第二話・仮面の戦慄(A)
「えー、おいおい……マジかよ、それ」
その日、何回目かの「マジかよ」を言い終えて、男子生徒はもう一度話の真偽を問う。
日常の中に一際大きな話題が飛び込んできたのだ。どこにでもありそうな、昼時の何気ない会話であっても、その光景が非日常として浮かぶ。
「本当だって! 信じてよー!」
チホが小さな手足をバタバタを振る。短いスカートが花のように開いた。
「そりゃあ、そんだけスカート短くしてりゃ、不審者の一匹や二匹よって来るだろうけどよぉ」
男子生徒が下から覗くふりをした。
「バカスケベ! 真面目に聞いてよ!」
チホの手が、ぐいと男子生徒の顔を押しのける。
「あーはいはい。っつってもよ、そんな鉄仮面伝説どう信じろってんだよ」
「伝説じゃなくって、ガーダーなの!」
「王家直属の近衛兵がこんなとこ来るかよ」
「あれはゼッタイあたし達を助けにきたんだね! あたし自信あるもん!」
「ジシンでもカミナリでもいいけどよ、じゃあそいつはどこ行っちゃったんだよ。自警団のとことか行くだろ、普通」
「だって、あいつらのわけわかんない乗り物に乗ってどっか行っちゃったんだもん」
まるきり話を信じようとしない男子生徒の言葉に、チホはフグのように膨れて見せた。
チホは、鉄仮面が現れた事件の翌日には、もう学校に来ていた。
あんな目にあったというのに気丈なことだが、なにより鉄仮面のことで恐怖を忘れてしまっていた。
凄惨な光景であったはずだが、そんなこととは無関係に、彼女を突き動かす何かを、チホは鉄仮面に見ていた。
「そいつらもなんだったのかねぇ。そのマシンさ、話を聞く限りじゃエンドローダー級のゼロサイクルなんだよなぁ……王都でも普通は手に入んねえんだよ」
「お、さすが
チホはメモをとっている。
「ほかにわかることは?
「さっきはバカスケベなんて言っといてそれかよ……」
この男子生徒、澤本虎蔵はいろいろなことに詳しかった。
ただ博識、物知り、というのではない。これは、虎蔵の両親が、かつて反王制運動に関わっていたことによるものなのだ。
「それとね、その人、なんかね、そいつらがなにかを測っていた機械を持ってったよ」
「ほぼノーヒントじゃねえか……機械ねぇ。さすがにそれだけじゃわかんねぇが、どうせ盗品とか……ああ、それだ! ゼロサイクルも、その機械も、その仮面から盗んだんで、取り戻しに来たんだろ! その結果が皆殺し! よっし、解決!」
「フォールさんがそんな小さい男ですか!」
チホはもうその鉄仮面にあだ名をつけていた。
と言っても、あの男達が『フォール』と呼んでいたので、別段間違いということもないだろう。その呼び方がどういう意味なのかは置いておくとして、だ。
「『フォール』な……」
「ほら、まただ。フォールさんについて何か知ってるんでしょう? 何回も引っかかってるじゃん、『フォール』って言葉に」
「いや、なに……無関係だと思うがなぁ」
澤本は思案しているポーズをとる。
さっきからそうなのだ。『フォール』という単語が出るたびに、澤本は頭を抱えてしまうのである。
「いいから言ってみなさいよ、この片桐大先生が判断してしんぜよう!」
チホは、小さな体の小さな胸をつんとはって、澤本に一歩近づいてみせる。
「マジかよ、こいつ……」
はあ、とため息をついて、多くは知らないという前置きのもと、まさにしぶしぶといった様子で澤本は口を開いた。
「よくは知らねえが、ガーディアンに追われてるって噂なんだよ、『フォール』は。その仮面がガーダーだってんならさ、仲間に追われてるってのか?」
「あー……」
チホはあてが外れたといった表情をしたが、すぐにぱっと表情を明るくした。
「ちょっと待って! フォールは裏切り者……そう言ってた!」
