第四話・猛攻の騎士(A)
細歩地区で混乱がうまれていた。
霞町の町会議員の死体が、隣町である静町の明かり池で見つかったのだ。
大きな事件である。
いや、これ一つではそれほど人々に影響はなかっただろう。だが、それが、学生の巻き込まれた人
もっと言えば死者の数だ。ほとんどが『影の七星』の人間だが、それらが何者かに殺されたというのが衝撃的だったのだ。
彼らは悪人だっただろう。誰かの平穏を脅かす存在だっただろう。しかし、人間なのだ。
どんな人間だったかはともかく、人間が大量に殺されたのである。
溜飲が下がった者も多かっただろうし、それは結構なことなのだが、だからといってそれをなした者を放置できるかと言えば、別の話なのである。
家や町というのは人間達の巣であり、住人にとっての縄張りでもあるのだ。そこに現れたフォールは秩序の外にある者である。細歩地区はたしかに無秩序だが、無秩序という秩序の中にあるとも言え、フォールはさらにその外にいるのだ。
つまり、フォールはフォールで、『影の七星』とは別の理由で町を脅かしていた。
例外者という枠組みの脅威、それがフォール。
「あの人は正義の味方なんだって。みんな素直になるべきだね」
「もう聞き飽きたよ、チホ」
「いーや、まだ語りたりないねっ!」
チホはそういう評価が気に入らなかった。それは表面しか見ていないことであって、間違いである、と。
それをヨモギは連日聞かされていた。今日もそうで、既に一時間は喋りっぱなしである。
「
明かり池で鷲に殺された男、車庄吉のことがヨモギは気になっていた。
「ほら、ヨモギも結構乗り気じゃん」
「まあ、ね。さすがに気になるよ」
チホのことを思えば、目の前で死んだ人間のことを出すべきではないのだが、フォールについてはヨモギとてまったく無関係ではないのだ。
チホは見た事をすべてヨモギに話していた。
目の前で男が攫われてきたこと。フォールが現れて男を救い出したこと。『黒い鷲』と呼ばれる者が男を殺したこと。そして、後に、殺されたのが隣町の町会議員であると知ったこと。
「自分は裏切ってない、か。どういう意味だろ」
「結局やっぱあれでしょ、フォールさんのおかげで悪が一つ潰えたって。『七星事件』これにて解決!」
チホは自分のことのように胸をはる。
チホは詳細はわからないがそれでいい、といったような口ぶりだったが、ヨモギは妙にひっかかった。
それは、違和感とも違う、予想が立つようで立たない、どこか食い違ってしまっているような感覚だ。
これはヨモギがある程度の予想をしていたからで、その予想に向かうようにパズルのピースがあるのに、いざ組み立てようとすると絵柄が揃わないのだ。
「ちっせえ胸張ったって大きくなんてならないぞ」
「……出たなバカスケベ!」
入り口から入ってきた澤本が出し抜けに暴言を放った。
「たまたま会ってもそれかよ。でも珍しいな、こんな場所で。なんかあったか?」
ここは霞町なのである。チホはヨモギに誘われてわざわざ隣町に来ていた。
そして、もちろん、車庄吉という男のいた町に来たのはただの偶然ではない。
それは、この町になにかあるという予想からだ。ここにならその答えもありそうだったからである。
「それがね、ヨモギがとにかく霞町まで行ってみようって」
チホの言葉を聞いて、澤本の眉間に
「何か掴んだのか?」
それとなくだが、どことなくヨモギに詰め寄るような聞き方を澤本はしていた。
「ううん。ただ、なんとなく」
「マジかよ。漠然としてんな」
「虎蔵こそなんでこんな所にいるのよ」
「ここ、俺の行き着けだ」
「ああ! いつも言ってたのはここか! なるほどジュースが薄い!」
「バカ! 店長こええんだぞ、やめろ!」
澤本が慌てて店の奥を見ると、店長である赤い毛の女がにっこりと微笑んでいるのが見えた。
「あ、俺ぶっとばされるわ、これ」
呆然としたように澤本が呟く。
「ねえ、澤本くん?」
ヨモギが静かに聞いた。
「なんだ?」
「静町って、なにがあるの?」
「なにって、なあ……」
「なにかあるなら霞町にじゃないの?」
「どうして影の七星は隣町の人を連れてきたの? どうして殺されたの? そもそも、影の七星ってなに?」
