第三話・涙の荒野(C)
「あ……」
拠点から聞こえる祭りのような物音が止んだ後、出入り口にチホは近づいていった。
様子を伺うように、怖いものを見るように、そっと、そっと、体を小さくして近づく。
出入り口近くの窓にぽっと光が灯ったので、チホは足を止めた。
それは、フォールの気配を感じ取ってのことであったが、それとは別のものをチホの目に焼き付けた。
黒い影があったのだ。それまではまるで見えていなかった。完全に闇に溶け込む者がいたのだ。
それが、もう一度灯った明かりに照らし出されて、舞った。
全身黒ずくめのそれは、背中に配された四枚の布を翼のように
暴れまわる男を手荷物のように軽く扱いながら拠点から離れる黒い影。そして、追うように飛び出てくる者。
「フォールさん!」
チホは思わず叫んだ。
黒い影も、フォールも、チホを見る。
「フッ……!」
チホを見て黒い影が笑った。だが、その顔はフォールのように仮面で覆われていた。
黒く鋭い仮面に、額には青いレンズ。仮面の頭の部分は赤く輝いている。背にある黒い翼にシャープな手足と相まって、それはまるで猛禽類を思わせた。
「黒い鷲!」
フォールの声。そう、外見から言って、状況から言って、こいつが『黒い鷲』だ。
「よう、細歩のネズミ」
チホから目線をはずし、鷲はフォールに向き直る。鷲の声は、フォールと同じく機械で加工された声だった。
鷲が獲物を見せびらかすように、男を掴んだ腕を横に突き出した。尋常の腕力ではない。
「こいつが欲しいか? なら、選べ。おまえがこいつを取るなら、俺はあそこにいるオンナノコを狙う」
鷲の言葉には、どこか慣れのようなものがあった。
その慣れというのは、人が人に対して振りまく気配のことで、鷲のそれは、まるで、フォールのことを知っているかのようなのである。
フォールは戸惑った。位置が最悪だった。
男を奪い返そうとして鷲に向かえば、鷲はすぐにチホへ向かうだろう。チホを守りに向かえば、鷲は男を連れて逃げ出すだろう。
「それは駄目だ。許さない。選択しろと言っただろう? まさか、選べないのか? おまえは薄汚いドブネズミなんだぞ? 汚い選択肢に動揺するようではではおまえらしくない」
フォールが右の腹部に配置された機械の『摘み』に手をかけようとしたのを見て、鷲が嘲った。
「は……! あっ! うげ……!」
鷲に吊り下げられた男が呻く。掴んだ手が、男の首に強くめり込んでいた。
「やめろ!」
フォールが鷲に向かって駆け出した。
「その選択はおまえの本心じゃないな」
鷲はあくまでフォールに選択を迫っている。咄嗟に飛び出したフォールの行動にすら、鷲は意味を持たせたがっているのだ。
「仕方ない。俺が選んでやろう」
立てられた指が男の首に完全に食い込んだ。骨と肉を砕き潰す音がして、皮膚までを裂いていく。
鷲が男の首を握り締めたまま手を大きく振った。すると、男の首が、鷲の手の中でぶるんと跳ねた。
「どうだ? 良心が痛まないようにしてやったぞ。カワイイオンナノコを、その手を汚さずに選ぶことができた。よかったな? 嬉しいだろう?」
鷲の問いかけにフォールは答えない。
代わりにその手に蹴りをお見舞いし、男の体を開放させる。
「すまんすまん、本当にこっちを選んだのか。なら、あっちをいただこう」
鷲は腰に据えた銃を引き抜くとフォールに向かって発砲した。
容赦のない行動もそうだが、フォールがなにより驚いたのは、玩具然とした外見のその銃が、当たり前のように光線を放ったことだった。
「よくできた玩具だろう?」
光線が貫通したことを無視して、フォールはその右腕で鷲に掴みかかった。
「ん? 『向こうの光』? もうブーストレベル1を使っているのか」
「おまえは……」