チホの声が教室中に響き渡る。一斉にクラス中の視線が集まった。
この学校は、さまざまな年齢の者が混在していて、学府として定まったものではない。
隔離地域の学校は概ねそんなものばかりで、言ってみれば中学や高校あたりが混ざった場所に、もっと広い範囲の年齢層が集まって形成されている。
「なにしてんの虎蔵、オトナに怒られるよ」
「叫んだのおまえだろ……だいたいオトナって誰にだよ、
鉄ヶ山とは、このクラスにいる高齢の生徒である。鉄ヶ山は、このクラスで一際浮いた存在であった。
まずは見た目。高齢の――といっても十代後半を超えているという意味だが――生徒にもれず制服を着ていない。その服はお世辞にも綺麗とはいえなかった。
次に顔。彼の右目は突出していた。文字通り、眼球が大きくせり出していたのである。
そして体臭。彼はどうにも腐臭のような臭いがしていた。
端的に言って、どうにも彼の見た目は不衛生なのである。
しかし、ここで澤本が鉄ヶ山を挙げたのは、こういった要素からではない。いや、関係はあるだろうが、どちらかと言えば、鉄ヶ山の大人しい態度からである。
鉄ヶ山はもの静かで、腰も低く、一言で言って暗かった。しかし大人びた雰囲気もあって、それが余計に怪しく見えるのである。
「もう、そういうのやめなよ。それに、ああ見えて虎蔵とそう変わらないって」
チホは制して見せたが、やはり少しおかしかったのか、笑いをかみ殺していた。
もっとも、この
「そんで、あれみたいなのを頭から
あれとは鉄ヶ山の食事のことである。
鉄ヶ山はなにかの病気らしく、いつもペースト状にされたものを食べていた。
正直なところ、昼時に見たいものではない。
「もう、やめてよ……」
澤本のあまりにデリカシーのない物言いに、チホはさすがに絶句した。
澤本はそういう悪ぶるところがあった。見た目も少し不良っぽくしているし、制服もくずし気味だ。よくない癖である。
「とにかくな、いいか、チホ。その鉄仮面には今後近づかない方がいい。フォールでもなんでもいいから……そんな真似はしないでくれよ」
急に真面目は顔をして、澤本はチホに釘を刺した。
「へー、心配してるの? それとも嫉妬?」
ふふん、と鼻をならしてチホが笑う。チホの、少し太めの
「このデコスケ」
チホの広い
「両方だって言っとくぜー」
最後にポツリとつぶやいた澤本の言葉に、チホは少しにやけてしまうのだった。
***
「うーん……」
ヨモギの見舞いから帰る道すがら、チホは教師が話したことを思い返していた。
その日の学校の終わりに、教師は不審者の話をした。
厳密には昨日の事件についてである。
チホとヨモギが巻き込まれたことは伏せられていたが、チホにとって重要なのは、そこに新情報があったことだ。
「細歩地区全域で目撃されている、か……」
教師は、というより大人達は、どうやらフォールのことを少々だが知っているようなのである。
教師の話しぶりによると、濁してはいるものの、フォールはいわゆる人助けをしてまわっているらしい。
やれリンチから被害者を救い出したり、暴行を受けている女性を救い出したり、といった具合だ。
だが、その言葉の濁し方には裏があった。危険な場所で、危険な出来事の話だから、というだけではない。それは、おそらく、その場にいた加害者が、チホ達を襲った者達のような目にあっていたからだろう。
そういったわけで、どんな事情にしろ、話にあるような物騒な事件に相応しい危険人物であることに違いはない、というのが、大人達の結論だったのだ。
「ヨモギ、思ったり元気そうだったな」
ヨモギは学校を休んでいた。あのとき、気丈に振舞ってはいたが、どうやらダメージは大きかったらしい。
これはチホにとっても予想外のことだったが、同時に、友人だからこそ知っている、ヨモギの一面を思い起こさせた。
