第168話 パッハベルのカノン

「いーぬーのー、おまわりさんっ! こまってしまって……」


 すっかり元通りになった礼拝堂。

 昔の歌を教えてもらっている子どもたちが、龍人のピアノに合わせて楽しそうに合唱する。

 ユーリとジュダムーアが剣の稽古に出かけたので、ピアノの音色が好きな私は、思い思いに歌う子どもたちの歌声を椅子に座って楽しんでいた。


「わぁーっ、みんな覚えるのが早いね! とっても上手だよ!」


 歌い終わると龍人が拍手を送った。褒められた子どもたちは、ぱぁぁっと表情を輝かせ、嬉しそうに次の曲を急かす。


「よし、じゃあ次の曲は……」


 あれから一ヶ月、孤児院のみんなに囲まれて育った龍人とジュダムーアは、十二歳になったカイトと同じくらいの大きさまで成長した。この調子なら、本当に二カ月くらいで大人になりそうだ。


「さーいたー、さーいーたー、ちゅーりっぷーのーはーなーがー!」


 最初はジュダムーアの容姿を見て珍しそうにしていた子どもたちだったが、すぐに打ち解けて今ではすっかり本物の兄弟のようだ。


 ただ一つ困ったことといえば、三歳のローリエのことだ。

 初めは自分と同じくらいの大きさだった二人があっという間に成長していったので、自分もすぐに大きくなれると思い込んでしまったのだ。自分だけなかなか大きくなれないことに癇癪かんしゃくを起こし、なだめようとしたサミュエルが髪の毛を引っこ抜かれそうになった。

 しばらくかかって誤解は解けたものの、今では「将来の夢はベニクラゲ!」なんて言っている。すっかり龍人とジュダムーアはローリエの尊敬のまとだ。


 こうして、子どもに戻った二人は無事に成長しつつある。

 龍人は前と大きく変わらない。背がまだ小さいくらいだ。


 しかし、ジュダムーアの印象がかなり違う。


「シエラママ、見て見て!」

「どうしたの? ジュダムーア」


 元気に走りながら礼拝堂に入ってきたジュダムーア。

 真っ白な髪の毛が、射しこむ太陽の光に照らされてキラキラ光る。そしてその笑顔も、髪の毛の輝きに負けないくらいキラキラしている。


 自分とそれほど歳が違わない見た目の男の子に「ママ」と呼ばれるのは変な気もするが、つい数週間前までおむつを変えていたのだから、私の中でジュダムーアは子どものままだ。

 しかし、順調に成長していると思っていたジュダムーアの次の一言に、私は言葉を詰まらせた。


「ボクも、能力が出せるようになったみたいなんだ!」

「えっ、まさか……」


 その日が来た。


 魔石を持つ従来の魔法使いは、幼少期から能力が芽生えるが、ジュダムーアは私と同じく魔力の出現が自体が遅れていた。

 龍人は、体がきちんと成長しきってからの方が負担が無いから、進化したシエラブルー種の魔力の出現が遅いのは、きっとその方が生物の理にかなっているからだろうと言っていた。


 かつて、他人を思い通りに操っていたジュダムーア。

 その能力が再び開花した。


 婚約前夜の戦いを思い出し、わずかな不安が頭をよぎる。

 私の気持ちが顔に出ていたのか、ジュダムーアが困ったように笑う。


「……ボクもちょっと心配してたんだけど、違うんだよ、ママ。見て!」


 恥ずかしそうに頬を赤らめたジュダムーアが、手のひらを上に向けた。

 注目すると、薔薇の花びらのような赤い光が飛び出し、ふわりふわりと舞って私の胸へ溶けるように吸い込まれていった。

 その途端、魔力がぐんぐんと力強く巡り出す。


「わ、すごい、なにこれ! 一気に元気になったよ!」


 一瞬で疲れが吹っ飛び力がみなぎった。

 今なら国の端から端まで全力疾走できそうだ。

 驚く私に、ジュダムーアが嬉しそうにはにかむ。


「シエラママとはちょっと違うんだけど、ボクの魔力もみんなに分けることができるみたい。ママにそっくりでしょ?」

「ジュダムーア……」

「……心配させちゃって、本当にごめんね……わっ!」


 私はジュダムーアを抱き寄せた。

 魔法使いが授かる特殊能力は、両親の遺伝、もしくは本人が強く望んだもの。

 以前は誰にも興味が無く、自分の満たされない気持ちを無理やりにでも得ようと、服従の力を手に入れた。

 しかし、今授かったのは人に分け与える力。私たちと成長する中で、人に元気を分け与えることを望んだ証拠だ。


「……とっても素敵な能力だね、ジュダムーア」

「もう、泣かないでよ、ママ」


 涙を浮かべた私を見つめる、ジュダムーアの宝石のような目もキラリと光った。


「あ! ジュダムーア、シエラママを泣かせたな!」


 心配そうな龍人が、ピアノの椅子を降りて私とジュダムーアに走り寄ってきた。


「違うって、ボクなにも悪いことしてないよ!」

「そんなこと言って、昨日だってこっそりおやつのケーキを盗み食いしてたじゃないか!」

「あれは……その……ごめん……」


 腕組みして怒る龍人に、甘党のジュダムーアがしゅんとして頰をかく。


「サミュエルの分だったからいいけどね!」


 本当は、サミュエルの分のケーキではない。子どもたちが喧嘩しそうになったので「これは俺の分だ」と言って気をきかせたのだ。


 ————全ての人の幸せが約束されている。


 元気に口喧嘩を始めた龍人とジュダムーアを前に、龍人のホログラムが言っていた言葉を思い出した。


 ……本当によかった。


 私はくすくす笑いながら二人を抱きしめた。


「わぁ、どうしたのママ、なんで笑ってるの? 面白いことがあったの?」

「ふふふっ! 二人が元気でいてくれて、幸せだなぁって思っただけ」


 私の言葉に、二人が顔を赤らめてはにかんだ。


 ……この平和が永遠に続く国にしなきゃ!


 幸せを噛み締めた私は、改めて心に誓う。


「ねえ、龍人。もう一曲ピアノを弾いてくれる?」


 リクエストをすると、龍人が大きくうなずいた。


「……分かった! 実は、昔からあこがれていた曲があるんだ。今の僕の気持ちにピッタリだから、それを弾くよ」

「へえー、楽しみ! なんていう曲?」

「パッハベルのカノン!」


 てくてくと再びピアノに向かった龍人が、指先で鍵盤をポロンと叩いた。

 心のこもった音の粒が、一瞬で礼拝堂を別の世界に変える。


 儚くも穏やかで、愛情と幸せに満ちた優しい音色が広がっていく。

 軽やかな心地よい旋律に、並んで座っている子どもたちもうっとりと聞き惚れた。

 隣に座るジュダムーアも、幸せを噛み締めるように目をつぶっている。


 みんなの注目を集めた龍人が、人目を気にせず楽しそうに指を滑らせ続けた。


 ……幸せに満ち溢れたこの曲を、昔の龍人はどんな気持ちで弾いていたのだろう。


 曲の波に乗って、今までのいろんな龍人が思い浮かぶ。

 トライアングルラボでの出会い、ガイオンに立ち向かう自信満々の姿、ジュダムーアの元へ向かう背中、いつも私を気遣う優しい手、婚約の前日。

 そして、今の楽しそうな笑顔。


 いろんなことがあったけど、今が幸せそうで本当に良かった。


 ……あれっ?


 私は驚いた。

 龍人を思っていたら、いつの間にか涙が溢れ出していた。


 一万年ぶりにピアノと向きあった、あの時の龍人のように。

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