第十話・掃討(C)

「同次郎さま、このジュース味うすーい」

「フヂナ、添加物を加えていない果汁を飲みやすくしようとすると、ときにそうなるものなのですよ」

 フヂナの飲んでいるのは、いつか、霞町でヨモギたちが飲んでいたジュースと同じものである。

「……」

 朱塔は、かつて暁町があった場所にほど近いビル内にいた。

 このビルは、『澤本』達の家のようなものだった。細歩地区内でもっとも高く、大きかったが、もう誰も近づかないような場所で、半ば朽ちている。

 動禅台事件で砲撃に晒されたのである。

 ビルにいくつもできた傷跡が、動禅台で行われた制圧作戦が、その域を大きく超えたものでったことを示している。

 影の七星は、『澤本』は、暁町の出身者が多かった。

「それで、カンパニーはなぜそんな回りくどいことをした? そんなことをするまでもなく彼らは絶大な力を持っていたはずだ」

「カンパニーはこの国を救ったつもりでいるんですよ」

 朱搭と話しているのはハンスである。彼女は無事だったのだ。あのとき、ハンスの頭に流れ込んできた澤本の意思は中和剤によってうまく洗い流された。

 二人はずいぶん話こんでいた。

 理由はいくつかあって、朱塔がハンス達を具体的にどのように支援するかを相談するのと、また、朱塔に力を貸してほしいことがあったというのが主な理由だった。

 問答の形をもって、話は続く。

「この国は滅びかけていたって言いたいのかい?」

「はい。とうの昔にこの国は売り出すものがなくなってしまっていたんです。サービスすら枯れ果てていた。怠慢ですよ。戦略を考える人間が、すべて豚になってしまっていましたからね。守銭奴は何も生み出さず、とにかく誤魔化しながら貪るばかりです」

「それが、どうして王制をとる理由になるんだい?」

「では聞きましょう。何も売り出すものがなくなったこの国が、再び世界で唯一無二のものを作り出せるとしたら、なんだと思いますか?」

「もし手段を問わないとしたら、非合法なものになるかもね。ま、あたいだからそういう発想になっちまうが」

「いえ、そのとおり。それが正解なんです。この強権独裁社会は隠れ蓑なんですよ」

「ええ?」

「人間です。倫理を無視して人体実験をし、その成果を売り出したんです。それまでも十分に食い物にしていた民衆を、今度はそれそのまま商品にしてしまおうって発想なのですから、すごいものですよ」

「そんなことが許されるのか?」

「〝事は密をもって成り、語は泄をもって敗る〟ですよ。企業や組織がひとつひとつでやれば問題が起こります。ならば国ぐるみでやればいい。これは麻薬や偽札づくりと同じ理屈です」

「他のものじゃダメだったのかい?」

「ただの人体実験では意味がありません。国ぐるみの治験など面倒で手間がかかるだけですからね。この上ない魅力が必要だったのです。誰もが夢見るような、そんな魅力が」

「マインド能力ってやつか? あたし達が測るように言われていた」

「そう。完全なマインド能力者。超人ですよ、超人。人類の夢。これは売れます。間違いなく売れます。売れると目された」

「それが、あんたがさっき言っていた『開門計画』か?」

「はい。世界で唯一のマインド能力者生産国としてこの国は生まれ変わりました。表向きの非難も混乱も、王制という隠れ蓑を前に濁したままでね。ところがうまくいかないものでね、この美味しそうな餌には、とっくに予約の札がついてしまっていたんですよ」

「どういう意味だ?」

「負けたんですよ。カンパニーの中にいた我々の国の人間は、他国のメンバーに不利な条件を飲まされてしまっていたんです」

「開門計画はうまく進んでいない?」

「はい。一度凍結されるほどにね。バックグラウンドにおいてすでに足枷がついてしまっているのも大きな原因の一つです。さて、経済戦争は、最終的には敗北した国に内紛を引き起こします。動禅台などはその代表ですね。ですが、動禅台はそれだけではなかったのです」

「それも能力と関係があるんだな?」

「はい。そもそもを言ってしまえば、隔離地域とは牧場だったのです。反王制運動云々は、高強度のマインド能力者を可能な限りとっ捕まえておくための方便にすぎなかったのです。あとは、体制について行けないもののゴミ捨て場として使われた」

「ちょっと待っとくれよ、この土地の人間に高度能力者がいるってのかい? あたいはそんなの見たことないよ」

「表面的にはどこにもいませんよ。マインド能力は発現させるのにも才能を要するのです。少なくとも開門計画以前は完全に才能まかせでした。が、後に感応剤が開発されます」

「感応剤だって?」

「はい。能力を発揮する媒体として感応剤がつくられたのです。ですが、今度は感応剤に適応する才能が必要になってしまいました。適応者であってもその副作用にひどく苦しむ。非適応者に至っては……もうご存知ですね。これは、感応剤がいまだ不完全だからです」

