第四話・猛攻の騎士(B)

 霞町までチホとヨモギが出向いてから数日後、学校はしばらく休校となっていた。

 町の大人総出で自警団の活動に力を入れるためだった。

 泡沫と思われた自警団のどこにそんな力があったのかは知らないが、当然のように皆それに従った。


「正直に答えてほしいんです」

 ユリアに迫るヨモギの表情は、どこか切羽詰ったものだった。

 ぱらぱらと降る雨の音が、誰しもの心にある不安に語りかけているようだった。

「なんのことかしら?」

 唐突に訪れたヨモギが、いつものヨモギと違うことに、ユリアは一目で気づいていた。そして、ユリアは、これがヨモギの本性だと思った。

 いつもの、どこかはんなりとしたヨモギの顔は嘘だ。ヨモギは、張り詰めた糸のような本質を隠し持っている。ヨモギ自身が出すことを拒んでいるのだろう普段は決して見せようとしない本当の顔だ。

 そのヨモギが、本当の顔を見せているのだ。危うくて、儚くて、脆い、それでいて剃刀のような表情を、だ。

 それで、ユリアは事の重大さに気づいたのだが、しかし、それを表に出すわけにはいかなかった。

「自警団は、チホを囮にしようとしてるんじゃないですか?」

 ヨモギは、霞町で二人と別れた後、改めて澤本と会い、あることを聞かされていた。

 チホの姉を攫ったのは、区長だ。

 澤本の言葉に、ヨモギはショックを隠せなかった。

 評判のいい区長の過去。それは、人を食い物にする鬼。

 聞こえのいい言葉で細歩を導く区長の今の顔は、過去を埋め尽くすためのもの。偽りの仮面に人は簡単に騙されてしまう。

「たしかに、現区長の阿納あのう満辰みちたつを、自警団は過去に捕まえようとしたことがあったわ」

「今も追ってるんですよね?」

「そんなわけないでしょ。自警団は静町を守るためのものなのよ?」

「守ってないくせに……」

「なんですって?」

「知ってた癖に、守ってくれなかったじゃないですか!」

「……どういうこと?」

「殺された車庄吉って人は、自警団に影の七星の行動を流してたって、わたし知ってるんですよ!」

 ヨモギが吐き出すように叫んだ。

「待って。誰がそれを?」

 ユリアは焦るでもなく、冷静に聞く。

「あなた達がスパイさせてたんですね。区長の弱みを握るために」

「それは違うわ。そんなことは……」

「そんなに体裁が大事ですか? そんなに信念が大事ですか? それとも、お金でも引っぱりたいんですか?」

「そんなものじゃないわ。ただ、人が人であるために、ワタシ達にできることを……」

「細歩のため? 人のため? それ、区長と同じじゃないですか」

 ヨモギの容赦ない言葉に、ユリアは思わず立ち上がる。

 ユリアに起こった感情は、怒りではないのかもしれない。耐えられないといった表情で、ユリアは顔を逸らしていた。

「姿をくらまましてる人がたくさんいるそうですね。ずっと区長と小競り合いをしてきた結果ですか?」

「片桐さんはどこにいるの?」

「まだそんなこと言って……最低です。あなた達」

 出て行くヨモギに、ユリアは何も言えなかった。

 静町が町ぐるみで隠していたことがあった。

 それは、区長との対立。いや、王都との敵対を密かに続けていること。反王制運動の残り香である。

 静町では、一見、ただの犯罪に見えることが、実際には別の要素をはらんでいたのだ。チホやヨモギは巻き込まれたと言ってもよかった。

 ヨモギは複雑な心境だった。それが正しいことなのかどうかわからなかったからだ。ただ、友人が傷つき、心を痛めつけられたこと。そこが許せなかった。

「……また、ですか?」

 出て行くヨモギの前に立つ者がいた。

「誰が言っていた? 車庄吉のこと」

 その血色の悪い唇が動くのを、ヨモギは不快に思った。

「忘れました」

「そいつは、右腕を怪我していた?」

「そうですね、そうだったかもしれません。チホが言ってましたよ、勇敢に戦って、怪我したって。誰かさん達とは大違いですね」

 冷めた空気をまとう男は、ヨモギの目いっぱいの侮辱にも、眉一つ動かすことはなかった。

「そいつはこの町の人間なのか?」

「鉄ヶ山さん、あなたも自警団がらみですよね? 知ってますよ、明かり池の事件の日、わたしがユリア先生のところに行ったとき、話、聞いてましたよね?」

 ヨモギと相対する鉄ヶ山の瞳に生気はない。どこか暗く、定まらない視点をしてる。

「片桐さんが危ないんだ。教えてくれ」

「いまさら……チホのお姉さんも、チホも、あなた達の道具じゃないんですよ!」

「オレは自警団じゃない。それに、片桐ヒトミさんのことだって、自警団は守ろうとしたんだ。だが、できなかった」

「同じことです! チホはそれで悩んで……自分が無力だって、悩んで! ようやく頼れる人ができたっていうのに! それさえ取り上げるんですか!」

「そいつに何ができる? 蜂の巣を突いて、返り討ちにあうだけだ」

「あなた達よりよっぽどマシです!」

「片桐さんはどこだ? もう何日もいない。まさかもう『城』に行ってるんじゃ」

 『城』とは区役所の別館のことである。区長個人の持ち物だが、彼の行う隔離地域復権運動のために使われていた。区長は大体そこにいる。

「行ってたらどうなんですか?」

 ヨモギはそれも調べていた。

 実際のところ、チホがなにか行動を起こすらしいことはわかっていたが、その足取りはヨモギにもつかめていなかった。

 図星もあって、ヨモギは少しばかり苛立った。

