第十一話・対決の時(A)
「どうも」
朱塔とハンスが鉄ヶ山のところに顔を出したのは、日も暮れ始めたころだった。
夕日とともに扉から入ってくる朱塔は、どこか不気味で、不安をあおるものだった。
「そろそろ話しておこうかと」
一言で十分だった。
「やはり、開門計画なのか?」
鉄ヶ山が短く聞く。
「はい」
「内容は?」
「実行はガーディアン。責任者はスペシャルクラス」
「いつ始まる?」
「もうとっくに搬入がすんでいます」
「搬入だと?」
「あの子を除いたサンプルの、です」
「全貌は?」
「詳細は不明です。人間を使うこと以外は。ただし、おそらくは新しい感応剤に関するものかと思われます」
「ヤツらはどんな手を使ってくる?」
「もう第一波は完了しています。区長疑惑の裏で行われていました。これらの作戦名はゾ号作戦、だそうです」
「ゾ、号……!」
「名前通りです。全部続いていたんですよ」
「防げなかったのか?」
「無理でした。本筋にあたる区長の計画は知っての通りですが、予備がいくつも並行してあったようです」
「まとめると、つまり……」
「こちらから攻め込むんですよ。攻撃です。これしか方法がない、というより、とれる行動があるとすれば、それは攻撃以外にはないのですよ」
「する必要は?」
「おや、意外に冷たい。もしこれがうまくいけば、あとは延々同じことが繰り返されるんですよ?」
唐突なことだったにも関わらず、ここまで話が進むと冷静だった。
実感がわかないせいもある。それはつまり、それだけ敵側の作戦がうまいということでもあるのだ。
「朱塔、オレが行く。それでいいな?」
鉄ヶ山はなにかを理解していた。
朱塔は鉄ヶ山の反応を待っていたかのように、鉄ヶ山の顔を見つめた。
「ええ」
「協力させるのか?」
鉄ヶ山が聞いたのはハンスのことである。
「文句でもあるのかい?」
「あるさ。澤本クルミ」
「う、お……どこであたいの名前を?」
「影の七星が今のようなならずものの集まりではなく、ただの共助団体だったころ、つまり、むしろ『澤本』のコミュニティとしての色合いが強かったころ、その中核に片桐ヒトミさんがいた」
「…………」
「あの事件について調べてるうちに、虎蔵の妹にぐらいぶち当たるさ」
「……兄さんのせいじゃない」
「区長は誰よりも片桐ヒトミに怯えていた。カンパニーがひどく警戒していたからだ。そして、片桐チホも同じだった。片桐ヒトミの妹であるということで十分な脅威だった。片桐さんは無力なんかじゃなかった。誰よりも恐れられていたんだ。権力を欲する黒い鷲は、身内さえ簡単に切り捨てる」
「違う! あの頃すでに七星はあたい達の時代のものとは違うものになっていた!」
「カンパニーが、区長が、片桐ヒトミに怯えていたのは、彼女の書いた『次代への舵』だ。あれがあったからだ。あれは隔離地域を描いた悲しいストーリーなんかじゃない。思想書だ。隔離地域のなんたるかを言い当て、そして、人々はどうすべきかを描いた指南書だ。恐れを克服するために、彼らはそれを奪ったんだよ」
「全部知っていましたか」
「澤本クルミ、君の中にもその思想は生きている。自然に身についている。黒い鷲も、同志とまではいかなくとも近い目的を持っていた。細歩の人間はみなそのはずだ。君達は、いつしか権力のために共食いさえ平気で行う外道になってしまっているんだ」
「そんなことは!」
「否定したいだけ否定しろ。そんなことしてもなにも変わらない。片桐さんは帰ってこない。地獄を見て、死んだんだ」
「…………」
「オレが殺した」
「おまえは!」
ハンス、いや、クルミは鉄ヶ山の言葉に怒ったが、鉄ヶ山の声にはそれほどの怒りがこもっているもではなかった。嫌味があるわけでもなく、軽蔑があるわけでもない。
それよりももっと大事なことがあるとでも言いたげな、そんな、浮ついたやりとりだ。
「鉄さん、その辺りでご容赦ください。規制線を越えて行動できる彼女は、現状で言えばこの上なく魅力的なのですよ」
「おまえは冷静すぎるんだよ。こいつとあたいがうまくやれるわけないだろ」
「彼が中和剤を譲ってくれなければ、今頃あなたは怪物になっていたのですよ?」
「そ、それになぁ、あの……あ、あたいが魅力的だなんて、おまえ、そんな、急に言うのだって卑怯って言うか反則っていうか……」
「クルミさん、後で言葉のお勉強しましょうね」
「それで、誰なんだ?」
振り返らないで朱塔に問いかける鉄ヶ山の声には、恐怖があった。
「ゾ号を引き受けたスペシャルですか?」
そこには決定的ななにかがある。
鉄ヶ山は、来るべきときが来たということを知っていたのである。
「ああ」
聞いた以上、朱塔は容赦なく答えるだろう。
それが朱塔だ。
恐怖と覚悟のせめぎあいの結果、鉄ヶ山は、手を休めてそこに立つので精一杯だったのだ。
「『最後のエース』です」
鉄ヶ山の中でなにかが切れた。
緊張か、虚勢か。
ともかく、鉄ヶ山の中にある最後の一本がちぎれてしまった。
「う……ぐ……」
その場にへたりこむ鉄ヶ山を見て、クルミは驚いた。