まるで自分に問いかけるようにヨモギはその場にいる皆にも聞いた。
「わたしね、なにかあるのは静町になんだと思うの。そうでないと変だもん。『フォール』も、『影の七星』も、細歩全域に関わってるのに、それを証明するかのように隣町まで関わっているのに、なのにそれが全部静町に集約されてきているんだもん」
ヨモギのそれは、うまくまとめられないままの言葉ではあるが、そういう状態の中では核心を突いている方と言えた。
ヨモギの予想は、静町の『なにか』に対して何者かが手を出そうとしている、ということ。そして、その『なにか』は、公の行動ではうまくいかないということ。
「静町が狙われてるのかもしれない。わたし、それが知りたい」
ヨモギの予想は正しいように思われた。もしかしたら、ヨモギの、不思議な、紫がかった目がそれに説得力を持たせていたのかもしれない。
「狙うって、飛躍しすぎじゃない? なんもないでしょ、あんな町」
「……あり得なくもないかもな」
「マジかよ!」
澤本の口癖を奪ってチホが驚いてみせた。
澤本は少しばかり周囲に目配せすると、小さな声で話し出した。
「実はな、静町は区政と敵対してるんだよ。ほとんど介入を許してない」
「……澤本くん、詳しく教えて」
「ああ。とにかくな、表向きには、王都からのパターナリズムがどうとか、あー、とにかく小難しい理屈をつけてんだよ。だがな、実際はもっと具体的な理由があるはずだ。それが、多分、ヨモギの言うなにかだ」
静町の理屈は、つまり、区政とそれにつながる王都からの過干渉の拒否なのである。
これは、一定の納得がいくものである。
反王制派の隔離地域である細歩は、本来王都と相容れないものである。しかし、基盤の大きさに違いがあるものだから、やはり細歩は王都に頼らざるを得ない。また、王都からしても、細歩を放置するというわけにもいかない。よって、区政は王都とつながりが深いのである。
静町はそれを仕方ないと知っていながら、寛容しきるわけにもいかないという立場をとっているわけである。
だが、チホがそんなことを知るわけはない。いや、厳密には、気にすることがなかったのだ。彼女にとってそんな対立は、自分達の生きる時代より前に終わったことであったからだ。
しかし、ヨモギや自分の持つ過去が、そこから始まっていることだけは痛いほどにわかった。だから、澤本の話も理解できた。
「やっぱり、動禅台、なのかな……」
「ヨモギ……」
ヨモギもまた同じであるらしく、それにチホは心を痛めた。チホには、ヨモギに隠していることがあるのだ。
窓から見える電柱に張られたビラの〝細歩の次代へ〟というキャッチフレーズに、チホは顔をしかめた。
「俺もそう思う。もしかしたら、あれの残り火があるのかもしれない。だから、周囲の町会議員なんかを使って、静町にちょっかいを出してきてるのかもな」
「何者かな。いまさら、王都そのものともは思えない」
「だが、王都抜きとも思えねえな。フォール関係が噂通りならガーディアンだろうが……どうだかな」
「虎蔵はさ……」
「まあよ、あまり首をつっかまない方がいいぜ」
チホの言葉を遮って、澤本は話を区切る。
「おまえらの考えはわかってる。町の人間は信用できないから、自分達で真相を暴こうとしてるんだろ? やめとけ、怪我じゃすまないからな」
「せめて、自警団には……」
「自警団こそ駄目だ」
「なぜ?」
「明かり池で殺された車庄吉は、自警団に七星の行動を流していたらしい」
「え! それって、自警団は知っていたってこと?」
「そうだ」
「なんで……知っていて、何もしなかったの?」
「わからねえよ。でもな、最悪のことは考えておくべきだって」
「最悪?」
「自警団が人攫い事件に関わってる」
薄いと評判のジュースを飲み干して、澤本は席を立つ。その姿は、彼なりの考えがあることを示しているようだった。
「あ……」
チホは、澤本の服の下、右腕に巻かれた包帯に気づいていた。そして、ヨモギもまた、チホがそれに気づいたことを見逃さなかった。
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