第167話 ユリミエラ
孤児院のみんながお城に引っ越した夜。
大きな寝室の窓際、観葉植物の葉っぱの布団でポッケが寝息を立てる。
今日からは、孤児院のみんなも一緒だ。
大雑把に片付けた部屋は孤児院よりもずっと広いのに、寄り添うように布団を並べ、みんなでぎゅうぎゅうになっている。
静かに寝息を立てる子、布団からはみ出す寝相の悪い子、寝言でご馳走を食べている子。ユーリの顔の上に男の子が足を乗せ、「フガッ」と言ったユーリが寝顔をしかめる。この光景は、場所が移っても変わらない。
昔と違うのは、私の右側に龍人、左にジュダムーア、小さな二人が私を挟んで寝ていることだ。
以前龍人は、ジュダムーアに愛情の受け皿がないと言っていた。だから、抱きしめただけで拒否反応を起こしてしまった。
でも今は、小さな手で自分から一生懸命にしがみついてくれる。
私は真っ白な髪を手ですきながら、幸せになれるように願いを込めて、静かに寝息を立てるジュダムーアの額にキスをした。
くすぐったかったのか、ジュダムーアが「ママ」と寝言を言って、ぷにぷにの片足を私のお腹の上に上げた。
「ふふふっ、小さい足」
私が笑うと、ローリエに寄り添って寝ているユリミエラが静かに目を開けた。
「シエラ」
「あ、ごめんね、お母さん。起こしちゃった?」
「いいえ、まだ起きていたの。本当に、シエラはよく頑張ったわね」
ユリミエラが穏やかに微笑んだ。
昼間はゆっくり話す時間がなかったので、二人で話すのは孤児院を出てから初めてだ。母に努力を認めてもらった途端、泉のように喜びが溢れ出す。
今の私の気持ちを聞いてほしい。
いつも安心をくれる母を前に、そんな衝動に駆られた。
「お母さん……私、いつも困った時はお母さんの言葉を思い出していたんだ。お母さんが私を大切に育ててくれたおかげで、みんなに支えてもらって、私は頑張ることができたよ。どうもありがとう」
ユリミエラが嬉しそうに顔をほころばせた。
昔と変わらない、私の大好きなお母さんだ。
……そしてありがとう、龍人。
この平和を実現させるために、またしても人知れず頑張ってくれた龍人へ感謝を込め、小さな額にキスをする。
「ねえ、お母さん」
「なあに?」
「龍人とジュダムーア、きちんと幸せになってくれるかな。私が二人のママの役を引き受けたけど、どうしたら二人を幸せにできるか分からない、自信がないの」
こんな悩みも、お母さんなら解決してくれる。
そんな気がして、私はポロッと本音を漏らした。
「ふふふ。私もそうだったわよ」
「え? お母さんが?」
「そう」
孤児たちを、私をこんなに大切に育て上げてくれたお母さんが、自信がないなんて信じられない。
私の驚く顔を見て、ユリミエラがクスクス笑った。
「ユーリが生まれる前、サミュエルを引き取ったのは知ってるでしょう? あの時、私もどうしたら良いか分からなかったの。初めて育てる子どもだったし、目の前で両親を殺されたあの子の心の傷は深かった。どうやったらもう一度笑顔を取り戻してあげられるかって、毎日悩んだわ」
昔を思い出すように、ユリミエラが天井を見つめた。
「でも、ユーリが生まれるとすぐに出て行ってしまった。きっとユーリを見て辛かったのよ。私はすぐそれに気づいてあげられなかった。サミュエルが出て行ったのは、私が未熟だったせいだわ。だから、ユーリを産まない方が良かったのかもって、思ったこともあるの」
初めて聞く母の想いに、私は内心とても驚いていた。
そんな素振りは、一度も見たことがなかった。
ユーリの父がお城の下働きとして囚われてから、一人で孤児たちを育てた母。もしかしたら、私の知らないところで他にも悩んでいたのかもしれない。
「でも、サミュエルは優しくて強い子だった。あの子のお父さんとお母さんのようにね。ちゃんと、あの子の中では両親の愛情が生きていたの。その証拠に、孤児院を出て行った後も、ずっとシエラとユーリのことを心配してくれていた」
「サミュエルが?」
天井を見ながら、ユリミエラが「そうよ」と言ってクスッと笑った。
「そんなサミュエルを見ていて分かったわ。私は自分の力で子どもを育てようと必死だったけど、大人は、子どもを育てるんじゃなく、子どもが育っていくのを支える役割なんだなって。子どもは、大人が思っているより強い。そっと背中を支えてあげれば、きちんと自分の力で立ち直ることができるのよ、サミュエルのように。それから、私は子どもとの接し方がわかるようになったの。だから、無理にサミュエルを連れ戻そうとするのもやめた。今の私があるのは、サミュエルが教えてくれたおかげよ」
初めて聞く母の本音。
自分を対等に見ていることが伝わり、このとき私は初めて自分が大人になれた気がした。
「だから、シエラに必要なことは、二人がのびのび成長できるお手伝いをすることと、たくさん愛情を注ぐことだと私は思うわ」
「それならできそう!」
「うふふ。そうでしょ? 私も、みんなもいるから、シエラはシエラらしく頑張るのよ」
「うん。ありがとう、お母さん!」
これからも、私は私なりに二人を大切にしよう。
母のおかげで少しだけ自信が持てた時、二人の間の龍人がもぞもぞ動き出した。
「おしっこ……」
「わ、龍人、おしっこが言えたの⁉︎」
トイレに行く練習を始めていた龍人が、初めて自分から尿意を言えた。
嬉しくなった私は、寝ぼけまなこの龍人に、ぐりぐり顔を押し付けて喜んだ。
「すごい! すごいね、龍人! 一緒にトイレへ行こうね」
すぐに手を繋いでトイレへ向かうと、数歩歩いた龍人が「あっ」と言って立ち止まった。涙を浮かべた目をうるうるさせて見上げている。私はすぐにしゃがみ込んで龍人の頭を撫でた。
「あ……大丈夫大丈夫! 気にしないで。…… せっかく教えてくれたのに、この広いお城が悪い! 誰だ、こんな広い作りにしたのは……私か! ごめーん、龍人。私のせいだ。次はきっとうまく行くから、また教えてね」
明日からはおまるを用意しよう。
グスグス泣き始める龍人を撫でながらそんなことを考えていた私は、布団を被ったサミュエルが、こっそり鼻をすすっていることに気がつかなかった。
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