(こんなに不安定なヤツだったのか)
あのフォールが、これほどにまで憔悴しきっているとは夢にも思っていなかった。
なにせ、あの黒い鷲を追い詰めるほどなのである。観念的には、もっとタフで、マチズモに溢れた者を想像していた。
それがどうだ。このフォールは、果たして『百戦鬼』という名に見合う存在だろうか。
「クルミさんにも確認しました。間違いありません」
「く、そぉ!」
「鉄さん。もう理解されておられるかもしれませんが、この町は焼かれることになります。向こうが本格的に動く前にこちらは動かざるをえない。こちらが動けばそれは即戦闘開始です。私は今からでもこちらの人員の配備をはじめます」
「ムツ……」
「向こうがいつなにを仕掛けてきてもおかしくない状況です。七星にも協力させたのはそのためです。静町以外は捨てるつもりで彼らにまかせます」
「オレは……」
「その時が来たら、あなたに託して大丈夫ですね?」
「…………」
「大丈夫ですね?」
「……少し、時間をくれ」
「かまいませんが、返事は一つしか想定していませんよ? ではもう一つ。ゼ号作戦のあの日、澤本と片桐ヒトミが出会っていることはご存知でしたか?」
「いや、初耳だ」
「まあ、そんなことだろうとは思いましたがね。あるいはあの姉妹もまた、あなたの犠牲者かもしれません」
「…………」
「実はね、私はあなたの素性、なぜフォールになったのかを知っています。だから言います。誰がなんと言おうと、貴方はエゴイストだ。あなた以上のエゴイストは見たことがないと言ってもいいでしょうね。もっとも、本来は誰にも知られず静かに終えるつもりだったのでしょうが、彼女に知られた以上押し付けでしかないのです」
「おまえだって反逆者だろう。オレは、決して裏切りたかったわけじゃない。ただ……!」
「私だってそうですよ。これは王制を思ってのことですから」
「方便だ。おまえは王制に反対している」
「反対? とんでもない。いまの構造は基本的には理想的といってもいいぐらいです」
「……理想だと? カンパニーに支配されたこのハリボテがか?」
「わかりませんか? 以前の世界は非常に醜くかった。誰もがお客様であろうとしていました。どこでもそうあれるわけがないですから、そうあれる場所をわざわざ探して、入り浸る。公共の場やそれに準ずるものに対しては過剰なサービスを期待し、依存する。誇れるものを何一つ持たないような人間にも関わらず、ただの消費者扱いに満足できずに、耳汚い声ばかりをあげ続けていた。実に浅ましい世界だったのですよ。それはやがて社会全体の負担となり、自分達で自分達の首を締めることにもなった」
「それは」
「阿納満辰などはその代表格ですね。この静町の人間はまだマシな者が集まっているようですが、しかし、そのにおいを引きずった子らが生まれ始めている。あのものほしそうな顔ときたら……! 細歩地区の人間は、あのみっともない時代を思い出させるんですよ」
「王制という強制的な支配の方がマシだと言いたいのか」
「それはもう、はるかに。とはいえ、今の王都にも病理は残っていますがね。上の下よりは中の上、中の下よりは下の上、という人間の多いこと。誰もが主人公になりたがりながら、しかし、責任を負うことをしません。それらは次に刈り取るべき存在です」
「おまえは王制を本物にしたいのか」
「そう。君側の奸であるカンパニーを除いて、真の父権主義国家とすること。それが目的です」
「聞こえはいいが、それは独裁だぞ」
「誰もが道端に捨ててしまった責任を、誰かが拾い集めなければならないのです。私がそれをしてさしあげますよ。王の旗のもとでね」
「いつ王がそんなことを望んだか!」
「やっていただかなくてはならないことなのです。元ガーダーであるあなたにはこの理屈がわかるはず。いや、もしや、あなたもそうなのですか? 上の下より中の上、中の下より下の上がいいと、そういう方なのですか? だからフォールなどに身をやつしている。違いますか?」
「おまえも……十分にエゴイストだ」
鉄ヶ山は頭をふり、ただこれから先にある結末を思って、高まる心臓を抉り出したくなる衝動に耐えていた。
今ひとときの安らぎは終わった。
鉄ヶ山は、ここから、いよいよ混迷をきわめる道の、その頂を見据えることになる。
「これで彼の強さが揺らいでくれるといいのですがね」
朱塔は去り際にクルミにそんな言葉を投げかけた。
(強い? そうか、強すぎたんだ)
クルミは合点がいった。
鉄ヶ山は強すぎたのだ。だから、これほどまでに弱らせなければ、コントロールすることも、協力させることもできなかった。
そう。鉄ヶ山はイレギュラーなのだ。除けておくことが困難なジョーカーなのだ。
(気の毒だがフォール、おまえは幸せにはなれないよ)
クルミには、鉄ヶ山のような者がどれほどに人の警戒心をうむかを理解できていた。
だから、相容れないと思いながらも、少しだけ同情した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます