第六話・陰る宿命(B)

 ヨモギを乗せた車は、城から少し離れた場所で止まっていた。いや、止められていた。

 車の前にいたのは、仮面の男。

 フォールではない。

 全身が暗闇に溶け込む色をしている。

 黒い鷲、澤本虎蔵。

 澤本はわざわざ仮面を外して見せると、歪んだ口元から、車の中にいるヨモギに向かって言葉を吐き出した。

「片桐チホを見捨てるのか? あの哀れな夢見るオトメを」

 他意はない。ただそう吐いたのだ。今の状況が愉快でたまらないのだろう。

「しゃがんでて!」

 ユリアがヨモギに言い終わる前に、四柳が発砲した。12ゲージのポンプアクション式ショットガンだ。

 当たらない。

 使用されている実包はバックショットと呼ばれる散弾だが、散弾というのは思った以上に広がらないものだ。いや、適正な距離が思った以上にある、と言った方が正しい。

 フォール以上の身体能力を予感させる黒い鷲が、距離も狙いもままならない散弾に当たるわけがなかった。

 ましてや道のど真ん中。避ける場所などいくらでもある。潜む闇はいくらでもある。

 澤本は、どことも言えない、しかし、どこでもある言える闇の中で、いかにも楽しそうに仮面をつけた。

「サンプルはいただく! てめえらには消えてもらう!」 

 黒い鷲の脚力は、まるで空を舞うかのごとき跳躍を可能としていた。地面にいる時間よりも、宙にいる時間の方が長いのである。

 澤本は愉快な気分だった。七星を、仲間を失ったにも関わらず、喪失感はまるでなかった。

 確実に目的へと近づいている実感があり、もっといい予感があったからだ。

 澤本はこれは運命かもしれないと思っていた。そう信じることのできる若さがあった。

 なにより、運命さえ切り開くことができるという自負があった。

 そして、目論見の全てがうまくいくことを暗示するように、ユリアと四柳の目と耳を欺き、車へと肉薄できた。

 気づいていたのはヨモギだけだ。ヨモギがいるのはボロボロの小さなワゴンの中である。そんなものでは澤本と壁を隔てていることにはならないだろう。


 ヨモギの脳裏を過去の記憶が走る。

 目の前で血を噴き出させる両親。無惨にも倒れる体。そして、かたきの顔。

 頭の中に浮かんだ、見えなかったはずのその瞳と目が合う。


 その瞳の奥に見えた感情への疑問を思ったとき、ヨモギの目の前を閃光が切り裂いた。

 何かが澤本を狙って突っ込んできたのだ。

 車か。どうやら違う。車というにはどこか妙だ。

 運転席らしいものが先頭についている。透明な、ガラス張りの操縦席だ。だが、車体はどうにも細いし、その割には高さがある。

 形状はバイクに近い。しかし、タイヤがない。あえて言うのなら、フォールの乗るエンドローダー級ゼロサイクルに近い。

 一瞬でそこまでのことがヨモギにはわかった。そして、澤本がそれを避けたこともわかった。

「ルートエッジ級!? マジかよ!」 

 近いのではない。それはゼロサイクルだったのだ。

 澤本は焦った。ルートエッジ級ゼロサイクルというものがどういうものか知っていたからだ。

「だが、遅いんだぜ!」

 黒い鷲にしては珍しく、吼えた。

 ルートエッジはワゴンを通り過ぎ、少し離れた場所で電柱に激突していた。速度を出しすぎていたのであろう。

 澤本はルートエッジの結末を満足そうに見届けた。乗っている者は大したことはないと判断したからだ。

「はんっ!」

 うまく避けた。相手は失敗した。つまり自分が上回った。相手より上にいる。相手は脅威ではない。そう考えたのだ。

 すべて誤りであった。

「う……!」

 ワゴンに目をもどして澤本の体が固まった。

 変えた視線の先に顔があった。

 澤本と視線を合わせて、覗き込むようにしていたのは鋼の仮面。その体も鋼ならば、その腰からも鋼の尾がはえていた。

 フォールではない。フォールに似ているが、全身を白い甲冑で覆っている。フォール以上に装甲化が図られているのだ。

