の感情という拳を諭すように世良兄が沈黙を破る。


「まあ座ってください。取り消せって言われれば取り消しますよ。それでいいですか」


「すいませんでした。こういう席で感情的になるのは大人としてダメですね。失礼しました」


 世良兄の言葉に冷静さを取り戻した飯塚が席に座り、詫びる。


「飯塚さん。私は君にかなり興味を持ちました。本音を言えば田所さんたちに席を外してもらったのも君のことを確認、いや、試すと言いますか。まあ軽い好奇心ぐらいの気持ちでしたよ。でも実際に話してみて興味が湧いてきましたね。私が人に興味を持つって珍しいですよ」


「僕に興味ですか?僕は見ての通り元底辺ユーチューバーでしかありませんし…」


「はい。肩書きなんかどうでもいいでしょう。人間としてですよ」


 タバコの火を消し世良兄が飯塚へ隙はないがどこか柔らかさも含んだ視線を送る。


「…なんと言いますか。僕は人に過大評価されることが多いような気がします。『肉球会』の皆さんもそうですが、半グレ『模索模索』の頭の間宮ですか。彼にも以前言われたことがあります」


「間宮が?何と?」


「不思議な人だと…」


 新しいタバコには手を付けず飯塚の言葉を受け止める世良兄。


「不思議な人ですか。彼はまだ十八?十七?まあそれぐらいでしょう。うちの義経が十七です。遅生まれなんです。今の『藻府藻府』の現役の連中と変わらないでしょう」


「あ、すいません。僕も現役の『藻府藻府』です。さっきは違うと言いましたが。よく考えてみたら健司が現役の時じゃなく最近入れてもらいました」


「それは『組チューバー』として必要だったからじゃないですか?」


「はい。田所のあんさんも『藻府藻府』メンバーです」


 そして『藻府藻府』へ加入した経緯を詳しく世良兄に話す飯塚。興味深く飯塚の話へ耳を傾ける世良兄。


「なるほどです。そのたなりん君がきっかけでうちの義経と知り合い、仲良くなった。実に義経らしいっちゃあらしいです。昔からあいつはそういうところがありましたんで」


「そういうところですか?」


「ええ。話を戻します。先ほど君に『試す』との言葉を使いました。あれも本音ですよ。『試す』と言うより『試験』と言った方が的確ですかね」


「試験ですか。僕はそんな優秀な人間じゃありませんし、周りの人が勘違いして過大評価されてるだけですよ」


「そうですか?二十歳を超えて私に誰かが正面から怒りの感情をぶつけてきたのは君が初めてですよ。こう見えても私もこの街ではちょっとした顔であると自負してます。これは過信でも自惚れでもありません。まあ、試験といっても義経絡みのことです」


 世良兄の言葉は不思議と飯塚の心を落ち着かせた。さっきはとんでもないことをしてしまったと思う飯塚。でも世良さんは逆にそれをプラスと見てくれているとも感じ取る飯塚。世良兄が続ける。


「ご存じのように今、この街は、いや、もっと広いエリアを巻き込んで各地で争いが怒っています。これは今後も続くでしょうし、その原因である『模索模索』、そして間宮はどこまで自分たちの勢力を広げようとしているのか。今は皆目見当つきません。私の耳には間宮が唯一認め、尊敬していた存在である京山さん、あの『肉球会』若い衆の京山さんを的にかけたと聞いてます」


「あれは…。タイマン勝負のはずが途中で『蜜気魔薄組』の人が邪魔してボーガンで健司の太腿を打ち抜いたのが真実です。的にかけたのはちょっと違うかと」


「それも聞いてます。『蜜気魔薄組』元若頭で現組長の伊勢という男です。あそことは商売でバッティングすることがありますんでよく知ってます。今、その伊勢と間宮は列を組んでます。分かりますか。そんな争いに私の弟である義経は深く関わっているんです。あいつは私から言っても聞かないところが昔からあります。間宮とは長い付き合いみたいですが知り合ったきっかけもどんな付き合いをしてきたかも聞いてません」


「世良さんの言わんとしてることは何となく分かります。僕も最初の印象が思ってたのと全然違ったのもありました。たなりん君とも、こういうのは本人がいないところで言うことじゃありませんがたなりん君は不良とかとは対極にいる存在です。真面目坊を地で行く普通の十八歳であり普通の高校生です。まあ、流れで『藻府藻府』に入ってますが」


「そこです。義経はまだ純粋なところが多いんです。天然ではなく本能と言いますか。この先、間宮色に染まるかたなりん君や君のような色に染まるか。どっちの可能性もあるんです」


「たなりんや僕色に染まる…」


「そうです。私としてもそっちに染まることを願っているんです。これはこの街の顔である世良義正としてではなく世良義経の兄としての言葉です。飯塚さん。私は普段から偽名を使ってます。私が本名を名乗るのはそういう覚悟と受け取ってください」


 世良兄の覚悟。それは『この男なら』と飯塚を見込んでの言葉だった。大人になると損得勘定で動く。計算で動く。それが当たり前の世界で生きてきた世良兄が見た『飯塚の生き方』。自分以外の誰かのために相手を選ばず怒りの拳を振り上げることが出来る飯塚の生き方に一筋の『希望』を見たからである。

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