第二話・仮面の戦慄(B)

「うーん……」

 ヨモギの見舞いから帰る道すがら、チホは教師が話したことを思い返していた。

 その日の学校の終わりに、教師は不審者の話をした。

 厳密には昨日の事件についてである。

 チホとヨモギが巻き込まれたことは伏せられていたが、チホにとって重要なのは、そこに新情報があったことだ。

「細歩地区全域で目撃されている、か……」

 教師は、というより大人達は、どうやらフォールのことを少々だが知っているようなのである。

 教師の話しぶりによると、濁してはいるものの、フォールはいわゆる人助けをしてまわっているらしい。

 やれリンチから被害者を救い出したり、暴行を受けている女性を救い出したり、といった具合だ。

 だが、その言葉の濁し方には裏があった。危険な場所で、危険な出来事の話だから、というだけではない。それは、おそらく、その場にいた加害者が、チホ達を襲った者達のような目にあっていたからだろう。

 そういったわけで、どんな事情にしろ、話にあるような物騒な事件に相応しい危険人物であることに違いはない、というのが、大人達の結論だったのだ。

「ヨモギ、思ったり元気そうだったな」

 ヨモギは学校を休んでいた。あのとき、気丈に振舞ってはいたが、どうやらダメージは大きかったらしい。

 これはチホにとっても予想外のことだったが、同時に、友人だからこそ知っている、ヨモギの一面を思い起こさせた。

「あの子、いっつもどっか無理してるんだよね」

 それは、トラウマによるものなのだろう。この静町に住む者の多くがそれを持ち、苦しんでいた。

 いくつものトラウマを胸に抱いた者達ばかりの町。だからこそ優しい町。だが、それは、弱さとも言える。静町は、弱さを植えつけられた町でもあるのだ。

「あんなことがあった次の日に、もう一人でフラフラしてんのかよ」

 後ろからした声に、チホは反射的に笑顔になった。

「そう。だから不安でさ。誰か守ってくれないかなーって」

 振り返ったチホの目には、バイクにまたがった澤本の姿があった。ずっとここにいたらしい。

「こんな町にそんな奴いねえって。腰の引けた奴ばっかだし」

「虎蔵もそうなの?」

「そう。俺もクソッタレの玩具さ」

 私服に着替えている澤本は、煙草をふかしながら答える。

 年齢差は少しばかりあるものの、澤本とチホは、アンバランスながらも気が合う様子である。

「ヨモギはどうだった?」

「元気だったよ」

「あんな奴らとよく話してられるよな、あいつ」

 あんな奴らとは自警団のことである。

 この町にも一応のこと自警団と呼ばれる集団はいた。しかし、それは、それなりのものでしかなく、それなりの寄り合い所帯でしかない。

 それなりに信用に足る人物が集まってはいるが、しかし、頼りにする者も少なく、ただのボランティア集団となんら変わりのない小規模なものだった。

「ほんとにね。いい子ちゃんすぎるよ、ヨモギは」

「でもさ、今回のは本当に放っときゃいいと思うぜ」

「どうして?」

「区政が動くってさ」

「……本当に?」

「多分前々から動いてたんだと思うぜ。噂通りなら『フォール』はガーディアンの敵だし、区政は王都に逆らえないだろうからな。いや、今回のがそれと同一人物かは知らないけど」