「じゃあ……」

「かつてのガーディアンは開門計画に組み込まれていたんですよ。鉄さんはその第一世代。そして、澤本虎蔵は、幻と呼ばれた第二世代です」

「兄さんは、ガーダーだった!?」

「いいえ。彼は『キーパー』です。あなたも、どちらかと言えばそれに近いのですよ?」

「キーパー?」

「『守る』のではなく『保つ』。人間の能力を年齢などで低下させることなく保つことができる存在という意味です。彼は一人でガーディアン全体と同じ、つまりカンパニー直轄の個人だったのです」

 マインド能力。人の夢想。鉄ヶ山慎之介もその中にあるファクターの一つ。

 しかし、それだけか。

 鉄ヶ山はすべて知っていたかのようである。 しかし、それだけなのか。

 堕落した者・フォール。なにから堕落した。

 鉄ヶ山は、例外なのではないか。この話の外に位置しているのではないか。

 ここまでの話で、これから起こりうることが予想できた。

 そして、その前に、この話には確認しておかなければならないことがあった。

「マインド能力って、そもそもなんなんだい? 実のところ、あたしはいまいちよくわかってないんだよ」

 ハンスがその問いを投げかける。

「マインド能力。随意下で発揮される不随意能力、と表現されていますが……小難しく言う必要はありません、端的に超能力の類ですよ。ああ、『向こうの光』、という言葉を聞いたことは?」

「たしか、兄さんが言っていた。マスクの額部分にある印が発するものだったはず」

「はい。鉄さんのマスクにも、鷲のマスクにもその部分があります。ですが、実は、発光する仕組みはその部分にはないんですよ」

「電気的な光じゃない?」

「はい。マインド能力の発現に伴う光で、感応剤が発しています。これらから、完全能力者なる者はラジアンテクス、これはつまり光の技巧者と意味ですが、そう呼ばれています。ブーストレベルとはすなわち感応レベル。ラジアンテクスは、そのレベル4に耐えうる者のことです」

「じゃあ、志乃原ヨモギがサンプルっていうのは……」

「感応剤開発の新しいサンプルです。ヨモギさんは、かつて感応剤が開発された時代にサンプルになった人間よりも、はるかに優れた才能を持っているのです。もし、彼女に澤本虎蔵と同じタイプのアクセスライン系を構築できたなら、抽出される感応剤は、停滞している計画に必ず革新を起こすでしょう」

 ハンスは言葉が出なかった。

 こんなことだったのか。こんな程度の話だったのか。

 足蹴にされ、踏みにじられてきたのは、こんなくだらない話のためだったのか。

「兄さんは、その感応剤を……」

「生み出し、処理するプラントを埋め込まれています。自身のものではありますが、天然そのものではないのですね。ですが、それを受けた者の適応が低ければ、自分の意識下に置くことぐらいはできる。あそこまで完成に近づいていたとは、正直驚きです」

「ヨケツキ……兄さんにぴったりだ」

「ヨケツ? ああ、与える、で与血鬼? 面白い発想ですね」

「そういや、あんたはどうなんだい? 今も感応剤を?」

「いいえ。私ははじめから感応剤依存型の能力者計画に組み込まれていません。普通に、ただのガーダーです」

「同次郎さまはね、スペシャル以上のスペシャルなんだよね」

「ふ……ん……」

 自慢気に話すフヂナが、ハンスは少し羨ましかった。

 自分は澤本のことを胸を張って言えるだろうか。そう考えたのだ。 

「……それで、開門計画の続きとして、ここでなにが起きるんだい?」

「第二の動禅台ですよ」

「また、戦場になるのか」

「はい」

「逃げるって手は?」

「ありますよ。私は用意する気はありませんが」

「自分で決めろってか?」

「そう。私は私が用意できる条件を提示します。正直にね。これこそフェアでしょう」

「…………」

 悩むハンスは相当に苦しそうな表情を見せた。当然である。単に打算で決められないものだったからだ。

 どれが自分達すべてにとっていいことであるか、を判断しなければならない。ここに必要なのは、実に味気のない思考である。

「ねえ、おねえちゃん」

「……なんだよ」

「僕もね、昔、同次郎さまに同じように誘われたんだ。今みたいにね」

「なに?」

「でも、感謝してるんだ。ボクが自分のために生きていられるのは、同次郎さまが教えてくれたから、だから」

 滅んだ町、暁町。ヨモギの出身地でもある。

 影の七星は細歩地区の影。ヨモギの影。そして、誰かの影。

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