第2話 ドS勇者の殺人
山賊どものアジトは打ち捨てられた砦の廃墟だった。
荒縄で拘束されたが目隠しされていたわけでもないので、連行されるまでの過程をじっくり観察できた。
留守を任されていた連中も含めておおよそ三十人といったところか。
それなりの規模の山賊団のようだ。
「ここで大人しくしてるんだな」
僕は拘束を解かれた後に砦の地下牢へ放り込まれた。
どうやら少し前まで誰かが入っていたらしく、糞尿どころか誰かが殺されたような血だまりすら残っていた。
衛生面は最悪を通り越していっそ清々しい。
向かい側の牢から僕と同じ歳くらいの少女が、怯えた様子でこちらを見た。
誰がひいき目に見ても美しい。短髪でボサボサだけどくすんでいない金髪に、深緑の瞳。体のラインは貧相だけど、どっちかというと栄養が足りてないって感じ。ボロボロのチュニックを着せられているけど、きちんとコーディネートしてやれば貴族のご令嬢にだって負けやしまい。
耳が少し尖っているからエルフ……いや、耳の尖り方が少し丸い。どうやらハーフエルフのようだ。奴隷の相場はわからないが、レアものだ。かなりの高値がつくんじゃなかろうか?
暴行された様子はないから、彼女も商品なのだろう。味見もされないとは運のいいことだ。
「さて、どうするかな……?」
血のついていない壁に背を預けてじっくりと考える。
今の僕には神に与えられた勇者の力の数々がある。
使者いわく『ギフト』と呼ぶらしい。
勇者単独では大したことはできないが、たいていは仲間を強化できるものだという。
勇者の場合は仲間を鼓舞するだとか、恐怖に対する耐性を与えて逃げなくさせるとかいうやつだろう。
もっとも僕の魂の関係でギフトはまったく別の能力に変異するらしいが……僕としてもそちらの方が楽しめる。
とにかく脱出するだけなら、ギフトを使えばそれほど難しいことではない。
どうせなら『収穫』を得たいものだ。
ところで……先ほどから地下牢には誰かの悲鳴や嬌声がひっきりなしに響いている。
他の奴隷候補が拷問されたり、あるいは女が味見されているのだろう。
「どうして、そんな顔ができるの……?」
心地よいハーモニーにうっとりしていると、ハーフエルフ少女が僕に向かって話しかけてきた。
「物事をポジティブに捉えているからさ。きっと助けが来る。そう思っていれば心が楽になるからね」
たとえ偽りでも希望に縋っている間は心が救われる。
絶望する時間を短縮できるのだから祈りも決して無駄ではない。
どうせ最後は裏切られるとしても、だ。
「そんなのは、気休めよ……」
僕の実体験に基づく話は、どうやらハーフエルフ少女にはウケなかったらしい。
「そうとも気休めさ。それでも笑っていれば不思議と楽しい気分になってくる」
「こんな地獄みたいなところで、絶対に無理……ッ!」
うん、普通の人はそうらしいね。
僕は誰かの悲鳴はもちろん、苦痛に歪む顔なんかを見ると興奮してしまうんだけど。
それが異端であることはわかっていたから前世では現実に欲望を向けることなく、空想だけに情熱を投入してきたんだ。
「ここは本当の地獄なんかじゃないよ。だって何を考えるかだけは自由でいられるじゃないか。本当の地獄は、自分が自分でないことを永遠に強要される世界のことだよ。そして僕は、そんな世界だけは……絶対に御免だ」
思えば前世は無期懲役刑だった。
倫理を心の枷に嵌め、道徳と規範に従属し、良心と誇りとを是とする人々に囲われて……そうであることを強いられ続けてきた。
今思えば「そうできなかった者たち」が辛抱できずに盗み、騙り、殺していたのだろうと想像できる。
きっと僕のように辛抱して親切な隣人を生涯演じ続ける人間はごまんといるのだろう。僕だけじゃないとは思いたい。
「そんな世界だけにはしないよ。そう誓ったんだ」
そうとも。
今回の人生を僕が我慢しなきゃいけない世界にだけは、絶対にしない。
たとえ何を犠牲にしようとも、それだけは。
「おい、本当に大丈夫なのかよ……?」
ハーフエルフ少女がさらに口を開きかけたところに、ふたりの山賊がやってきた。
「平気だって。かしらだって気に入った女は自分のものにしちまうんだ。俺らだって少しぐらいおこぼれをもらったって、バチは当たらないっての」
ハーフエルフ少女は怯えた様子で牢の奥へと避難するが、明らかにふたりは彼女に用があるみたいだった。
鍵束から少女の牢の鍵を選ぼうと、ランタンの灯りで手元を照らしている。
「その子になにをするつもり?」
ちょっとした悪戯心が働いた僕は、山賊に声をかけた。
「あぁん? テメェには関係ねーことだよ」
「そこで大人しくしてな」
ハーフエルフ少女が涙目をこちらに向けながら、助けを請うように唇を動かした。
その顔は……うん、とてもいいね。
もう少し見ていたいところだけど、このままだと彼女は別室に連れていかれてしまうだろう。
「ふーん、まあいいや。ふたりとも、顔は覚えたからね? 『おかしらさん』が寛大に指折りと爪剥ぎぐらいで許してくれる優しい人であることを祈っておくよ」
「なんだと、テメェ……まさか密告しようってんじゃねェだろうな!」
「僕はそんなことしないよ。ただ、そこの子の商品価値が下がった理由について聞かれたら、思い当たることを白状させられるかも? ほら、僕は拷問とか耐えられないだろうし」
「そこにいれば手を出されないと思ってんのか、コラァ!!」
山賊の片割れが凄んでくるけど、僕の心はこれっぽっちも揺らがない。
実際、僕は山賊から牢を隔てて物理的に手出しできない奥側の壁にいる。
どれだけムカついたとしても、手を出せない。
そう、牢の扉を開けない限りは。
「まあ、彼女に手を出すことは諦めた方がいいんじゃないかな? せめて、向かい側の牢屋に誰もいないときまで待った方がいいよ。もっとも僕よりも彼女の方が早く売れちゃうだろうけどね」
実際、僕はどちらに転んでも良かった。
山賊どもが引き下がってハーフエルフ少女の絶望と悲嘆をゆるやかに味わえる特等席が続くのでも、山賊が短気を起こして寿命を縮めるのでも。
「上等だ。そこで待ってろよ。痛めつけてやる!」
「お、おい。大丈夫なのかよ……やっぱりやめたほうが」
「うるせぇ! お前は俺に黙って従ってりゃいいんだよ! さっさとあのガキの牢の鍵を開けろ!」
怒鳴られた方の山賊が不満そうな顔をみせた。
ふぅん……だったら、あのギフトが使えるかな。
しばらく同じギフトが使えなくなるけど、回数制限はないし。
「本当に大丈夫? 意地を張らずに大人しく帰った方が身のためだと思うけど。あなたのためにはならないんじゃないかな? そうやってその場その場の気分で動いてると早死にするよ? あ、そんなだから山賊に身を落としてるのか」
「……いいだろう。テメェ、ぶっ殺してやる」
こんな安い挑発に乗るなんて。
あんな風に生きられたら、どんなに楽だったろうな。
ひょっとしたら牢の前任者も、同じようなことをしてコイツの同類に殺されたのかもしれない。
もう片方の山賊がモタモタと僕の牢の鍵を開ける。
ほどなくして手をポキポキと鳴らしながら、キレ散らかした方の山賊が入ってきた。
まったく……こうもすべてが思い通りにいくと、笑うこともできないな。
「《口実のギフト》――発動」
早速僕は使う予定だったギフトを発動する。
使用する場合には囁くか、頭の中で強く念じなければならない。
発動時には僕の目が少しばかり妖しく輝くらしいけど、山賊は気づいていない様子だ。
「さーて、お前を守ってた牢はもうないぜ。覚悟はできてんだろうなぁ?」
目の前で勝ち誇っている山賊には何の変化もない。
当然だ。僕が能力を向けた先は彼じゃない。
ドン! と山賊の背中に何かがぶつかった。
彼は目を見開いて、肩越しに見やる。
「え? あ……お、お前。なんで……」
「へへ、テメェのことは前から気に食わなかったんだよ!」
牢を開けた山賊だった。
僕に襲い掛かろうとしていた山賊に、隙だらけの背後から、ブッスリと腰だめに構えた短剣をお見舞いしたのだ。
「ふざけ……んな。テメェ、ぶっころしてや――」
「うっせぇ! さっさと死ねや!」
さらに二度三度と短剣を突き刺されると、先ほどまで息巻いていた山賊は力なく倒れこんだ。
僕が使ったのは《口実のギフト》だ。
対象となった相手に30秒間、短慮を起こさせる。
冷静な判断力を失った相手は日頃のうっ憤などを晴らすべく、短絡的な行動に出る。
挑発した相手に自分を殴らせて大義名分を得るような使い方ができる能力だが、山賊のような他人の命をどうとも思っていない連中は殺人すらも平気で犯す。
「あらら、大変」
他人事のように呟きながら、僕は肩でぜぇぜぇと息をつく仲間殺しのクズを無視して、倒れた山賊の腰に挿さっている短剣を拝借した。
「……ぁん? 俺……は? どうして――」
「さあ?」
隙だらけの山賊の背後に回り込み、短剣を彼の首の手前で横一線に引いた。
「こひゅ……?」
僕に喉を斬られた山賊が力なく倒れこむ。
記念すべき初の殺人行為だったけど、これといって何も感じなかった。
なるほど……殺しに対する忌避感がない人間にとっては、最初から味気ないものなんだね。
すぐさま鍵束を確保すると、向かいの牢の鍵を開けた。
「ほら、ここから逃げよう」
手を差し伸べると、ハーフエルフ少女は信じられないものを見るような目を向けてきた。
「あ、あなたは……いったい」
「――ユエル。一応、神に選らばれた勇者らしいよ」
まあ見ての通り、悪の勇者だけどね?
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