「まさか」

 四柳が動揺している。

「本物の」

 ユリアも同じだった。

「ガーダー?」

 ヨモギが合わせる。

「正解です」

 聞こえていたのか、答えが返ってきた。

 澤本が遠く飛び退く。それは追いかける真似はしなかった。

 澤本をまるで気にしていないかのようにワゴンへ振り返ると、仮面の男はあっさりとその仮面を脱ぐ。

 仮面の下にあったのは、端正な顔立ちをした、薄く笑んだ優男の顔だった。

「私は朱塔しゆとう同次郎どうじろうと申します。スペシャルクラスのガーダーです」

 朱塔は、いかにも品のよさそうな面持ちで、うやうやしく頭を下げた。

 これを気に入らないのは澤本だ。おそらくはポーズであろうが、まるきり澤本など眼中にないといった雰囲気を出しているのだ。

 邪魔をして、あまつさえ虚仮にする。その態度は、澤本のもっとも嫌う人間のそれだ。

「車庄吉にちょっかい出してくれたのはおまえだな?」

「ええ。黒い鷲こと澤本虎蔵くん。まさか、ああもあっさり阿納満辰を切り捨てるとは、やってくれましたよ」

「……覚えたからな、朱塔同次郎」

 澤本が攻めない。

 リラックスしているように見えて、朱塔の腕には油断がないことを見抜いたからだ。

「おや、意外に甘くない」

「まあ、せいぜい首洗って待ってろ。そちらの上司にもそう伝えておいてくれよ?」

 澤本のいささか時代がかった捨て台詞を、朱塔は真顔で受けた。

「はあ、思ったよりもクレバーですね。どうしたものでしょう」

 朱塔の評価は正しい。

 去っていく澤本には一切の迷いがなかった。感情的に見えて、感情に惑わされない賢明さが澤本にはある。

 澤本と朱塔は一瞬で互いの誤解を解いていた。

 互いに初見でありながら、自身の予想を超えた相手であると見抜き、評価しなおし、それをもとに演繹したのである。

 しかも、行動に反映できる。追わないし踏み込まない。この場はそれが正解なのだ。ただし、この場だけなら、だ。

「おい、あんた」

 澤本の去った方を向いたまま、四柳が背中を朱塔の前に割り込ませる。

「説明はあるんだろうな? 王都の人間はここじゃゲスト扱いされないぜ?」

「させていただきましょう。とにかく、まずはあなた方の安全を確保しないと」 

「……大丈夫?」

 ヨモギの様子がおかしいことに気づいたユリアが声をかける。

「……はい」

 またあの顔だ。ユリアはヨモギになにがあるのか少しわかった気がした。

(間違いないわね。この子は、あのときのことを覚えている……)

 ヨモギは明らかに朱塔に対して動揺している。いや、ガーダーに対して動揺しているのだ。

 ヨモギは、ガーダーに対してのトラウマがある。

 ユリアは四柳に目配せする。知られてはいけないことがある。これ以上混乱を生んではならない。

「……着いてきな」

「お願いします」

 激突したルートエッジは問題なく動くようで、遠隔操作らしきものですぐにワゴンの横につけてきた。動きは滑らかなもので、それだけで先ほどの事故は見せかけであったのだとわかる。

 だからこそ知られてはならない。この戦術に優れるスペシャリストは、戦略にも長けている。ユリアはそう考える。

「そうそう、百戦鬼は無事ですよ。ああ、『フォール』と言った方が通りがいいでしょうか? ただ、片桐チホさんのことは本当に残念でした。百戦鬼もやむを得なかったようですね」

 ユリアの思惑などお見通しだ。フォールの正体を知っている。朱塔の顔にはそう書いてあった。

 朱塔の言葉は、遠まわしにだが、フォールとチホになにかがあったということを示しており、それは、やはりヨモギに対して投げかけられたのだ。

 ヨモギの顔がみるみる青くなっていくのを暗闇の中で細かに観察すると、朱塔はいかにも納得したといわんばかりに前に向き直り、大きく髪をかきあげた。

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