第一話・闘士は月下に(C)
チホとヨモギの乗せられた車の、その隣に寄せてきたもう一台の車に鉄仮面が刺さる。とんでもない
しかし、真に恐ろしいのはその点ではない。
徒手なのだ。
よく見れば、鉄仮面はベルトの左腰に、ホルスターらしきものとかなり大きめのナイフのようなものをぶら下げている。
なのに、まるでそれらを使う気配がない。
自信でもこだわりでもないように見える。素手で当たり前。そう思える動きなのである。
頑丈なはずの車体が歪みだしたころ、男達はようやく鉄仮面を取り囲むことに成功していた。
その様子を見て、チホの、少しばかりの希望の色が消えた。
(いくらなんでもどうしようもない)
男達は銃を効果的に使えるよう、壁際に追い詰める形に鉄仮面を囲んでいるのだ。
「よう、おまえが『フォール』なのか? 何が目的だ? あ?」
車から降り、自ら前へ出てきたリーダー格が血走った目で問いかける。
まるで顔そのものが変わったかのような表情だった。相当頭にきているようだが、それだけだろうか。
「とにかくよぉ……命令されたんだ……潰せってよ!」
男達が引き金に手をかけるまでのわすかな間。チホが目を
その跳躍で特筆すべきは高さではない。
たしかに高い。しかし、
鉄仮面は、壁に向かって跳んだのである。
後方抱え込み宙返り、いわゆるバク宙の形で、後方の壁に吸い込まれるように跳ねていたのだ。
アクロバティックではあるが、なにも奇抜さや目くらましを狙ってのものではない。
壁を地にしてしゃがみ込む。次にくるのは、当然、再びの跳躍だ。
壁が地となっての跳躍。つまり、前方への自身の発射である。
その速度はただ事ではなかった。まるで弾丸である。まばたきしている間に、一人の男がその速度で殴られたらしかった。
らしかった、というのは、息が吐き出される音と、車に何かが衝突した音が聞こえただけだったからだ。ほかには何もわからない。
しかし、どうやら拳だ。鉄仮面が、男の体に拳をめり込ませているのだから、そうなのだろう。
異常である。
いくらなんでも異常なのだ。人間にできる動きではない。おそらくは、一瞬いじっていた『摘み』に秘密がある。
「なんだよあれ……なんだよあれぇ!」
チホとヨモギの傍にいた監視の男は、あまりのことに取り乱し、車から逃げ出した。
チホとヨモギは、その男が、人体で
鉄仮面が人を投擲したのだ。
信じがたい速度、信じがたい筋力、信じがたい戦い方。こうなっては銃など意味はない。まともな位置取りなどできないからだ。
リーダー格が自分の仲間への被害を考えずに何発も撃ったが、鉄仮面に盾にされた男が蜂の巣にされただけだ。
そうこうしてるうちにまた一人、また一人男達は数を減らしていった。
「やばいっすよ! 逃げましょう!」
「命令されたんだ……」
リーダー格の様子がさらに変わっていた。
「そんな言ってる場合じゃ!」
怒りというより、冷静さを欠いているような、混乱しているような、そういう印象を受ける。しかし、それに気づいている者は、彼らの仲間の中にはいなかった。
「命令されたんだよぉ!」
リーダー格の男は逃亡を提案した男を殴りつけた。
「命令! めいれい! メイレイ!」
何度も、何度も、
「き、た、あ、ぁ、ぁ!」
リーダー格の男は拳を握り、大きく体を震え上がらせた。
ようやく開放された殴られていた男は、口元からおびただしい血を吐き出しながら、その場にへたりと崩れ落ちた。
血走った目が大きく見開かれ、口角に
異様な気配を感じ取ってか、最後の男の顔面を踏み抜いた鉄仮面が素早く振り向く。
「なに? ヤバイよアイツ……」
「クスリ、かな」
リーダー格のこの変化は、やはり怒りによるものではない。鉄仮面に詰め寄る際に、彼が注射器を投げ捨てるのをヨモギは見ていた。
「うなあああ!」
リーダー格の汚らしく握りこまれた拳が宙を切り、車を殴りつけた。
「いやっ!」
チホとヨモギの乗る車が大きく揺れた。
リーダー格の男は見た目どおりの著明な変化を起こしていた。急激に筋力があがっているようだ。
ただ、鉄仮面はそれを軽々とかわす。
「ううう……ああぁ! これはめいれいだぁ……!」
沈痛そうな声を漏らしながら、激しい息遣いとともに、リーダー格の男は暴れる。
しかし、そのどれもこれもが鉄仮面には通じない。
「知っているぞ」
鉄仮面の男が、はじめて口を開いた。
「何人も
鉄仮面の声は小さく、そのうえ機械で加工されているため、肉声がどんなものかはわからない。
「何人も食い物にしただろう」
冷静とも言いがたいし、激昂しているとも言いがたい。そういう無機質な響きでありながら、その言葉は人間らしく思えた。
「万死に値する」
その言葉と同時に、鉄仮面はナイフを抜いた。左腰の後方に下げられていたナイフは、逆手で鉄仮面の左手に収まる。
「つぶせぇ……『ふぉーる』はうらぎりもの! つぶせ!」
振り上げられた大きなナイフは、先が平たくなった、巨大なマイナスドライバーのようであった。
「おまえの番が来たんだ……!」
まるきり考えなしに突っ込んでくるリーダー格の男の頭頂部に、そのナイフはするりと入り込んだ。
そして、一呼吸置いて、ゴボリ、という音が聞こえそうなほどの血が、その頭頂部から流れ出した。
振り向きざま、ナイフを順手に持ち替えて、鉄仮面が刃を振った。
血とわずかな肉片とをアスファルトにへばりつかせ、露になった刀身が、チホとヨモギに反射した月明かりを届けていた。
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