「あの子、いっつもどっか無理してるんだよね」
それは、トラウマによるものなのだろう。この静町に住む者の多くがそれを持ち、苦しんでいた。
いくつものトラウマを胸に抱いた者達ばかりの町。だからこそ優しい町。だが、それは、弱さとも言える。静町は、弱さを植えつけられた町でもあるのだ。
「あんなことがあった次の日に、もう一人でフラフラしてんのかよ」
後ろからした声に、チホは反射的に笑顔になった。
「そう。だから不安でさ。誰か守ってくれないかなーって」
振り返ったチホの目には、バイクにまたがった澤本の姿があった。ずっとここにいたらしい。
「こんな町にそんな奴いねえって。腰の引けた奴ばっかだし」
「虎蔵もそうなの?」
「そう。俺もクソッタレの玩具さ」
私服に着替えている澤本は、煙草をふかしながら答える。
年齢差は少しばかりあるものの、澤本とチホは、アンバランスながらも気が合う様子である。
「ヨモギはどうだった?」
「元気だったよ」
「あんな奴らとよく話してられるよな、あいつ」
あんな奴らとは自警団のことである。
この町にも一応のこと自警団と呼ばれる集団はいた。しかし、それは、それなりのものでしかなく、それなりの寄り合い所帯でしかない。
それなりに信用に足る人物が集まってはいるが、しかし、頼りにする者も少なく、ただのボランティア集団となんら変わりのない小規模なものだった。
「ほんとにね。いい子ちゃんすぎるよ、ヨモギは」
「でもさ、今回のは本当に放っときゃいいと思うぜ」
「どうして?」
「区政が動くってさ」
「……本当に?」
「多分前々から動いてたんだと思うぜ。噂通りなら『フォール』はガーディアンの敵だし、区政は王都に逆らえないだろうからな。いや、今回のがそれと同一人物かは知らないけど」
「やっぱり」
チホの目は少しばかり鋭くなって、次に憂いを帯びた目をした。
澤本はそんなチホをじっと見つめている。
「……なにか、あるんだろ? 話してくれてもいいんじゃないか? それとも、俺じゃ頼りにならないか?」
「虎蔵……」
澤本の意外な優しい言葉に、チホは茶化すことも忘れてしまっていた。
しかし、甘えてしまいたい衝動を、チホは自ら抑えた。
年頃の女の子でありながら、それに甘えない強さもチホにはあった。ただ、ときに、それが空回りして、弱さとして頭を出すこともある。
「無理には聞かねえよ。でも、言ってもいいと思ったら、いつでも話してくれ……できれば真っ先にな」
耐えるような仕草を見せるチホを見て、澤本から、らしくない言葉が再び出てきた。
それで、チホは思わず笑ってしまった。嬉しいのとおかしいのとで笑ってしまったのだ。健やかな、チホらしい笑顔だった。
「ちっ、ニヤニヤしやがってデコスケが。
「うん……約束」
「おう。じゃあな」
澤本はそれだけ言い残し、どこかへと行ってしまった。
チホは、澤本の後ろ姿に誰かが重なった気がした。
「まさか、ね」
口にだした言葉とは裏腹に、チホはそのまさかを思わずにはいられなかった。
そして、そんな考えにのめりこんではいたが、澤本が去り際にある人物に目をやったことに気づいていた。
澤本の視線の先では、鉄ヶ山が荷物を運んでいた。そして、ヨロヨロとおぼつかない足取りで建物の奥に消えていった。
ここは、ちょうど鉄ヶ山の自宅兼仕事場が近いので、なにがおかしいわけではない。
だが、チホは、なんとなくだけど、と自分に言い聞かせて、それを強く覚えておくことにした。
ただ、人気のない路地に消えていく鉄ヶ山の後頭部が、油断なく気配を窺っていることまでは、チホには読み取ることができなかった。
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