「なぜ知っているのかって? 俺のことはどうでもいいだろう。一目見てわかったよ。バイオブースター主体のバトルジャケットなんて旧式の装備、今のガーディアンじゃ使っちゃいない。噂の『フォール』はおまえなんだろ? おまえ、何番目だ?」
「く……!」
フォールと鷲は一定の距離をとって構えた。どちらも素手だ。
「どちらにしろフォール、おまえはもっと苦しむべきだ」
鷲の一撃とフォールの一撃が交差する。
「ふんっ!」
「ふうっ……!」
力は拮抗しているようだが、明らかにフォールは疲労していた。威力に比べて活気がない。どこか鈍いのだ。
フォールが地を蹴って跳び上がる。落ちてきた膝をフォールの体ごと逸らした鷲は、今度は自分が高く跳ぶ。
拠点の上に立った鷲をフォールが追い、脆い屋根を引き剥がしながら両者が駆ける。
拳と足、肘と膝、四肢を取り合いながら、巧みさも交えて力強く両者が激突する。
チホはその戦いを見守っていた。
ひどく心配しているようで、唇が強く噛まれている。声をかけたいのを耐えながらも、フォールを信じようとしているのだ。それが、彼女の戦いだった。
だが、願いが何になる。応援が何になる。精神的支柱が何になる。フォールに、鷲に、それが届くのならばあるいは意味があるだろう。しかし、届かない。仮面の奥にまでは届かないのだ。
ごぶり、という音がして、フォールが膝を笑わせはじめる。フォールは嘔吐していた。
「フハッ! 吐いたのか! さすがは薄汚いドブネズミ!」
吐瀉物がフォールの仮面の下から流れ出てくる。
それでもなお動こうとして、異様な音が何度も起きた。そして、滴る汁の中に血が混じり始めた。
「そうか……そういうことか。おまえ、メンテナンスを受けていないんだな! 感応剤の毒に冒されている!」
心底嬉しそうに鷲がフォールを見ている。
「今日は見逃してやる。近いうちにおまえの正体もつきとめられそうだ」
鷲がフォールに背中を向ける。足が言うことを聞かないフォールは、その背中になにができるわけでもなく、ただ見送ることしかできなかった。
***
「あの……」
ゼロサイクルから降りたチホがフォールに声をかける。
フォールは自警団の詰め所に近い場所までチホを送ってきていた。
「もう、なにもしない方がいい。なにもしなくていい。君はもう、忘れていい」
より強く加工を強くした声で、フォールはチホに後難を警戒するようように伝えた。
「おねえちゃんのこと、知っているんですね?」
チホがフォールのゴーグルの奥を覗き込もうとすると、フォールは視線を逸らすような仕草をした。
(やっぱりだ)
チホの確信。それは、フォールが身近な人間ではないか、ということだった。
どういう理由かはわからないが、フォールであることを隠し、自分達を守ってくれている。そう思ったのである。
いささか子供っぽい予想ではあるが、状況から見れば、そう的外れなことでもないのかもしれない。
チホはどうにもならない不安と戦っていた。
それは、一つの目処が立ったからだ。
フォールの力を借りる。
知人ならやりやすい、というのは単純すぎる話だが、話だけならしやすいだろう。
むしろ知り合いであるがゆえに断られる、という線もあったが、それでも、今のところ、話が進んできているのはたしかだ。
実際のところ、チホはここまで話が進んだときのことは考えていなかった。ただ、機を逃したくないということと、何かしていたいという焦りから行動をとっていただけだったのだ。
しかし、しかし、もし、フォールがチホの考える人物だとしたら……きっとうまくいく。すべてがうまくいく。彼ならきっとすべてなんとかしてくれる。そう考えた。
去っていくフォールの後姿を、チホは名残惜しそうに見つめていた。
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