第六話・陰る宿命(C)

 『城』のある場所から、ちょうど町一つ分離れた場所にフォールはいた。

 日の昇りきらないセピア色の世界の中で、仮面から覗き見る世界は一層暗く、息も絶え絶えに地を這うフォールには、大地の香りさえ届いてはいなかった。

「こっ……かあっ……」

 力のない咳き込みが、フォールの状態の悪さを示している。

 フォールは誰もいない深淵を覗き込んでいた。その先に見えるのは巨大なドラゴン。それは善悪を超えて万物を裁く究極のものだ。だが、恐れはない。ただ納得できないだけだ。時間さえ凍結させるであろう氷のドラゴンを前にしてもそれは同じだった。

 フォールが何かを目指して地面を掻いている姿を見つめる影があった。

「『フォール』って、落伍者って意味なんでしょ? お兄さんにぴったりだよね」

 声に反応してフォールが顔をあげる。幼い子供だった。年齢はせいぜい十歳ぐらいだろう。

 額に巻いたバンダナに、動きやすそうなズボンが腕白さを思わせる。だが、それ以上に鋭い目つきが気にかかる、一風変わった子供だった。

「同次郎さまがね、死なせないようにって言ったんだよね。でも、僕にはどうしようもないからさ、お兄さん、自分でなんとかしてよね」

 子供はポケットから小さなカプセルを取り出し、フォールに渡そうとした。

「中和剤だって。ものすごく貴重なものらしいんだよね」

「すまない……」

「いいよ。それよりね――」

「すまない……! オレは!」

「え? なに?」

「ごめんなさい……ごめんなさいぃ……!」

 フォールの様子がおかしい。

 泣きじゃくるように地面に顔をすりつけ、ひたすらに謝罪を繰り返している。

「ちょっと待って。なに? わかんないよ。こわいってば」

 フォールの目には、子供が別の誰かに映っているらしかった。

「これで、オレを!」

 フォールが銃とナイフを子供に差し出そうとする。何をさせようとしているのかは一目瞭然だ。

 子供の足にしがみつき、わめくその姿はあまりにも惨めなものだった。

「やだよ! なに言ってるんだよ! 僕もう行くから! ちゃんと渡したからね!」

 フォールを振りほどくと、それだけ言い残し、子供はどこかへと行ってしまった。

 フォールはただ、その場で謝罪の言葉を繰り返していた。

 白黒の世界は、まるで夜の海のように深く、周囲でそよぐ風が、波のように呼吸を繰り返すばかりである。

「……せめて、オレに」

 フォールが地面に落ちた中和剤に手を伸ばす。

「守らせて……くれ……」

 小さなカプセルを強く握り締め、フォールは、暗い海へと沈んでいった。だが、その拳は、硬く冷たい地面さえねじ伏せようとしているかのようだった。




 時間は過ぎる。時間は流れる。

 楽しいことも運んでくれば、悲しいことも運んでくる。

 そして、楽しい時間はすぐに運び去るのに、悲しい時間はいつまでもそこに残したままだ。 



 『城砦事件』。相次ぐ人攫い事件に端を発した、ここ最近の細歩地区での最大の事件は、そのように呼ばれていた。

 当初は、だ。

 それはすぐに『区長疑惑』と呼ばれるようにもなった。

 区長の城には不自然なものばかりが残されていた。区長が影の七星に関わっていたことは明らかだったが、なぜそんなことをしていたのかを示すものはなかった。つまり、事件自体とそれに至るまでの証拠が選別されていたのである。

 すべて処理するでもない。むしろ、関係するのかしないのかあやふやなものが増やされていると考えられた。だから不自然だったのだ。

 阿納満辰の疑惑は深い。しかし、そのどれもが予測の域を出ていない。出ることができない。

 すべての真相を知る者はいない。いないことを前提とした処理がされている。

 一切は不明。それが事件の終わりであり、永遠の疑惑のはじまり。

 一冊の本がその象徴だ。片桐ヒトミの名がその象徴だ。

 そして、片桐チホの名も語り継がれる。あるいは、唯一はっきりとした事件の真相として。

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