「やっぱり」

 チホの目は少しばかり鋭くなって、次に憂いを帯びた目をした。

 澤本はそんなチホをじっと見つめている。

「……なにか、あるんだろ? 話してくれてもいいんじゃないか? それとも、俺じゃ頼りにならないか?」

「虎蔵……」

 澤本の意外な優しい言葉に、チホは茶化すことも忘れてしまっていた。

 しかし、甘えてしまいたい衝動を、チホは自ら抑えた。

 年頃の女の子でありながら、それに甘えない強さもチホにはあった。ただ、ときに、それが空回りして、弱さとして頭を出すこともある。

「無理には聞かねえよ。でも、言ってもいいと思ったら、いつでも話してくれ……できれば真っ先にな」

 耐えるような仕草を見せるチホを見て、澤本から、らしくない言葉が再び出てきた。

 それで、チホは思わず笑ってしまった。嬉しいのとおかしいのとで笑ってしまったのだ。健やかな、チホらしい笑顔だった。

「ちっ、ニヤニヤしやがってデコスケが。癪だがまあいい。約束だからな」

「うん……約束」

「おう。じゃあな」

 澤本はそれだけ言い残し、どこかへと行ってしまった。

 チホは、澤本の後ろ姿に誰かが重なった気がした。

「まさか、ね」

 口にだした言葉とは裏腹に、チホはそのまさかを思わずにはいられなかった。

 そして、そんな考えにのめりこんではいたが、澤本が去り際にある人物に目をやったことに気づいていた。

 澤本の視線の先では、鉄ヶ山が荷物を運んでいた。そして、ヨロヨロとおぼつかない足取りで建物の奥に消えていった。

 ここは、ちょうど鉄ヶ山の自宅兼仕事場が近いので、なにがおかしいわけではない。

 だが、チホは、なんとなくだけど、と自分に言い聞かせて、それを強く覚えておくことにした。

 ただ、人気のない路地に消えていく鉄ヶ山の後頭部が、油断なく気配を窺っていることまでは、チホには読み取ることができなかった。


***


 ヨモギは、最近チホの様子がおかしいことに気がついた。

 朝には一段と元気だったり、どことなく空虚な目をしてみたり、そう思えば、まるで盗み見るように澤本の背中に目をやってみたり、と、いつものチホらしくなかった。

 実は澤本の方もおかしなところがあるのだが、こちらはもともと素行があまりよくないので、気にならないと言えば気にならない。

 ヨモギはチホが心配だった。ずっとチホには危ういものを感じていた。

 チホにもトラウマがある。懐いていた姉が失踪しているのだ。

 この町で失踪とは、つまり、拐かされたということだ。その後のことは推してもどうにもならないことである。

 問題は、どうやらチホが、その様子を見ていたらしいということである。本人は詳しく語らないが、それはこの町の誰もが知っていることだった。

 チホはその経験から、不安定な情緒と、それを自制しようとする精神構造の、どちらもが大きく成長してしまっていた。

 心の不均衡の拡大。これは、いっそ不治の病と言い切ってしまってもいいかもしれない。

 人生は痛みばかりだ。その中でも一際厄介なのは心の傷だ。月並みな表現だが、この痛みは、ときには命の危険を伴う、重い病ともなる。

 心にできる裂孔は、場合によっては、実際に心臓に起こるものと同じぐらいに致命的なのだ。

 だが、チホからすれば、ヨモギの方こそがそうなのだろう。彼女らは、そういうおたがいさまの関係なのだ。

 ともかく、チホは何かをしている。

 少なくとも夜な夜な出歩いているのはたしかだ。探りをいれてヨモギはそう確信していた。

 澤本にもそれとなく聞いてみたが、知らないようで、先日の事件のことを聞かれるばかりであった。

 澤本もだが、教師もやたらにヨモギに注意をしてきた。その教師、四柳保は自警団であるので当然ではあるが、傍目にはチホよりもヨモギの方が見ていてハラハラするらしい。

「相談してみようかな」

 独り言をもらしながら『先生のところ』へ向かう。

 ヨモギは例の事件で少しばかり怪我をしていた。チホをかばうあまり、華奢な体で無理な抵抗を試みていたからだ。

 『先生のところ』とは診療所のようなものである。

 先生ことユリア=トーレンは、町の先生だった。科学にも化学にも詳しく、生物も彼女の領域である。

 ユリアは医者ではないのだが、細歩のどの診療所よりもよほど信用できるので、皆が頼みこみ、仕方なしに診察を引き受けているのである。

 とぼとぼ、といった具合でユリアのところへ向かう。芯のあるように見えても、ヨモギには、隠し切れない影がある。


「そりゃあれよ、男でしょ」

 ユリアは明け透けな性格でみなに親しまれていた。ヨモギも彼女と話していると元気がもらえるので好いていたのだが、この言葉にはコケてしまった。

「考えればぁ、たしかにそうなんですけどぉ……」

 苦笑いしながら不満そうにヨモギが漏らす。

「えらい目にあったっていうのに、懲りずに夜中出歩いてて、その時間には男も外に出てるんでしょ? そんなの逢い引きしかないじゃないの」

 タイトな短いスカートから伸びる長い足を組みなおす。その大人びたユリアの動きに、ヨモギは少しどぎまぎする。

「まあ心配よね、澤本虎蔵君っていったら、健康優良思春期少年だしね」

「えー、なんですかぁ、それ」

「青春まっさかりって感じしてるじゃない、あの子」

 金の髪をかきあげながら、いかにも興味なさげにユリアは答えた。ユリアからすれば澤本もまだまだ子供なのだ。

「とにかく心配いらないわよ。ああ、でも、妊娠の心配はしといた方がいいかもね。ゴムでもプレゼントしてあげたら?」

 とんでもないことを平気な顔して言うユリアだが、気を許したサイエンティストなどインモラルの塊以外の何者でもないので、これでもずいぶんと言葉を選んでいる方なのだろう。

「先生、セクハラですよ」

「……ふーん、そう? じゃあ本気でセクハラしてあげようかしら?」

 ユリアの青い瞳がヨモギを覗き込んで、ニコリと笑った。

(とって食われる!)

 ヨモギが本能でそう直感したとき、扉をノックする音が聞こえた。

「ハーイ」

 助かったような、ほっとしたような、ちょっとガッカリしたような複雑な気分で、ヨモギは出されたお茶をすする。

「あの声は……?」

 外に出たユリアは、誰かと話をしているようで、ヨモギは相手の声に聞き覚えがあった。

 少しして、ドサリと荷物が置かれる音の後、声の主は急いでどこかへと向かっていったのだった。

 耳で聞くその様子は、予想できる人物からのイメージと、少し離れたものだった。

 扉についたガラスの影、ユリアが頭を抱えているのがわかった。なにかあったのだろうか。

「とりあえず、ワタシも自警団に関わっているから、チホちゃんのこと、答えられるだけ答えてもらうわ」

 もどってきたユリアは、ヨモギから一通りチホについて聞くと、ヨモギを追い出すように帰路につかせた。

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