赤い毛並みの彼
彼はため息を漏らしていた。
「次男で素行も頭も悪い。ちょっとぐらい役に立て。」
一族の恥さらし。
それが彼の置かれている立場。けれど彼は気にしていなかった。毛並みを赤くしたのも頭の悪いフリをしているのも全部、一族から抜けるため。彼は社会的地位も金も欲してはいない。
「アメリカの財閥の娘が療養の為に日本にくる。」
それはそれは、お可哀想に。
「お前はその娘に近づけ。逐一報告しろ。」
それをしたら一族から解放してくれるのか?
そうじゃなきゃ、やらない。
「ああ、お前なんていない方がこっちも助かる。」
あと少し、あと少し。
彼は自分に言い聞かせていた。権力にしか興味のない両親と兄から解放される為。女1人騙したところでどうって事ない。彼は一生をあの家で、あの兄の下で働く事を絶望しか無いと感じていたから。
彼は彼で必死だった。
「転校生を紹介するぞー。」
舞い込んだチャンスはすぐに教室に現れた。
亜麻色の髪にビー玉みたいな蒼い瞳。死にそうな表情を浮かべた彼女は小鳥みたい。
息を飲む。美しい以外の言葉が見つからない。
陶器みたいに白い肌が俺の前に座る。
「あんた、良いことの嬢ちゃんやろ?」
やっと出た言葉は自分でもびっくりした。
違う、違う!もっと普通の挨拶せなッ!!
振り返った小鳥は丸いビー玉を大きく見開いた。何にも喋らない彼女にガッカリする。
「無視かい。感じ悪いのぅ。」
こいつも権力が欲しいだけの卑しい女か……。
「日本語、喋るしてください。」
彼女は片言の日本語で精一杯を伝えてきた。
その顔は純真無垢で真っ直ぐで、ときめいた。
「もっと運動せな、また倒れるで?」
「運動する、倒れるします。」
彼女は話せば話すほど真っ白で、汚いモノなんて知らない小鳥だった。それ故に憎らしくて、愛らしい。
「それはサクラって読むんや。」
「サクラ。日本人好き。ぎょーさんありまんな。」
「……、何処で覚えてきたんや。」
片言の日本語を喋る彼女の隣は俺が占領していた。兄に彼女の事を報告する為、だった。最初は。
いつしか虫がつかない様に、汚いモノを見せない様に、色んな言い訳を並べたけれど。
白状するよ……、俺は彼女に惹かれている。
叶わない恋はしない方がいい。
そんな事は分かっている。分かっているのは頭だけ。世界には彼女の知らない物が沢山あるんだと教えたかった。願わくば俺の隣で笑って生きていって欲しい。そんな事、出来ないのにな。
今だけは、今この瞬間だけは、。
どうか、俺を見て………。
「彼女の事を報告しろ。」
……、苦しい。
言いたく無い。兄になんか渡したく無い。
「さっさと言え。この役立たず。」
息が、出来ない。後悔が俺を押し潰す。
蒼い空に手を伸ばす彼女、頑張って大阪弁を覚えようとする彼女。全部俺だけのモノにしたい。
「アンパンはジャパニーズソールフード!!!」
隣であんぱんを頬張る彼女を知っているのは俺だけでいいのに……。
全て打ち明けてしまおうか。
いや、もう遅い。
嫌われたく、ないな………。
「死ぬしたい思った事、ないの?」
唐突な質問だった。病弱な彼女だからこそ出た言葉なのか、それとも俺の心を見透かした言葉だったのか。
「ある。めっちゃある。」
今だって、死にたいぐらいに悲しいよ。
泣きなくなるほど好きな人が目の前にいる、のに。
いっそ彼女を殺して俺も死のうか……。
恐ろしい感情が全身を駆け巡る。どうやったって手に入らない彼女。兄の計画だと、もうじき彼女は兄の婚約者になる。俺にはそれをぶち壊すことも、彼女を拐って逃げる事も出来ない。なんの力も勇気もない、残念な男だ。
ごめんな……。
別れは唐突だった。
雪降る路上に羽を手折られた小鳥がいた。息絶え絶えになりながら、泣いている。
ああ、知ってしまったのか。
すぐ理解した。彼女は鼻と頬を紅く染め、溢れる涙が憎しみを含めていた。
「全部聴いた。あんたなんか……、死んでよ。」
あまりにも冷たい言葉だった。
それを聴く日が来るのを知っていた。覚悟もしていたけれど、想像以上に重くて鋭い刃だった。
彼女はそれを言い残すとその場に倒れてしまった。彼は彼の最後の仕事をする。彼女を抱き抱え、家に送る。苦しそうに、涙を拭いながら吐き出した。
「大好き、だ。」
彼は彼女と引き換えに自由を手に入れた。
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