「あそこは城砦も同じだ。区長の狙いはわからないが、あいつは昔と変わってないんだ」

「部外者のクセに知ったふうな口利かないで!」

 鉄ヶ山が静町に来たのは三年ほど前だ。チホの姉のことはおよそ五年前である。それは、だいたい動禅台で起こった事件の直後にあたる。

 動禅台事件。ヨモギや澤本が疑った要素。それは、複数の隔離地域で同時に起こった反王制派の決起である。

 動禅台があったのは、消えた町、暁町。ヨモギが住んでいた町である。

 ヨモギは動禅台にいた。当時は九歳ぐらいだろう。あれからヨモギは、本当の顔を隠してしまうようになっていた。

 鉄ヶ山を横を抜けてヨモギが出口へ向かう。

「……澤本くんですよ」

 それだけを言い残し、空を見上げるとヨモギは帰っていった。

 それだけで鉄ヶ山には伝わった。チホやヨモギの側にいるのは、澤本虎蔵だ。

「……くそぉ!」

 鉄ヶ山の叫びは、弱々しい外見に似合わない猛々しいものであった。

 長く降っていた雨がやんでいた。口をつむぎ、沈黙するかのように。


***


「虎蔵なんでしょ? フォールさんの正体」

 唐突、と言ってもいいタイミングで、チホは話を切り出した。

 もう暗くなる頃、チホは澤本のいそうな場所を探していた。

 いそうな場所、といっても、具体的にそれがわかるわけもない。

 ああ、そこまでは澤本のことを知らないのだな、と、チホは自分で笑ってしまっていた。

 チホは、澤本のことを知った気になっていただけだった。

 だが、澤本はそこにいた。まるで定められたことのように澤本がそこにいた。待ち構えていたかのように、どうどうと。

 挨拶を交わすわけでもなく、互いの目を見つめあったままで、チホは問い、そして、答えを待つ。

「……ああ」

「どうして?」

 要領を得ない質問ではあったが、そう問うことがチホには正しいことのように思えた。

 チホは教えてほしかったのだ。澤本がどう生き、何を考え、そして、何をしようとしているのか。

「どうしてって……裏切り者さ、俺は。命令を無視して、隔離地域に来たんだ」

「あたし達のため、だよね?」

 王制だとか反王制だとか、そういうことなのだろう、とチホは思った。

「ああ。王制反対派だった俺の親は正しかったって、実感したよ。それもあるが……」

「区長、かな?」

チホは目を伏せがちにまた問う。

 それは、かすかに期待をしてしまっていたからだろう。

 それがいいことではないと思う羞恥しゆうちの心がチホにはあった。それは、自分中心の期待でしかないのだ。

「そう……俺はあんな奴は許しておけなかったんだ! 俺は正義のためにガーディアンに入った! 裏切り者でも、そこだけは変わっちゃいない!」

 区長の正体を澤本は知っていた。いや、澤本はすべてを知っている。影の七星に関わる事件のすべてを、澤本は知っているのだ。

「あたし、ずっと思ってたんだ。この町にガーダーがいてくれたらなって。そしたら、おねえちゃんもあんな目にあわずにすんだのにって」

「チホ、俺が必ず区長をやっつけてやる。だから、おまえは……」

「待って。ダメ。ダメだよ。あたしも一緒に……お願いだから」

「チホ……わかった。俺が必ずおまえを守ってやる」


 次の日、まだ薄暗い早朝、激しい雨の中、チホは澤本とともに、彼が調達したのだろう車に乗って、どこかへと向かっていった。

 ヨモギはそれを見ていた。直接見たわけではない。夢だったかもしれない幻影ヴイジヨンだ。

 チホは、緊張した面持ちだったが、澤本の顔を見ると、やんわりと表情を緩めた。

 ヨモギはそれで安心した。そして、チホを羨ましいと思った。

 うまくいけばいい、うまくやるだろう、とそう思ったとき、チホの表情が曇った。

 笑うような、泣くような、そんなチホの感情が流れ込んできた。

 ヨモギは驚いた。チホに何が起こっているのかはわからない。しかし、何かが起こっているのはたしかだ。

 どんどん引きつっていくチホの顔、その瞳の奥に、暗い暗い影が見えた。

「だめぇ!」

 ヨモギは自分の声で目が覚めた。

 あまりのことで自分で驚いた。夢が現実を蝕んでいるかのような感覚に襲われているのだ。

 夢から持ち帰ってきた恐怖で、まだ心臓は高鳴っている。

「夢? また……夢……」

 もうすでに冴えている頭で考える。

 ヨモギはときどき妙な夢を見た。それは現実に起こることを暗に示しているようなものが多かった。だからどうというわけでもない。予知夢ということもないだろう。

 だが、しかし、これは悪い予感だ。

 冷静になった頭は、よくない考えばかりを浮かび上がらせ、そのたびに、ヨモギの中にある、チホの人懐っこい笑顔が崩れていく。

(失敗した? 返り討ちにあった? 囚われた?)

 そんな考えがヨモギの中を駆け巡る。だが、それは誤魔化しにすぎない。もっとそれ以上の悪い予感が、ヨモギの中にあった。

 自分を誤魔化しきることなどできはしない。嘘偽りの果てにあるのは虚無だけだ。

 虚無に浸れるうちはまだいい。しかし、ヨモギにとって、それは、自分を崩壊させることもある危険なものだった。だから、自分を騙すことができなかった。

 ヨモギもチホと同じだった。自己中心的な危機感によって、他人を切り捨てることができない人間だった。

 心のしこりを振り払うことができず、ヨモギは外に駆け出した。

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